金魚の愛
「ねえ、わたしホントは金魚なの。」
彼女は唐突にそう言った。水色に金魚柄の浴衣、赤い帯、たっぷりとしたポニーテールに、オーガンジーのリボン。すべてがヒラヒラと揺れている。確かに金魚に見えないこともない。
「そうだね。金魚みたいだ。」
「もう、信じてないでしょ。」拗ねてしまったらしい彼女は、赤くツヤツヤした唇をツンと尖らせてそっぽを向いてしまった。
わずかに早足になる。
「待ってくれよ。」先を行く彼女にそう言うと、「わたしが好きなら追い付いてよ。」と返ってくる。
そのまま、競うように歩いて、歩道橋の上に着く。ちょうど真ん中まで来ると、彼女は立ち止まった。
彼女が欄干に座った。
「危ないよ。」
そう声をかけるが、返事がない。
それならば、と僕も彼女の隣に腰かけた。
「ねえ、わたし、金魚なのよ。」
「さっきも聞いた。」
彼女の瞳は宇宙を見ていた。このままでは、落ちてしまいそうだった。
「わたし、このまま落ちても、平気よ。」
「ねえ、危ないよ。」
やはり彼女から返事はない。
その代わりに、思い詰めているのか、薄く膜の張った瞳がこちらを向いた。
「ねえ、愛してるわ。あなたは、わたしを愛してる?」
「どうしたの。」
ああ、愛しているさ。愛している。
でも今はそれよりも。
危ないから。そう言って彼女を欄干から下ろそうとする。
でも、彼女は泣きそうな顔をするだけだ。
「わたし、わたしは。愛してるわ。」
次の瞬間、彼女の身体がゆっくりと傾いた。
全てがスローモーションになって、彼女が落ちて行く。
手を伸ばす。彼女の名前を呼ぶ。
ああ、間に合わない!
彼女は閉じていた目を徐に開けた。
彼女は泣いていた。でも、微笑んでもいた。
そうしてゆっくりと、僕に向かって腕を広げた。
細い、白い腕。
「おいで。」
そう言った唇が嫌に赤かった。
気が付けば、惹かれて、フラリ。
僕は彼女の腕に飛び込んだ。
バシャン。と大きな音を立てて、沈んだ。
後には一匹、赤い金魚がいるだけだった。