妖精猫風邪再び
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
妖精猫風邪のシーズン到来です。
97妖精猫風邪再び
二の月である。
二の月と言えば、昨年はエンデュミオン達が妖精猫風邪に掛かった月である。
『妖精猫風邪の特効薬がミントティーなら、ミントの飴を舐めてたら予防になら無いのかな?』
『試した事が無いな』
〈黒き森〉にはミント飴は無いからだ。エンデュミオンの返答を聞いた孝宏は、〈薬草と飴玉〉に出掛ける用意をした。コートを着て、エンデュミオンにも裏起毛のケープを着せる。
相変わらず孝宏は、一人では外出させて貰えない。誰でも良いからケットシーを連れて行けと、イシュカとエンデュミオンに言われている。
「イシュカー。〈薬草と飴玉〉にミント飴買いに行って来るね」
「ミント飴?」
階段を下りて店のカウンターの後ろから、イシュカの背中に声を掛ける。イシュカの隣に椅子を踏み台に立っていた、ヴァルブルガも振り返った。
「妖精猫風邪の予防になるかと思って。テオとルッツが〈黒き森〉に行かなくても、地下迷宮帰りの冒険者が店に来たら同じだし」
「なるほど」
「ルッツがミント飴舐めてくれるか解らないけど、ラルスに聞いてみる」
子供のルッツにはミントが辛いらしいのだ。
霊峰蜂蜜風味のミント飴は無いだろうか。
「ついでにパンなんかも買って来るね」
「解った。気を付けて」
「行って来まーす」
手に持っていたマフラーを首に巻き、孝宏はエンデュミオンを抱き上げてドアを開けた。
ちりりりん。
ドアベルに送られ、街に出る。
リクハーヴスの街は、用途毎に通りに店が大体まとめられている。
食料品なども通りを端から端まで歩けば、殆ど揃う。イシュカの店<Langue de chat>は、食料品以外の騒音を立てない店が集まる通りだ。
市場広場沿いには、冒険者ギルドや食堂、王都に本店がある装飾品店や武器・防具屋、宿屋といった、〈老舗〉が並んでいる。ここが地下迷宮への最後の大きな街の為、冒険者用の店が揃っているのだ。
〈薬草と飴玉〉は市場広場に面してある魔女グレーテルの診療所の真裏にある。薬草魔女ドロテーアとブリギッテ、黒くて左右の目の色が違うケットシーのラルスが居る、薬草店兼助産所だ。
ドロテーアとブリギッテは薬草茶と薬草飴の名手でもあり、子供のおやつにもなる飴も店に置いていた。カウンターの下は硝子張りになっていて、そこから飴の入った色とりどりの硝子瓶が見えるのだ。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
〈薬草と飴玉〉のカウンターには、ラルスが居た。右目が青、左目が金色で、それ以外は身体も肉球も真っ黒のケットシーだ。
孝宏はラルスに訊いた。
「ラルス、ミント飴は妖精猫風邪の予防になるのかな?」
「なるぞ。ラルスも舐めているが、妖精猫風邪を引き難くなる」
「甘めのあるかな」
「んー、辛い方が効き目はあるぞ?」
階段式の踏み台を下り、カウンターの下から飴の入った硝子瓶を取り出そうとするラルスに、床に降りたエンデュミオンが頭をぽしぽしと掻く。
「うちにはルッツがいるんだ、ラルス」
「あー、そうか。ルッツには辛いか。それならこの辺りはどうだ?」
ラルスは淡い水色の棒付き飴の入った瓶を取り出した。中から味見用らしき飴が小さく巻かれた棒を抜いて、孝宏とエンデュミオンに渡す。
「味見してみてくれ」
「頂きます」
エンデュミオンと二人飴を口に入れる。蜂蜜の甘みの後にスッとするミントが広がる。鼻に抜ける爽快感。
「エンデュミオンとヴァルブルガは大丈夫だが、ルッツには食べさせてみないと解らんな。これ以上甘いのは?」
「効果は期待出来ないぞ?」
「ううむ、そうか。ではこれを一瓶くれ」
「解った。そうそう、空瓶があれば引き取るから、持って来てくれ」
細長い瓶に二ダース飴が入った物を買い、代金を支払う。銅貨五枚だ。薬効の無い飴ならもう少し安い。
「朝晩や外から帰ったら舐めるといい」
「うん。無くなったら又来る」
「じゃあまたね、ラルス」
買い物籠に飴の瓶を入れ、孝宏とエンデュミオンは〈薬草と飴玉〉を出たのだった。
トントントン。
「とんとんとん」
ジュージュー。
「じゅーじゅー。へぷちゅんっ」
グツグツ。
「ぐつぐつ」
孝宏が料理する音に合わせて、ルッツが飯事をしている声が聞こえる。
