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1 アリアドネの憂鬱

転生なしの魔法ファンタジーです。


 彼の目は私を見てはいるがどこか嘲るような色を持っていた。珈琲を一口含んで、大きなため息をひとつ。

 音を立てて置かれた茶器から垂れた水分が机を滲ませる。


「そろそろ君も察していると思うけどさ」


 その言葉に嫌気がさして飲もうとした紅茶カップをソーサーに戻した。なんだか言葉にしずらそうな表情で頭を搔く男は困ったように視線をずらす。

 目の前にいる男は最近知り合った気前のいい煙草屋の息子で、ここ数日飲み友のようなことをしていた。話上手で一緒にいるのが楽しくて―――もし良かったら、付き合えたり、だなんて考えていたのが昨日だ。


「なんかさ……やっぱ違うんだよな」

「え?」

「君といても楽しくないって言うか……」


 なんともぼんやりした主張だと思った。"やっぱ違う"というのは元々他のものと比較していたからこそ出るもので、つまりは私に何かの役割を求めていたのだろう。

 それならそうと早く言ってくれれば努力のしようがあったのだけれど。


「全然家に呼んでくれないしさ」

「そ、それは……うちは家業が忙しくて」


 家業が忙しいのは本当だ。そもそも貴族のように使用人に囲まれているわけではない。客人をもてなすには前日からの用意を自分達でする必要があるし、家族に説明もいる。

 それなのに彼は思いついたように家に行っていいか、と聞いて来る。どう考えても無理だ。

 我が家の家業は少し休むか、とかが出来ないかんじのものなので家に招待するならばもっと早めの打診が必要になる。それなのに「じゃあ次の土曜日は」と声を掛ければ曖昧な返事で行けるかわからないと言う。そんな無茶な。

 と、言うことをなんどか説明したのだが「へぇ」と短く返された。一応理解してくれたのだと思い込んでいた。


「だから別れよう」

「えっ」


 さらに重ねられた衝撃的な言葉に声が上擦った。だからと言うのは前述の言葉に繋がるもので、ある事柄の原因や理由を述べる際に使うものだ。全くもって前後の文が噛み合っていない。

 そもそも私は彼と"別れる"ような立場でない。なんなら付き合っていないと思ったし、告白もされていない。

 確かに、確かに好意はあったが何一つ関係を結んでいないのだ。


 それなのに"別れる"とは不思議なこともあるものだ。


「そもそも、ミュリエルの妹だって言うから声をかけたのに全然違うしさ……正直、一緒にいても得られるものがないし」


 言葉に棘がつく。やれ折角付き合ってやったのにだとか君と付き合えるのは自分くらいだとか、思いつく限りの失礼な言葉を投げかけられた。そもそも告白もしていないということを伝えようにも饒舌な彼は口を挟む隙も与えてくれない。百年の恋も冷めきる。

 目の前にある水受けのコップを握りしめる。

 悪いのはお前だと言われているようで居心地が悪かった。


「ミュリエルはもっと優しく笑ってくれるのに」


 どうにかこのどん底の気分を底上げしようかと頑張って微笑んでみる。手付かずの紅茶はそろそろ冷めてしまったろうか。

 砂糖を入れる前に話が始まってしまったので一口も飲めていない。


「気味悪い笑顔で人形みたいに頷くだけじゃつまんないよ」


 笑顔もダメらしい。私は頑張って上げた口角を戻した。


「あ、あの……」


 酷い言葉をかけられて心は折れそうなのに出たのはそんな言葉だ。きっとここは最低だと相手を詰るべきところなのだろう。でも言われた言葉に何一つ反論が出来なくて口ごもる。


「何? 文句あるなら言ってよ」


 この状況で何か言えるわけがない。突きつけられた視線が痛くて思わず指先を見下ろす。モジモジと指を絡め直していれば、ついに彼は顔を歪めた。


 結局用意できたのは無言の肯定だけ。


「また黙りかよ。いい加減にしろ!」


 ―――だって、私が何か言ったって全部届かないじゃない。


 荒っぽく机から立ち上がって遠ざかっていく恋人(仮)の背を眺める。こんな状況でもお別れの言葉ひとつ上手に言えない。ありがとう、楽しかったこともあったよ。

 それぐらいは言いたかったのに、不測の事態に唇がくっついてしまうのだ。昔から上手く言葉にできない。

 まるで私が悪いみたいな言い様だった。彼の視点では悪いに違いないのだろうが。

 最後に大声を上げられたせいで注目の的だ。

 今日のお出かけ――だと私は思っていた――は最近出来たカフェテリアだった。パンケーキが美味しいと話題になっていたので頼んでしまったが、こんな状況で腹いっぱい食べられるわけもない。


