アホ、再び。
「ちと買いすぎたか」
「羽振りが良くてよろしいのでは? 腐っても辺境伯家、金など掃いて捨てるほどあるではありませんか」
などと会話しながらちらりと後ろに視線をやれば、ガラゴロと車輪を転がしながらついてくる荷馬車の姿が1台2台……。
「貧乏男爵家のお嬢様は皮肉も言えるのか。流石、平民とそう変わらんだけはある」
「皮肉は宮廷雀どもの十八番でしょう。そちらに近しい主様の方が皮肉はお得意なのでは?」
「……はあ。やめやめ。無意味だ、こんなの」
「そうですね。主様が始めた事ですが」
2年前にはわかっていた事だが、この奴隷、ちょっと傲岸不遜が過ぎるのでは……? 本当にこれで貧乏男爵家生まれのお嬢様だったの? スラム生まれ盗賊育ちって言われた方が納得できるんだが。
「ま、とりあえず買うものは買ったし帰るか。お前は何か欲しいもんとか無かったのか?」
「主様が買っていたものの中にありましたから、それをいただきます」
「……ちゃっかりしてんな」
「なんせ私、貧乏生まれ貧乏育ちですから。それに、そもそも主様には必要なさそうなものでしたので、私がいただいてしまっても問題はないかと」
「普通断りを入れるんだぞ」
「奴隷に普通を求められましても」
口の減らん奴隷である。
「お前のそういうところ、ゼフそっくりだわ」
「人生最大の侮辱を受けました。訴えます」
「2人きりだからいいけど、ゼフがいたらお前殺されてるからな。そういう普段の態度がいざって時にも出るんだからな」
「わかっています。散々仕込まれましたから」
どこか哀愁を感じさせるような表情のレイ。
まあ、それも仕方ないだろうな。彼女がウルフハートに来て執事としてやっていくにあたり、あのゼフが徹底して教育していたんだからな。
貧乏男爵家の令嬢や奴隷の出身だが、彼女がそれと望んで選んだ道をたしかに歩ませるために、老骨に鞭打って頑張ってくれた。もちろんゼフはまだ現役で働けるが、他にも後継者候補は抱えているし、オレも仕事の何割かは手伝ってもらっているから、その身にかかる負担はいかほどのものか……結局のところ寄る年波には抗えないのが生物の常なので、近くゼフには休暇をくれてやろうと思う。
後継がきっちり育てば、そのうち自分から暇を貰いにはくるだろうが……ま、それまでは頑張ってもらおう。
「――おや? 誰かと思えばクロウじゃないか。隣にそんな可愛い女子を連れて……やはりグレイスは合わなかったか」
不意に、そんな声が聞こえてきた。
いちいち姿を確認しなくともわかる。こいつはあのアホ……いやバカ……うーん……まあ、とにかく頭の悪い第一皇子殿下の声だ。出来れば聞きたくなかったなあ!
「おやおやぁ? 誰かと思えばお披露目パーティでオレに散々にボコられて顔真っ赤にして黙りこくってしまった、眼孔にはガラス玉、頭には綿花を詰め込んだアホアホ皇子殿下じゃないか。レイを可愛い女子とは、さすが眼がガラス玉なだけはある。彼女は我がウルフハート辺境伯領ではイケメンの呼び声高く、図らずも彼女自身そのように振る舞っているのに、可愛い女子ときたか。これは本格的に弟に皇太子の座を譲った方が帝国の為になると見える。グレイスの魅力もわからん間抜けは、その口からドブを撒き散らしてないで、さっさと皇宮の自室に帰って陛下に泣きついていれば良いのでは? 『ママ、ウルフハート辺境伯がボクをバカにするんだー!』とか言ってな。ま、お前がその調子なら陛下もさして期待してはいるまい。早く皇太子の座を手放すのが好ましいぞ、アホ」
「言い過ぎでは」
顔を真っ赤にして俯きプルプルと震えている様子のアホ皇子を見ながら、レイが涼やかに言う。本心ではそんな風に思ってないのが丸わかりだ。
「わかるか、アホ皇子。お前はオレを貶めたいんだろうが、如何せん地力が違い過ぎるんだ。そもそも2年前ですら勝てなかったのに、わざわざグレイスの事を俎上に上らせて何がしたいんだ。2年前のあのパーティを経験していれば、オレがグレイスに好意を向けている事は想像に難くないどころか自明と言っても過言じゃないのに、よくもそんな真似が出来たものだと逆に感心するよ。ただまあ、そんなお前と同年代だというのは恥ずかしくて仕方ないけども。これが共感性羞恥ってやつなのかね。頼むから学院では一切関わってこないようにしてくれよ。時間の無駄だし、2年前から成長の一切見られない皇族なんて神輿にするだけ無駄だ。宮廷雀どもならお前みたいな頭も軽い神輿の方が好ましいのかも知れないが、上に立つ人間というのは陛下のような人間でなくては。まあとにかく、こちらはお前に用などないから、御前失礼いたしますね、アホ皇子」
と、言うだけ言ってさっさとその場を離れる。
一歩後ろを歩くレイからの視線が突き刺さるが、あのアホにはこれくらいの態度で構わないんだ。そもそも陛下からも皇配殿下からも何も言われてない。という事は、あのお二人をして『まあ、こういう態度をとられるのは仕方ないよね』と考えている事の証左に他ならないわけで。
それに、オレは別に陛下ではないから、皇配殿下ではないからとかいう理由で不遜極まりない態度をとっているわけではない。
