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第十八話 教えてください

「あ、千世川……わさわざ悪いな」


 暖簾を捲って現れたのは、制服姿の歩だった。少し、顔が赤い。

「早緑さん!のぼせて倒れたと聞きましたが……」

 小弓は驚いて近寄って彼の様子を見る。どこか胡乱げな目をしてはいるが、しっかりと両足で立っていた。それでもさっきまで意識が薄かったからか、動く足がもたついている。

 彼の鞄を奪うようにして取り、小弓は「まだ万全じゃないように見えます。もう少し休んだ方が……」と問いかけた。

 その時暖簾の奥から慌ただしく足音が聞こえて、上成が飛び出してきた。


「おい早緑!お前まだ寝てろって──」


 しかし建物の前で向き合っている二人を見て、「おお」と立ちどまった。

「千世川さん、来とっ……来てたのか。どうも」

(方言、千世川にも隠すのか)

 歩はちらと非難がましい目で上成を睨むが、対する上成は(しゃーないじゃろ)と言わんばかりに顔をぐっとしかめた。

 

「早緑さん」

 小弓は心配そうに声をかけた。ハッとした歩は、「いや、もう大丈夫だ。帰ろう。銭湯もそろそろ開くみたいだし」と身体を起こして自転車を出しに行った。


「あの、早緑さんはどうして──」

 歩が離れるその背中を目で追いながら、小弓は上成に気になっていたことを尋ねた。「この銭湯──あなたがここの息子さんみたいですね。どうしてあなたの銭湯でのぼせて倒れたのですか?」

 歩の身体がゆらりと傾くたびにそのまぶたが大きくなった。そして今にも走り出しそうに足がピクリと開いた。

 濡れた顔に、乱れた長い髪の毛。紫紺の制服は濡れそぼり、その表面を水滴が流れ落ちている。雨の中で傘を差しながらも走ってきたことが、端から見てもすぐにわかった。


 上成はそんな小弓を見て、(早緑。お前はちゃんと、心配されとるぞ。こんなに心配されときながら一人でいたいなんて、お前それは、けっこう酷いことやと、俺は思う……)

「まあ、お互いに相談しあっただけだ。聞きたかったらあいつに直接聞いてくれ」と返した。

 

「……そうですか。わかりました」

 小弓はわずかに目を細め、歩の方へと歩み寄る。その顔は、上成からしても、教室で見かける穏やかな表情とは全然違うように見えた。美人で可愛いと騒がれている彼女の見せた、ごく真剣なその様子に上成は押し黙ってしまった。


「早緑さん。本当にもう帰るんですか?」

「ああ。これ以上、上成に厄介をかけるわけにもいけないからな……上成」


 自転車を押して戻ってきた歩は、上成に近づいた。

「なあ上成。お前の言葉を借りることしか俺にはできないんだが……こんな俺でも、お前の話し相手くらいにはなりたい、とは思う。だからさ」

 歩は疲れた顔をしながらも、懸命にいつもの真顔を崩してみた。「好きな言葉で話してろよ。学校でも放課後でも、好きな時に。そん時は俺が話し相手になるさ。……少なくとも、俺よりもっといい話し相手ができるまでは」

 

 


「早緑さん、最後のって……」

「ん?ああ、気にしないでくれ」

「そうですか。では、別のことを気にすることにします。……どうして彼の銭湯に行ってのぼせるまで浸かったのですか?たしか彼、クラスメイトでしたよね」

「そうだな。隣の席だな。単なる隣人だったが」

「それで、なぜ銭湯へ?」

「……気にしないでくれ」

「気にします」


 銭湯からの帰り道。雨は弱まったようだが、傍をゆるゆると流れる川の水面にはまだ波紋が遊んでいた。

 歩は自転車を押している。そのすぐ隣で、小弓は彼の鞄を肩に下げ、二人の頭上に傘をさしている。

 二人の歩くスピードは、ノロノロと遅かった。


「彼からは、お互いに相談しあったと聞きました。一体何を相談しに行ったのですか?」

 小弓は釈然としない歩の態度に僅かな苛立ちを覚えながら、繰り返し彼を問い詰めた。

「……大したことじゃないさ」

 歩はそっぽを向く。


(言えるわけがないだろ。本当は千世川が昨日のことをどう感じたか、知りたかったなんて。こっちから関わりたくないなんて言っておきながら……)


 小弓は歩の顔をキッと睨みつけて、もう一度問い直した。「教えてください。……わたしと関係があることでしょう」

「何をもってそんな推測ができるんだ」

「今日学校で、露骨な視線の逸らし方をされて傷ついたからです」

「……いつも通りだろ」

「わたしの作った夕食を食べた人に逸らされたんですよ?酷いと思いませんか?」

「……」


 歩は言葉が返せなかった。


 小弓は正面に向き直って、少し俯いた。「わたしの知る限りですが、あなたはそんな失礼な人ではありません。いつも世話になっているわたしの両親に対して、すすんで手伝ってくれている善良な人だと思っています。ですが今日のあなたは、何か、違いました」

「……どう、違ったんだ」

「わたしをいつものように避けているというよりも──わたしを、怖がっているようでした」


 歩は隣に並ぶ小弓を見下ろした。前髪に隠れた彼女の顔は暗くて見えない。

 

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