2 レグリオンの末娘
レグリオンの末娘は落ちこぼれの魔力無しだ。
"勘違いアリア"で一番語られる噂話だ。
もちろん魔力無しでは無い。兄や姉ほどではないがアリアにはしっかりと魔力がある。
そもそも"勘違いアリア"の噂話の発祥は"大魔法使いと勘違いしている可哀想なアリアドネ"という幼い頃の失態から来ている。今では街を賑わすアリアの噂話の大半の代名詞になっているが始まりはそのような失礼なものだった。
今は大抵が失恋話に特価しているので失礼は失礼なのだが。
その昔、アリアはそれはそれは可愛がられて育てられた。魔力も歳の頃にしては人並み以上にあったし、何より10も離れて生まれた妹を姉も兄もそれはそれは溺愛したのだ。
「アリアは可愛い?」
「ええ、と〜っても可愛いわ! 私のお姫様。さぁ今日はこの服を着ましょう?」
ご飯に服に玩具に、欲しいものは大概手に入って、私が笑う度にみんな幸せそうにするものだから、私は生きているだけで人を幸せにするんだって思い込んでた。
まぁ、今もそれは家族限定で本当なのだけれど。
「ね、アリア。お姉ちゃんはね、アリアドネが世界で一番好きよ」
「私も、ミューねえちゃんがいちばんだいすき」
「可愛すぎて死にそう……ッ」
特に姉の溺愛はずば抜けて凄かった。魔法学校に通い始めた姉はその容姿も相まって王侯貴族の令嬢達に酷い嫉妬を向けられていた。今は内面の素晴らしさと大魔法使いであることが手広く知れ渡っているので、馬鹿な嫉妬をする者はいないが、未成年の女の子に世間は冷たかった。美人に向ける嫉妬とは凄まじいものなのだ。
年頃の姉は本当に美しかった。きりりとつり上がった目に雪のように白い肌。りんごのように色づく頬と唇に、人形みたいな顔立ち。
学園の男共はこぞって姉に恋をして、そして尽く兄達に蹂躙された。
兄は妹達を愛していたので変な虫は徹底的に潰していたのだ。
"レゼ"の称号を与えられた魔法使いは平民ではなく"大魔法使い"として扱われる。完全なる特別権力だ。この国を担う大魔法使いにはそれ相応の力と権利が必要だからだ。
王では無いが王と同等に語り合うことが出来、手順を踏めば国軍指揮権も得られる。国に認められた"レゼ"とはそう言う存在で、それ故に特別な力を求められる。
だから姉に声をかけられるのは余程の爵位の者か、兄達が有害ではないと判断した人物だけ。有害であれば徹底して排除したので、面白がった王子様が女よけのために姉の傍によく来ていたそうだ。「本っ当に面倒だったわ、あの男」とは姉の言葉である。
同じく麗しの魔法使い様である兄達は王侯貴族にとってはとてつもない良い物件だった。兄達の妹馬鹿がもう少しマシで、それなりに女に興味があればあったらきっと直ぐにいい所のお嬢さんと結婚していたに違いない。
まぁ自分の顔を見続けている兄や姉には基準値がそもそも高すぎるのだろう。既に26になった兄達には未だ女の影がない。24になった姉にも色気のある話がないので私の家族は大概な魔法馬鹿で妹馬鹿だ。
そういうこともあって、兄達のお眼鏡にも叶わず、爵位の高いものは姉に夢中で、兄と姉が入学していた時代の婚約率は著しく低かったらしい。早々に面倒だと気がついた姉は五年かけて終わらせる履修を二年で終わらせた。
先に入学していた兄よりも早く卒業したのは創立以来の天才と伝説になっている。
何が言いたいかと言うとその姉への嫉妬は出来損ないの妹に向けられたという話だ。
「くすくす……見て、"勘違いアリア"よ」
「アリアドネも可哀想。あんなに見目麗しく才も溢れる兄と姉を持つのだもの……ねぇ」
「少し魔法が使えたくらいじゃ、見劣りしてしまうわよね」
私が物心着いて王城に呼ばれる頃にはそうやって悪意ある噂が耳を貫いた。その頃の私は自分は愛されるために生まれて来たのだと本当に思っていたから、彼女達の言葉に深く傷つき、自分を恥じた。