第二皇子に挨拶した際にはきちんと敬意を払った言葉と態度で対応したし、己より立場が上の者に、何もないのに咬み付いたりはしない。
要するに、これは区別なのだ。
聡明である女帝陛下や皇配殿下、権力闘争という言葉さえ知らなさそうな第二皇子には慇懃に接するようにして、グレイスに突っかかり、オレに突っかかってくるアホの第一皇子にはそのようにはしない。
ただそれだけの話だ。
「……よろしいのですか、あのような態度で」
「構わないさ。2年前のあのアホのお披露目パーティの時もあんな感じだったけど、別に何も言われなかったし」
「世も末ですね」
「まあ、アレがアホなのは共通認識という事だな。だから『ウルフハート辺境伯の態度も仕方ない事』という認識なんだろ」
「ははぁ……上位貴族の方々はそんな認識なんですねぇ……」
「何言ってんだ。上から下までそういう認識だぞ」
「そうなんです?」
「ああ。この前、フォルマス男爵家のパーティに招待されただろ」
「そういえば先月ありましたね」
「あのアホに対しての態度ってこうなるよね、って話で一頻り盛り上がったぞ」
「フォルマス家はさては子爵家なのでは?」
「男爵家にも上と下があるんだよ。残念だったな貧乏男爵家」
悲しいかな、これが自前でパーティを開ける家とそうでない家との違いである。
ちなみに、フォルマス男爵家は我がウルフハート辺境伯領の隣に領地を構える貴族家である。お隣さんだからパーティに出席したんであって、これが反対の方角にある男爵家なら招待されても行ってない。
なんせ、ほら、男爵家と辺境伯家では地位が違い過ぎるからね。そもそも招待しようという話さえ出てこないはずだ。貴族ってめんどうだねぇ。
「さて、またあんなのに絡まれる前に帰ろう。学院に入学するまでもう崇実しかないんだ。準備は万全にしておかないとな」
「そうですね。……でも、実際何を準備すればいいんですか、主様?」
「特別なものは必要ないさ。着替えとかの生活必需店を持ち込めば、あとは寮生活だからどうにでもなる。正直、今日の買い物も後に回せるしな」
「……そうですか」
「そう拗ねるなよ。備えあればなんとやら、と言うだろう? 足りないものや追加で欲しいものがあれば、その都度買いに行けばいいんだ。どうせ皇都の店なんだし、ないものを探す方が難しいだろうしな」
「行き当たりばったり、という事ですね」
「人聞きの悪い……」
それではまるでオレが計画性も何もないアホみたいじゃないか。
……まあ、前世から考えても、確かにオレは人生を計画的に生きていたとは言えない性格の人間ではあったけどもね? それはそれ、これはこれだ。
欲望のままに衝動的に生きるのも、それはそれで人間らしいとは思わんかね。
それはともかく。
2年前に楔を打ち込んでおいたから、よっぽどの事がない限りはシナリオが崩壊してオリジナルな展開が未来にあると思うが……はてさて、これからどうなる事やら。
主人公は確実に入学はしてくるだろう。そうしなきゃ月氷のストーリーは始まらないんだから、ここだけはどれだけ細工をしたところで変わらない展開のはずだ。
まあ、それはいいんだ。魔導学院に女の子が1人入学するというだけの話なわけだし、それはオレやグレイス、あのアホとてなんら変わらない話だ。しかし、問題はその後……主人公が学院で生活していく上で、無自覚に放たれている魅了魔法に攻略対象たちがきちんと抵抗出来るかどうかが問題だ。
あるいは、自分の能力を自覚した上で主人公が入学してくるという事もあり得るかも知れない。それはそれで対策が必要だし、そもそもの話、主人公の魂がこちらの人間であるかどうかというのも考えておかねばならない。
もし仮に、オレのような月氷プレイヤーが転生して主人公になっていたとしたら……アホ皇子はさておいても他の攻略対象は落としにかかるかも知れない。コアなプレイヤーだったらば、オレを狙いにくる可能性もゼロじゃない。どころか、100に近いと思う。
……まあ、幸運にも『クロウ・C・ウルフハート』は名実ともに月氷最強キャラだから、魅了魔法なんぞは効かないんだけどね! 残念ながら育て切った主人公もクロウに比べたら頭5つ分は劣るから、それについては心配要らないんだ。
だから、クロウ自身――つまりオレ自身はそれで問題ないんだけど、グレイスとかレイとかオレの周囲だったり、攻略対象たちだったりに手を出されると、流石にちょっと困るんだなー。
一応、ウルフハートに連なる者にはオレが魔法防御のエンチャントを掛けた衣服だったり道具だったりを配ってるから、ウルフハート辺境伯家だけで言えば心配ないんだが、リオトルム公爵家とかってなると、流石のオレでも手を出し難いんだよな。
「……どうにかなるか」
幸いと言うべきか、学院は『どのような身分の者も学院にいる間はみな平等』という御題目を掲げているから、学院内に限って言えばオレの手は届く。
そうすると、懸念されるのは主人公の手が学院外に伸びる事なんだけども……あんまり気にしてても仕方ないか。世の中、結局なるようにしかならないんだし。
一応の人事は尽くしたから、あとは天命を待つとしますか。
待ってろ、学院生活!