リグハーヴスの靴屋さん
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
<オイゲンの靴屋>はリグハーヴスの老舗の靴屋さんです。
95リグハーヴスの靴屋さん
リグハーヴスの靴屋オイゲンは、採掘族の老人だ。眉毛も髭も白く、モジャモジャと長くて、誰が見ても老人だった。
オイゲンの靴屋は、お洒落な王都の流行を追った物は置いていない。一つ一つ足型を取り、木型から作るのだ。
様々な理由で左右の足の大きさが違っても、オイゲンは客の希望通りに見た目を揃えて靴を誂える事も出来た。
オイゲンはリグハーヴスの長老の一人に違いなかった。
コロロロン。
革で作られた鈴が、ドアの開閉に合わせて柔らかな音を奏でた。
「はい、いらっしゃい」
オイゲンは作業台に座ったまま、入って来た客に声を掛けた。それからゆっくり立ち上がる。
「お早うございます。親方オイゲン」
「お早う」
ドアの前に、前に一度ブーツを作った事のある森林族のリュディガーが、明るい青いマントを着た妖精猫を抱いて立っていた。黒いケットシーは、黒森之國の通常の大きさの倍はある。それでも人間の子供程度の大きさだが。ケットシーの緑色の瞳はオイゲンを写す程大きく、澄んでいた。
「いやはや驚いた、ケットシーの王様がおいでになるとはねえ」
「親方オイゲンは流石にご存じですか」
「儂位の年寄りは皆知っていたもんさ。〈黒き森〉を出て来たのなら、お役は終えたのだね」
「うん」
「そうかい。ご苦労だったねえ」
半月型の老眼鏡の奥で、オイゲンは暖かみのある茶色の瞳を和らげた。
「ギルベルトは俺に憑いてくれたんですが、靴が無くて」
ギルベルトは防寒に毛糸の靴下を履いていた。その肢を軽く触り、オイゲンが頷く。
「立派な肢だね。要るのは夏靴と冬靴だね」
「はい」
「どれ、採寸しようかね」
マットの上に椅子が置かれた場所にリュディガーとギルベルトを案内し、オイゲンは巻き尺とノートと鉛筆を用意する。
「リュディガーはソファーに座っておいで。顔色が冴えないよ」
採寸場所の横にあるソファーを指差す。
「有難うございます。これでも動き回れる様になって来たんですが」
「無理をしちゃいかんよ。風邪を引いたりせんようにな」
「はい」
〈黒き森〉に罠が仕掛けられていたと言う情報は、リグハーヴスには知れ渡っていた。その罠を解除していて、死に掛けたのがリュディガーだと言うのも、何故か知られていた。
冒険者には冒険者の誇りがある。リグハーヴスの冒険者ギルドでは、〈黒き森〉周辺に不審者が居ないか、報告の強化がギルド員に通達されたらしい。
「よしよし」
ギルベルトの肢をオイゲンは丁寧に採寸した。
「革の色はどれが良いかの?」
革見本でギルベルトに好きな色を選ばせ、デザイン帳から幾つか見せる。
「これ。歩きやすそうだから」
「そうさの。柔らかい革で作ろうな」
節くれだった手で、オイゲンはギルベルトの頭を撫でた。
「リュディガーも靴を見せてごらん」
ついでにオイゲンはリュディガーのブーツを点検し、踵を張り直して磨いた。
「良く手入れしてある様だの。感心感心」
「藪の中入ったりするもんで」
リュディガーは薬草採集を主にする冒険者で、地下迷宮には潜らない。但し、樹海である〈黒き森〉に入って薬草を取って来たりするので、危険なのは変わらない。
リュディガーのブーツは爪先や踵、足首など、部分的に硬い革を使って強化してあった。
「出来上がったら〈針と紡糸〉に連絡するよ。あそこに居るんだろう?」
「はい。その……俺、フラウ・マリアンと婚約したんです」
