「全員ハッピーエンドになる話」
はいよ!またうちのラーメン屋伝統のスープを使った新メニューだよ
(`・ω・´)つ
王妃教育で通うために慣れ親しんだ路を馬車に揺られながらじっと床を見つめる。しかし今日の招聘は予定に無い、一体何を言われるのかと私は胃がギュッと痛くなるような思いでこの移動時間を過ごしていた。
こんな役目、譲れるなら誰かに押し付けたいわ。
別に王妃になる事が嫌なのではない。義務に見合った能力は持っているし、将来この国の王妃として政治や社交を差配するのはとても楽しみにしている。すでに王妃様の執務を手伝って、我ながらこの仕事は自分に向いていると確信した。
多角的に見た国の発展と、時には政治や経済を回す一人一人の人間の能力を考えて、国民全体の幸福度を上げる。なんてやりがいがあって素晴らしく夢中になれる仕事なのか。
好きを超えて趣味、いえライフワークと言っていい。
各方面から評価の声も高く、多少のやっかみもあるが私以上に次代の王妃にふさわしい人間はいないと嬉しいお言葉もいただいている。ちなみに、隠密を使って裏から探らせた声も精査したのでこれは決して自惚れではない。
将来の自分のポストに不満はなく、責任の重さを感じつつも待ち遠しくさえ思っていると言うのに何故王妃となるのが嫌なのかと言うと、婚約者のせいである。
次期王妃に内定しているという事は当然王太子殿下の婚約者であるという事。私が将来就く地位にはあの男がセットになっている。
次代の国王である王太子が優秀とは言えないから、それを支えて不足なく国政を取り仕切れるようにと婚約者が選ばれたのを理解してないから嫌なのだ。もちろん他にも政治的な意図はあるとはいえ、王太子ヘンドリック殿下の婚約者は「補えるほど優秀である事」が最低条件であった。
ああ、少し語弊があったかしら。ヘンドリック殿下も無能ではない。むしろ優秀であると言える。「国のトップに立つほどは優秀ではなかった」だけで。
それを理解せずに、与えられた政略結婚に不満たらたらなのを隠そうともせず、こちらが義務で笑顔を向けているのを「いつ見ても仮面みたいな笑顔で気味が悪い」と大袈裟に嘆いて見せる。
私が政略の義務として、嫌悪を押し殺して交流を持とうとする努力を否定して。「俺の事を理解しようとしてない」と。あっちだって私の事を理解しようなんてしてないくせに。あまつさえあの男、私のわがままでこの婚約がなったと思い込んでいる。冗談じゃない、わがままが通るならあの男と婚約しないで職業としてこの国の最高執政者の地位に就かせてもらってるわ。
あげく、最近では先日まで平民だった男爵の庶子をこれ見よがしに可愛がって。
あの女、ピコと言ったかしら。スルバゴ家の成金男爵が平民の妾に産ませた子供。貴族になって3年も経つのに最低限のマナーすら身についておらず、そもそも礼儀を守ろうという心がけがまったく見えないのが腹が立つ。
庇護欲をそそる外見とは裏腹に、中身はとんだ性悪。いつも男の陰から見えないようにこちらに嫌な笑みを向けてきて、常識的にマナーについて説こうとしても「私が羨ましいんでしょ」「ヘンリクはあんたが婚約者でうんざりなんだって」と優越感たっぷりに上から目線でベラベラ喋ってこちらの話を聞こうとしないから本当に疲れる。
妾妃になる話をしたかっただけなのに何なのこの方? とあまりに理解不能で固まってしまったのは私悪くないわよね。
王家からつけられている、記録係兼私の専属侍女の二人にも「今スルバゴ嬢が何をおっしゃっていたかお分かりになりました?」と聞いたけど顔を引きつらせていたもの。
ああ、妾なんて何人作ってもらってもいいのよ。だって政略結婚なんだし、なんなら女に夢中になって離宮から出て来ない方が都合が良い。無能に変に口を出されて掻き回される方が困るわ。
側妃に誘おうと思わなかったのは仕方ないわよね。だってあんなに無知で無教養な礼儀知らずを公式行事に出せないもの。
