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マリアンとValentinstag

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

皆でバレンタインデーのお菓子を作ります。


99マリアンとValentinstagバレンティンスタァク


 二の月の半ば近くになったが、まだ寒さは緩まない。気を抜いた頃に暴風雪が来たりする時もある。北の地域にあるリグハーヴスとはそういう土地だ。

 本日マリアンは〈ナーデル紡糸(スピン)〉カウンターをアデリナに任せ、<Langueラング de chatシャ>に向かっていた。

 何故ならば昨日聞いてしまったからだ。今日がバレンタインデー(バレンティンスタァク)だと。

 昨日本を返しに行った時、ルッツがカウンターの陰で踊っていた。

「ご機嫌ね」とテオに言ったら、「明日バレンタインデーでチョコレート(ショコラード)のお菓子を孝宏たかひろと作るから」と教えてくれたのだ。

 バレンタインデーが聖人の日だとは知っていたが、チョコレート菓子との関連性が不明なので聞くと、孝宏の暮らしていた所ではバレンタインデーには好きな人にチョコレート菓子を送る習慣があると言う。

 つまり、ルッツは作った菓子をテオと食べるのが、今から楽しみなのだろう。可愛い過ぎる。

「それ、私でも作れるものなのかしら?」

「作れますよ」

 直接訊ねたマリアンに孝宏は請け負い、「明日一緒に作りましょう」と誘ってくれたのだ。

 アデリナには説明したが、リュディガーとギルベルトには内緒で来てしまった。そこは乙女心に免じて欲しい。

 ちりりん、りん。

「こんにちは。フラウ・マリアン」

 イシュカがカウンターに立っていた。閲覧スペースにはカチヤがお盆を持って居たので、今日の店番はイシュカとカチヤらしい。

「マリアン」

 奥からとたとたとルッツが出て来た。

「ルッツについて行って下さい。二階に孝宏達が居ますから」

「有難う」

 一段ずつ階段を上るルッツが落ちない様に注意しながら、マリアンは二階へと案内された。

「マリアンきたよー」

「いらっしゃいませ、フラウ・マリアン」

 居間と続きの台所から、孝宏が声を掛けて来た。

「あら、ギル以外は居るのね」

<Langue de chat>の二階の居間には、ケットシーが四人居た。〈薬草ハーブ飴玉(ボンボン)〉のラルスまで居る。

「エンデュミオンに聞いてな。ドロテーアとブリギッテに食べさせてやるのだ」

 ラルスはエプロンもしっかりしてやる気満々だ。普段から手伝っているのかもしれない。エンデュミオン達も孝宏とテオに、シャツの袖を折り返してエプロンを着せて貰っていた。エプロンを作ったのは、マリアンとアデリナだったりするのだが、良く似合っている。

 先に孝宏に作り方と材料を教えて貰い、紙に書き取ってから、製作開始だ。

「全部混ぜて焼けば良いんですけどね」

 ココアと小麦粉、ベーキングパウダーをふるいながら孝宏が笑う。

「エンデュミオン達はチョコレートと胡桃を割ってね」

 紙に載せた板チョコと胡桃を居間のテーブルに置き、孝宏は一度台所に戻って来たが、蜂蜜ホーニックの瓶と匙を持って居間に戻って行く。

 不思議に思ったマリアンだったが、居間を振り返って理由が解った。テーブルを囲む四人のケットシーがぷるぷる震えている。

 ソファーに座っていたテオが苦笑いしているのを見るからに、摘まみ食いしたのだろう。

「このチョコ苦いんだよ?」

 ブラックチョコレートを摘まみ食いしたケットシー達に蜂蜜を舐めさせ、孝宏は台所に帰還した。

 マリアンが見ている間に、ケットシー達は胡桃を一つずつ摘まみ食いし、それ以降はきちんとチョコレートと胡桃を前肢でパキパキと割り始めた。

「いつも?」

「いつもです」

 笑いながら孝宏が応える。

「可愛いですよね」

 エンデュミオンは六百歳を超えている筈なのだが。どうやら孝宏もイシュカもこのエンデュミオンを大魔法使い(マイスター)エンデュミオンと同一人物だと思っていないらしい。

(でもケットシーって、幾つでも子供っぽいのよね)

 ギルベルトを見ていてもそう思う。でも、そこが可愛らしいのだが。

 常温に戻しておいたバターをクリーム状になるまで混ぜ、溶いた卵を少しずつ加えてから砂糖も入れて混ぜる。これに小麦粉とココア、ベーキングパウダーを混ぜた物を木べらで混ぜ、胡桃とチョコレートを加えて更に混ぜる。

