第十七話 銭湯の息子
歩は全て話した。親の事情で千世川の旅館に居候していること、関わりたくないために誤解を受けて買い物を付き合っていること、そして昨晩のことも。
不思議と言葉がこんこんと湧き上がるみたいに口から出ていって、心地よかった。何か重たいものを手放したみたいに、穏やかな心地だった。
「俺は」歩は静かに言葉を紡いだ。「俺は、千世川とは関わりたくない。あいつは、旅館でも学校でもすごいやつなんだ。だから、──」
「何べん聞いたかわからんな」
上成の一言に、歩は口を閉ざした。(そうだ。こればっかりだ)
結局歩は、何かを言い訳したいかのように「彼女とは関わりたくない」と繰り返している。何に対しての言い訳かもわからない。
暫くの沈黙が下りた。
上成は口を開きかけたが、また閉じた。
歩が再び話し始めた。
「俺は千世川には、感謝しているしお礼もしたい。だから買い物を断れない。本当は一緒に買い物なんかするべきじゃないのに──」
「早緑」
歩が言葉を止めたのを確かめてから、上成は言った。「千世川さんの方から買い物を持ちかけたんじゃろ?。するべきじゃねえ、なんて、お前が勝手に決めつけるもんじゃねえ」
一度大きく湯気を吸って、吐いた。それから続ける。
「ええか、早緑。俺はな、あんま周りと喋りとうないんじゃ。言うたら、お前とは原因は違うが『関わりたくない男』なんじゃ。そんな俺でも、せめて俺が、お前の話し相手くらいにはなってやらないかん思ったんじゃ。お前は誰とも喋ろうとせんくせに、妙なふうに面倒そうな悩み持ってそうじゃったけぇ。
千世川さんじゃっておんなじや。お前みたいなやつから『関わりたくない』言われて関わるのをやめちまう旅館の娘、俺なら許さねぇ。じゃけぇ、千世川さんは買い物を頼んだんじゃないんか?」
(……そうなのか)
上成の言葉は、歩の心にストンと落ちた。
わずかに視界がはっきりとしてきた気がした。チャプン、と水音が鮮やかに耳に入る。湯煙が熱く顔を這うのを感じた。
(一人でいたいと思っていた。だけど一人でいるのは、千世川も上成も、許してはくれないことで──)
「まあ俺も、千世川さんについてはあんま知らんがな。近所の『たまのうら』の小町娘だとかは有名じゃけど」
上成はそう言うと、黙って湯を楽しみだした。歩も身体を湯の中に委ねて目を閉じた。
(俺は、千世川にそんな思いをさせていたのか。気を遣うなって言いたいが……)
俺は、千世川とは──。
続く心の中の言葉は、湯煙に呑まれた。
目を閉じた時の視界って暗いなと思ったら、くらりと頭が揺れた。全身から力が抜けて、「早緑?」と尋ねる声が遠くで聞こえる。
歩は気を失った。
「おい、母ちゃんいるか!」
「ちょっと翔真。もうすぐお客さん入るで」
「んなこと言ってる場合か」上成は慌ただしく叫んだ。「旅館『たまのうら』の電話番号知っとるか?」
「えっまあ、そりゃ知っとるよ。ご近所さんやし。なんでそんなもん──」
「はよ教えてや」番台の固定電話に飛びつき、母を急かした。母親は尋常じゃない彼の様子に戸惑いつつ、電話番号を伝えた。
いくつかのコール音の後、咳き込むように上成は、
「うち、銭湯たまの温泉です。早緑歩くんがのぼせて倒れたんで……」
「翔真、のぼせた程度で連絡せんでも……」と言いながらも、母はパタパタと男湯の方へ駆けていった。その背に「あほぅ、気ぃ失っとんじゃ。迎え呼んだらないかんじゃろ」と上成は怒鳴った。
「ってか、いつの間に友だち呼んどったん……」
上成は再び受話器に向かった。
『わかりました。今すぐ迎えに──』と応答があったが、一度途切れた。それから、『すみません。ちょっと今人が出払っていますので、一人だけそちらに向かわせます』
四半刻後、商店街の中をびしょ濡れになった雨傘を手にした少女が小走りで急いでいた。その栗色の髪もしっとりと雨で濡れていて、風に重たげに靡いている。
そして銭湯の正面に立って「ごめんください!」と声を張った。
その少女──小弓は、傘を両手で握り締めて、返事を待った。