妾妃は妃とついているが妾、公的な身分は無い。正しく言い表すなら王の囲っている専用娼婦と言うところ。妾妃とされるのは「公的な身分を与えるほどの価値も才覚も無い」と喧伝しているようなものだが、本当に何も無いから仕方ない。
ピコや適当な女を与えてヘンドリック殿下には離宮に引っ込んでてもらって、私は王妃として実質的にこの国の舵取りをしようと思ってずっと準備をしてきていた。名ばかりでもあの男の妻になるのは業腹だが、国を導くためにはこのくらいの我慢は必要だとずっと堪えてきたのに……っ。
貴族の子息子女が通う学園で私を「婚約者の王太子に顧みられない哀れな令嬢」と蔑む者達と陰で戦いつつ、必死に自分の価値を高めてきた。
ピコが増長して自分こそが真実の愛の相手だと吹聴しながら我が物顔で振る舞おうとするのを何とか制御し、まともな生徒達の文句を宥め、監視の前で次期王妃として相応しく振る舞いつつ公爵であるお父様にも常識の範囲内で上奏もお願いした。
無能でもいいけどお飾りとは言え将来の国のトップがさすがにあんなに愚かでは困ると一人危機感を覚えていたのがバカみたいだ。結局お父様からも何も無し、王妃教育でお城に上がる事も多い中何も言われないから……中枢はどうせお飾りの王だと、正論を説いて道を正すのも無駄だと思っているに違いない。
ああ……嫌だ、呼び出されてお叱りを受けるのかしら。学園の教師は抱き込まれて殿下の言いなりにされているようだから、今更話が伝わったわけでもないと思う。確実に、婚約者としてのつとめだのもっと支えてやれだの言われるんだわ。
納得行かないわね、私はヘンドリック様の親でも教育係でもない、ただの同い年の婚約者なのに。あの男が至らないのも女遊びをするのも私のせいにされるなんて……
学園で、横にピコを侍らせて、その腰を抱きながら言われた言葉が思い出される。
「お前ももっとピコみたいに笑えばいいのにな。そうすれば少しは可愛げも出るだろうに」
「……王太子殿下の婚約者として、ふさわしい振る舞いを私はしているだけにございます」
「その俺が言っている事だろう! 昔からお前はいつもそうだな。俺の言葉など聞き入れる気すらない。もう良い、ピコ、行こうか」
「はぁいヘンリク様……きゃあっ! アイリス様がピコの事を睨んでるわ……っきっとお気に障ってしまったのね……こわぁい」
「なんだアイリス、嫉妬か?」
「いいえ……いつもと同じ、淑女として恥ずかしくない表情以外は浮かべておりませんわ」
遠回しにその女の妄言か、疚しいところがあるからだろうと言ってやると面白くなさそうに去っていった。その時のヘンドリック殿下の憎々しげな目を思い出す。最近はもう悪循環だったような気もする。あの方は私が注意すると余計に過激な反応をするようなところがあって、そろそろ大人達に取り繕えなくなってくると冷や冷やしていた。
それが破綻して、こうして今日私を呼びだす事になったのだろう。
手を出すにしても裏でやってくれと何度も言ったのに、私に見せつけるかのように逢瀬を繰り返していたのを考えるとむしろよく今まで招聘が無かったと思うべきか。
お叱りを受けて、その責任を取れと言われるくらいなら当てつけに領地に引っ込んでやってもいいかもしれない。
何もしてないお父様も、殿下の味方になって一緒にピコを囲んで「もうちょっと殿下の気持ちにも寄り添ってやれよ」ってバカな事を言う愚兄も困ればいいんだわ。
優秀な私と自分を比べて勝手に落ち込んで、どうしてそれを私が気遣ってやらないといけないのかしら。
あの女みたいに「ヘンリク様にはお勉強でははかれないもっとすてきなところがあるの、私は知ってますから!」なんて何の解決にもならない甘やかしをする気は無い。
才能がない、努力する根性もない、それらを受け入れる謙虚さもない、その何とも自分勝手な言い分。じゃああなたの分も成果を出す事を課された私には誰が寄り添ってくれるの?
積もり積もった文句を胸の内で吐露していると、怒りの炎がわき上がった。もういい、このまま一人我慢を強いられるくらいなら不敬と断じられても良いから婚約者の座なんて返上してやるわ!