落ち着いて鏡を見れば分かった。座学は得意だったのだ。優秀な魔法使いの見た目なんて分かっている。
錆色は魔力無しの色だった。平民であれば普通の髪色でも、レゼでは違う。
私は家族の顔に泥を塗っていることに気がついて、とてつもない羞恥を覚えた。
結局、少し魔法を使うどころか、初歩魔法すら使えないということがわかって、世間の"勘違いアリア"の話はあちらこちらで噂された。完璧なレグリオンに対する敵意でもあったのだろう。
幸い、国王夫妻は父の親友だったから変に爪弾き者にされることは無かった。
私に対する不合格の烙印だけが面白おかしくそこらで噂されるだけ。
一度兄と姉がブチ切れて暴れ回ってからは私の前だけで言うようにしていたみたいだけど……噂というのは結局いつか耳に入ってしまうものなのね。
「お前、どうだったんだよ。"勘違いアリア"」
「どうって……そのまんまさ」
「だってお前から声掛けたんだろ?」
「まぁな、ミュリエルと知り合いたかったんだけどさ〜。あいつ、全然家呼んでくんねぇんだよ」
「あーあ、それ思惑バレてんだよ」
「え〜! アリア可哀想じゃない? せめて好きなフリはしてやんなさいよ」
「いやそんなん初め声掛けたときから分かってるもんだろ? だってアリアとミュリエルだぜ?」
「あははっ、まぁ普通そうだよな〜」
「ふふふ、レグリオンなのに錆色だなんて、逆に珍しいわよ?」
4、5人のグループで楽しそうに話す。カフェアネッサに先日姉が"締め上げた"せいで破壊された部屋のお詫びに一緒に来てみたのだが、私の引きの強さというのを少しばかり恨みそうだ。
昨日と全く同じ場所に座って私の噂話に話を咲かせている。
―――あちゃー……。いや、まあそうよね。暴れた次の日に現れるとは思わないもの。
「迷惑を掛けたならお店の人にちゃんと謝った方がいい」と昼のパンケーキをお持ち帰りにしてくれたお姉さんに感謝をしつつ言ったのだが、「アリアが行くなら行くわ」と拗ねたように返されたので渋々着いてきたのだ。
これなら言わなければよかった。私が言わなきゃ姉は来るはずかなかったのだから。
何もかもが後手に回って嫌になる。
「最低……っ。アリア、待ってなさい。私が今から」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんが噂の的になる必要は無いわ」
心の底から思ったことだ。傷ついたかもしれないが昨日の寄り道で20分も経てば胸の痛みも消えた。大概私も薄情なのだ。数えるのも億劫なほど振られても引き摺らない。多分恋に恋している感じだ。知らないから知りたいみたいなそんな感じ。
だから目の前で昨日まで好きだった人が私の悪口を言ってあまり響かない。
それよりもお姉ちゃんが傷つかないかの方が心配だ。私が今姉の手を離せばきっと走り出して「締めるから順番に並びなさい」だなんて言い放つのだ。
やめてと思うけどそれでも嬉しい。
「そうだよね……うん、そうだよ」
昨日まで好きだった人を眺める。楽しそうな横顔は見た事もない表情だ。
私は淡い期待をしていたのだ。いつか物語の王子様みたいに突然現れて私を幸せにしてくれるような人と出会えるかも、なんて。
自惚れていた。初めから私が間違っていたのだ。
「錆色の私なんかに声をかけて、あの人も不憫ね」
「アリア、それは違うわ。貴方はとても優しくて可憐で、……素晴らしい人なのよ。」
ミュリエルの妹だから声をかけて、失敗したのはあの男。同情するわ、ええ心から。
「大丈夫。私、全然悲しくないから。だって、あんな奴に傷つけられるなんてことないわ」
そう、もう悲しくないのも事実だった。
「でもこれだけは言っておくわ。近いうちに煙草屋は閉まるわよ」
「……う、お父さんに謝らなきゃ」
そして煙草屋は勿論次の日に潰れて兄の斡旋した事業が帝都で展開された。
……同情するわ、心から。