ダンスを終えて
「閣下、お嬢様をお返しいたしますね」
「うちの娘とのダンスはどうだったね?」
「語彙に乏しくて申し訳ないのですが、幸せな時間を過ごさせていただきました。今回はこれにて壁のシミと相成ろうかと思います」
「おや。辺境伯ほどの美男子がそれで構わないのかね? 他のご令嬢から誘いがあると思うが」
「かも知れませんが、グレイス嬢とのダンスの余韻に浸っていたいのです。それに、腹も空きましたから」
「口が上手いな、辺境伯」
「我ながら、随分滑る口だと思っています。好みの女性が近くにいるので緊張しているのですかね、きっと」
我ながら、よくもまあつらつらと口が回るものだと思う。
その割になんか身体は熱いわ喉は渇くわ、なんならちょっと熱に浮かされた気分だ。
「……さて、公爵閣下やそのご家族を私が独占するわけにはいきませんね。今回はこのあたりで失礼します」
「あら、気にしなくてもいいのよ。ねえ、あなた」
「うむ。なんならうちの娘をどこへなりと連れて行って……とまでは流石に言えんが、悲しいかな、グレイスに寄り付く男がなかなかいないのも事実だ。辺境伯さえ良ければ、パーティの間はグレイスといてやって貰えないか」
「それは……しかし、よろしいので? こう言ってはなんですが、私は両親の事もあるので未だ子供と言えるうちは家族の団欒の中にいる方が良いと思うのですが」
そう返してみると、ウィロウ公爵はぴくりと眉を震わせた。
そう。オレの両親――つまり、先代のウルフハート辺境伯とその妻が今何をしているのか、というのは貴族であれば知らない者はまずいるまい。何せ、一線を退いたくせに領地は息子に投げっぱなしで自分たちは旅行三昧でたまにパーティに出て顔繋ぎ。
まあ、別に不満があるわけじゃねえんだけども、そんなオレの両親を思えば、まだ子供と呼べる今の時期に家族と一緒にいるというのは得難い時間だと思うんだよ。
貴族の子女なんてのは一般家庭に比べれば遥かに早く自立を要求される立場にあるんだから、その分だけ今の時間を大切にするべきではないかと思うのだ。
「それに、貴族家の子女というのは大なり小なり貴族の面子のためにも使われるでしょう。我が辺境伯家では、そういうくだらない事はあまり気にした事はありませんが……どうせ家同士の結束だのなんだののために使われてしまうのなら、子供の時くらい多少わがままに過ごしてもバチは当たらないと思いますね」
「……くだらない事、か。本当にそう思うか?」
「事実そうでしょう。他人の足を引っ張る事は、己が這い上がるより遥かに簡単な事です。何せその場に留まっていればいいわけですから。他家と同じくらいの立場にありながら、這い蹲ってでも他者の足を引っ張ろうとするのはいっそ滑稽に見えますけどね」
「クロウ様はそういった事には興味はないのね」
「はい。権力闘争、派閥争い……三人集まれば派閥が出来ますから、それ自体は仕方なく思います。ただ、それで家族や周囲を巻き込むのはいただけない。結局のところはそんなもの、どうせ貴族家当主の欲でしかないのですから」
聞く人によっては青い理想論だと言うだろう。
だが、オレはこう思う。
理想を掲げられなくなったら終わりなのだ、と。
「……少し話し過ぎました。では閣下、失礼いたします。グレイス嬢、またいずれ。これはちょっとしたプレゼントです」
言いながら魔法で氷の薔薇のブローチを創り、グレイスの胸元に着けてやる。
「これは……」
「この氷の薔薇はオレの魔力によって創られたもの。冷たくなく、溶けず、永久に輝く。また、簡易な防犯システムも組み込みました。これを盗もうとした者、あなたに害を為そうとした者には相応の罰が下ります。……可能であれば、常に身に着けていてください」
「常に、ですか」
「可能な限りで構いません。オレなんぞは十分に自衛も出来ますが、見たところグレイス嬢は不意打ちに弱そうだ。それ対策と考えてください」
再び燃え上がる耳。
推察するに『どうしてわかったのかしら』みたいな感じだろうか。