そう決意を燃やして挑んだ謁見、私は自分の予想が外れた事を悟った。てっきり、王太子の愚かさを私一人に責任を負わせてつるし上げをするのだと思っていたけど、これは様子が違いそうだ。
「アイリス、よく来てくれたわね」
「もったいないお言葉。私こそ、臣下として、こうして両陛下のご尊顔を拝見する事を許されて光栄でございます」
教育された完璧なカーテシーを披露すると王妃様から満足げな反応が返ってきた。視界の外、謁見の間に並んでいた国の要職の方達も思わずと言ったようにわずかに感嘆の息を漏らしたのが耳に届く。
そうして貴族としての面倒な、「伝統的な王家への儀礼的なやり取り」を数度繰り返すといよいよ本題に入った。私は玉座から少し離れたところに立つお父様に意識だけ向けると、微笑を崩さないまま優雅に王妃様のお言葉を待つ。
どうやら陛下はやり取りを、普段王妃教育で顔を合わせる事もある王妃殿下に一旦おまかせするつもりらしい。
そして謁見の間の雰囲気から、これは婚約者をいさめられない私への叱責の場ではないと確信すると胃の腑にまとわりついていた鈍い痛みがきれいさっぱり無くなった。
「アイリス、貴女は自分自身の婚約についてどう思ってる?」
範囲が広すぎる。不興を買いたくない私はほんの少しだけ、淑女としてふさわしい表情の範囲で首を傾げた。
まさか「相手があれという事を除けば何の不満もありません」なんて本音を言うわけにはいかない。
「ああ、ごめんなさいね。これじゃ答えようが無いわよね……アイリスは……貴女は、この婚約の意味を何と理解してる? 聞かせて欲しいの」
「……それでは、恐れながら。忌憚なき意見を述べさせていただきます」
視界の端でお父様が不安そうな目を向けて来ているのが見えた。王太子殿下の様子を訴えて不誠実だ、婚約破棄させろと騒ぐとでも思ってるのかしら。失礼ね、そんなバカな事する訳ないじゃない。
「私はこの婚約を、王家より賜った名誉だと認識しております」
国から打診されて結んだ婚約についてそう述べると、一瞬息を呑んだ聴衆の囲む謁見室の最奥で王妃様は感情を悟らせぬ素晴らしい笑みを深めた。
「……続けなさい」
「私の役目は将来の王となるヘンドリック殿下の治世に、王妃として身命を注いでお仕えする事にございます」
「……ええ、あなたならそう言うと思っていたわ。それでこそわたくしが見込んだ次期王妃」
「ありがたき幸せにございます」
満足げにうなずく王妃様に、この場で一人だけ状況を理解していない私のお父様が窺うように私を見てくる。
察しが悪いと言っているようで恥ずかしいが、仕方がない。お父様は人は良いけど地位だけの公爵で。遠謀深慮どころか普通の企み事すら向いて無いのですものね。
その人の良さで慕ってくれる下位貴族はそこそこいるものの、貴族としての力や権力からはほど遠いところにいる。公爵にふさわしい領を治めているだけあってそれなりに税収はあるが、有能な当主が内政を行っているような領と比べると……
今ある領内の事を整えて、公爵家として恥ずかしくない暮らしを維持する費用でほとんど消える。気が小さすぎて悪事どころか投資する気概もないから、詐欺に引っかかる心配もしなくていいのがお父様の良いところでもある。
だからこそ王家の求める次期王妃の実家に選ばれたんだけどね。周辺諸国とも国内も、今のパワーバランスを崩すわけに行かない。後ろ盾になるが野心のない、国政に介入しようと悪知恵も持たない家から次期王妃を出す必要があった。もちろん私が優秀だったから候補に浮かんだ話だが。
このやり取りを聞いて、察する事は出来ないが「王家には何か考えがあるようだから」と身を小さくする臆病さが望まれたのだもの。
政治家や貴族家当主としての働きは期待していなかったけど、このくらいはと上奏をお願いしたのに結果すら教えてくれないからさすがにおかしいと思ったのよね。
きっとこの日のためにあえて沈黙で返す王家の意図が分からず、問い合わせた結果をせっつく私と顔を合わせるのに困ってああなっていたという所だろう。王家があえて対応しないなら、それで推測も出来るのに、もう。そうならそうとちゃんと言って欲しかったわ。
「あの扶桑は自分の立場をとうとう理解しなかった」
「婚約者としてお力及ばず申し訳ございません」
扶桑とはよく神話に登場する、架空の東方の国に存在する霊薬の実がなる植物の事だ。その花は絵に表せないほど煌びやかで美しいと伝えられ、高貴な者の比喩に使われる事も多い。この国から見て東に位置する隣国から嫁いでいらっしゃった王妃様の血を引く、顔だけは良いヘンドリック殿下の事で間違いないだろう。
大人達はヘンドリック殿下を「学生時代のお遊び」と見て放置する気かと思ったが、あの女を利用して王位継承者を操作するつもりだったという事か。怒りで広い視点を持ててなかったなんて、恥ずかしいわ。
