女神教会のバザー
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
月の女神シルヴァーナ教会の冬のバザーです。手芸品は礼拝堂に、飲食店の屋台は教会前の広場にございます。売上は全額孤児院に寄付されます。
85女神教会のバザー
「じゃあこれは先に運んで行くぞ」
「うん、お願い」
<Langue de chat>の入口に寄せたリヤカーに、イシュカは菓子の詰め合わせ瓶が入った木箱を載せた。既にリヤカーには、ヴァルブルガが作った編みぐるみのケットシー達や、刺繍の入ったハンカチが入った籠も載せられている。イシュカの手帳も、箔押しする機具と数種類の活字が詰まった木箱と共に載せてある。
バザーがある日は陽の日、つまり安息日であり店は休みだ。女神教会の為の催しなので、安息日でも良いと言う事らしい。
料理の下拵えを終えたテオとルッツが既に教会に行っており、荷物を運んだイシュカは折り返し戻って来て、今度は豚汁の大鍋とアイスクリームの蓋付き琺瑯容器を運ぶのだ。
「よし」
孝宏は大鍋の蓋を閉め、紐で持ち手と結んで移動中に外れない様にした。
アイスクリームの容器の回りには氷の精霊が飛んでいる。和三盆の砂糖菓子をお礼にあげると言う約束で、エンデュミオンが今日一日雇ってくれたのだ。
アイスクリームを掬うスプーンも、鍛冶屋のエッカルトが作ってくれた。熱伝導が良い金属らしく、固いアイスクリームでもするりと掬える優れ物だ。
「ヴァルー、イシュカ戻って来たら行くよ」
二階に声を掛けて間も無く、赤いフード付きのケープを持ったヴァルブルガが階段を降りて来た。
「着ていようか」
孝宏はヴァルブルガにケープを着せてやった。赤いフード付きのケープを着たヴァルブルガは、とても可愛い。これはヴァルブルガの前の主、魔女アガーテが作ってくれた物だと言う。
エンデュミオンにも緑色のフード付きケープを着せる。ヴァルブルガによって、青い小鳥の刺繍が入れられていて、これまた可愛い。
孝宏も濃い灰色のコートを着込んでマフラーを首に巻く。直接毛糸が肌に触れると痒くなる孝宏は、マフラーは綿地の物を、仕立屋マリアンに作って貰った。端にフリンジが付いている紺青のマフラーだ。
ちりりん、りん。
イシュカが戻って来た。
「よし、鍋を運ぶぞ」
イシュカと二人がかりで大鍋をリヤカーに載せる。アイスクリームの容器を入れた木箱と、エンデュミオンとヴァルブルガも荷台に載せて、店のドアに鍵を掛ける。
「さあ、行こう」
リグハーヴスの街はいつものお祭よりは静かだったが、何処かさわさわとしていた。
街の店は閉まっていたが、皆は晴れ着を着て女神教会とその前の広場に三々五々集まって来始めていた。
広場には屋台が幾つも立っていて、やはり暖かい食べ物の屋台もあるのか、湯気が立っている物もある。
「カールとアロイスの屋台はあそこだな」
間隔が狭めに二つの屋台が並んでいる。今回は教会のバザーなので、市場広場の祭に比べれば教会広場は狭いし、屋台の数も少ない。
「おはようございます」
「おはようさん」
「おはよう」
アロイスは徒弟と腸詰肉を茹でていた。軽く茹でてから焼くと皮がパリッとするのだ。
カールは蝶番のある蓋付きの木箱に、白手袋を嵌めた手でパンを並べていた。
カールのパン屋はアロイスの肉屋の腸詰肉に付ける切れ込み入りのパンと、アイスクリームを挟む為のパンの二種類を今回は扱う。アイスクリーム用のパンはカミルと共同で作ったと言う。ロールパンに近い軟らかさと甘さだ。
イシュカと孝宏はアロイスの簡易焜炉に大鍋を、カールの屋台に作られた窪みにアイスクリームの容器を入れた。
「豚汁は煮立てない様に温めて下さい。底の方に具材が沈んでいますから。アイスクリームはこちらからバニラ、苺、抹茶、チョコレートです」
「色で区別が付くから良いな」
二人とも試食済みなので、味を客に聞かれても大丈夫だ。
