8 アリアと変な大魔法使い①
――その点、この男は完璧に理解している。
「やりすぎじゃないですか? その変装」
私の隣を歩く魔法使いは、その髪を銀に染めてエメラルドの瞳を細めた。肩口を優に超えるほどまで伸ばされていた艶やかな髪も、サッパリと切り落としている。
魔法で見た目を変えるのは魔法使いにとってよくある手段なのだが……普通は無駄に魔力を消費しないよう手っ取り早く他人に化けるものだ。なんとも拘りの強い魔法使いである。
この様子だとどこからどう見ても黄昏の大魔法使いには見えないだろう。
サラは教授に話したいことがあるからと学園に残っている。成績上位者に常に名を連ねる彼女は向上心が凄まじい。
特にドアンお兄ちゃんが在学中、筆記試験の科目は一位を取り続けた話を聞いてからはより一層座学にも精を出している。
なんというか、我が友達ながら分かりやすい子である。
そんな私は一人寂しく家に帰ろうかと第三の門をくぐったところ、学園にいるべきでは無い男が私を出待ちしていたのだ。
魔法使いにはまるで見えない派手な衣装だ。柄物のシャツは結構どぎつい色で、ガウンは袖を通さずに肩にかけたまま。
昨日の軍服は結構いけてたのに、今回はちょっとチャラすぎる気がする。胸元を開けすぎだ。
仕上げに光によって虹色に反射するサングラスは、はっきり言うと季節感を見失っている。
「おや、君は僕を過小評価しているみたいだね? ではここで僕の評価を君に認識させるために本来の姿で――」
「私が悪かったですどうか落ち着いてください!」
「そう? 残念、君にいい所を見せたかったのだけど」
「まったく……ここで有名な黄昏の大魔法使いが現れたら女の子が殺到しますよ」
悪びれもしない顔でごめんねと謝るものだから反応に困る。
黄昏の大魔法使い――ヘンドリクスは、大人らしくエスコートは完璧だ。歩幅は私に合わせてくれるし、気負わない程度に会話が途切れない。しかもレディファーストで、ことある事に女たらしだということを思い知らされる。
――この男の本質が女たらしだと分かっていてもこう、来るものがあるわね。
そう、"勘違いアリア"は惚れっぽいのだ。優しい男に触れるともしかしたらこの人かも、とか思ってしまう自分がちょっと情けない。
まぁヘンドリクスほど分かりやすい男であれば自制が生まれるので有難くはあるのだけれど。
「そういえば、貴方は恋人を一日も途切らせたことがないと聞きました。あれって本当?」
サラに聞いた噂話その一である。黄昏の大魔法使いの噂話はこの世界に溢れかえっているが、実際どこまでが本当かわからない。
結婚しないのは男色のせいだ、とか。実は美女の生き血で身を清めているから麗しいのだ、とか。男色は流石に真っ赤な大嘘と思うけど。だって付き合ってるのは全部可愛らしい女の子だもの。
ピンからキリまで大量である。
「流石に一日もってことは無いよ。最大で二週間?」
「凄まじいですね……」
黄昏の大魔法使いヘンドリクスの女たらしの噂は十年近く続いている。特に話題に上がるのは麗しく成長した五年前位かららしいけど、それにしても五年間恋人を二週間以上置くことなく作り続けるのって凄まじすぎないか。
「じゃあ向こうに恋人を置いてきたということですか。急に仕事が入っちゃって大変ですね」
ルペルト皇太子からの勅令は昨日らしい。昨日書簡が届いてそのまま帝都に空間移動したら私がいた、というのが彼の証言だ。
今頃寂しく故郷で彼の帰りを待っている可能性がある。いや、そもそも一緒に連れてきた可能性もある。
「今は女の子はいいかな」
「………………」
「どうして無言でおでこに触れるんだい?」
「熱があるのかと」
もう片方の手で自分のおでこを図る。うん、熱はないようだ。
「噂の貴方は女の子がいないと眠れないとか言うタイプだったので」
「間違いではないね。睡眠は浅いよ」
「……」
「うん、熱は無いから大丈夫だよ」
擽ったそうに笑いながら私の両腕をそっと掴んで下に降ろす。
「ということは男色の噂は……」