 気を利かせた店員がパンケーキを届けに来ると同時に「お持ち帰りにされますか?」と問いかける。有難い打診だったがとてつもなく惨めたらしくて嫌になった。

 何となく返事に困って、愛想笑いで肯定を返した。


 箱に入れられたパンケーキを片手に店を出る。店内は女子会かカップルばかり。振り返るのが怖くてそそくさと後にする。きっと今頃"勘違いアリア"の噂話にまた一つ追加されたところだろう。


 暖かなパンケーキが入った箱を抱きしめながらため息をひとつ。香ばしいバターの匂いが少しだけ心を癒してくれる。


「最短記録ね……」


 付き合ってもいないのに振られた回数は一年で25を越えた。悲しいことに私が今度こそ仲良く出来るかもしれないと思った時には相手の気持ちが冷めてしまうのだ。恐ろしいことに零点下まで下がる。


 アリアドネ・レゼ・レグリオン。たった今二週間ほど友達――だと私が思い込んでいた可能性はあるが――の彼に手酷く振られたしがない一般人だ。

 二週間だ。二週間で一体人の何がわかるのか。


 今度こそ特別になれると思ったのに。


 何も手酷い別れの言葉はこれが初めてでは無い。いつも声をかけてくれるのは向こうからで、別れを切り出されるのも向こうからだ。

 告白もされていない、付き合ってもいない、それなのに"つまらない"と別れを突きつけられる。

 私はいつも頷くだけだった。嫌々では無い、その時は嬉しくて今度こそ、と思うのだ。

 でも蓋を開ければ変わらない。つまらない私に嫌気がさした彼等は皆揃って同じことを言う。「気味の悪い人形のような女」それに類する言葉ばかり。

 多分上手に笑えないからかもしれない。彼らの前に立つ時、私はいつも緊張している。出来るだけ邪魔にならないよう頑張っているのだけれど、何をしても上手くいかないのだ。

 初めの方は自分を主張してみたけれど、私が私をアピールすれば決まって彼らは「そうじゃないんだけどな」みたいな愛想笑いを返されてしまう。

 わかっている。分かっているのだ全部。


 彼らが望むのは"私"ではない。


 話しかける時も決まっておなじ言葉から始まる。「君がミュリエルの妹さんか」―――そう、彼らはみな私の姉、ミュリエルが目当てなのだ。

 ちなみにミュリエルは強度のシスコンで男嫌いだ。特に軟派な男がダメで外で声をかけられた暁には相手が貴族であれ普通に拳が出る。


 そんなもんだから「私」の恋愛遍歴が凄まじいことになっているのは致し方ない。皆足掛かりに私に目をつける。

 

 そう、致し方ないのだ。分かっていながら頷いてしまうのは、毎回この人が運命の人かもしれないと思えるから。ちゃんと断ればいいのに、それすらもできず人形のように皆が求める"ミュリエルの妹"の理想像に近づこうとするから、火傷する。

 わかっているのにやめられないのが性分なのだ。


 今回だって同じ。笑った方がいいだとか、似合いそうな髪飾りを見つけたとか、彼は嬉しいことを言ってくれた。始まりはミュリエルだったけど、途中は私を見てくれていたような気がしたのに。

 何度目かの失恋。そう、確かに私は好意を抱いていたのだ。


「うぇええん……」


 人通りの無い道を歩く。静かに堪えるように涙を流しながら、二週間の恋も一緒に吐き出してしまえ。


 私は少し遠回りをしながら、姉にバレないように涙の跡は消さなくちゃと言い聞かせた。


 ◇ ◇ ◇



「おかえりなさいアリア!」

「ただい……ホゲェッ!」


 正面からぶつかってきた柔らかな体、顔面にあたるふくよかな胸に、背中に回された手は締め付けるように私を抱きしめている。ああ、帰宅早々窒息させられる。いい匂いに包まれた彼女は毎度今生の別れの後に再開した恋人のごとく熱烈に迎え入れる。