チラリと孝宏は棚の上の硝子瓶に目をやって、棒の数を数えた。朝見た時から本数が減っていない。
(エンデュミオンとヴァルブルガは朝食後に舐めていたよな……)
「ルッツ?」
孝宏は背後のルッツに声を掛けた。
「あいー」
「くしゃみしなかった?」
「あいー」
「ルッツ?」
気の抜けたルッツの声に孝宏は振り返った。ルッツはラグマットの上に、編みぐるみの紺色のケットシーを抱いて転がっていた。回りには飯事の玩具が散らばっている。遊び終わったのならいつも片付け、誉められるのを待つルッツらしくない。
孝宏はコンロの熱を弱め、台所から居間へ向かった。ラグマットに転がるルッツの横に膝を付く。
「ルッツ、どうしたの?」
「ルッツ、うごけない」
「え!?抱っこするよ?……うわ、ほかほかしてるよ」
抱き上げたルッツはいつもより熱かった。考えられるのは一つ。妖精猫風邪だ。
「ベッド行くよ。ルッツ熱があるよ」
「ねつー」
ルッツをテオの部屋のベッドに運んで、ケットシーの編みぐるみを隣に寝かせてやる。
「テオを呼んで来るからね。このまま寝ててね」
「あいー」
一度台所に戻ってコンロのレバーを戻す。うっかり焦げ付かせそうだ。それから階段を下りて店に出る。カウンターからイシュカとヴァルブルガが振り向いた。エンデュミオンも閲覧スペースから出て来る。
「孝宏」
「テオは?」
「何?呼んだ?」
冒険者ギルドに顔を出していたテオは、戻って来てそのまま店を手伝っていたらしい。本棚の本をしゃがんで並べ直していた。
「ルッツが妖精猫風邪みたい。ミント飴舐めさせてた?」
「げっ。ミント飴かー。俺の前だと舐めてたけど……」
テオの見ていない場所では、わざわざ自分で飴を取って舐めていないかもしれない。
「鼻がスースーするのが苦手らしくて」
「むう。やはりルッツは苦手だったか。それよりテオはルッツの所に行け。エンデュミオンがグレーテルを〈転移〉で呼んで……」
ちりりりんっ。
「邪魔するよ」
「ドクトリンデ・グレーテル」
往診鞄を持った魔女グレーテルが<Langue de chat>のドアを開けて店内に入って来た。ぐるりと一同を見回す。
「誰か妖精猫風邪を引いていないかい?」
「今ドクトリンデをお呼びしようとしていたんです。ルッツが熱を出して」
「エンディとヴァルは平気なのかい?」
「ルッツだけミント飴をちゃんと舐めてなくて……」
言い難そうにテオが弁明する。
「ああ……」
何となくグレーテルは理解したらしい。
「それじゃ、様子を見させて貰おうかね」
「お願いします」
テオとグレーテルが二階に上がって行く後ろを、孝宏とエンデュミオンが追い掛ける。
「間違いない、妖精猫風邪だね」
ルッツを診察し、グレーテルは溜め息を吐いた。
「実はさっきマリアンに呼ばれてね。ギルも熱を出したんだよ。やっぱりミント飴を舐めて無かったみたいでね」
「ギルも?」
「今年も妖精猫風邪の流行が来たみたいだね。冒険者の誰かが持って来たんだろう。ミントを置いて行くから飲ませておやり」
「やーなの」
ミントと聞くなり、ルッツは掛け布団の下に潜ってしまった。
「でもルッツ、お薬なんだよ?」
「やーなの」
テオの声にも顔を出さない。
「えーと、何とか考えてみます」
孝宏はとりあえずグレーテルからミントの葉の入った瓶を貰った。
お昼に粥を煮て、孝宏はルッツの元に持って行った。足元にはエンデュミオンも付いて来る。
「やーなの!」
「ルッツ、飲まないと良くならないんだよ?」
部屋の中では、先に持って行ったミントティーを飲ませようとしていたテオが苦戦していた。匙を持つテオの手を、ルッツが前肢で押し返している。
(反抗期かな……)
具合が悪いので、機嫌も悪いのだろう。
「やーなのー。ううー」
ついにはルッツは泣き出してしまった。これでは埒が明かない。
「テオ、それは後にしよう。はい、お粥だよ。おかか好きでしょ?ルッツ」
「あいー」
孝宏はテオの手からミントティーのカップを取り、代わりにお粥の器を載せた。おかかは奮発してふんわり盛っている。
すぴすぴと鼻を鳴らしながら、ルッツはテオが吹き冷ましてくれたお粥を食べた。食欲はあるらしい。台所に戻って孝宏が淹れて来た霊峰蜂蜜入りのミルクティーもちゃんと舐めた。
「水枕もしてるし、このまま寝かせてあげたら良いよ」
「霊峰蜂蜜にも薬効があるからな」
「うん。ルッツ、少し眠ろっか」