オレだって武魔両刀の人間なのだ、わからないはずがない。
「それから……お行儀の良い騎士剣術も、やめた方がいいでしょう。適当な冒険者を雇って師事する方がよっぽどあなたの為になる」
「そう……ですか?」
「人間、切羽詰まれば何しでかすかわからないものです。グレイス嬢。あなたは美しい上に公爵家のご令嬢だ。多額の身代金目当てに、食い詰めたバカが誘拐を企てないとも限らない。自己防衛のための剣術ならば、騎士剣術のような型式ばかりのものでなく実戦剣術の方がいくらかマシです」
「……お父様」
「ふむ。グレイスはそれで問題ないかね?」
「はい」
「……良いだろう。手配しておくよ」
グレイスのパスに、ウィロウ公爵は少し相好を崩して返答する。
「しかし、辺境伯。本当にグレイスで良いのかね。剣術など修めているような娘だが」
「腐っても我が領地は辺境ですからね。いざという時に何も出来ないよりは出来る方がいい。護られるだけだとしても、護られる側にも護られるなりの知識や立ち回りは必要でしょう?」
「確かにな」
「第一、淑女らしい令嬢を娶るくらいなら、嫁など取らずに人形を愛でていた方がマシです」
蝶よ花よと育てられただけの純粋培養なご令嬢なんぞこっちから願い下げだ。それだけの令嬢なら、隣にビスクドールでも置いて『妻です』って言った方がマシ。
まあ、残念ながら創らなきゃビスクドールすら無いけど。
「と、そろそろグレイス嬢を明け渡さないと、他の令息に殺されかねませんね。では、御前失礼いたします」
いよいよもってこちらに突き刺さる視線が鬱陶しくなったので、その言葉を最後にリオトルム公爵一家から離れて食べ物のあるコーナーに向かう。
これ以降のパーティ会場は、オレにはただただタダメシを食うだけの会場と化す。
もちろん褒められた行為ではないし、なんなら白い目で見られたりするが、それは事情を知らない貴族だけ。事情を知る貴族やその貴族家の使用人たちからは、むしろ望まれているどころか『パーティにはウルフハート辺境伯を呼ぶ』となるとテンションブチ上げになるとかならないとか。
それというのも、オレが当主になって初めて行ったパーティで同じように料理を貪っていると、護衛に「そんなに食べないで残してください」と言われた。
オレが「何故?」と返せば、残った料理は単に捨てるのではなく、使用人たちに回されるからだと言う。普段とは違う豪華な料理が食べられると使用人たちは喜ぶから、その楽しみを奪ってくれるな――というのが護衛の言い分であった。
これには流石のオレも驚いた。『まさかそんなシステムになっていたとは』という驚きではなく『そんな不特定多数の人間の唾が付着した上に、人の動きで舞い上がった埃が乗ったもんを楽しみにする奴があるか』という驚きである。
だから、「そんな誰かの唾やら舞い上がった埃やらが乗ったもん食ってないで、これで好きなもん好きなだけ食ったらいい」と、その家の使用人たちに金をいくらかくれてやったところ評判に。
以来、パーティをするとなったら『ウルフハート辺境伯はお誘いしないので?』と使用人側から訊かれる貴族家が増えたそうな。不思議だね。
ところで、貴族社会にありがちな派閥争いみたいなのももちろんあって、大まかに分けると、『女帝陛下が全部やればいいんじゃね?』派と『第一皇子を空の神輿として担ごうぜ!』派と『第一皇子アホすぎん? あんなのより女帝陛下の指導の元に第二皇子を真っ当に育てた方がええやん』派がいる。
オレがどの派閥にいるのかと言えば、『国を先導する役なんて適した能力を持った人格者なら誰だっていいんだから、女帝陛下の治世もそこそこに選別を始めた方がええんちゃう?』派だ。派閥の人数? 1人だよ。
「む。流石は皇室お抱え料理人……美味いなあ」
それはそれとして料理がうまい。
もちろん前世こと日本に生きていた頃の料理の数々とは比べるべくもないが、こっちの料理で十数年生きてれば舌も馴染んでくるってもんでな。たまに醤油とか出汁の味を懐かしく思うくらいだ。
どっかの島国に醤油とかないもんかねぇ。