「いいえ。貴女はよくやっていたわ」
「もったいないお言葉、身に余る光栄です」
「ガードナー嬢」
完全に油断しかけていた、陛下からのお声かけに内心飛び跳ねて身を引き締める。王妃様のお言葉によるフォローは無事終わったと考えていいだろう。
「これからも、次期王妃としてそなたには期待している」
「……ご期待を裏切らぬよう、はげませていただきます」
王妃様のお言葉を聞くまでもなく、ここに立ったときからヘンドリック殿下がすでに見捨てられている事は分かっている。そのために学園でのあの振る舞いに何も介入していなかったのだから。
この国の爵位は嫡男相続を基本にしている。王家が率先してその法を破る事は出来ないが、その王太子にあからさまな瑕疵があるなら仕方がない。
てっきり私は婚約が無くなったら一代限りの爵位でも与えてくれるのかしらと思っていたら……「これからも」と陛下に言われるとは。では第二王子を王太子とした後そのまま婚約者になるのだなと理解した。
今の婚約者は病弱だと聞いている。王妃教育に耐えられない事を理由にすげ替えられるのだろう。王太子殿下の学園での横暴に、対応してくれない国に腹を立てもしたが、こう考えるとどこから計画されていたのやら。
謁見の後、あからさまに庭を見ていくように言われた私はオロオロしたままのお父様を一旦おいて王妃様のお庭にやってきた。
するとそこに偶然を装って、第二王子のローレンス殿下が現れたのだ。やはりこうなったか、と私は素知らぬふりで挨拶を告げる。侍女や護衛はいるが、王家主導でまだ婚約者のいる淑女に大胆な事をするものだと感心してしまう。
「アイリス様とまつりごとの話をしているとあまりに楽しすぎて時間を忘れてしまいそうになります。同年代とは普段意見交換をする機会が少ないから……」
「こちらこそ、ローレンス様のお話をうかがうと大変勉強になりますわ」
暗に、普段身近にいるはずの「兄」と「婚約者」とは同レベルの話が出来ないと伝え合ったところでほんのりと含み笑いをする。向き不向きがあるのは仕方がないけど、それを言い訳にして努力をやめるのは未来の王として失格よね。あの人。
まだ私の婚約者はヘンドリック殿下のままだから滅多な事は言えないが、彼となら良き伴侶でパートナーになれそうな気がする。
「僕は練兵と経済に力を入れて国のために身を尽くしたいと思います。アイリス様も是非、その時は福祉と流通に深い造詣で力になっていただければ」
「ええ、喜んで。その日を楽しみにしております」
謁見の間のやり取りを知らない、いえ知っていても裏を読み切れなかった者には将来ヘンドリック殿下の治世を支える二人の何の変哲もない会話にしか見えないだろう。
兵を持つには福祉……医療が、経済を発展させるには流通が必要になる。その力になってくれと言われて喜んでうなずいて見せた。
でも練兵については実際婚約を結んでから要相談ね。どんな理由があれ国の損失になる戦争は最大限避けるつもりだ、軍備増強については話し合わないとならないわね。
私の前でにっこり笑ったローレンス殿下に負けじと笑みを返す。良い話し相手になりそう。
私はその後騎士にお父様の所まで送ってもらうと、まだオロオロしていた、しかし私の事を心配してくれていた憎めないお父様に安心するように伝えてから屋敷に戻る。
「アイリス、本当に何もないんだな?」
「ええ、大丈夫よ。このまま何もつつがなく進むわ。お父様は心配しないで」
全部把握出来ていないお父様はしばらく不安だろうが、王家が断言していない事を憶測で口に出すわけにはいかない。王太子はすでに見捨てられていて、だから放置されているなんてね。
王太子と仲の良いお兄さまに伝わって、今更態度を改められても困るし。まぁ本人たちは学園を掌握して、城には隠し通せていると思っているようだが。
あの場に、名目だけだが私の親という事で並んでいたお父様は気が気でなかったらしいが「見ての通りお褒めの言葉を賜っただけ」で押し通した。
学園の内情を知っていたら、そんな言い訳は信じなかったでしょうけど。
ヘンドリック殿下の廃嫡が水面下で決まって、私の王妃教育も、お相手がローレンス殿下ならここまでは必要ないだろうといくつか履修科目を見直された。
私生活に余裕を持つ事も出来るようになったため、学園生活がとたんに色づいて見える。ちょっともったいなかったかしら、一度きりの学生生活を、婚約者のフォローと浮気相手の対応で埋め尽くしていたなんて。
でも本来王太子が学ぶべき範囲まで含んだ教育はとてもためになったし、血肉となって私の力となっている。最高の教育を受けて成長出来た、と思っておこう。
「最近、自然な笑顔が浮かぶようになったんだな」
