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クランプスの夜

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

黒森之國風、クランプスの夜です。


84クランプスの夜(クランプスナハト)


 十二の月の最初の土の日は〈クランプスの夜(クランプスナハト)〉だ。

 最初に孝宏たかひろが説明を聞いた時は、黒森之國くろもりのくに版なまはげか大人版ハロウィンかと思ったものである。

 〈クランプス〉とは悪魔トイフェルなのだそうだ。悪魔に扮した大人が、悪い子は居ないかと探し回り、訪れた家で酒を飲んで行く、と言う行事らしい。

 十二の月が近付くと、男達はクランプスの面を用意し始めると言う。

 どんな面かイシュカが紙に描いてくれたが、ベネツィアのマスカレードの医者の面の様だった。人それぞれに違うらしいが、一寸ちょっと怖い顔なのは変わらない。

 去年は参加しなかった<Langueラング de chatシャ>だが、今年もクランプスとしては参加しない。何故なら、皆酒に強くないからだ。この行事は酒が強くなければ無理だ。

 そんな訳で、参加する男達の休憩所として使って貰う事にした。酔い潰れた人の保護場所とも言える。

 まだ雪は降っていないが、夜は冷え込む。酔い潰れたまま路地で寝たら凍死する。故に、酔い潰れた者は翌朝まで、各所に設けられた休憩所で保護されるのである。

『このくににも、こんな祭があるとはなあ』

 酒呑みは兎に角、呑む行事を作り出すものなのか。しかもこんな冬になってから。

 一階の居間に毛布を何枚か置いておく。毎年家まで帰れない者が出るらしいので、その準備だ。

『スポーツドリンクも要るよね』

 一度沸かした水に砂糖と塩、レモン汁を投入し作製、ピッチャーで保冷庫にて冷やしておく。

 後は夜食だ。ドクターストップならぬウィッチストップを掛ける為、魔女グレーテルが<Langue de chat>に来てくれるのだ。勿論、養い子の魔物マーヤも一緒だ。

 鼻歌を歌いつつ、サンドウィッチと南瓜のポタージュを作る。ポタージュは夕飯にもなるので量は多目だ。

 今日は、琺瑯の蓋付き容器に入ったクッキーは食べ放題だ。店の残り物も入れてあるので、種類は様々だ。グレーテルとマーヤは特にこれを楽しみにしているらしい。

(お土産にもあげよう)

 いっぺんに食べ過ぎてお腹を壊しても困る。

 マーヤの好きな、レッドベルベットカップケーキも作ってある。

「ランプを提げて来たぞ」

「うん」

 居間に入って来たイシュカに頷く。休憩所には緑色のランプを提げておくのだ。

 テオとケットシー達、お昼から来ているマーヤは二階に居る。今日はグレーテルが午後から往診に行っているからだ。行事が始まる前には戻って来ると言っていた。

『夕御飯は鶏肉と林檎アプフェルのグリルかなー』

 鶏と林檎の他にも馬鈴薯や人参、玉葱も大きめに切り一緒にオーブンで焼く。今日は夕飯の人数も増えるので、四角い琺瑯の深皿二つにたっぷりと作る。エンデュミオンの好物なので、残っても問題ない。明日も喜んで食べてくれるからだ。

 林檎の甘い香りが二階まで上がって行ったのか、エンデュミオンが下りて来た。

「美味しい匂いがする」

「今日はエンディの好きな鶏肉と林檎のグリルだよ」

「そうか」

 灰色と黒の縞柄尻尾がピンと立っている。嬉しさを隠せないのがケットシーなのだ。尻尾は正直なのだ。

「ルッツ達は?」

「ルッツとマーヤは飯事ままごとをしている。ヴァルブルガは編み物だ」

 ルッツとマーヤはまだ子供なので、テオは子守りだ。

 ヴァルブルガが編んだ果物などの編みぐるみがあるので、一寸ちょっとした飯事ままごとが出来るのだ。先日孝宏は、大工のクルトに木で鍋や庖丁、生板まないたなどの調理器具を作って貰った。

 ルッツと同じ年頃の、マーヤやリヒトとナハトが来た時に遊ぶのではないかと思ったからだ。狙い通りに遊んでいるらしい。

 ちなみに、黒森之國に飯事ままごとセットは無かったらしく、クルトは衝撃を受けていた。

「作って売ってみて良いか」と聞かれたので、「どうぞ」とお子さまキッチンや、木の庖丁で切れる野菜や魚の玩具についても教えて来た。

 黒森之國でも誕生日や新年に子供達に新しい服や玩具を与えたりするらしいので、面白いかと思ったのだ。

 クルトなら木の風合いを生かした、子供でも安全な物を作ってくれるだろう。

「お邪魔するよ」

「お帰りなさい、ドクトリンデ・グレーテル」

「陽が落ちると冷えて来るね」

 グレーテルは被っていたフードを後ろに下ろし、襟元を結んでいたリボンをほどく。肩から下ろした緑色を帯びた黒いマントを、孝宏が用意しておいた籠の中に、診療鞄と共に入れる。

