第二話 買い物につきあって
少なくとも歩の認識によれば、千世川小弓という少女は優しい性格をしている。
学校でも旅館でも、ろくに怒った表情を見かけたことはないし、喧嘩の噂なんてもとより無い。なにしろ、「千世川さんは優しい」というのはただ一人歩だけの認識でもなかったのだ。
だから、彼女は怒るまいと歩は思っていた。たとえ自分が自転車を大破させて、その巻き添えに買い物袋をぐしゃぐしゃにしても。
……いや、実際にそんなことはしていない。それほど寛容だという評価が出回っているという話だ。
歩は順調に帰路につき、千世川家の旅館「たまのうら」に到着した。自転車を下りて買い物袋を手に、別棟になっている家の玄関へ向かった。
「あっ早緑さん!」
思いがけない方角から声をかけられ、歩は一瞬狼狽えた。振り返れば、別棟の建物の脇から小弓が駆け寄ってくる。制服のままだが、靴はサンダルになっている。
(庭から出たのか?)
いまいちよくわからない登場の仕方に歩は首をひねった。……まあどうでもいいか。
「これ、はい」
袋を手渡す。手から重量が一気に消えた。
「ありがとうございます」
「一応中身確認してくれ。どっかで大根でも振り落としてきたかもしれん」
「……大根ならここから飛び出てるじゃないですか」
小弓は冷めた目を歩に向けた。
千世川小弓という少女は、必ずしも周囲の人間の認識に一致した人間ではないことに、ちょっとだけだが歩は気がついた。
まず、いつも優しいとか聖人だとかいう評価は妥当ではない。また、人当たりが良いというのも間違った認識だ。たしかに彼女はそのように振る舞ってはいるけれど……傍に住んでいて歩は気がついた。
結構、人見知りじゃないか。
無論、人前であがるという性質のものではないが、あまり人付き合いを好んでいないように見えるのだ。だいいち、歩が彼女を避けているのは確かだがまた、彼女の方もそれほど歩に関わろうとしない。
そして他の人間関係においてもそうみたいだ。どうやら深い付き合いというのを疎んでいるように歩には思えるのだ。
だから、こうしたジョークに対してただ呆れた目を向けてくる彼女と、学校で愛想良さげに笑っている彼女とをどうしても比較してしまう。
──彼女の顔を見下ろしながら、歩は考えた。
(まあ、とりあえず用事は済んだことだし。……できればあまり、彼女に関わりたくはないが、こればっかりは仕方なかった。だがそれにしてもどうする?これから新しい迂回ルートを考えるか?でもそうすると、なんだかいつも大変そうにしている彼女に悪い気もするし……しかし……)
やばい。考え込んでしまいそうだ。
早い所部屋に帰ってしまおう。そうすればこの件も有耶無耶になって、彼女も俺があの道を選ぶことがあるというのを忘れていい感じに収まるはず──。
「それじゃ、俺はこれで」
歩は早々退散しようとした。踵を返した時、小弓は「あっ待ってください!」と声をかけた。
なんだ、何用だと振り返ったことを歩は後悔した。聞こえなかったふりをしてでもその場を立ち去るべきだったと。でなければ、買い物の件を有耶無耶にできない──。
「あの、買い物袋を運ぶのを手伝ってくれたお礼なんですが……」
妙に言いにくそうにしているな。お礼なんかいらないぞ。今までどおりにしてくれるのなら──
「お夕飯、母が一緒にどうぞと誘ってました」
頭の中で大根がすり潰された音がした。