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0. 希死



 死なない理由を探すよりも、

 生きる意味を見つける方が、ずっと難しいんじゃないかと、おもう。


 理屈をこねて、言葉を引用し、

 感情を理性で溶いて、(すが)るように過去を見返しても、

 いつまでたっても啓示(こたえ)なんて訪れはしなかった。

 もう、とっくにこわれていたんだろう。


 生物として致命的な欠陥を伴いながら、それでも歩きつづけた十六年という道程は。結局のところ、なんの足跡を遺すこともなくここで終わるらしい。

 どこか安心している自分がいた。死んでしまうことにではなく、もう、生きなくていいことに。


 ───ほんとうに。どうしようもないくらいに。

    自分は生き物として壊れきっていた。




 目を開けると、きれいな星空がひろがっていた。

 黒いキャンバスに散らされた無数の点描。月は、真昼の太陽みたいに明るい。街中では目にすることがないからわすれていたけど。これがただしい()(ぞら)だったと、いまさらながら思いだした。

 これだけ人の営みから外れた場所には、人工の(あか)りなど届きはしないらしい。


 息を吸おうとして、内側からこみあげる感覚につよく咳き込んだ。

 ぐちゃり、と赤いものがまき散らされる。外見(かたち)だけじゃなく、臓腑(なかみ)もそうとうこわれたらしい。


「…………ぁ……」


 もがくように動かした右手が小さな石塊(いしくれ)をさわった。

 鉄錆びた空気に、砂っぽい土気(つちけ)がかすかに混じる。それで思い出した。飛ばされて、瓦礫の山につっこんだんだっけ。

 誰が立ち入ることもない郊外の廃墟。役目を喪って久しい炭塗りの建造物は、物言わぬまま、倒れた身体を支えてくれている。


「……っづ…………ぁ……」


 なんとか動こうとして、みっともない悲鳴をあげた。

 身じろぎひとつ、吐く息ひとつに激痛がともなう。

 左腕、肋骨、肺臓……動くたび、神経を直接ひき千切ったような信号がはしって気が狂いそうになる。


 いっそ、気を失ってくれればよかったのに。体質と、未熟ながらも受け継いだ契り()がそれを許さない。


“───は、十二人の弟子を選び、これに権能を授けたもうた───”


 漠然と、ある殉教者たちのことをおもいうかべる。

 いまにしておもえば、呪いなのかもしれなかった。



『────まだ生きているの、カ』



 (いや)に、ざらついた音が聴こえる。


 目前の闇黒に溶けるようにして、男がひとり、立っていた。

 人と思えぬその威容。二メートルを優に超える巨漢に黒一色の装い……否、纏っているのは襤褸(ボロ)切れ一つ。露わになった肌が夜の闇よりなお濃い黒をしているだけだ。


 男は冷淡に、吐き捨てるように言葉を紡ぐ。


『おぞましい。夏の羽虫とはこういうモノを指すのだろう、ナ。潰したとおもって見てみれば、しぶとく生き延び、蠢いている。もはや人のカタチすら保っていないだろうに、そうも縋ってなにを得ようというのか。理解に苦しむ、が───』


 なにかを思い返すような一瞬の沈黙。


『───ああ、なるほど。一寸の虫にも、というやつ、カ』


 貌を覆う白布がゆれた。

 きっと、嗤っているんだろう。



 真夜中に始まった逃走劇は、たった数分続いた後、男の勝利に終わった。

 なぎ倒された木々も、暴風じみた傷跡も、街に暮らす人々に気付かれることはない。

 初めからそういう場所を選んだのだ。独りで対峙した瞬間から、この結末は分かり切っていた。


 このままここで殺される。なにもしなくとも、もうじき死ぬ。

 助けは来ない。たとえ来るにしたって、もう手遅れだ。


「───……」


 吐く息がだんだんほそく、途切れたものになっていく。

 千切れかけの糸みたいだ、とおもう。いや、糸ならとっくに切れていたのかもしれない。

 無様に踊るマリオネット。()る手も()る目も何もなく、独りしずかにわらっている。

 ならけっきょく、この命に意味なんてあったのだろうか。


『────』


 男の声が遠くなる。

 耳鳴りも、痛みも、波にさらわれるみたいに消えていく。


 なんともあっけない幕引き。何にだって終わりはひとしく訪れる。生物も、器物も、最後はみんな灰になる。

 最期まで答えは出せなかったけれど、最後に同じになれたなら、少しは意味もあったのかもしれない。


 つまるところ、自分は生きていてよかったのか。

 知りたかった命題(こと)は、それに尽きる。




 ───ああ、よかった。なんて、ため息をついた。

    うれしかったからなのか。かなしかったからなのか。

    もうずっと。言わないように、考えないようにしてきたけれど。

    ほんとうはただ、さびしかったんだと、おもう。



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