「これを型に流してオーブンで焼きます」

 百八十度で十五分から二十分焼く。上にアーモンドや胡桃を飾っても良いし、冷めてから粉砂糖を振っても良い。

 孝宏が混ぜた生地の上には、ルッツが等間隔に胡桃を載せ、緑色の南瓜の種を散らした。ヴァルブルガには食べる時に、粉砂糖を振って貰うつもりだ。

 一通り孝宏の作り方を見てから、マリアンとラルスがブラウニーを作った。

「んしょ、んしょ」

 孝宏に陶器の鉢を押さえていて貰い、意外と器用にラルスは生地を木べらで混ぜた。蝋紙を敷いたパウンドケーキ型に焦げ茶色の生地を流してアーモンドと胡桃、松の実を並べる。

 マリアンは生地の上にアーモンドと南瓜の種、松の実を散らした。これで見分けがつくだろう。

 型を余熱したオーブンに入れ、孝宏は砂時計をひっくり返した。砂時計の前にはエンデュミオンが張り付いている。

 孝宏とマリアンで、使った調理器具を洗い片付ける。

「確かに混ぜて焼くだけね」

「でしょう?去年トリュフ作ったら、エンデュミオン達がチョコレートまみれになっちゃって。全員お風呂行きでした。今年は平日ですし、手軽な物にしました」

「あらまあ」

 台所には、次第に暖かな甘い香りが広がり始めた。砂時計で時間を計っていたエンデュミオンが、孝宏を呼ぶ。

「孝宏、良いぞ」

「どれどれ?」

 孝宏はオーブンの扉を開け、串でブラウニーを刺して焼け具合を確かめてから、パウンドケーキ型を鍋掴みを嵌めた手で取り出し、クーラーに載せた。

「冷めるまでお茶を飲んでましょう」

 お茶を淹れ、ホウロウの蓋付き容器からハニービスケットを皿に盛って、居間に移動する。

「今日の恵みに」

 ケットシー達は食前の祈りを唱えるなり、前肢をハニービスケットに伸ばした。

「あい」

「有難う」

 膝に座ったルッツにハニービスケットを差し出され、テオがぱくりとくわえる。

「仲が良いわね」

「あいっ」

 ルッツが元気良く返事をした。テオが可愛がっているのが良く解る。

「フラウ・マリアン、これ差し入れにどうぞ。これは霊峰蜂蜜ハイリガーベァクホーニックで作ったハニービスケットなんで、滋養に良いかと」

 孝宏が紙袋をマリアンに差し出した。

「霊峰蜂蜜ってお薬じゃないの?ドクトリンデ・グレーテルに貰えるやつでしょう?」

「ええ。ケットシーにも人にも使えるので、ドクトリンデ・グレーテルにこの間貰ったやつで作ったんです」

 先日、ルッツとギルベルトが妖精猫風邪ケットシーエッケルトンに掛かった時のだろう。その前には孝宏も風邪を引いていたから、量があったらしい。

「嬉しいわ」

 ギルベルトの妖精猫風邪の時にはミント菓子のレシピで助けて貰ったし、多分こう言う所が恩恵を与えると言われる〈異界渡り〉の由縁なのかもしれない。


「じゃあ、ラルスは帰る。有難う孝宏」

 床に膝をついた孝宏にぎゅっと抱き着いてから、仄かに温かみの残るブラウニーを持って来た籠に入れ、ラルスは転移陣で〈薬草と飴玉〉に帰って行った。籠を持ったまま帰るのは雪道で転びそうだからだろう。

 マリアンは持って来た布巾にブラウニーを包んだ。

「これは粉砂糖です。食べる時に茶漉しで振ると良いですよ」

「有難う」

 粉砂糖を小袋に貰い、マリアンはブラウニーとハニービスケットを持って〈針と紡糸〉に戻った。

「ただいま」

「お帰りなさい、フラウ・マリアン」

 カウンターに居たアデリナに声を掛け、マリアンは二階に上がった。

「マリアン、お帰り」

 居間にはリュディガーとギルベルトが居た。ギルベルトは妖精猫風邪を引いて治り掛けだ。熱が出ていると寒がるので、冷えない様に起きている時は、リュディガーのシャツを着ていた。袖を折り返していないので、肢先が出ていない。

 ピンク色の鼻をピクピクさせ、ギルベルトは大きな緑色の瞳を輝かせた。

「良い匂いがする」

「あら、やっぱりギルには解っちゃったわね。ヒロとお菓子を焼いていたの。夕食の後で、皆で頂きましょうね」

「うん」

「何のお菓子?」

 木彫りをしていたリュディガーも顔を上げる。

チョコレート(ショコラード)のケーキよ」

 チェリータルトにはチョコレートを使うし、温めた牛乳にチョコレートの欠片を入れて飲んだりする事もあるので、素材としては知られている。

チョコ(ショコ)、苦いやつ?」

 少し怯えた顔になるギルベルトは、苦いチョコレートしか口にした経験が無かったらしい。携帯食として冒険者が持つ場合、苦いままのチョコレートバーなのだ。孝宏の様に砂糖や蜂蜜、ドライフルーツを入れて固め直す者はまだ居なかった。