 バスルームで手を洗って来てから、グレーテルはソファーに腰を下ろした。

「今時期は平原族に風邪が流行るからね。ヒロ達も注意おしよ」

「はい」

「グレーテルー」

 とたんとたんとマーヤが階段を下りて来た。居間に入って来てグレーテルに抱き着く。

「お帰りなさいです」

「はい、ただいま。遊んでいた玩具はきちんと片付けて来たのかい?マーヤ」

「はいです。そろそろご飯だからってルッツと片付けたです」

「良い子だね」

 頭を撫でて貰い、マーヤが「えへへ」と笑う。

「ごはんー」

「ほい、到着」

 テオがルッツを肩車し、ヴァルブルガを抱いて下りて来た。

 今日は人数が多いので、居間のテーブルで食べる。

 薄く切って軽く炙った黒パンシュヴァルツブロエートゥと、鶏肉と林檎のグリルと南瓜のポタージュで夕飯にする。

 地下迷宮ダンジョンの一階に居る絶叫鶏は、新米冒険者がレベル上げするのに丁度良い魔物だ。そのため、地下迷宮に一番近いリグハーヴスの街では、絶叫鶏の肉が普通に肉屋に並ぶ。今日の鶏肉も絶叫鶏だ。

「ヒロの料理は相変わらず美味しいねえ」

「美味しいですう」

 グレーテルとマーヤにも好評で良かった。エンデュミオンも鶏肉と林檎の汁が染みたホクホクの馬鈴薯を、目を細めて食べている。

 デザートはエンデュミオンに氷の精霊(アイス)魔法で冷やして貰って作ったバニラアイスクリームだ。手作りなので少しシャリシャリするが、これはこれで美味しいと思う。

「これは何だ?孝宏」

「アイスクリームだよ。牛乳とクリームと砂糖と卵とバニラを混ぜて冷やし固めたやつ。時々混ぜながら固めると良いんだ」

「果汁を凍らせたものは、夏に食堂で作られていたりするがねえ」

 イシュカとグレーテルが感心した様に唸る。

 ケットシー達とマーヤは無言でアイスクリームを食べていた。ケットシーの尻尾がピンと立っているので、気に入ったのは間違いない。

 夏に作ってあげれば良かったと思うのだが、冬の暖かい部屋で食べるアイスクリームも美味しいのだ。

「美味しかったよ、ヒロ。さて、もう少ししたら店の方に行かせて貰おうかね」

 クランプスに扮した酔っぱらい共が来るのはまだ先だろうが、イシュカ達は店側でお茶を飲み待つ事にしていた。


 〈クランプスの夜〉は夕食の時間が済む夜7時頃から始まる。五、六人ずつの組を作り、街を回るのだ。

 休憩所は一休みしたり、バスルームを借りたり出来る。ちなみに休憩所では酒は出さない。

 孝宏は作っておいたスポーツドリンクや、アイスティーを出し、クランプス共に提供した。

 夜九時を過ぎると、潰れる者が現れる。

 その頃にはルッツとマーヤはベッド行きだ。人見知りのヴァルブルガも、居間で編み物をしている。

 ちりりりん。

「休んでいって良いか?」

 入って来たのは鍛冶屋のエッカルトだった。まだまだピンピンしている。採掘族は酒豪が多いのだ。他にはパン屋のカール、肉屋のアロイスなども居る。

「はいどうぞ。あれ?ヘア・クルト?」

 クルトはエッカルトに背負われていた。

「クルトは余り強くないんだ」

 からからと笑って、エッカルトは閲覧スペースのソファーにクルトを下ろした。

「ヘア・クルト、水飲めますか?」

「……うん」

「やれやれ」

 エンデュミオンがクルトの手首を両前肢で掴み、〈解毒〉をしてやる。完全に酔いは取れないが、肝臓への負担は減る。

「……」

 クルトはくしゃくしゃとエンデュミオンの頭を撫でた。前肢を握り、黒い肉球をぷにぷにと押す。

「……孝宏」

 スポーツドリンクを持って来た孝宏に、エンデュミオンは救いの眼差しを向ける。

「あぁ……」

 クルトはかなり酔っ払っているらしい。

「ヘア・クルト、どうぞ」

「うん」

 コップを渡し、クルトからエンデュミオンを救出する。

「クルトはこのままここで泊まりだよ」

 グレーテルから、ウィッチストップが掛かる。

 コップの中身を飲み干したクルトは、そのまま居眠りを始めた。

 イシュカとテオがソファーに寝かせて、クルトに毛布を掛ける。

