リグハーヴスのケットシー達
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員に
お訪ね下さい。
ケットシー達、元王様ギルベルトに挨拶に行って来ます。
94リグハーヴスのケットシー達
薬草魔女ブリギッテは、薬草茶を届けて真っ直ぐに〈薬草と飴玉〉に帰って来た。
「ただいま」
「お帰り」
カウンターで店番をしていたケットシーのラルスが、ブリギッテを迎える。
ブリギッテはカウンターの端にある跳ね上げ板から中に入り、流し台で手を洗った。
客に薬草茶の試し飲みをして貰う為に、店側にも簡易台所があるのだ。流し台と熱鉱石の焜炉が付いている。
「あのねラルス、さっきそこの路地でケットシーに会ったのよ。私の腰位背があって、黒い毛並みなの。綺麗な緑色の目だったわ」
「何!?」
ラルスは手に持っていた、薬草茶を掬う木匙をカウンターに取り落とした。
「それは王様だ」
「王様なの?何でリグハーヴスの街に居たのかしら」
「何処に行くか言っていたか?」
「ヘア・リュディガーの所だって。自分から主になる人の所に行くケットシーも居るのかしら」
「居ない訳ではない。では、王様は次代に継承させたのだな」
王様である間は、〈黒き森〉から決して出ないのだ。
「挨拶に行かねばならないかなあ」
むう、とラルスが前肢を組む。右が青、左が金の瞳を瞬かせ、一つ頷く。
「一寸エンデュミオンの所に行って来る。店番を頼む」
「歩いていくの?」
「〈転移〉だ」
歩いていくと、ドアが重くて開けるのに苦労する。ラルスは〈転移〉で<Langue de chat>に跳んだ。
「あ」
「ん?ラルス」
エンデュミオンを目指して〈転移〉をしたら、居間に出てしまった。
「む。すまん。店に出るかと思ったのだが」
「いや構わん。急ぎか?」
「いらっしゃい。座って、ラルス」
台所に居た孝宏が焼き立てのスコーンとクリーム、ジャムを運んで来た。丁度孝宏とエンデュミオンが休憩する所だったらしい。
孝宏は台所に一度戻り、ミルクティーをカップに入れて戻って来た。
ラルスとエンデュミオンは、テーブル前のラグマットにぺたんと座った。
「はい、おしぼり」
「有難う」
差し出された濡れた布で、ラルスは前肢を拭いた。
「今日の恵みに」
まだ温かいスコーンを〈狼の口〉から割り、クリームと苺のジャムを載せ齧り付く。ほろほろと口の中でスコーンが崩れる。
「美味い」
「口に合って良かった」
「ところで何の用だったのだ?」
スコーンをミルクティーで飲み込み、エンデュミオンが幼馴染みに問う。
ラルスもごくりとスコーンを飲み込んだ。美味しいおやつに、目的を忘れる所だった。
「ブリギッテが王様を見たそうだ。リュディガーの元に来たんだ」
「ふうん?この間〈黒き森〉に行った時、そろそろだとは言っていたのだが。春まで待てなかったか」
「仕立屋に居るリュディガーに憑いたのだから、直ぐに服を作って貰えるだろうが、こちらから会いに行こうかと思って。リュディガーはまだ療養中だろう?」
「そうだな。しかし直ぐに会いに行くのも慌ただしいだろう。明後日位の方が良いのではないか?」
「むう。そうか。ではそうしよう」
〈薬草と飴玉〉に戻るにも、食べ掛けの美味しいスコーンを残してはいけない。ラルスはスコーンを一つ平らげ、ミルクティーを舐めた。霊峰蜂蜜が垂らしてあり、美味しいミルクティーだった。
「はい、ラルス。お土産」
そして帰りには紙袋に入った焼き立てスコーンを孝宏にお土産に持たされ、店に戻ったのだった。
二日後、ラルスは再び<Langue de chat>を訪れた。予想通り、リュディガーと王様ケットシーはまだどの店にも現れていなかった。
「ルッツとヴァルブルガは居るのか?」
「ああ。呼んでくる」
エンデュミオンが店へ二人を呼びに行く間に、孝宏は琺瑯容器からクッキーを紙袋に移していた。それを戻って来たエンデュミオンに渡す。
「はい、これお土産ね。ラルスも帰りにまた寄ってね」
「うむ」
「では行くか」
エンデュミオンは銀色の魔方陣を展開し、〈針と紡糸〉に〈転移〉した。
不意に、細工するリュディガーを見ていたギルベルトが、居間の入口に視線を向けた。
「来る」
「誰が?」
リュディガーが手を止め顔を上げるのと同時に、居間の中にエンデュミオン達が現れた。
