3
「随分と面白い事になっている様だな」
しかし、エルメラーダの予想は外れた。初めて知ったらしいエルメラーダとの婚約条件に呆然とする壇上の二人へ目を向けながら現れたのは、国王ではなく王太子ディーンであった。遠目からは口角を上げ笑みを浮かべている様に見えるが、その実視線は氷のように冷たい。
バーニスが王妃に似てどちらかといえば優男に対し、ディーンは国王に似て精悍な顔立ちだ。ディーンの登場に周りが一斉に王族に対する礼を取る中、ストロベリーブロンドの少女が歓声をあげた。
「ディーン様!! やっぱり私を迎えに来てくれたのね!!」
「リュゼ!?」
バーニスが驚いて少女を見るが、リュゼと呼ばれた少女は引き留めようと掴んだバーニスの手を振りほどき、ディーンの側へ近づこうとした。だがあと数歩のところで護衛に阻まれる。
「なによ!? なんであたしの邪魔をするの!?」
「当たり前でしょう。王太子殿下に不用意に近付く不届き者ですもの」
呆れたようにエルメラーダが呟くと、耳に入ったのかキッとエルメラーダを睨み付けるとリュゼは大きく腕を上げ指を差しながら声を張り上げた。
「なによ!! アンタなんか悪役令嬢のクセに!! あたしとディーン様の仲を割いたのもアンタの仕業ね‼」
「悪役令嬢?」
悪役令嬢とはまた御大層な呼び名だ、と思いながらエルメラーダが首を傾げる。言うまでもなく悪役と呼ばれる心当たりが無かったからだ。どういう事か問おうと口を開きかけるが、それよりも早くディーンがリュゼを睨み付けながらエルメラーダを庇うように一歩前に出た。
「黙れ」
「えっ……?」
ディーンの気迫に押されたのか、リュゼが一歩下がる。その瞬間ディーンをリュゼから守る様に控えていた護衛が一斉にリュゼを取り囲み、抑え込んだ。床に引き倒され腕を捻り上げられ、リュゼが痛みに呻く。
「り、リュゼ!!」
「やっ……い、いい痛いっっっ!!……なにすんの離しなさ……痛いってっ!!」
「誰が、いつ、私の名を呼んで良いと許可を出した」
冷たい目で床に転がるリュゼを見下ろすディーンに、リュゼを助けようとしたバーニスが戦く。これ程酷薄そうな表情の兄を見るのは初めてだったのだ。
「行く先々に現れては許可を出していないのに勝手に名を呼び、あまつさえ体に触れようと近付くなど、無礼にも程がある。非公式の場であれば多少は目を瞑ったものを、この様な場ででも行おうとするのであれば容赦は出来ぬ。手討ちにされないだけましと思え」
牢に捕らえておけ、とディーンが一言部下に命じると、リュゼは護衛によって連れ去られた。あたしはヒロインなのよ!! なんでこんな目に合うのよ!? と叫び声を残して。
「……あ、……兄上…………」
「無様だな、バーニス」
「! ……う……」
「バーニス様!」
恋人であろう女性が連れ去られようというのに、声をかけるだけでその場から動こうともしなかった弟に、ディーンは侮蔑の表情を向けた。王位を争う相手として不出来であることは、自分の地盤を固める上で有利だが、王家に不利益をもたらす様では困るのだ。
壇上にいるにも拘わらず見下された様に感じたバーニスが、へなへなとその場にへたり込むと、ディーンが現れてからおろおろしていただけの側近達が声をかけ支えるが、肝心なときに何も出来ないようでは側近失格だろう。
「王命の婚約を勝手に破棄するとはいい度胸だな。お前達の処遇は後程陛下から下されるだろう。それまで自室で謹慎しておけ」
『謹慎』の言葉がバーニスに重くのし掛かる。だが、そこでバーニスはある事を思い付いた。
「エルメラーダ!!」
この期に及んで何を言い出すのかと、王子二人のやり取りを傍観していたエルメラーダは、バーニスへと目を向けると、バーニスは口早に大声で捲し立て始めた。
「婚約破棄は取り止めだ!! 俺ともう一度婚約しろ!!」
「……あらまあ」
周囲が呆れたようにざわめく。当然だろう。勝手に婚約破棄をしておいて、都合が悪くなったら破棄を破棄するなど。それまで王子としてある程度は畏敬の念をもたれていたが、おそらくこの発言でバーニスを擁護するものは居なくなるだろう……と思えた。
「何を馬鹿な! お前は王命を軽視したばかりか、エルメラーダ嬢をまだ貶める気か!」
普段は冷静沈着で、怒鳴る事など滅多に無いディーンが思わず叫ぶと、怒気に当てられた周囲の令嬢や夫人が数人ふらりと倒れ込みそうになるのを、パートナーとおぼしき男性が慌てて支える。その様子をチラリと横目で見ながらエルメラーダはふふ、と小さく笑った。
「エルメラーダ嬢?」
「ああ、申し訳ございません。心配なさらずとも貶められたなどとは思っておりませんわ。そもそも先程申し上げた通り、破棄でも継続でも構いませんもの」
「なんだと!?」
ディーンが慌てて周りを見ると、皆は戸惑いながらも頷いた。周囲の者達も、エルメラーダの言葉に驚きを隠せない。まさか一旦破棄すると宣言されたものを、戻しても良いなどと言うとは思わなかったからだ。
「は、は……はははっ! そうだろう! 流石エルメラーダだな!仕方ない。寛大な俺はその不遜な態度も許してやろう」
我が意を得たりとバーニスが満面の笑みを浮かべるが、すぐさまその顔は凍りつく。
「先程の述べたみっつの条件は父が……グリズワルド侯爵が王家に提示したもの。ええ、あとひとつ、わたくしが出した条件をあらためてご理解いただけるのでしたら、継続いただいても全く構いませんわ」
「……まだなにかあるのか?」
まだ条件があると聞き若干及び腰になったバーニスが、虚勢を張りつつも不安に声を震わせ問うと、エルメラーダはにこり、とこの場に相応しくない笑みを浮かべた。
「ふふ。大した事ではありませんわ。わたくしとの婚姻式後早急に断種していただくだけですもの。たったそれだけですわ」
「!?」
ひゅ、と声にならない音がバーニスの喉から漏れる。断種、そう聞いたその場の全ての男性が内股に力を入れた。所謂縮みあがったのだ。
基本男性上位のこの国でも、性犯罪に対する罰則はある。その最上位が断種だった。それを婚姻後とはいえ罪を犯した訳でもない王族に施そうというのだ。男性達はそれをあっさりと口にしたエルメラーダが、まるで美しい皮を被った恐ろしい『何か』の様に見えた。
「下手に種を撒かれて、禍根の元になっては困りますもの。ああ、勿論わたくしの独断ではなく、陛下の許可は得ておりますわよ? 心配ありませんわ。全部切ってしまう様な真似はいたしませんので、女性とのお付き合いもご自由にしていただいて構いません。これらの条件を飲む代わりに不自由なく暮らせるよう手配するとお約束しておりますので」
どうやらそれ程までにバーニスに対する王の情は薄れていたらしい。普通であれば、いくら歴史ある侯爵家とはいえ王家に対する要求としては不当だ。それらを飲まなければいけないほどバーニスは愚か者だったのだろうか。そこまで考えて皆は気付いた。愚かでなければ此の様な場所で婚約者ーーしかも侯爵令嬢に対して婚約破棄を叩きつけたりはしないのだと。