2話 家紋かくたるべし
次郎吉は父に尋ねられたことを頭の中で反復した。
甲斐とは何ぞや。
さほど、学があるわけではない次郎吉ではある。なれど、甲斐というのは「勤め甲斐のある仕事」だとか「食べ甲斐のある馳走」だとかのような言い回しが表していること、とまでは分かっていた。
「満ち足りてる。そのようなことでございましょうか?」
「心得やよし。不正確だが悪くない答えよ。だがな、次郎吉」
「はい」
「まあ、よい。甲斐とは満ち足りているさま。ならば甲斐なきお前は、どのようなお前だ」
信義の教育法は独特であった。
一八〇〇年代に増える寺子屋など、関ヶ原の戦いが終わり五十年あまりしか経たない江戸時代初期においてなかった。そのことが、半分ほどは彼に自己流の教育という決断をさせていた。
「えっ、と……」
「えっと、は、ならぬと申したであろうが愚か者があ!」
「ひゃあ」
長屋の食卓である、ちゃぶ台を信義はひっくり返した。
せっかく黒丸がこしらえた夕飯の茶漬けと干し肉の佃煮、それから青菜の煮物はおしなべて畳に派手にこぼれた。
茶碗や湯のみの幾つかは割れ、当然、まだ幼い陽風子は泣きじゃくった。
「お前さん、おやめくんねもし」
「三度、心中しかけたってのによ。この期に及んで甲斐を語れぬとは、とんだ面汚しめ。このっ!」
「ひいい」
「父上。おやめください」
「離せ離せ。黒丸、オメエもみっともねえ!」
喜里や黒丸になだめられ、ようやく機嫌を直した信義だった。
しかし心中、という物騒な言葉が彼の口を突いて出るのも無理はなかった。
というのは、そもそも信義たち杉森家が仕える福居藩は伸盛が三〇歳を過ぎてから訪れる元禄の世において、昌明将軍が昌親と名を改めてた後にようやく福井藩となるからだった。
名前からして居住いが定まらぬ藩だったのだ。
そのため家督や派閥を理由とする領地に関わる言い争いや実際の領地変更合戦が後を絶たず、並みの武士でしかない信義では家族を養うに困り心中を何度か図るほどであった。
「卓も汚れる。畳も汚れる。父上、どうかケンカの気持ちだけは腹におとどめくださいなん」
「ふう、ふう。黒丸、立派な考えではないか。おめえ、本当に俺の息子か?」
「つらく当たるのは、よしてくだっす。弟も妹も母上も、それに……何より隣近所の者たちが聞き耳を」
「う、ううむ。左様であったな」
黒丸は、一一歳になった次郎吉の三つ上。
一四歳の腕力では信義を押しとどめるのはまだ厳しかったものの、それに代わって磨いてきた弁舌の才覚でなんとか父親を説得するのだった。
「うむ。甲斐のことは今後、我が家ではご法度と致す」
「えっ」
「えっ、ではない次郎吉。俺はオメエがそんな体たらくであるからして、そうしたざい。オメエにとっての甲斐を見つけ、甲斐なしから甲斐起こしになるまで甲斐なる上っ面なぞ聞きとうなかじん」
信義は、ここ数年の間はこと次郎吉に対しては厳しく家訓に影響すらさせるようにしていた。
それは信義が、次郎吉が兄弟の中で最も喜里に似てお人好しゆえに最も苦労すると考えたからだ。
「聞きとうなかじからって、そんな……」
「お前たち、ご飯は母ちゃんが作ってやるぎ、しばらく、しりとりでも言い合ってりじゅん」
「母上」
次郎吉の異議に答えたのは信義ではなく喜里だ。更に静かに微笑みながら彼女は、次のようにつぶやいた。
「いいじぇ。これで、いいんじぇ」
「母上……」
そこに信義は無神経にも注文を付けた。
「喜里。風呂も追い焚きを頼む」
「父上!」
次郎吉は実の父であるにもかかわらず、信義への怒りが込み上げてきた。
昼間の武士のように、父の体に馬乗りになり、殴りつけようかと考えたほどだ。
しかし、である。
「やかましい!」
「うっ」
次郎吉の反抗は実らないばかりか、父の冷たい手のひらに打たれるという悲しい結末となった。