リュディガーは、左手薬指の木で出来た指輪をオイゲンに見せた。オイゲンは手を叩いた。
「そりゃあ、おめでたいねえ。フラウ・マリアンは良い娘だから大事におし」
「はい」
マリアンも職人のアデリナも、オイゲンの靴屋のお得意様だ。
「今日はこれから何処か行くのかい?」
「大工の誰かに細工用の端材を貰おうかと思っているんです。誰が良いですかね」
「そりゃあ家具大工のクルトが良いね。街の端の方になるから、気を付けてお行き」
「有難うございます、親方オイゲン」
「じゃあね」
リュディガーに抱かれたギルベルトが、前肢を振る。
コロロロン。
鈴が鳴り、ドアが閉まる。窓の外からも前肢を振るギルベルトに手を振り返し、オイゲンは足型を作るべく作業台の後ろに置いてある木箱から、木材を取り出すのだった。
昼になり、オイゲンは作業場の奥にある簡易台所でお茶を淹れた。
オイゲンの妻は五年前に亡くなり、今は独り暮らしだ。
まだリグハーヴスの街が小さかった頃、当時のリグハーヴス公爵に乞われて靴屋を開業した。
元々はハイエルンで開業していたのだが、そちらは息子夫婦に任せ、妻と共にリグハーヴスに移住したのだ。それからもう何十年も経っている。
息子夫婦や孫達はハイエルンに帰って来ないのかと言うが、オイゲンはリグハーヴスの空気も住人も気に入っていた。
昼食は朝食の時に作ったハムとチーズのサンドウィッチだ。ハムを切りすぎたので、サンドウィッチも多く作ってしまった。夜に食べても良いので構わないのだが。
サンドウィッチの皿に掛けていた布巾を取り、フライパンを熱鉱石の焜炉で温める。バターを少し垂らし、サンドウィッチをフライパンに載せた。
冬に冷たい物を食べたいと、オイゲンは思わない。サンドウィッチもこうして温めれば、黒パンは軟らかくなるし、チーズも溶けて美味しい。
店の中にパンの焼ける香ばしい香りが広がる。
コロロロン。
ドアの鈴が鳴った。
「こんにちは」
「こんちはー!」
元気な声に、思わずオイゲンは顔を綻ばせた。焜炉のレバーを戻し、フライパンに蓋をする。
「はい、いらっしゃい」
店に入って来たのは、軽量配達屋のテオと妖精猫のルッツだった。ルッツがとことことオイゲンの元にやって来て脚に抱き着く。
「オイゲンじいちゃん!」
「おう、ルッツ坊や」
オイゲンはルッツを抱き上げた。片腕に載せて頭を撫でる。人懐こいルッツは、オイゲンにも良く懐いてくれている。
「じいちゃん、もじゃもじゃー」
ルッツはオイゲンの髭がお気に入りで、いつも前肢で触っていく。
「今日はどうしたね?」
「ベルトの糸が解れて来ちゃって」
テオが腰のベルトを叩く。配達屋のテオは腰のベルトにポーチやナイフの鞘を通していたりするので、擦れてしまうらしく、時々修理に来るのだ。
「見せてごらん」
「はい」
テオが腰からポーチやナイフ、ベルトを取ろうとする最中、ぐうーとルッツのお腹が鳴った。
「ごめん、ルッツ。おうち帰ったらお昼ご飯だからね」
「あい」
「ルッツは腹が減ってるのかい。食べて行くかね?たいしたものは無いがの」
「あいっ」
結構空腹だったのか、ルッツが前肢を挙げる。再び、ぐうーとお腹も鳴る。
「……お邪魔します」
空腹のケットシーには勝てない。
テオはルッツを抱いたオイゲンと、簡易台所に入った。簡易台所には二人用のテーブルと椅子があった。椅子の片方はベンチだったので、オイゲンはそこにルッツを下ろした。
「今朝サンドウィッチを作り過ぎてしまっての」
フライパンの中で温まっていたサンドウィッチをフォークで取り出し、ルッツが食べやすい様にナイフで四つに切る。それを皿に載せテーブルに置く。フライパンには次のサンドウィッチを入れて熱鉱石を熱した。
