第四話 大っきらいだって?
小弓に手を引かれて廊下を呆然と歩きながら、歩は今までの学校生活を思い起こしていた。
たった一か月間の高校生としての時間。朝は早起きして授業中は船を漕ぎ、休み時間は爆睡し、放課後即帰宅する。そして夜遅くまで好きな本を読んで眠くなったら寝る。なんとささやかで素敵な時間だったことか。
歩は軽い寂しさを覚えていた。ああ、あの時間はもう戻ってこないのだと思って。悲しく辛い、永遠の別れよ。
そうこうしているうちに靴箱のところまで来て、小弓がぴたりと立ち止まり、歩を振り返った。歩はその表情を見て、はっとした。
(千世川が、怒ってる……)
いや正確には、微妙な表情だ。怒っているというより困っているような。で困っているから怒っているような。何にしても、歩は珍しいものが見られたと内心驚いていた。
歩の目をじっと見据えて小弓が口を開いた。
「早緑さん。あなたに、聞きたいことがあるんです」
……そういえば彼女とこんなふうに面と向かってちゃんと話すってことなかったよなあ、と歩はぼんやりと考えていた。
だが小弓の次の一言に、歩は軽いショック状態から一気に覚醒した。
「早緑さん、もしかして……わたしのこと、嫌っているのですか?」
……覚醒したというか、突然前触れなく滝行に連れてこられて冷水を浴びせかけられ強制的に目覚めさせられた感覚。
「……は?」
あまりの不意打ちに、歩は間抜けな声を出した。
小弓はじーっと歩の目を覗き込んでいる。その瞳にちっとも揺らぐ気配がないのを見た歩は、(えっ、この人なにがなんでも今のに返答しろっていうのか?)と心底から震え上がった。
(ていうか、何の話だ?全然わからん)
そもそも歩は、千世川家の家族に感謝こそしているが、嫌ってなどいない。むしろもっと何か彼らの助けになることをした方がいいのでは(小弓に関わりのない分野に限る)と考えているくらいだ。
「そんなわけないだろ。いつも世話になってばかりだし。不満なんて……」
今この状況には不満があるけれど、と心のなかで静かに付け加えておいた。
「一体どうして俺が千世川のことを嫌いだってことになったんだ?たしかに俺自身付き合いのいい性格じゃないけど……」
小弓はすっと目を閉じて、ため息を一つついた。「やっぱりそうですよね」と呟いて。
「えっ?」
「あ、いえ、最初からお話しますとですね」彼女は歩の返答を聞いて一安心したのか、淡々と説明し始めた。「実は両親から、早緑くんと仲良くやっているか尋ねられていて」
「はあ」
「わたしは話したんです。『早緑さんとは学校でお話しません』『早緑さんは学校が終わったら一人ですぐに帰ります』『早緑さんは近づいても気づいてくれません』……」
「おっおう……たしかにそうだな……」
実際あえてそうしているし。
「あっあと、『挨拶をしたら返してくれますが目を合わせてはくれません』」
ははは……。
歩は思わず自分の行動に苦笑した。なるほどなかなか徹底しているな。偉いことだ。
それにしても、だ。
「べつに、だからって千世川のことを嫌っているなんてわけないだろ。クラスメイトとしては全然普通な態度を取ってるだけで──」
目をわざと合わせずに。
挨拶は挙動不審。
会話もあえてしない。
存在すら気づかないふり。
同じ場所に自宅があるのに帰宅時間をわざとずらして。
極めつけは、虚偽の発言で夕食の同席を断った件。
歩は頭を抱えた。
「……俺、千世川のこと大っきらいじゃん……」