 噂のシスコンで男嫌いの姉が今日も激しく出迎えてくれたようだ。


「また別れたの!?」

「こ、声が大きいよお姉ちゃん!」

「だって貴方、これで何回目なの?! 本当に見る目がないんだから!」


 まさか涙の跡が上手く消せなかったのだろうか。私を覗き込んだ姉が「顔色が悪いわ」と叫んだ。多分泣いたことはバレていない。


 麗しい蜂蜜色のブロンドを靡かせながら美しい姉が心配そうに私を見ている。キラキラと輝く翡翠の瞳には涙が浮かべられていてまるで宝石みたいだ。

 どこで手に入れた情報なのか、既に昼に起こった悲しい事件を把握している彼女は目に涙を貯めながら、または憤怒に拳を震わせながら、力いっぱいアリアドネを抱きしめた。

 国一番の美女と呼ばれる王国の宝石、それが私の姉ミュリエル・レゼ・レグリオンだ。


「い、一体どこでそれを……」

「さっきアネッサに納品しに行った時に噂で聞いたのよ! 安心して、噂してたヤツらは全員絞め上げておいたから!」

「お、おねーちゃん……今、私も絞まってる……」


 全然安心できない言葉が飛んできた。これだからバレたくなかったのだ。

 それにしても数時間に起こった事件を今まで話していたのだろうか。人の悪口は甘い蜜とはよく言ったものだ。

 ちなみにアネッサは最近できた流行りのカフェテリアで私が先程手酷く振られた場所だ。姉の仕事先だったとは、盲点だった。


「ミュリエル、流石にそのままだとアリアが死んじゃう」


 姉の熱すぎる抱擁を何とか剥がしていれば、さらに高い位置から声がかかる。

 ちょうど一階に降りてきた双子の兄が怪訝そうな顔で私達を見下ろしていた。


「いいえ、お兄様たちも話を聞けば黙ってはいられないでしょう。聞いてください! またアリアを手酷く振った愚か者がいるのよ!」

「お姉ちゃん! 言わなくていいよ!?」


 まるで一族の一大事みたいな大声で叫ばれるので思わず姉の口を塞ぐ。手のひらに当たる唇がやけに柔らかくてすぐに手を離した。綺麗なものに触れるのは恐れ多い。


「は? アリアまた別れたの。殺す?」


 ミュリエルの言葉に即座に反応したのは双子の兄の方で名前はレズリー。好戦的な性格で家族のこととなれば直ぐにキレ散らかしてしまう恐ろしい兄だ。

 以前も花屋に薔薇を買うために通っていたら、花屋の息子にストーカーだと勘違いされ勝手に振られた時に殴り込みに行くと言っていた。アレは今思っても不条理な失恋だった。恋してないのに振られることってあるんだ。

 止めるのにとても苦労したことを覚えている。後日花屋の息子の顔にやたら殴られたような跡があったが私は見なかったことにした。正直勝手に振られて腹立っていたのでスカッとしたのも事実だし。


「そもそもいつ付き合ったんだ。面拝みに行かなきゃな」


 双子の弟の方のドアンは冷静沈着な優しい兄だ。二人は双子で、書類上はレズリーが長兄に当たるのだがどう考えてもドアンの方が落ち着いている。

 だがしかし報復の方はドアンの方が粘着質で執拗な上に「復讐? なんのことかな? あれは勝手に賭博に負けただけだよ(笑)」とか言ってくるから扱いに困る。

 ちなみに都心に事業を広げに来た土地転がしの男に勝手に愛人にされていた上に振られた時、全財産を搾り取った上に都心での事業権も取り上げていた。そこまでしなくてもいいのでせめてお金は返してあげて欲しいと訴えれば何の話かな、と眉を下げられて私が困った。