小さな保冷庫の中から、牛乳の瓶を出す。
「ほれ、好きなだけお茶に入れると良い。カップは戸棚のを使っておくれ」
「はい」
硝子戸棚からカップを三つ取り、テオは一つにたっぷり牛乳を注いだ。ティーコージーを被っていたティーポットから紅茶を注ぎ入れ、ルッツ用のミルクティーの完成だ。蜂蜜の瓶もあったので、一匙入れる。
自分とオイゲンの分は、牛乳をカップの底に入れて紅茶を注ぐ。
「ティータオルはそこの引き出しにあるから、ルッツの前肢を拭いておやり」
「はい」
引き出しから小さなタオルを取り出し、タンクの水で濡らしてルッツの前肢を拭く。
「ほら、焼けたよ」
「有難うございます」
サンドウィッチの皿を受け取り、テオもベンチに座った。オイゲンは保冷庫の中から、林檎を取り出してから、向かいの椅子に座る。
「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」
「きょうのめぐみに」
食前の祈りを唱えてから、ルッツはサンドウィッチを両前肢で持って齧りついた。
「ちょっとからい」
「辛子菜を挟んだからの。ルッツには辛かったかい?」
「おいしーよ」
「溶けたチーズで辛味が抑えられていますから、ルッツでも平気ですよ。美味しいです」
テオも一口齧り、オイゲンに笑い掛ける。
「朝にハムを切り過ぎてなあ。夜もサンドウィッチになるところだったよ」
五年経っても、二人分ハムを切ってしまうのだ。
「きょうはね、はいたついったときね、うさぎがゆきのうえはねてったの。しろかったよ」
「良く見付けたのう」
「ぴょんぴょんしてたもん。あとね、めがあかかった」
テオが剥いていた兎林檎をルッツの皿に載せてやる。
「はい、兎林檎」
「うさぎー。ぴょんぴょん」
兎林檎を持って、ルッツが皿の上を跳ねさせる。
「親方オイゲンも」
「可愛いのう」
「ヒロが最初にこうやって剥いたんですよ。そうしたらルッツが気に入っちゃって」
「おいしー」
しゃりしゃりと音を立てて、ルッツが兎林檎を食べる。
「そうかい。良かったのう」
オイゲンは実の孫とは殆ど一緒に暮らしていない。だから、リグハーヴスの街の子供達が、自分の孫の様なものだ。
食事を終えた後、テオが食器を洗い、その間にオイゲンにベルトの補修をして貰う。ルッツはベンチの上でテオのコートにくるまりうとうとしていた。ルッツは昼食の後には昼寝をするのだ。
もう一度薬缶でお湯を沸かし、テオはお茶の支度をした。ベンチに置いていた雑嚢から砂糖菓子の入った小瓶を取り出す。
冬場の非常食にもなるので、グラノーラバーと砂糖菓子を、孝宏はテオに必ず持たせていた。
「テオ。出来たよ」
「有難うございます」
ベルトは針を二本使って縫い直され、しっかりと補修されていた。オイゲンは靴だけではなく、こういった小物の補修もしてくれる。代金を払い、テオはティーコージーを持ち上げた。
「勝手にお茶を淹れました」
「どれ、頂こうかね。誰かに淹れて貰うお茶は美味しいもんさ」
一度洗ったカップをお湯で温め、テオは紅茶を注いだ。
「それからこれ砂糖菓子なんですけど、召し上がって下さい。ヒロが作ったんですよ」
小瓶から、皿の上に幾つか転がす。五色程ある砂糖菓子は、花や笹、波の様な形の他、ケットシーや小鳥の形もあった。
「ほう」
一つ摘まみ、オイゲンは口に入れる。砂糖菓子は口の中で転がしている内に、ふわりと崩れて消える。
「こりゃ美味い」
「ルッツも好きなんですよ」
ベンチで眠りこける錆柄のケットシーを、テオは撫でた。