「僕の噂話で一番真実とかけ離れてるやつだね。僕が好きなのは異性だよ」
「……なるほど」
完全に真実だった。つまりしばらく女の子はいいかなと思ってるのは本当で、好きなのが異性なのも本当。あと残る可能性はこの男が実は女だったという話だけど――それは無いか。抱きついた時に胸板が硬かったことは覚えている。サラシなどを巻いていたこともないし……。
コホン、思い出して少しだけ頬が赤くなる。
なら答えはひとつ。
ミュリエルお姉ちゃんに再会してその美しさを思い出してしまったのでは説が浮上した。あんな美人、人生でそう何度も出会えない。
「なんか嫌な事考えてる顔してるな〜」
「えっそんなそんな、お似合いとしか思ってないのでそんな……」
「まあいいや」
本気で興味なさげな感じだった。
昨日の事件のおかげで兄と姉の過保護には拍車がかかった。あとちょっとで父と母に連絡が行くところだったけれど。
父と母は揃って国の精鋭魔法部隊に務めている。"αチーム"と呼ばれる魔法部隊では目下軍隊の統率や皇帝からの勅令など……つまるところ人には言えない仕事をしているのであまり家に帰ってこない。
特に父――ファーガストン・レゼ・レグリオンは実働部隊の隊長を任されていて、一度任務に着くと長くて半年は会えなかったりする。外に出ると魔法が使い放題なので父は喜んで出張に行くのだ。
母――ソフィアン・レゼ・レグリオンは実働部隊ではないのだが、魔法薬学の最高権威でもある彼女は目下新薬の開発に精を出していた。
生涯魔法オタクみたいな二人は現役バリバリキャリアなのだが如何せん揃って子どもたちに甘かった。多分私の話を聞いたら任務を放り出して帰ってくる。気持ちは嬉しいが仕事はしっかりやり遂げて欲しい。
つまり両親に話が行かないようにするため、私に付けられた護衛がこの大魔法使いというわけだ。校門で「待った?」みたいに微笑みかけてくるこの男をどうやって追い払おうか考えているうちに「あのイケメンは誰?」みたいな空気になって慌てて学園を後にした。
銀髪のイケメンを連れ歩いていたら変なやっかみを受けることは避けられない。茶髪にした方が目立たないのに、と勧めたら茶髪は好みじゃないと断られた。
まあ魔法使いにとって髪色は自慢の一つだ。銀髪だってこの男にとっては妥協の一つなのだろう。
「ね、ちょっと寄り道しない?」
呑気な魔法使いはそんなことを言う。
お姉ちゃんには暗黒魔法に手を染めた一般人の行動理由については伝えていない。嘘を見抜く力は私だけが持っているものだ。お姉ちゃんに嘘をつきとおすのはそんなに難しいことではなかった。
「……お姉ちゃんに怒られますよ」
「怒られるのは僕だから大丈夫だよ。ケーキでもご馳走しよう」
それはとんでもなく甘い誘いではあるのだけれど。
「僕なら"シャンパーニュ"でおやつをご馳走してあげられるよ」
「行きましょう。私も寄り道したいと思ってました!」
シャンパーニュはマグノリアで一番有名な食事屋さんだ。看板メニューのシャンパンはマグノリア一で、一度飲んだら忘れられない味だった。
料理が美味しいのは然ることながら……なんでもいちごシャンパンシャーベットがとんでもなく美味しいのである。
そして夜に高級料理屋になってしまうシャンパーニュは、予約は半月待ちな上にいつ取れるかも分からない超売れっ子一流料理屋。特にお昼のランチには貴族令嬢達がステータス欲しさに駆けつけたりしている。
私なんかが行きたいと口にするのも恐ろしい場所だったのだ。
しょうがないよね、いちごシャンパンシャーベットは死ぬまでに一度は食べたいもん。
大丈夫、このシャンパンは未成年も飲めるシャンパンだから。
◇ ◇ ◇
「美味しそうに食べるねぇ」
「ヘンドリクス様は食べないんですか?」
「うん、見てるだけで十分だから」
まじで予約無しで入れちゃった。
長蛇の列に並ぶのは平民の女の子達だ。貴族達は並ぶという概念がないので予約席を頼むが、平民の私達はこうして並ぶのが常である。まぁ"レゼ"である私が並ぶと外聞が悪くなるのであまり並ぶような店には行かないけれど。