 ちなみに見ての通り兄も揃って妹に甘い。


「あそこの煙管屋の息子よ。軟派者で有名で手癖も悪いわ!名前はサンドリヨン」

「お姉ちゃん! 言わなくていいって!」

「あ!! まさか手を出されていたりしないでしょうね!? 二週間と言えどもあの男……!」


 手なんか出されているわけが無い。付き合っていなかったし少し前までは友達のような仲だったのだ。明らかに目当てはミュリエルだったけど。


「煙草屋の息子風情がアリアになんの用だよ」

「彼処の煙草屋は父上の御用達だったんだが……仕方がないな、代わりになるところを探しておくか」

「あ、安心して! 指一本触れられなかったから、ほんと落ち着いてみんな!」


 ああ、自分で言っていて悲しくなってきた。どう足掻いても私とミュリエルお姉ちゃんの間には越えられない壁がある。蜂蜜色のブロンドに翠玉のような瞳。

 この街の男たちは皆一度は姉に恋をする。そして―――姉が魔法にしか興味が無いのだと知って泣く泣く手を引くか、そもそも声をかけるような勇気もないかのどちらかだ。


「それはそれで病気だろ」

「アリアに失礼だ」

「こんなに可愛いアリアに手を出さないなんて頭沸いてんじゃないの? 目が見えないの?」


 そんなことはないよ、と大声で言ってもこの妹バカ達には伝わらない。

 どう考えても自分達の方が麗しく美しい姿をしているのに、彼らは揃って私を可愛い子だと呼ぶ。それは心からの言葉で確かに嘘偽りの無い言葉だった。

 彼らの目を見るだけでそれが分かってしまう私は、その事実に打ちのめされるようになる。こんなに真摯に愛してくれる彼らを恨めしいと思ってしまう心があるから。


 私達"レグリオン"は"レゼ"の名を授けられた大魔法使いの一族。


 世界の中心にある帝国"マグノリア"は有数の魔法大国だった。国の中枢には魔法使いが集められ、王都から手広く魔法結界を張り、民たちを危険から守る。

 人口の半分にも満たないほどの魔力持ち―――いずれ魔法使いになる者達はそれ相応の訓練を受け国に使えることが定められていた。

 その中でも"大魔法使い"としての称号を与えられた素晴らしい魔法使いの一族には"レゼ"の名が与えられた。レゼと名乗ることが許されるのは由緒正しい魔法使いの一族に生まれた純血の者のみだ。


 強い魔力を持つ者は揃って似たような見目になる。即ち、金髪碧眼を持つ者は強い魔力を持った大魔法使いの力を秘めているのだ。その中でも蜂蜜色の髪(ハニーゴールド)蒼玉(サファイア)を持つ私達レグリオンは自他ともに認める大魔法使いの血筋だった。

 兄も姉もそれぞれ年頃にしては強大な魔力を持ち、それを国のために使う偉大なお人だ。


 それに比べ―――私は。私は人の嘘か誠かを見抜く程度の瞳しか持ち得ていない。鳶色のくすんだ瞳。


 腰あたりまで伸びた髪は手入れしていても姉のように美しいブロンドにはならない。手のひらに乗せた錆色の自分の髪を握りしめながら、私は昼間の彼の言葉を思い出した。


 ―――ミュリエルだったら。


 そんなの、私が何度も思ったことよ。お姉ちゃんみたいになりたいって。


 兄と姉達は揃いの蜂蜜色の髪を靡かせながら蒼玉の瞳で私を覗き込んだ。


「安心して、アリア」


 今度は柔らかく抱きしめてくれる。ミュリエルはアリアのことが好きだから。


「そうだ。兄さん達に任せておきなさい」

「今日はお前の好きなご飯を作ってやるからそんな男忘れちまえ」


 だからもう胸の痛みは存在しなかった。

 そもそも淡い恋だった。いや、恋になる前だった。ただ急に態度が変わって、まるで嫌悪するように見つめられたのが悲しかっただけ。


 家に帰れば愛してくれる家族がいる。だから"アリア"は寂しくない。


「も、ほんと……絶対サンドリヨンに手を出さないでね!?」


 最後のダメ押しで言った一言が三人の機嫌を大いに損ねることに私は気づいていなかった……。


【メモ達】

▶︎レゼ

"レゼ"に相応しいと認められた魔法使いの一族に贈られる称号。一族に対して譲与されるもの。

貴族ではないが貴族と同等の権利を得る。貴族の義務は発生しないが、魔法使いとして国に仕える義務がある。

レゼの魔法使いは基本的に金髪碧眼で産まれてくる。

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