飲食物を買った客は、広場の中に風と火の魔方陣で作られた、暖かい飲食スペースが用意されている。魔方陣を描いたのは召喚師のスヴェンとザシャだ。
屋台の周辺も魔方陣が描かれ、売り子が凍えない様になっている。今までは召喚師が居なかったので、今年からはかなり楽になるとエッカルトが言っていた。
「リヤカーはこの屋台の後ろに置いておくといい。そろそろバザーが始まるぞ」
「はい。宜しくお願いします」
リヤカーを屋台の後ろに置かせて貰い、イシュカと孝宏はそれぞれヴァルブルガとエンデュミオンを抱き上げて、教会の中に入った。
教会の礼拝堂の中は、いつも並べられている木製の長椅子が、端に積まれて寄せられていて、代わりにテーブルが並んでいる。テーブルの後ろには売り子用の椅子が置いてあった。
<Langue de chat>の場所は、中央通路の祭壇寄りにあった。テオの蜜蝋色の髪がぴょこんと目立っている。
「お待たせ、テオ」
「一応並べてみたけど」
テーブルに深緑色のクロスを敷き、編みぐるみのケットシーが座っている。ヴァルブルガは五体編んだが、全部は載らないので、一体ずつ座らせる様だ。後ろの椅子に残りの編みぐるみが、ルッツと一緒に座っている。
ヴァルブルガは普通の毛糸で今回は編んでいる。値段を半銀貨三枚にする為だ。全部が象牙色のケットシーにしているが、首のリボンの色だけが違う。ケットシーの手前には、籠に綺麗に並べられた刺繍入りのハンカチが置いてある。
テーブルの真ん中にはイシュカの手帳。これは半銀貨一枚の物だ。サービスで文字を入れるのは店と同じだ。
そして孝宏のお菓子の詰め合わせ瓶。詰め易い様に市松や渦巻き模様のアイスボックスクッキーが基本で、五色の和三盆の打ち菓子と、ダッグワースも入っている。つまり、それなりに瓶は大きい。普通は果実酒やピクルス、腸詰肉の油漬けを漬けたりするサイズらしかった。子供なら、一抱えといった所だ。
(再利用出来るから良いよね)
中身を食べ終わったら、別の物を入れるだろう。このサイズなので、一人一つ、一家族一つなのだ。値段は半銀貨二枚だ。
中に何があるのか、外側から見える様に詰めているが、見えない中心部にはケットシーの形のアイスボックスクッキーを数枚隠してある。
「内緒だよ」と、ニヤニヤしながら詰めていた孝宏を、イシュカとエンデュミオンは苦笑して見ていたものだ。
お菓子の瓶詰めは頑張って二十個作ったのだが、普段菓子を家庭で作る黒森之國の人々にとって、決して安くはない金額だ。
今回屋台に料理を置かせて貰うので、アロイスとカールの家には、既にお菓子の瓶詰めを贈っている。彼らは「売れる!」と言うのだが、売れなければ、孤児院の子供達のおやつにして貰えば良い。
チリーンチリーンと手持ちのベルの音が礼拝堂に響いた。礼拝堂の端に居る、ベルを持った司祭ベネディクトが鳴らしていた。
バザーの始まりだ。
教会広場で待っていた客が、少しずつバザー会場へと入って来る。
毎年出しているらしい食料品店の瓶詰めが、中々の人気らしい。リグハーヴスでは冬には生らない、果物のジャムを売っているのだ。
孝宏も気になる。
他にも、新品の衣料品を売っている店も人気だ。消耗品であるシャツや靴下などは、こう言うバザーで手に入れたりする様だ。見た事がない店員なので左区の店なのだろう。
バザーは左右区の合同で行われるので、普段行かない左区の店が目新しい。
少しずつ客が奥に進んで来る。
「あ、ここに居たんですね」
「リヒト、きた」
「ナハトもきた」
スヴェンとザシャが妖精を連れて来ていた。
「随分奥なのね」
ザシャの水魚ラーレがひらひらと長い鰭を揺らめかす。
「おかしのびんづめ」
「ふたつくださいな」
「二つ?」
値札には一家族一つと書いてある。スヴェンが頭を掻いた。
「うちの分と、マルコ達の分です。今〈紅蓮の蝶〉は地下迷宮に行っていて買えないから、代わりに頼まれてまして。年末までには帰って来るんですけど」
マルコ、モーリッツ、パスカルに「買って来て!」と懇願されたらしい。