「こんちはー!」
元気良くルッツが挨拶する。
「こんにちは。どうしたの?皆揃って。ギルベルトに会いに来たのかな?」
「王様の名前がギルベルトなら、そうだ。ラルスがブリギッテに聞いたと言うから来たのだ。これは土産だ」
エンデュミオンはリュディガーに、クッキーの袋を渡した。
「有難う」
リュディガーは細工物を片付け、皿に貰ったばかりのクッキーを載せて持って来た。
「今お茶を淹れるね。お喋りしていると良いよ」
台所に行き水を入れた薬缶を焜炉に掛けるリュディガーを目で追ってから、ギルベルトは小さなケットシー達に目を向けた。
「エンデュミオン!」
「ラルス!」
「ヴァルブルガ」
「ルッツ!」
次々と右前肢を上げ名乗る。
「ギルベルト!」
ギルベルトも着けて貰ったばかりの名前を名乗った。
「ギルベルトー」
ルッツはとことこと歩いて行って、ギルベルトに抱き着いた。
「ふふ。皆毛並みが良いな。大切にされて何よりだ」
「雪の中を来たと言うから、驚いたのだぞ」
「霜焼けになる前に辿り着いたよ、エンデュミオン」
まだ服が出来上がっていないギルベルトのふかふかの胸毛に、ルッツがくしゃみをする。
「へくちっ」
「おやおや、お大事に」
ギルベルトはルッツの頭を、大きな肉球で撫でてやった。
「これだけケットシーが集まるのは、〈黒き森〉以外では久し振りの気がするな」
「そうだな」
ケットシーの呪いを知っている者ならば、悲鳴を上げそうな光景でもある。
「ギルベルト、これは孝宏が作った焼き菓子だ。美味いぞ」
「香ばしい匂いがする」
ケットシー達はクッキーを一枚ずつ取り、「今日の恵みに」と唱えてから、かりりと齧る。
(何か可愛いな)
リュディガーが盆に人数分のカップを載せて居間に戻った時、ケットシー達は尻尾をピンと立ててふるふる震わせていた。
「まだ熱いかもしれないから気を付けて」
持ち手が二つ付いたカップをそれぞれの前に置いてやる。まだマリアン程ケットシーに絶妙な温度で、リュディガーはミルクティーを淹れられないのだ。でも、魔女グレーテルが滋養に良いからとくれた霊峰蜂蜜を入れてみたので、美味しいと思う。
ケットシー達が舌先でミルクティーの温度を確かめてから、ちゃむちゃむと舐め始める。
「おいしーよ」
素直なルッツが髭に滴を跳ねさせて、リュディガーに感想を言ってくれる。
「良かった」
リュディガーは布巾で、ルッツの髭から滴を吸い取ってやった。
くいくいとギルベルトがリュディガーの袖を引っ張る。
「リュディガー、これ美味しい」
「<Langue de chat>の焼き菓子だね。俺もこれはまだ食べた事無かったんだよね。……今日の恵みに」
皿から一枚取り、リュディガーもクッキーを齧る。肉桂と林檎のクッキーだった。皿の上のクッキーは、見た目でも何種類か区別出来た。
「うん、美味しい。へえ、色んな味があるんだね」
「店で出すのは日替わりなんだ」
つまり残った物を自宅用にしているらしい。孝宏はそれをおやつとして、エンデュミオンに持たせたのだろう。
「これを店で出しているのか?」
「そうだ。ラルスはまだ<Langue de chat>にお茶を飲みには来ていなかったか。帰りに孝宏がドロテーアとブリギッテへ土産をくれるぞ」
「何?それはかたじけない」
ラルスは齧りかけのジャムサンドクッキーを口に押し込む。
これは丸い型で抜いて焼いたクッキー生地に苺ジャムを載せ、真ん中を抜いた別の生地を重ねた物だ。中心に鮮やかなジャムの赤がみえ、可愛らしい。<Langue de chat>で出した時、エルゼやグレーテル、マーヤに喜ばれた。
「ギル、服が出来たわよ。あら、皆来てたのね。いらっしゃい」
店からマリアンが二階に上がって来た。仕事着としては、シャツにベスト、ズボンがマリアンの常態だ。女性が男装をしている様に見えなくもない。特に最近はより綺麗になったので。
「こっちに来て、着てみて頂戴」
「うん」
ギルベルトはラグマットから立ち上がり、マリアンの元に行った。下衣、シャツ、ズボンとマリアンの手を借りて着ていく。
「はい、これはベストよ」
葡萄の葉模様が織り込まれた緑色のベストを着せ、マリアンが木釦を留める。団栗の形の釦は、リュディガーが作り貯めて居た物だ。
「きつい所は無いかしら?」
四肢を動かし、ふるりとギルベルトが首を振る。