「よし、ヒカゼ。兄ちゃんと、しりとりしよじぇ。「ひなげし」の「し」からだ」
「し、し。しきぶとん!」
「はははっ。ヒカゼ、「ん」から始まる言葉はないりじ」
「えーっ?」
「母上、先にお風呂にお入りください。ヒカゼも一緒に。父上は、そのあとです」
黒丸が場の空気を和ませようと心を砕いた。
まだ五歳の妹と一回りも歳が離れているからと、黒丸が気を遣い喜里と陽風子が一緒に入浴するのは、いわば暗黙の家訓である。
「父上、ようございますね?」
「けっ。好きにせい」
「まあ、まあ。父上には近頃、家紋を発明するという大仕事がありますじぇな?」
「う、ううむ。そんな話だったな。しかし、賢いな黒丸は。本当に俺の子か?」
「へえ。あなたに似て、ほら。眉毛が太いので本物の子なぎす」
父と兄の、このような会話の勢いに負けじと次郎吉も口を開いた。
「父上。俺も手伝いますから、四つ藤の家紋を忘れたことを忘れてしまいましょろう」
機嫌を一度でも損ねたからか、信義は次郎吉には返事する気配がない。
仲が悪いわけではなかったが、ギクシャクするのをなんとかすることが次郎吉にしばしば求められた。
「さあ、父上。ほれ、毛虫の口びる」
口びるを箸で押さえて毛虫みたいに、にゅっと飛び出させる。
実にくだらない行いだが、信義は大抵、それで勘弁して笑ってやることにしていた。
「ふっ。よし、毛虫で閃いたぎ。本日より杉森家の家紋はの、 丸に一文字。丸に一文字じぇ」
「ええっ。父上、そんなお気楽な」
「次郎吉、聞け。一寸の毛虫にも五分の本意、とは上方では流行りの言葉らしい」
信義は自分で転がした茶碗を少しだけ拾ってやりながら、そう言い放った。
上方とは、現代でいうところの近畿地方のことだ。
「ホンイ、とは何ですかじ?」
「本意。それはな、万事をなし惜しむこと一切なしの心」
「惜しむこと、一切なしの……心」
「そうじぇ。毛虫にさえ、惜しむようなことは五分ありやなしや。上方にゃ、さほどのありがたき言葉があるざい」
感心するばかりの我が子、次郎吉に信義はようやく、ほんのわずかだが心を開いた。
近松門左衛門の家紋が「丸に一文字」であることは有名な話だ。
「丸に一文字。すぐに吹いて飛びそうなのが、かえって安心がじぇすなあ」
「ああ、そうだ黒丸。丸に一文字。丸に一文字を背負い、杉森の家は五分の本意はいつも、この唇のように己の心に結び続けるがじ!」
「おお。丸に一文字」
「丸に一文字、丸に一文字じぇ!」
そして、この物語においてはこの瞬間、かの丸に一文字、――一見するとシンプル極まりない家紋が産声を上げたのであった。
さて、杉森家でそんな出来事があった翌日のことである。
「よう、よう。甲斐無しや。今日は変に早くいらしたのう」
「……」
「なした?」
「俺、甲斐無しをやめたいです」
班仁お尚に向かって、次郎吉は宣言した。
一方いつもは寝坊がちな次郎吉が風級寺に来たことすら驚いていた班仁は、何事があったかと目を白黒させた。
何年もの間、次郎吉は班仁から熱心に念仏を勉強していた。しかし次郎吉は遅刻の常習犯なのだ。
「甲斐無しはやめるやめないではない」
「ん?」
「甲斐無しは、やめるやめないでは、ないがじ」
「でも、やめたいんじぇ」
「うわわ。その、ふて腐れたさまが、もう甲斐無しじぇしゃ」
「丸に一文字。五分ほどほどは本意が毛虫でじす」
「はあ?」
「毛虫で本意でじぇ」
「はああ?」
家紋が決まって、やにわに高揚した次郎吉は傍目にもいつもと様子が違った。
けれども流石に班仁という敬虔な僧侶をもってしても、彼の様子がとにかく滑稽でキテレツだというようなことばかりが目に余ったのであった。
「先々が思いやられるわじ」
「甲斐無しをやめていけば、そりゃあ、どなたの思いもやられます」
「じゃっかましいわい!」
会話の食い違いに、まるで気が回らない次郎吉なのであった。