「ヘンドリック殿下……このような人前で感情を露わにしていたなど、私もまだまだですわね。申し訳ございません」
「いや、俺は今の君の方が好ましいと思うよ」
まぁ、それは……あなたははしたなく口を開けて歯を見せて笑うような女性が好きなのだとは知っていますけど。ああ、あとちょっとの事で嘘泣きをして、大げさに嘆いて、腕に抱きついて胸を押しつけるような仕草が好きなのですよね。私は淑女としてそのような真似は出来ませんけど。
感情を浮かべてしまうなんて、未来展望が一気に明るくなったせいで浮かれていたようですわ。気をつけないと。
「卒業が楽しみだよ」
「……ええ、そうですわね、殿下」
婚約が内々で解消に運ばれていると知らないヘンドリック殿下は、卒業したら私と結婚すると思っているはず。もちろんすぐにではなく、準備に入るというだけだが。貴人の婚姻には色々必要ですから。でもあんなに疎んでいた私との結婚を楽しみにするかしら?
それとも、卒業を機に何かやらかす気? 今流行の戯曲みたいに……いや、さすがにそこまで愚かでは無いだろう。
今はあのピコとの逢瀬も完全に隠す術も学んだようだし。ぱっと見私からは分からないほどには完璧に痕跡を残さず遊んでいるようだ。まるで本当にあの女と会うのをやめたかのように耳に入る事が無くなった。
やっと政略の婚約者と表向き親しく見えるように過ごす術を身につけたのも合わせると、当て付けのために始めた浮気をやめて意気揚々と婚約者の私の元に戻ってきたようにしか見えない。まるで本当は私の事を愛していたかのような振る舞いだが、それだけは無いわね。
じゃあ何が楽しみなのかしら、と思いかけてやめた。まぁ王家の影が把握してるだろう。私が詳細を知る必要はない。
最近やっと持てるようになった私の自由時間をつぶしたいのか、それとも他の意図があるのか……ヘンドリック殿下はこうして私の元を訪れるようになった。
まあでも、詰め込み教育から逃れて一時的なバカンスを送っている私はずっと機嫌が良いので、こうして話に付き合っている。
婚約が解消されるまでの「こちらには問題はなかった」とアピールするための工作であるが、この人と結婚しなくてもいいんだと思ったら定例の茶会も苦痛ではなくなった。そしたらなぜかヘンドリック殿下も、以前はすっぽかしがちだったのに急に会いに来るようになって驚いたわ。
不思議な事に兄まで機嫌が良い。私がヘンドリック殿下と和やかに過ごせているのが嬉しいと言っていたけど、そう思うなら以前のヘンドリック殿下に諫言して欲しかったわ。私を目の敵にしていたのはあちらなのだから。
ああ、卒業したら学園にいた時間を全て執務にあてられるのね。王妃教育ですでに習ったことをなぞる授業は苦痛だったわ。社交と人間関係のために通ってはいたけど、授業は退屈だったもの。たまに新しい発見をすることはあったけど、そんなの滅多になかったし。
新しい婚約の結び直しは王家がタイミングをはかっているだろうが、私とヘンドリック様より2つ下のローレンス様の卒業を待つとだけ聞いている。
これで私は、ひねくれて努力をしない浮気者の婚約者と何の問題もなく別れることが出来て、誠実で信頼できる伴侶を得られる。ローレンス殿下は「内緒ですよ、実は初恋の相手と婚約が整いそうなんだ」と先日いたずらっぽく私に告げた言葉が叶い、ヘンドリック殿下も真実の愛を見つけて、あれだけ「自分が望んだ訳じゃない」と嘆いていた玉座に座らなくて済むようになった。
王家は優秀な方を結果的に跡取りに出来たし、それは我が家も一緒。ピコを近づけた責任を取る形で甘い考えと吐き気のする理想論が好きなお兄さまではなくて私によく似た弟を当主に据えられる。
お兄さまもお父さまも悪い人じゃないし、家族としては好きなのだけど根本的に公爵家の当主には向いてないのよね。
本人も、ヘンドリック殿下と一緒に「生まれたときから生き方を決められて、自由が無い立場はつらいよな」なんてふざけたことを言い合っていたからこれでお望み通りに自由な立場にして差し上げられる。もちろん援助はするけれど。
学園の方も、殿下に恭順した教職員たちは罰を受けて、環境が良くなった。王太子の権力になびかず、王家に報告を入れた真の教育者たちが残ったから質が上がったのだろう。
あのピコという女は最近見てないけど、あの方みたいに地位のある裕福な男性が好きだという人にとっての天職に斡旋すると聞いた。
この騒ぎの原因となったからには責任を取らなくてはならなくなったけど、元々……あそこまで、ヘンドリック殿下やお兄さま……複数の男性と噂になっていたから嫁ぎ先なんてなかったもの。
実家の寄付に頼って修道院に入るか、自分の手で稼いで生きていくしかないのだから、今回の事で実家が取り潰しとなる彼女にとっては職場を紹介してもらえるだけ幸せだろう。そうでしょう?