 チョコレートはそのものを味わうと言うより、素材として知られていたのだ。

「大丈夫、これは震える程苦くないわ。甘いわよ。それと、霊峰蜂蜜で作ったビスケットも貰ったわ」

 台所の作業台にブラウニーを置き、一度手を洗ってから紙袋に入ったハニービスケットを皿に少し取り出す。お湯を沸かして紅茶シュバルツテーを淹れ、マリアンはリュディガーとギルベルトに運んでやった。ギルベルトには牛乳たっぷりのミルクティー(ミルヒテー)だ。

 リュディガーに袖を折り返して貰い、ギルベルトはハニービスケットに前肢を伸ばした。カリカリと齧り、立てた尻尾をふるふると震わせる。

「甘い」

「霊峰蜂蜜でお菓子って贅沢だなあ」

 リュディガーも公爵家の生まれだから、霊峰蜂蜜は邸にあった。霊峰蜂蜜を採取する養蜂家は、森に詳しい森林族に多いので、他の領よりはヴァイツェアに出回っている。それでも霊峰蜂蜜は医療関係者が優先して手に入れるものなのだ。

「滋養に良いからって作ってくれたみたいなの」

「美味しくて身体にも良いって凄いなあ」

 幸せそうにビスケットを食べるギルベルトの額を、リュディガーが撫でる。ぐるぐるとギルベルトの喉が鳴った。

「そうね」

 孝宏はレシピを渡す相手を慎重に選んでいる筈なのに、マリアンにはミント菓子のレシピやブラウニーのレシピを簡単に渡した。

(信用されてるって事なのかしらね)

 リュディガー達がおやつを食べるのを見ながら夕食を仕込む。今晩は鶏肉と玉葱、人参、馬鈴薯をオーブンで焼いた後軟らかく煮込む予定だ。ギルベルトの薬でもあるミントティーのシャーベットも作ろう。

 煮物は仕込んでコンロで熱しておけば、リュディガーが時々様子を見てくれる。シャーベットを冷凍庫に入れて、鍋共々リュディガーに任せ、マリアンは店に降りたのだった。


 仕立屋は細かな作業が多い。幾ら光鉱石のランプが明るくても、目は疲れる。その為急ぎの作業でなければ、定時で針仕事は切り上げていた。

 〈準備中〉の札をドアの硝子窓の内側に掛け、マリアンは掛け金を下ろした。

 カウンターの内側の作り付けの背の高い戸棚の扉も閉める。ここは開店中は開けてあるのだ。

 作業台の上もきちんと片付けておく。掃除は明るい開店前に行うので、閉店作業はこれでおしまいだ。

「今日もご苦労様でした。さ、ご飯にしましょう」

「はい。お腹空きました」

 アデリナと二階に上がると、煮物の良い香りが漂っていた。美味しく出来た時は、美味しい匂いがするものだ。

 極弱い熱量で煮込まれていた鶏肉は軟らかくなっていた。既にオーブンで火が通っていた馬鈴薯は煮崩れてしまうので、後入れで温める。その間に黒パンシュバルツブロエートゥ白パン(ヴァイスブロェートゥ)を切り、トマトと新鮮な白チーズにハーブ塩とオリーブ油を掛けたサラダを作る。

 林檎酒シードルと炭酸水も並べるが、リュディガーもギルベルトも療養中なので食前酒代わりにほんの少しだけだ。

「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」

 食前の祈りを唱え、スプーンを持ったギルベルトは、あらかじめ骨から外されたホロホロの鶏肉を掬い口にした。

「んー」

 尻尾がピンと立ち、ふるふる揺れる。ケットシーは本当に尻尾が正直だ。

「美味しい」

「ふふ、良かった」

「マリアン、どうしてチョコのケーキだったの?」

 マリアンは黒森之國くろもりのくにの家庭で作る菓子を大抵作る事が出来る。ギルベルトはマリアンが、わざわざ孝宏の所に行って作って来たのが不思議だったのだ。

「それはね、孝宏の居た所ではバレンタインデーには好きな人にチョコレートのお菓子をあげるんですって。だから一緒に作らせて貰っちゃったの。ラルスも作りに来てたわよ」

 両手で木べらを持ってかき混ぜるラルスは可愛かった。

「じゃあ今ごろ<Langue de chat>でも、〈薬草と飴玉〉でもチョコレートケーキ食べているんでしょうね」

「そうね」

 アデリナが想像したのか、にこにこ微笑む。

 食後に皆で居間に移り、お茶を飲みながらブラウニーを食べた。

 尻尾をふるふるさせながら「美味しいねえ」と喜ぶギルベルトと、「お代わり欲しい」と言うリュディガーに、おやつのレシピに加えようと決めたマリアンだった。


孝宏のお料理教室、ブラウニー編です。

マリアンと仲良しな孝宏、お菓子のレシピなどを渡しています。

そしてケットシーの摘まみ食いは相変わらずです。

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