「ううん」
「良かったわ。マントはこれから作るわね」
「うん。有難う、マリアン」
マリアンに抱き付いてから、ギルベルトはとことことケットシー達の所に戻った。
「ギルベルト、素敵」
ふふ、とヴァルブルガが目を細める。
「ぼたん、かわいいー」
「リュディガーが作った釦だよ」
一斉にケットシー達がリュディガーを振り向いた。
「気になるなら見る?」
リュディガーは作った木工細工が入れてある木箱を部屋から持って来た。リュディガーの木工細工は全て掌に乗る程度の大きさだ。
木箱の中には〈黒き森〉に棲息する、妖精や動物の木彫りが並んでいる。その中から、小箱を取り出した。
「はい、どうぞ」
小箱の蓋を開けて、ラグマットの上にパラパラと団栗の形や、小花の形の釦を転がす。
「気に入ったのがあったら、一つずつあげるよ」
「輪ピンに付けて、ブローチにしてあげましょうか?」
「にゃう!?」
リュディガーとマリアンの申し出に、ケットシー達の瞳がキラキラと輝く。
それぞれが選んだ団栗や小花の釦を、マリアンは一体化した金具に針先が隠れる、鍛冶屋エッカルト作の、魔銀製の輪ピンに闘将蜘蛛の糸で留め付けた。
「はい、どうぞ」
ケットシー達の着ているベストにブローチを着けてやると、誰ともなく身体を揺らして歌い出した。
にゃにゃん、にゃにゃんと合唱するケットシー達の歌声に、店から〈休憩中〉の札をドアに下げた、アデリナも居間に上がって来た。
「どうしたんですか?って、いつの間に皆来たんです?」
「ブローチ作ってあげたのよ。喜んでるみたいなんだけど……駄目、可愛すぎるわあ」
「う……確かに可愛すぎます」
身体を揺らして歌うケットシー達に、マリアンとアデリナが悶える。
リュディガーも自分が作った釦で、これ程喜ばれると思わなかったので、照れ臭くも嬉しかった。
ケットシー達は一頻り歌ってから、それぞれの主にブローチを見せるのだと、エンデュミオンが転移陣を出して帰って行った。今日はギルベルトの顔を見に来ただけらしい。
「ケットシーが五人も居ると壮観ですね」
エンデュミオン達が綺麗に舐めていったカップを集めて、アデリナが流し台に運ぶ。
「そうね。私も初めて見たわ」
マリアンは新しく自分達のお茶を淹れ、思い出し笑いをする。お盆で居間にカップを運びテーブルに載せる。エンデュミオンがクッキーを持って来たらしく、皿にはまだ沢山残っていた。
ギルベルトが頭をぽしぽしと掻く。
「騒がしかったかな」
「良いのよ。楽しかったわ」
ケットシーの歌が聞けるなんて、中々無い機会だ。
「リュディガーの釦は人気だったね」
「だって良く出来てるし、丁寧に磨いてあるもの」
本物そっくりの細工をした後、胡桃の実を薄い布に包んで磨くのだ。胡桃の油で良い色になる。
「店に置いたら欲しがるお客さんがいるかもしれないわ」
「ブローチ、可愛らしかったです」
「そうかな?」
リュディガーは釦の入った小箱を覗く。
「うん。可愛い。ギルベルトも好き」
ギルベルトのベストにも、小花が三つ固まった釦のブローチが着いていた。前肢でブローチを撫で、ギルベルトが目を細める。
(悪くない、かな?)
「春まで動けないし、少し作ろうかな」
木の端材は大工の所に行けば手に入るし、ブローチの形にはマリアンとアデリナがしてくれる。
「ギルベルトも手伝える?」
「うん。出来たやつ、磨いて貰おうかな」
「ふふ」
嬉しそうに笑うギルベルトの前肢を、リュディガーはそっと握った。
暫くして、特に広告も出さなかったのにも関わらず、〈針と紡糸〉には木彫りのブローチを求める客が現れ始める。
升目に区切った箱に納められたブローチを選ぶ客によれば、<Langue de chat>と〈薬草と飴玉〉のケットシーがベストに着けていたのが気になったと言う。
エンデュミオン達は知ってか知らずか、広告となってくれていた。
ギルベルトは、たまにマリアンとカウンターに出て、大きなケットシーに慣れない客を驚かせた。
客が帰った後、「ふふっ」と楽しげに笑うギルベルトに、悪戯好きの面を垣間見るマリアンとアデリナだった。
エンデュミオンの幼馴染で親友のラルスです。
ギルベルトの存在をブリギッテに聞いたラルス、ケットシー達を誘って挨拶へ。
ケットシーは嬉しい事があると歌います。それを見た者は、ちょっぴり幸せになれるとか。