これでみんなハッピーエンドね、めでたしめでたし。
ああ、愚かな事をしたよ兄さんも。もう少し優秀だったら自分の立ち振る舞いに気をつけられただろうか。
いや、いっそもっと愚かだったら操られても気付かず裸の王様でいられたのにね。
アイリスに惹かれていたくせに、国が決めた婚約だからと最初から捻くれて。そんな幼稚な事をしていたせいですっかり見放されていた。これで有能だったら一目置かれて付き合ってもらえただろうが、ご覧の通り。自業自得だ。
兄さんは事あるごとに「俺には選択肢すら与えられない」と悲劇のヒーローのように嘆いて見せるが、なぜそれがアイリスも同じだと分からないのか。
それでもアイリスは長い間、婚約者の義務として交流を持とうと尽力してくれた。あの忙しい教育の合間をぬって、将来の伴侶と少しでもパートナーとして心を通い合わせられれば……と思って貴重な時間を。
結局兄さんはお茶会をすっぽかす事も多くて、城に呼んでおいてそのまま返すわけにいかず、婚約者の弟……「家族」になるからと僕が相手をさせてもらっていたから僕としてはむしろありがたかったけど。
あのピコという女だって、一時の快楽目当てもあっただろうがアイリスへの当て付けにしているのが、同じ女性に惚れている僕からはよく分かった。
現に、面倒を起こしそうだと判断してあの女にはすでに「職業斡旋」した後だが、姿が見えなくなったのを探すどころか疑問に思うそぶりすら見せない。
どうやら、アイリスとの関係が改善したと思いこんで別れ話をしたようだが……泣き喚かれて、話し合いなんて出来ずに振り払うようにやっとの事であの場を逃げ出したと聞いている。
そんな女がそれきりパタっと現れなくなったのを「分かってくれたか」なんて思うのは流石に楽観が過ぎる。対応していなかったら、アイリスに逆恨みしてとんでもない事をされていただろう。杞憂ではなくこれはかなり現実的な心配である。
それにしても、当て付けのために一人の女性の評判を地に落とすとは。あれで、アイリスと関係が改善したらろくな責任も取らないつもりだったと知った。関係が悪化するとまずい家のまともな子女じゃなくて良かった。まぁまともな貴族子女なら婚約者のいる王太子と関係を持たないか。
病弱と偽って領地にこもっていた僕の元婚約者も、これでやっと昔から一緒にいた護衛と結ばれる事が出来ると感謝してくれた。王家と関係のある家の養子に彼が入る事になっている。
お互い真に思う相手がいると、彼女は理解して長い間協力してくれたからな。幸せになって欲しいし、その支援は惜しまないつもりだ。
あれは当て付けですよ。昔から兄さんは無意識も含めてアイリス様を愛しているからアイリス様がほんの少し淑女の顔を取って素を見せて差し上げれば全部解決します
早い段階でそう伝えていれば何も起こらなかったと思う。資質には少し劣る王とそれを支える優秀な王妃。王妃への想いを胸に秘めたまま王弟は最後まで国に尽くしました。そう締め括られる切ない終わりになっただろう。
ハッピーエンドを選ばせてくれてありがとうございました、兄さん。