目の前にある巨大いちごパフェをひとすくいしながら口に入れる。なんとも冷たくて甘くてハッピーな気持ちになる。シャンパーニュのシャンパンはアイスと最高に合う。
夢中で食べている私をじっと、それこそ視線をずらさずに見つめてくる。悪いことをしていないのにそのように見続けられると居心地が悪いものだ。
というか食べるところを一方的に見られるのは好きじゃない。
「ちょっと食べます……? 折角来たんですし」
「そ? そこまで言うならもらうけど」
何かどうしても私が食べさせたいと思っているみたいな口振りはやめてほしい。
新しいスプーンを渡そうとしたらニコニコ笑顔で口を開けて待っている。……ひょっとしてだけど。
「くれないの?」
「スプーンあげるので自分で食べてくださいよ」
「羽根ペンより重いもの持ちたくないんだよね」
あ、と口を開けたまま。どっからどう見ても食べさせてくださいのポーズだ。大の大人がする仕草では全くないと思う。
くだくだと御託を並べられたものだから用意したスプーンですくって口に押し込んでやった。やっぱ美味しいね、と微笑まれたので良しとする。
「そうだ、貴方に何かお礼をしたいんです」
現在進行形で与えられてはいるが、これは返さなくていい方の借りというか、そもそもこの魔法使いが行きたいって言ったから着いてきただけなのでノーカンだ。
私が支払うべき恩義は昨日の命を救ってもらったことに関して。
「あはは、別にいいのに。このデートで手打ちでも僕は構わないよ」
「私が構います」
デートという形容には怪訝な顔をさせてもらうが、こんなおやつに付き合ったぐらいでは返せないもの。少なくともあの時、この男が現れなければ私は私の命どころか――お姉ちゃんまで危険に晒していた可能性がある。
そう考えるとただのお礼にしておくには足りなすぎる。
「レグリオンの家訓は"恩は倍に仇は倍々に"です」
「ミュリエルなんかは倍々で終わらせなさそうだけど」
「お姉ちゃんはそもそも仇は何があっても許さない質なので……」
拳片手に性格矯正して回っていたのが懐かしい。ミュリエルお姉ちゃんは自分だけじゃなくて家族への罵倒も許さない人だ。
お姉ちゃんの強化魔法ってもはやドーピングの域だったな、と遠い昔を思いおこす。
「そういうことなので何か頼み事をしてください。私に出来ることはそう多くないので片付け等の雑事でもあればありがたいのですが」
他には料理に洗濯等、細かな家事は得意だと指折り数えてアピールして見たが、彼の興味を擽る話ではなかったらしい。それもいいね、と全然そう思ってない声で言われたがその言葉も真実だった。
これは私の目が間違っているのだろうか。いやそんなことはなさそうだ。
「じゃあ僕ともっと仲良くしてよ」
「……仲良く、」
「うん。そうだな。……僕のことは"ヘンリー"とでも呼んでくれ」
「ヘンリー様、ですか」
大魔法使いの中の仲良しラインって名前をあだ名で呼ぶか呼ばないかなんだ。新たな知識を得た。
確か姉たちはハリーと呼んでいた。また違う種類のあだ名なんだろう。言われた通りに名前を呼ぶ。
「違うよ。"ヘンリー"。"様"は要らない。その不必要な敬語も辞めようか」
「え゛っ……それは」
「君に出来ないことでは無いでしょ? 名前を呼んでタメ口を聞くだけさ」
「ええ……それってお礼に、ならないしそもそも……」
魔法使いでもタメ口とか言うんだ……。
確かにできないことでは無いけど、兄達の友人であれどヘンドリクスは高名な魔法使いだ。そんな魔法使い様と気軽に口を聞くのは恐れ多い。
「そうでもしないと君は仲良くしてくれなさそうだからね」
「仲良くと言われましても」
「"ましても"は要らない」
「言われても……」
「大丈夫、君はできる子だから。今日からゆっくり慣れていこう。ねっ!」
少しでも敬語を使えば要らないと詰め寄られる。あ、もう今から一生このスタイルでいかされるってこと?