結局、テオは他に客も来なかった事もあり、ルッツが目を覚ますまで木型を彫るオイゲンの仕事を見ていた。
オイゲンの靴屋の閉店時間は、午後六時の鐘が女神教会から聞こえた時だ。
〈準備中〉の札に変えてドアに鍵を掛ける。一階の簡易台所の熱鉱石レバーをロックし、二階の居間に上る。寝室やバスルームは二階にあるのだ。
「さてと」
光鉱石のランプを点けて明るくした台所に立ち、オイゲンは夕食を何にするか考えた。スープは昨日の残りがあるし、パンもある。ハムとチーズもある。
黒森之國でも南部だと、冷たい物だけで夕食にするのが普通だ。だが北部に住む者にそれは耐えられない。必ず温かいおかずか汁物が付く。
ぽんっ。
「ん?」
居間の方から、発泡酒の栓が開く様な音がした。
「こんばんは、オイゲン」
とことこと足音を立てて台所にやって来たのは、小さな持ち手付きの籠を持った、鯖虎柄のケットシーだった。
「エンデュミオン。どうしたんだね」
「今日、テオとルッツがご馳走になっただろう?孝宏から夕飯のおかずにって。キッシュだ」
エンデュミオンから籠を受け取り、オイゲンが中を見ると、木皿にほうれん草とベーコンのキッシュが載っていた。ミニトマトをくり貫いた中に、ツナマヨが詰められたサラダ付きで。
「おやおや、ご馳走だね」
オイゲンはキッシュとツナマヨ入りミニトマトを磁器の皿に移し、木皿を洗って籠に戻した。エンデュミオンの頭を、分厚い掌で優しく撫でる。
「有難うと伝えておくれ。近い内に<Langue de chat>に行くからね」
「うん。ではな」
ぽんっと音を立てて、エンデュミオンが消える。
「ふむ」
思いがけずおかずが手に入ったオイゲンは、台所に戻ってスープを温めた。黒パンを切って白いチーズを載せる。それらをテーブルに運んだ後、再び台所に行って保冷庫の端に立ててあった緑色の瓶を取り出す。
「一杯だけやろうかの」
硝子のコップに注がれたのは金色の林檎酒。採掘族に能わずオイゲンも酒は好きだ。だが、歳も歳だし深酒は止めている。
一口含むと、発泡が舌を突く。辛めの林檎酒だが、甘い林檎の香りが鼻に抜ける。
(今日はリュディガーがギルベルトを連れて来てくれたし、テオとルッツと昼食を食べた上、エンデュミオンがおかずを持って来てくれるとは、ケットシー尽くしだのう)
くすくすとオイゲンは今日一日を思い出して笑ってしまう。
中々会えない筈のケットシーに、三人も会えるとは。だからリグハーヴスは離れ難いのだ。
一人だけの夕食を、オイゲンはいつものんびりと過ごす。
もう一杯だけとお代わりを注いで来た林檎酒をちびちびと飲みながら、<Langue de chat>で借りて来ている本の頁を捲る。
あのルリユールが出来てから、冬の夜長の楽しみが増えた。
コツコツ。
「おや」
カーテンを引かずにいた窓の向こうに、風の精霊が手紙を運んで来ていた。
「有難うな」
手紙を受け取り、オイゲンは昼間テオに貰った砂糖菓子を、風の精霊のお礼にあげた。風の精霊は大喜びで飛んで行った。
手紙はハイエルンからだった。
オイゲンはランプを引き寄せ、手紙の封を切った。
「ほうほう」
久し振りの息子や孫からの便りに、もじゃもじゃの眉毛の下の目を細める。暫くは毎日読み返すだろうが。家族からの手紙は何度読んでも良いものだ。
こうして、オイゲンの夜はゆっくりと過ぎていく。
リグハーヴスに昔から暮らす靴屋オイゲン。街人や冒険者たちの靴や革道具を作り続けて来ました。
妖精や精霊にも優しいオイゲン。街の人達にも慕われています。
次回はオイゲンの孫娘が登場です。




