ランチ後の推測1
俺たちは、今インターネットで調べて作ったお雑煮を食べている。名無しの先生が少し遠慮しながら、俺に質問をしてきた。
「ところで美大ってなんです? 部署とかそういう感じ?」
「学校種類みたいな感じ。美術のことを学んで作品を作るんだよ。簡単に言うと実践するってところかな」
「絵を描くんですか?」
「うん」
次の日。遅延して動いた電車に乗り、一コマ入れていた授業を受け、帰って来た俺がレトルトのカレーを作っている間、先生は俺の隣で俺に色々質問してくる。
「野菜切ったりとかはしないんですか?」
「俺得意じゃない。名無し先生は出来る?」
「野菜があれば」
「じゃ、今度スーパーで買ってくるよ。なんか作ってみて」
「よかった! 役に立てる」
と、誇らしげな顔でこちらを見ている先生に、「高校生みたいだね」と言うと嫌味になり兼ねないので、そっと飲み込んだ。
先生が居候してきて二日しか経っていないが、先生といるとなんか楽しいと思った。今までこんなに会話が続いたことがあったかというくらいに、俺はこの奇妙な先生との会話を楽しんでいる自分がいた。
レトルトカレーが出来上がり、テーブルに夕食を運び、一緒に食べる。
「うまい?」
「物凄く」
顔に表情は出てなかったが、心からそう思っている態度をしているので、俺はそれだけで満足してしまった。
「最近何描いてるの?」
カレーを口に入れながら先生は訊いてくる。
「なにも」
二口目のカレーを口に頬張りながら言う。
「美術は実践もするって言ってたじゃん」
「描かないわけではないんだけど、思ったものが描けないんだよ。折角美大で学べるのにね」
三口目のカレを食べながら、先生は
「うまい」
と呟いていた。
粉雪が二日間降り、その様子はネットニュースにも話題になっていた。
「なんで、辰馬が残したカツカレー食べなきゃいけないんだよ」
そして今、俺は一番信頼している友人の甘灰辰馬が大学の学食のメニューの一つであるカツカレーを何口か残したので、食べている。
「あとちょっとって、量が多いと思わないか?」
「余り物を押し付けてると言っても過言じゃないんだぞ。辰馬はお子様だな」
俺は学食で何を食べているかと訊かれると、大体「ランチのご飯少なめ」と答える。なぜなら辰馬はあとちょっとを残して死んでいるから。俺がここで彼に奢ってあげると、辰馬は「また頼む」と、言ってキングオブ死にそうになっている顔をこちらに向けてくる。俺はその顔に弱いのだ。
俺がカレーを口に運んでいく横で、辰馬は水を口に入れている。
「てかお前さ」
「何?」
「いい出会いでもあった? それとも同棲でもしたの?」
唐突な質問が、今の状況に当てはまることと、誰にも言っていないのに、知っている理由を教えてもらいたかった。
「いや、なんで? そうだけど」
「え!? まあ、表情が柔らかくなったからな。晴矢は友達作ろうとしないから不思議に思ってる奴多いと思うぞ」
そう言われて俺はカレに被りつく。辰馬はパーカーのポケットを漁ったなと俺が一瞥した後、何故か俺のことをスマホで撮った。スプーンを持っていない手で自分の顔を隠す。撮られた俺の横顔を見て、笑いながら揶揄してくる。
「顔隠しちゃだめじゃないかー」
ここで謝るのも何か違う気がするし、変な揶揄われ方だなと鼻で笑うと
「食べ終わったらさ、課題のやつ描かない?」
と、提案をしてくる。
「言われなくてもそうしようと思ってた。そろそろ締切の絵がまだ終わってないんだよ」
カップに入った水を一息に流し込む辰馬の顔は少し女には受けるものがあるなと思った。
辰馬は、チャラ男のような見た目をしているが、根は真面目な奴だ。さっぱりした雰囲気と優しい笑顔を持ち合わせている。特に後輩女子に人気である。
「今だからこそだよね」
俺は指についたルーをカレーの横にあるおしぼりで拭いて、彼の言葉に乗った。
「どういう意味?」
辰馬は試すような目で俺に尋ねてきた。こういうふざけた感じの会話でも、ちゃんと答えてくれるのが彼だ。
「晴矢の課題、印象派のやつだろ? 内容はだいたい把握してる。最終形態の晴矢の作品を見てみたいよ」
カレを口に運んでいる俺を辰馬は見ている。俺はカレーのルーまで全部食べた。
食堂がある棟から離れた場所にある教室しか開いていなかったため、そこを借りて、制作の準備をする。
「この前雪降ったからか、寒いな」
水を汲みに行った辰馬が帰ってきてドアをガラガラと静かに閉める。
「もうすぐ二月も終わるのにな」
俺と背中を向かい合わせるようにして、絵を描く準備をする辰馬に、白いアクリル絵の具を出して
「人を拾った」
と面白がるように少し戯けたような口調で辰馬に言ってみた。あまり冗談を言わない俺が冷めたような顔をしたまま『人を拾った』と言ったので、辰馬は少し驚いた顔をしていた。
「冗談だよ」
やはり言わない方は良かっただろうか。先生の身元調査のお手伝いにと思ったが、流石にびっくりさせてしまうか、呆れられるに決まっているだろう。笑って誤魔化した俺を、訝しんだのか
「晴矢にそんなことできるわけないよな」
と笑った後に絵を描き始めてた。俺も筆に黒に近い灰色の絵の具を重ね、付けてキャンバスに描くべき絵の具を塗る作業を始めた。
「神秘性あるから信じないだろうなと」
筆を置いて辰馬の方に視線を向けると、辰馬はきちんと俺の目を見ていた。
「よく分かんねーけど、信じないから話さないってこと? 別に聞くのは構わないだろう。極秘情報ならちゃんと言わないで心に留めておくから」
ニシシと笑った顔で、ショートウルフの金髪の襟足を触りながら俺を見てくる。俺は思わず微笑する。
「その人、記憶喪失なんだ」
数秒、間が空いた俺に
「……は?」
辰馬は深く考えるように目を細める。説明を急かすようにこちらを見ている。
「何も知らないで、記憶がないんだ」
少し浮ついた表情で俺が 言うと、
「この状況上手く表せる言葉が見当たらねえんだけど」
と言いながらも自分の作品を描き進めている。辰馬はすんなり受け入れてくれたと思い込む。だからなのか俺も話を進めることが出来た。
「……記憶喪失ってどうやってなるのかは分からないんだけど、脳が損傷を受けて起こるってやつじゃないのか?」
そう言いながら、俺は筆を持ち直してまた描き出そうとした。集中力が切れたのか筆を持つ気力が無くなり、座っていた丸椅子から立って、辰馬の方に近付いた。
辰馬はこちらに気付き、俺の方に顔を合わせ
「制作するはずだったけどな、面白そうだから聞いてもいい? 詳しく、そして分かりやすくね」
俺を見て辰馬は姿勢を正してくれた。