でも私がタメ口で返せば満足したように笑ったのでこれが正解なんだろう。何に喜びを見いだしたのか分からないが、お礼の一部にはなったと思う。
「でも、それでも少し……私がもらった恩にはそぐわないと思うわ」
「君は律儀な子だねえ」
ヘンドリクスの前にあったアイスコーヒーの氷が溶けた。グラスの中で溶けて落ちる氷の音が鳴る。ストローで掻き回しながら、今度はおずおずとヘンドリクスが提案する。
「じゃ……そうだ、アリアって呼んでいいかい?」
「いいですよ」
「"ですよ"は要らない」
「……いいわ」
小姑かな?
「じゃあアリア、もしこの先僕が何か一つ頼み事をする時……喜んで受け入れてくれるかな?」
「喜んでかどうかはそのないようによるけど。……ええ、まあ。私に出来ることなら――あ! 待って、魂とか心臓とか物騒なのはダメ」
やけに抽象的な相談だ。つまり今頼むことは何もないと暗に示しているのだろうか。
「何その物騒な頼み事。もちろんしないよ。魂も心臓もアリアに貰おうだなんて思っていないよ」
その言葉に少しだけ胸の奥が冷たく痛んだ気がしたけど……まぁ、気がしただけなんだろう。魚の小骨のようにご飯を飲み込めば取れてしまうもの。
私の魂はいらないらしい。そんなことをすればお姉ちゃんに怒られるのが目に見えているしね。
「もちろんお姉ちゃん関連の頼み事も、恋愛事は己の言葉で駆け引きすべきよ!」
「どうしてそこでミュリエルが?」
ふと浮かんだ今までの男たちの発言が頭を過って先に先制してしまう。だって今まで私に声をかけてきた人の殆どは姉に憧れてだったわ。友達だってそれなりにいるけど、でもクラスメイトの半分は私をミュリエルに会えるための切符だと思っている。
大魔法使いとしての実績のあるミュリエルは、そう簡単に出会える人間ではない。だから私に家に招待してほしがるのだ。
でも私の屋敷は大きくも使用人が沢山いるわけでもないから、家に呼ぶ人はじっくり選ばなくてはならない。レゼの名は私の友達だからと許されるような簡単なものでは無い。
そういう今までのことが作用してヘンドリクスにも同じように牽制してしまったのだ。至極納得がいかないみたいな顔で聞き返されてホッとする。
そうよね、大魔法使いはそんなことを考えないわ。
「と、とにかく! 私に頼むことといえばそれくらいしか持ってないし、いつも……」
だって、だって私に頼み事をする人はいつだってその話をするから。
私の返事を待たずして頭のてっぺんに暖かな温度が触れた。驚いて見上げれば大人の顔をしたヘンドリクスが真剣に私の頭を撫でていた。
撫でられて、いる――。
「約束する。君を傷つけるような頼み事は絶対にしない。そもそもミュリエル関連の願い事なんて僕には無いから安心して――だから僕の頼み事が出来た時は一つだけ叶えて欲しい。それはどう?」
「……慎重なんだね。ヘンリーは」
その言葉のどこにも嘘がないから安心できる。
黄昏の大魔法使いヘンドリクスは出会ってから一度だって嘘をついたことがない。いつも彼の瞳の色がハッキリと見える。人が生きていれば一つはつく些細な嘘を、ヘンドリクスはつかない。
だから信用していいと思ったのは本当。
「いいよ。貴方の頼み事を一つだけ叶えてあげる」
魔力が指先に籠る。これは"誓約"だ。
お姉ちゃんが口酸っぱく言っていた。魔法使いにとっての誓約は大切なものだから気楽に結んではいけないのよ、と。
結んだ後に誓約に気づくなんてとんだ間抜けだ。頭ごなしに怒る気力も湧かない。
結局この男もレゼなのだ。私が何が何でもお礼がしたかったようにこの男も私になにか頼み事がしたかった。
手の平の上で踊らされてるみたいだ。暫くは私の隣で楽しく踊るのは彼なのだろうけれど。
「……楽しそうね、ヘンリー」
「うん、もちろん。清々しい気分だよ」
選択を間違えた可能性はあるが―――なるようになれ、とため息をこぼした。
そしてこの選択を、後日とんでもなく後悔することになるのだが……この時はそんなこと、微塵も感じていなかったのだった。