3話 同僚
洗濯と給湯室にあわせて経理部に寄っていたら警備部に戻るのは少し遅くなってしまった。
「社長、なんだって? お気に入り」
そんなところを副社長につかまってしまったのが今日の不運の最たるもの。
少し古参寄りの確か、アルバートという名前。にやつきながら近づいてくる。
苦手なんだよね。気取ったスーツが鼻について。
それでも仕方ない。警備部まで少しあるし、無視もできないだろう。真っすぐ白い廊下でほかに話題もない。なんなら業務連絡と割り切るのがいい。
「それ、止めていただきたく存じます。
レオと名乗りますので是非これからはそうお呼び願います。
社長ですか。やはり企業同士のヘゲモニー追求に参加していくつもりのようです」
合わない相手は軽くかわしたいが、いざって時有能な上司には判断を仰ぎたい。
難しい二律背反。
出した答えは慇懃無礼。
「知ってるよ、そんなこと。相変わらず可愛くねえや、おまえは。
もっと面白いプライベートな会話はないのかよ」
ため息をついて、首をひねるアルバート。
わかっている。そもそも進言したのはおそらくこの人だ。
そういうコネと、カネの使い方を知ってる人なのである。
たって数ヶ月の臨時政府にもコネを持ってるとは手が早いと言わざるを得ない。
「で、おまえ。仇名つけられたの? 珍しい」
さすがお気に入り。
本当に意外そうな顔でかつ小声なので少し戸惑う。
こちらを三カ所ぐらいに分けて忙しなく目線を巡らすので考え事の気配が読みとれた。
いや、からかってるだけ、だな。そもそもこの人だってお気に入りと呼んでも僕に比して遜色ない。信頼が違う。
「レオ、ね。お前って本名なんだっけ」
目線がぼくの顔におさまったところで、考えはまとまりきってない様子ながらぽつりと何か聞こうとしていた。
が、前のめりに床が迫ってきたので答える事はおろか、質問を聞き取る事もできなかった。
「レオー! ありがとうー! お茶っ‼」
「うわっ」
突然飛びつかれるとは思ってなかったので、体勢を崩してしまう。
なんとか踏ん張って耐え、背中の荷物を検分する。
「離れて下さい!」
「そんなとこっ、あんっ」
わざとらしい嬌声だしやがって。何がしたいんだ。
彼にしてみれば出鼻をくじかれた形だが見かねたアルバートが助け船を出してくれた。
「グノーモス、今日はちゃんと交代が来てからもどったな? 社長の付近を無人にするなんて考えられねーぞ。
こないだみたいな火事は」
「わかってるって! もう、こないだってそんな最近じゃないでしょ」
反論しようと、意識が逸れて拘束が緩んだ。すかさず抜け出して距離をとる。
続きをどうぞってところだ。共倒れ希望。そうそううまくはいかないか。
「ちゃんと扉の前までバクル達が来てから上がったよ。
もう先生がつきっきりじゃなくても大丈夫なのに。みんな心配しすぎ! 私ももう一人前だよ」
そう言ってクルッと回ってみせる。
制服に身を包んだ姿は、しかし、そういう衣装のようで似合っていない。ジャストサイズなのがさらにお仕着せ感を増していた。おそらくどこか軍服に近いのがいけない。
ただし動きやすさを重視してることが即座にわかる着崩しだ。
「おまえだってもう入社して2年だろ。もっと落ち着けよ」
「みんなそんなに変わらないでしょ! なんでわたしばっかり」
「おまえに落ち着きがないからだ」
そう締めくくって、エレベータの方向に行ってしまった。
グノーモスはその背中に赤目を向いてる。子供か。いや見た目は子供だ。
「お茶、ありがとうってそれだけ言いたかっただけなのに。何だあいつ。自分はちゃらちゃらしてるくせに、わたしには厳しいと思わないか? ほかの社員に怒鳴るの見た事ないよ」
お茶。そうだった。
左手に持ってたパックを片方手渡す。ついでに自分のも開ける。
「さあ、心配してくれてるんじゃないですか? それにお礼なんて結構です。グノーモス先輩に喜ばれて幸いです」
実際たいした手間ではなかった。給湯室から自分の分と一緒に持ってきただけのパックの奴で、中身だって一般流通の、つまり土壌で作られてない方のお茶だ。
天体上の農畜産物はその星の外へは輸出が許可されてないから高い。なんか原子の天体における循環を乱すとかで、いやよく分からん。
正直、どんな原子も作れるんだし足りない分は補完しちゃえば良いのになんて思うけど。第五元素は宇宙にありふれてる。
カツン、と硬質な音が後ろに立った。
「レオ君そんなの聞かなくても良いんだよ。ノーム、1年ぐらいでなに先輩風ふかしてるんだ」
およしなさい。
聞こえたのは先生の杖の音。僕は全然気付かなかった。
ただ、扉の前を守ってるのは必ず二人なので一緒にいるのは当然と言えば当然だ。
「先輩風なんてふかしてませんー。お願いしただけですー。
もう、先生までひどいです。わたしがいじめてるみたいじゃないですか」
先生こそまさに古参の一人だ。染めてない白髪と杖があっても年を感じさせないのはピンと伸びた背筋故だろうか。
聞いたところ、元々昔からのミナト様の護衛だったとか。きっと信頼の相手だろう。
ちなみにあの杖はアンティークらしいがずいぶんシンプルなデザインでわざわざ使い続けるほどの物に見えなかったりする。僕のラジオに比べれば実用性がない。