「そう言う事でしたら良いですよ」
持参していた布袋に瓶を入れてやる。ザシャもお菓子の瓶詰めをイシュカに袋に入れて貰いながら、ケットシーの編みぐるみに目を丸くする。
「これ、凄いですね。リヒトとナハトはこう言うの欲しくないの?」
「ちょっとおおきい」
「ほねのほしい」
「骨?」
妖精でも外見は仔犬である。コーギーそっくりなリヒトとナハトは声を揃えて「ほね!」と言った。
「ヴァル、どうなの?」
「……骨、作ってあげるの」
イシュカの問いにヴァルブルガは「ふふ」と笑った。
「近い内にヴァルが作ると思います」
「有難うございます」
「ありがとー」
「ありがとー」
尻尾をスリングの中でぶんぶん振っているのが解る。
「ラーレにも作るね」
「骨じゃないわよね?」
「違うの」
流石に水魚に骨の編みぐるみは無い。
「外の屋台にヘア・アロイスとヘア・カールが居るぞ。孝宏の豚汁とアイスクリームがある。熱い汁物と冷たい菓子だ」
「わあ、楽しみです」
「ごはんー」
「ごはんー」
エンデュミオンのお薦めに、双頭妖精犬の空腹スイッチが入ってしまった。何か口に入れるまで賑やかになるので、「また店に寄ります」と言って、スヴェン達は教会の外に出て行った。
早い内は店を出すと知っている常連客達が、菓子の瓶詰め狙いで<Langue de chat>の売り場に来ていた。
魔法使いクロエから聞いていたのか、大魔法使いフィリーネまで来たのだ。クロエとフィリーネは、手帳と編みぐるみも買っていった。外見が少女の二人には、全くの違和感がないケットシーの編みぐるみだった。
ケットシーの編みぐるみはエッダも店で見て欲しがったが、ヴァルブルガが後日眠り羊の毛で編む約束になっている。いざと言う時、防具にも鈍器にもなる眠り羊の毛で作る事をエンデュミオンが譲らなかったのだ。
ケットシーの編みぐるみは、子供の誕生日プレゼントや新年のプレゼントとして、買われて行った。
そうなると場所が空いたので、ハンカチの刺繍がよく見える様に机に並べていく。ワンポイントの刺繍なのだが、様々な花があるのだ。鳥も黒森之國に棲息するものを刺してあり、こちらは男性用にも良い。
目付きの鋭い絶叫鶏や、身体に草花が生えた土ゴーレムの刺繍もたまにあり、ヴァルブルガがどこに客層を狙ったのか解らない物もある。
「わぁ、何これ」
通り掛かった冒険者風の青年が、立ち止まる。
「おーい、こっち来いよ」
他のテーブルを冷やかしていた仲間を呼び寄せる。五人のパーティらしい青年達は、机に並ぶハンカチを見るなり笑い出した。
「これ良いな。狂暴牛」
「俺、土ゴーレム」
「絶叫鶏かな」
「あ、魔銀象がある」
「火炎獅子だ」
並んでいるハンカチの中から魔物の刺繍を選び取り、青年達は大喜びで買っていった。
どうやらヴァルブルガの狙いは冒険者だった模様だ。
賑やかな青年達が場所を移って行った後には、余り見た事が無い主婦達が来て、ハンカチを買っていった。きっと左区の住人だろう。
「<Langue de chat>はここだろうか」
「はい、そうです」
主婦の皆さんを見送った後、目の前に旅装の男が立った。
「菓子の瓶詰めがあると聞いたのだが、まだあるだろうか」
「はい、こちらに。半銀貨二枚で、お一人様お一つとさせて頂いています」
男は明らかにホッとした顔になった。
「では、一つ貰おう」
「有難うございます」
孝宏は半銀貨を受け取り、イシュカが瓶詰めを男に渡す。
男が去って行く背中を見て、椅子に座っていたエンデュミオンが鼻を鳴らす。
「あれは他領の準貴族だろう。わざわざここまで来た様だな」
これ以降も数人、旅装でいてそれなりの位階がありそうな者が、お菓子の瓶詰めを買いに来ていた。
イシュカの手帳も、右区にルリユールが出来たと知らなかった左区の住人に売れた。何故菓子も一緒に売っているのか、何処で仕入れたのか聞かれたので、自分で作ったと言えば驚かれた。その上、後ろの椅子にケットシーが三人座っているのを見て、更に驚いていた。
