2話 ミナトの授業
港湾区画の倉庫街、その中心にそびえるビルディングを前にもう一度息を吐いた。
完成部品を組み立てたものでおもちゃの積木みたいな外見の本社だ。なんとなく居心地が悪くて個人的には初めて連れてこられた輸送車兼本社のあの手狭な雰囲気が恋しい。
ここが僕の勤め先。社長令嬢の初めての貿易会社。
『ハーバートレード』と書かれた船体の側面で簡単な手荷物検査をやってもらう。パンの袋を預けると手早く検めて返してくれた。
「おつかれさまです」
最上階行きに手をかざして昇降装置を起動した。丁度、就業時間なので寮から出勤してくる社員もいる。もっとも彼らは下の階が仕事場だ。訓練場とか。ちなみに我が社は鉱山を持ってない。
執務室にたどりついた。重そうな扉の前は広くなっている。
部屋の前の二人の先輩に会釈。サーと手際よく身体検査を済ませてもらう。いつかこんな手際よくなりたいものだ。
重厚な見た目の自動ドアが横に開くと、
「おそいのよ! わたしの頼んだヤツは?」
入室一番、書類から顔も上げずに叫ぶ声があがった。
鋭い声は内容にひらひらのピンクと比べると逆に異質なものに聞こえる。
ミナト様。帝国に一代で名を轟かせたキャベリング社社長アビキ氏の娘。
脱走者の私を拾ってくださったそれはもう立派な社長だ。
大恩ある方なのだが、ちょっと関係性は変化しつつあるのを感じている。
「この星にそんなのあるわけないじゃないですか。
あれ、硬いパンをおいしく食べようと発展したらしいですよ。大丈夫! そもそもここのパンは柔らかくておいしいですから」
えてしてお嬢様という人はわがままである
すっかり忘れてた注文だがないのは事実だ。
後ろめたさをのみこんで、しっかりと言い返す。
「わたし知らない。だったらあるとこまで行ってきて」
ピンクのひらひら、もとい、ピンクのドレスめいた服で書類仕事をなおも続ける彼女は見るからに不機嫌だ。入室してから時計を2回見てる。この後誰かと会う予定でもあるのかも。
でも、デスヨ。主のわがままは嗜めなくては。
取られそうと思えば惜しくなるはずだ。
口を開けて、パンで隠れてから閉じる。単純ないたずらだが、あわてるんだぜ。かわいかろう?
いわゆるかじるふり。あせる社長を観賞してから目の前の机に置いた。
あっ、ちょっとちぎれた。
紙で巻いてあるからいいか、と思ってのことだったが、富豪のお嬢様はさすがに育ちが良いらしい。もっとあわてて机の上から取り上げた。
「富豪のお嬢様はさすが違いますね。
配給品も上品に食べなくてはお父様に叱られますものね」
言ってみた。
「痛っ」
叩かれた。
「こうやって食べること自体にそんな慣れてないの。お父様は関係ないでしょう」
怒られた。
「この会社がお父様から与えられてることを言っているのかしら?
社員のほとんどは、私が、集めたのよ。
もちろんわたしは、尊敬してやまないお父様に貢献するためにここでこの会社を大きくしたいと思ってるわ。お兄様は本国でお父様の会社を乗っ取る画策に忙しいみたいだけどね」
あら話しすぎたかしら、と心にもないことを付け加えた。
早口にまくし立てつつパンの断面をじっと見ている。怒るかな?