突いた時の音的には金属なのだが、そんな重く見えないのでやはり不思議だ。歩き方も決して杖に頼っているわけでもない (やはり実用性はない。僕のラジオの方が) 。
「頑張ってね、レオ君。君には期待してる」
彼は一人先に行ってしまう。いかにも達人然とした立ち居振る舞いに終始気圧されていた。
みんな先生と呼ぶのも頷ける。
さて、廊下に先輩と残されてしまった。
どうしても行かなきゃいけないって訳じゃないけど、ほかに仕事もないので先輩と並んで仕事場に向かう。朝の訓練もサボったし、ちょっと気まずい。
白い廊下で窓もない。ダクトが天井をはっているぐらいのもの。所々で連結されて分岐して建物全体がつながってる事を想像させる。えっと、この先は各部署につながるのか。
「レオもさ、ノームでいいよ。先輩も良いけど、仲間だしね。
そろそろ他人行儀からは卒業じゃない?」
気まずさに耐えかねたのかグノーモス先輩が変なことを言い出した。
あんなに先輩にこだわってたのに。
何かあったのだろうか。先生に言われて取り繕いたくなったとか。
先輩はチューブを咥えて長くも短くもない前髪の毛先を指に巻き付ける手遊びをしていた。楽しいのか? 手先を注目して熱中してるようだ。
「了解です。ノームせん…。難しいです。ノーム」
それでも距離を詰めてくれようとしてくれているのがわかって、なんだか嬉しい。まだここに来て浅い。知り合いが絶対的に少ないのに仲の良い人なんているわけがないので、初めてではないだろうか。
こういう横のつながりを密にしていきたいものだ。
「そういや、何か用事あったの? あの後、執務室出た後すぐ戻ってたら、アル先輩に捕まらなかったでしょ。あの人外回りあるし、忙しいはず」
用事? 何か引っかかる。なんだっけ。
誰かとの約束を忘れてるような、そんな気がする。
「いや別に、洗濯干してただけだよ。
今日は晴れみたいだから外に干してきた」
「そっか、わたしも干そっかな。今日はまだ外出てないんだけど良い日差しー?」
端末を見るともう昼も近い。
ふむ、今日の門番役は朝からだったのか。これは朝練サボりがばれてないということか。
それはともかく、今から洗濯機を回しては間に合わないかもしれないだろう。
「日没に間に合わなかったら困るよ。次の晴れもたぶんすぐだ。臨時政府が大きく変えられるはずないから季節はフユのままだろうし。
それより、装備の方は万端? そろそろ企業戦かもしれないよ」
あんまり噂好きとは思われたくはないが、こういう噂の方が意外に伝達速度が早かったり危機管理に優れてたりするのだ。利用しない手はない。別に広める先はこれ以上持ってないから後はノーム先輩にお任せなのだけれど。
「企業戦? 第二次帝戦も終わってまだ一年たってないのに。
あーいや、私が考えても仕方ないや」
かぶりを振る彼女。卑屈な気もするが、兵士ってのはこんな物だ。
「えっと一応警備部の端くれだからね、今すぐにも準備万端、と言いたいところだけど。実は左腕の調子が悪いかも。
そうだ、じゃあ午後はドクターポクラスの所行こっかな」
そういえば、ドクターに話を聞きに行く予定もあったな。すっかり忘れていた。
「じゃあご一緒しよう。ドクターの話には興味があって一回聞きに行く約束だったんだ」
ひょっとしたら義肢交換も、見られるかもしれない。良いタイミングだ。
「じゃあまたあとで。統一時間で14時、星間ゲート前でどう?」
広場の目立つ建物と言えばそう、星間ゲート。その名の通り隣の星との間を通す装置。ぜひメカニズムが知りたい。最近とみに一般化しつつある転移装置の一種と言える。(関係ないがぼくは旧式の方が好きだ。)
「え、使うの? どこまで行く気なのさ。観光でもあるまいし、隣なんだからバスだよ」
至極当然な事を言う。
乗らなくなって久しいからという、ちょっとした懐古的な側面を否定できない僕は、
「まあ、ただの目印のつもりだったけど。やっぱり、診療所前で」
と訂正した。
午後に予定ができたところでちょうど警備部のオフィスの前だ。すっかり居心地の悪さを忘れて歩いていた。先輩のおかげだ。
いや、ノームだったな。呼び慣れておかないと。名前は大切だからね。
僕たちの席は近いが通路を挟んでいる。最後にお昼のお誘いがあった。
「ちょっと待って。じゃあさお昼、職員用食堂でしょ、一緒にどう?」
少し考えて肯く。まあ、暇つぶしの場所が変わっただけだ。
通常業務を暇つぶしとか言ったら怒られるだろうけど、むしろつぶされるのは僕だけど。
「じゃあそうしようか」
ノームが席についた。少し差が付けたくて立ち止まり完全にぬるくなったお茶を咥え握りつぶした。
喉をつたう液体。苦味が強すぎて匂いもない所をごまかす味の微調整。色は深い発酵を示している。
やっぱり不味いよなコレ、どう考えても。
こっそり隅につながるダクトにならってこっそり隅の自席につこうとして、
「レオー? 朝稽古、私と先生の隣に名前があるのはどういうこと?」
あいにくここも、窓も逃げ場もないままだった。
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