「あいー」
ベッドカバーの上から、テオがルッツに添い寝する。枕元に置いてあったフリッツとヴィムの若草色の本を、テオが静かな声で読み始めるのを聞きながら孝宏とエンデュミオンは台所に行った。
「孝宏、どうする?」
『特効薬だからミントは摂らせないとなあ。少しずつでも口に入れば良いなら、ゼリーにしようか。後シャーベットとアイスクリームも良いかな』
鍋を出し、ミントティーに霊峰蜂蜜とゼラチンを追加し溶かし込み、ホウロウの平たい器に流す。
「エンディ、冷やしてくれる?」
「うん」
エンデュミオンがゼリーを冷やしている間に孝宏は卵白を泡立て、檸檬汁と霊峰蜂蜜を加えたミントティーと合わせ、こちらはエンデュミオンに凍らせて貰う。途中で混ぜつつ凍らせて貰えば、シャーベットは完成だ。
冷凍庫にシャーベットを入れ、固まったゼリーを冷蔵庫に入れる。
「ルッツ、寝てるかな?」
「どれ」
エンデュミオンは、テオとルッツの部屋まで覗きに行って戻って来た。
「転た寝してるが完全に寝てないな」
「そっか。じゃあ少し食べて貰おうかな」
孝宏は白葡萄のシロップを炭酸水で薄め、林檎の皮を剥き賽子状に切った。器にミントティーのゼリーを林檎と同じ大きさに切って入れ、そこに角切り林檎とシロップも入れる。フルーツポンチ擬きだ。
「はい、味見」
木匙で一口食べさせて貰い、エンデュミオンが頷く。
「うん、ミントの主張は減ったかな」
「よし、じゃあ持って行ってみよう」
盆にフルーツポンチ擬きを載せ、孝宏とエンデュミオンはテオとルッツの部屋に向かった。
「ルッツ。起きてる?」
「……あい」
「起きるか?」
テオが起き上がって、ルッツを自分に凭れ掛けさせる。
「ミントティーでお菓子作ったんだけど、食べてみて」
「エンデュミオンも味見したが、食べやすいぞ。一口食べてみろ」
「にゃう……」
ルッツが口を開けたので、孝宏はミントティーゼリーと林檎、シロップを木匙で掬って入れてやった。ルッツがふすんふすんと、詰まり掛けている鼻を鳴らしながら、口を動かす。
「……」
こくり、と飲み込んだルッツは、直ぐに又口を開けた。ベッドカバーを前肢でぱたぱた叩く。
「もっと欲しいって」
テオが通訳する。
「はい、じゃあもう一口ね」
結局、器に入っていた分は綺麗に平らげた。
ここで決してからかってはいけない。機嫌を損ねる。
「これで眠れば少し楽になると思うぞ」
「あいー」
エンデュミオンに返事をして、ルッツはうとうとと眠り始めた。
「夜はシャーベットあげるからね。冷たいお菓子だよ」
「手間掛けさせてごめん、ヒロ」
「気にしない気にしない。ルッツが早く治る為なら大した事じゃ無いよ」
ルッツに添い寝するテオを置いて、台所に戻る廊下で、エンデュミオンが孝宏のズボンを引いた。
「どうかしたの?」
「それを、ギルベルトに少し持って行きたい。ギルベルトもミントが苦手だから」
「良いよ。フルーツポンチとシャーベットと両方ね」
孝宏は蓋付きのホウロウ容器に、フルーツポンチとシャーベットを分けた。それぞれの作り方とお粥の作り方、削り立ての鰹節を紙袋に詰めて籠に入れて足元に置いてやると、エンデュミオンは〈転移〉で〈針と紡糸〉に飛んで行った。
(来年から予防薬的ミントもお菓子にしないと駄目か。特にルッツは)
ミント飴には効果があると実証された訳だし。身体の小さなルッツが毎年妖精猫風邪を引くのは、良くないだろう。
『エンデュミオンが帰って来たらアイスクリーム作ろうかな。チョコミントで』
好みが別れるチョコミントだが、何となくルッツは好きなのではないかと思う。
いそいそと孝宏は材料を用意し始めた。
ルッツとギルベルトの妖精猫風邪は、孝宏のミント菓子のお陰で一週間程で回復した。
チョコチップの入った翡翠色のアイスクリームは、ルッツとギルベルト双方に好評だったが、味見したエンデュミオンは微妙な表情で舐めていた。美味しいのか判断出来なかったらしい。
そして、妖精猫風邪にはならなかったが、ヴァルブルガとラルスも、ちゃんと予防薬としてチョコミントアイスクリームを貰ったのだった。
妖精猫風邪の季節。ルッツの妖精猫風邪予防に失敗し、内心「のおー!」な感じの孝宏です。
そして特効薬でお菓子を製作。負けず嫌いです。
エンデュミオンはギルベルトの為に、ミントのお菓子を運びます。
でも、エンデュミオンはチョコミン党ではなかった様です。微妙……。