「大きくですか、その、お嬢様は算段がおありで?」
なんだか口が軽そうな雰囲気だったのでちょっと気になっていたことを、いま聞いてみることにしよう。
「ミナト、でしょ。その呼び方は止めなさい」
しまった。せっかくのチャンスをこんなことで。
雇われた直後、役職か名前で呼ぶように指示されていた。当時はかしこまりすぎた僕を案じてのことだと思ったのだが何だかんだ言って、会社がお下がりなのは気にしてるのだ。
「しかし、社長……」
「ねっねぇ、レオ」
「レオ? って私ですか」
「呼びにくいから、呼び方を考えたの。変えてもいい……かしら?」
「もちろん、構いません。むしろ光栄ですとも。やっぱり識別ナンバー案は駄目でしたか」
ついこないだの話だと思っていたが名前がなくなってそろそろ一年か。
軽く咳払いして、改めて聞く。
「ミナト様、私に今後の発展計画を教えていただけますか?」
机の上から身を乗り出していたミナトは椅子に深く座り直した。
あえて僕の顔を視界に入れず視線がさまよい円を描くようにして思案顔におさまる。
僕も真似して部屋を見渡す。広めの鍵付き収納机に散乱する申請書、報告書、企画書。
机の後ろに固定された額に4人の家族の写真。それら家具を固定する金具。出発した時、こうしておかないと室内を漂ってしまうからだろう。さすがの安全策でこの部屋は脱出ポットにもなる。
そんなに広くないからこれだけでもう、僕の視界にある物は通路だけ。
視線をついにミナトに戻す。
思案顔も大物っぽい仕草だな、きっとその父親がやるときは。
「貴方わたしの護衛でしょ。知ってどうするのよ、とかいう所なんだけど。
そうね、わたしの騎士は賢いに越したことはないわ」
バッと社長は立ち上がった。小さい。
などとは別に思ったわけじゃないが(決して)、見下ろされるのが気に食わなかったとみえる。椅子に立って胸を反らして話し出した。これで僕の二倍近い。
「今ここは、この帝国領よ」
知ってます。
頷いてみせる。
「もとは? ほら」
「共和国領でした」
「当てこすりか、虚栄心か。臨時政府はこの銀河系をほとんど企業への委託案件にするつもりらしいの。本業の経営に専念させたいがために戦争系用品の所持に個別で課税するし」
「ええ知ってますけど、それはなんでかって所なんです」
「あーあー、やっぱり察しが悪い。いい? この国は基本国営しか認めなかったの。集団農場と国営工場に国家貿易。
その結果がコレ。『首都』まで占領されてるって訳。みんなで稼ぐから、みんなでサボる。とにかく、発展しないの」
「ああ、そんなところを帝国ならもっと繁栄させてやるって事ですね。
正しくは帝国領の企業が」
「そういうこと。傀儡のトップもあんまり今までをよく思ってなかったみたいで。
ここまで来たらわかるわね? 割譲の基準は……」
「じゃあ功績争いですね。企業同士なら吸収合併するのもいい」
「良い点はこれが臨時政府の弱気を示すものでもあるって事。
舵取りを仕切る自信がないのよ。この割譲地半分も取れば、議会も押さえられる。
助かる事に今は独裁に違和感がないはず。
まさに本国もなんですもの」
興奮した様子で語るミナト。褒められたいのかな。
このちぎったパンを差しだそうか、頭をなでればいいのか。もちろんしないけど。
右手のパンをかじりながら、賞賛の言葉を考える。
父親の代わりにはなれないが、こんな時に気の利いたことが言いたい。
「貴方、そのパン! えっ?コレ…あっああ。ちぎっていたのでしょう。知っていたわ」
怒られると思ったがどうも変な見栄が勝ったらしい。からかわれてばかりでもないか。顔を赤くした社長がパンにかじりつく。まだ小さくなってないのに無理に口に押し込もうと失敗している。
そのあとも御講義は続いた。
そういえば、
「レオ、かかった分、報告なさいね。」
帰り際、扉のところで呼び止められた。
「経費はちゃんと管理してるのよ。その包丁は経費じゃ落ちないと思うけど。
決めるのは経理部だわ。カサ増しは許さない子達よ。それと、拾いものは警察に、ね」
「あれ? 見てたんですか」
まずい。自白に近いぞ。
馬鹿か僕は。
「ラジオよりネットが便利よ。報告もこれひとつだし。最近はネットワークができてきてるの。金物屋で窃盗があったようね。金属は便利だもの。証言によると片角の子供が主犯だったみたい」
不問か、よかった。気づかれてないのかも。危なかった。
振り返るともう彼女は書類と戦っていた。
「失礼します。お仕事頑張って下さい」
後半は小声だった気がする。
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家出の原因は親会社命令の強引な本社の転居命令だったらしい。新天地の一等地への栄転だか左遷が強制だったことに業を煮やしたそうだ。
それで家出。
その事情を知らない僕は3日か4日前見かけたあの船に、なま温かく迎えられた。
「拗ねてペット拾ってきやがった」
と。
諸々を分からないで押し通したところ、気前よく帝国民の自由市民権をくれた。一緒にミナト専属の護衛部署、『警備部』という就職先まで用意してもらえた。
「優しい先輩に囲まれて、幸せに働いております。っと」
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この娘の感情はわかりやすくしておきたい。