右区で用事が済んでいるので、<Langue de chat>の面々は殆ど左区には行かない。左区の住人もそれは同じなのだろう。
「あれは〈麦と花〉の店主だよ」
後でそっとテオが孝宏に教えてくれた。左区のパン屋だ。
最後に残っていたお菓子の瓶詰めとハンカチは、隣の机で籠を売っていた職人が買ってくれた。孝宏はお返しに丁度欲しかった、蓋付きのバスケットを買った。
「ベネディクト司祭に寄付金渡して、ご飯食べに行こうか」
「ごはん?」
ルッツの琥珀色の眼が輝く。
机の上に敷いていたクロスを畳んで、買ったばかりのバスケットに入れる。空になった木箱はテオが重ねて持った。
ルッツはテオの後頭部にしがみつき、孝宏とイシュカはエンデュミオンとヴァルブルガを抱いて、近くの売り子達に挨拶をしてから、バザーに来た信者達と話しているベネディクトの元へと向かった。
「司祭様」
「おや、もう売れてしまったのですか?」
「はい。こちら寄付金です」
「有難うございます」
ベネディクトは押し頂く様にして、半銀貨が入った布袋を受け取った。集金用布袋はあらかじめ渡されていた物だ。その袋を、隣の机に居た冒険者ギルドの職員ハーゲンに渡す。
ハーゲンは魔方陣の描かれた台に布袋載せた。布袋は魔方陣が銀色に光ると同時に消え失せる。冒険者ギルドの教会金庫へと移動したのだ。
教会は金庫を冒険者ギルドに借りている。バザーなどの大きな金が出る時は、冒険者ギルド職員に出張して貰い、こうしてすぐに金庫に送るのだ。
礼拝堂の外は中々の賑わいだった。スヴェンとザシャの魔方陣のおかげで、寒さが和らいだ場所で休憩出来るからだろう。
アロイスとカールの屋台は大繁盛だった。子供達が並んでアイスクリームを買っている。大人は腸詰肉を挟んだパンと共に、豚汁を買っていた。
「アイスクリームは、もうすぐ無くなりそうだよ」
「本当に?」
「珍しくて甘いものだからね。子供達に人気だよ」
「良かった」
木箱とバスケットをリヤカーに載せ、お昼ご飯にとアロイスの腸詰肉を挟んだパンを貰い、ハーブ塩の掛かった揚げ芋とシナモンの香りのするミルクティーを買って、孝宏達は空いていたテーブルを見付けて座った。
テーブル回りの椅子は、使用する人達によってあちこち移動するので、三つの椅子をケットシーを膝に載せて使う。
「まだ熱いな。どれ、少し冷ますか」
エンデュミオンはケットシー三人の腸詰肉とミルクティーを風の精霊に頼んで、食べ頃にして貰う。腸詰肉を舌先で舐めて、温度を確認してから歯を立てる。ぱきりと皮が弾け、肉汁が溢れる。
「うむ」
エンデュミオンは満足気な声を上げた。
「美味しいね」
基本的に食べ物に文句を言わないエンデュミオンだが、美味しい物の時はやはり反応が違う。孝宏達はゆっくりとお昼ご飯を堪能した。
食事を終えてからは、皆で他の店を見て回った。
大工のクルトは木製の飯事セットを出していた。小振りの庖丁と生板、野菜や肉などの切れる玩具が木製の鍋に入っている。木の種類により異なる色合いを上手く使って作られている。丸みを帯びた細工で、子供にも安全だ。
孝宏達が見ている間にも、子供や孫のプレゼントに買い求めていく客がいた。
「面白がって買っていくよ」と、クルトに礼を言われた。
こうして、リグハーヴスの女神教会冬のバザーは盛況の内に終わった。
アロイスとカールの屋台で売られていた、珍しい汁物と冷たい菓子は街中の噂になり、<Langue de chat>がバザーに参加し、お菓子の瓶詰めを売っていたと後から知った者達が涙を飲んだのだった。
その事を知った孝宏は、暫くの間<Langue de chat>のサービス菓子を、瓶詰めの中に入れたレシピで回した。
ケットシーのアイスボックスクッキーが登場した日は、知り合い同士で連絡が飛び交ったのか、領主夫妻を含めて沢山の客が訪れたのだった。
冬にあるバザーのお話。
クッキーの大ビンは孝宏がせっせと作り、手芸品はヴァルブルガがせっせと作っていました。