 大工と鍛冶屋の住まいは街の端の方にある。何処で待ち合わせたのか知らないが、ここまで来る間に、結構呑んでいる筈だ。

「皆さんは大丈夫なんですか?」

「俺もそろそろ限界かな」

 アイスティーを呑んでいたカールも、赤い顔で手を振った。

「儂らは平気だがなあ」

「そうだなあ」

 アロイスとエッカルトはまだ呑めるらしい。採掘族恐るべし。

「夜食がありますが、召し上がりますか?」

「歩き回ったからな。少し貰おうか」

 孝宏は採掘族チームにサンドウィッチとスープカップに注いだ南瓜のポタージュを出してやった。酔いの強いカールにはアイスクリームを出してやる。

「うん、美味い」

 サンドウィッチとポタージュに舌鼓を打つ採掘族の二人に対して、カールはアイスクリームを一口食べて固まっていた。

「溶けるぞ?」

「あ、ああ」

 エンデュミオンに促され、カールは匙を動かした。

「ヒロ、これはどうやって作るんだ?」

「アイスクリームですか?冷やさなきゃいけないんで、氷を使うか精霊ジンニーに手伝って貰わないといけないんですけど。温度の低い冷鉱石か」

 学院に行かずに覚えた生活魔法では、氷の精霊(アイス)を呼ぶのは難しいのだが、水の精霊と親和性が高い者でも氷は作れる。

 孝宏はカールに作り方を教えた。黒森之國の日常にある材料で作れるからだ。砂糖の代わりに蜂蜜やジャムを入れても良い。

「栄養価が高いので、風邪を引いて食欲が無い時に食べさせても良いんですよ」

「ほう」

 グレーテルの目が興味深げに孝宏を見る。

「今度のバザーに出しても面白いかもしれんぞ」

「あれ?食べ物の出店みたいなのもあるんですか?」

「ああ。教会キァヒェの礼拝堂では手芸などを売るが、熱鉱石や冷鉱石を使う物は外でやるのだ」

「へえー。アイスクリームも外なんだ。豚汁ぶたじるなんかも売れそうだなあ」

 寒いのだから、暖かい食べ物もあって良い。

「ヒロ達は手芸を出すんだろう?食べ物も出すんなら、作った物をうちの屋台で出すかい?」

 夜食を食べ終わったアロイスが、アイスティーのコップを持って言った。カールも頷く。

「そうだな、鍋を預けて貰えれば良いか。売り上げは寄付するんだし」

 売り上げを分ける必要はないので、ややこしい事がないのだ。

「うちにそんなに鍋無いんですよ」

「教会に炊き出し用のがあるから、借りると良いさ」

 ベネディクト司祭ぼうやなら貸してくれるさ、とグレーテルが笑う。

(それって大鍋なんじゃあ……)

「イシュカ、テオ、どうしよう」

「手芸品の搬入なら、俺がやれば良いと思うが」

「野菜の皮剥きなんかの下拵えなら手伝えるから、やってみると良いんじゃないかな」

「そう?エンディも良い?」

「ふうん?エンデュミオンは精霊を喚ぶ位しか出来ないが?」

 孝宏の足元で、エンデュミオンがきらりと黄緑色の目を光らせる。孝宏はエンデュミオンを抱き上げた。

「店番も出来るだろ」

「ふふん」

 すりすりと孝宏の頬に頭を擦り付ける。

「そうだ。それならヘア・カールにパンを焼いて貰いたいです。少し甘めのやつを」

「甘めのパン?」

「汁物の方にも器使うから、アイスクリームも器ってなると大変でしょう?だから、パンに挟もうかと」

「……なるほど」

 空になった器に視線を落とし、カールの顔が引き締まる。

「アイスクリームの種類を、幾つか作りたいですしね」

「そうなると屋台も少し改造がいるか。その辺りはクルトにやって貰うとして……」

 ソファーで寝ている大工にチラリと視線を移す。

「ふふ。今年のバザーは中々楽しそうだな」

 代々のバザーを見て来たであろうグレーテルの呟きを後ろで聞きつつ、時折休憩に訪れるクランプス達の介抱をしつつ、孝宏はカール達と打ち合わせをしたのだった。

 そのままカール達は<Langue de chat>に泊まり、翌朝朝食を食べて帰って行った。


 ちなみに、寝落ちしていたクルトは、二日酔いにはならなかったが、エンデュミオンの頭を撫で、肉球をぷにぷにした事を全く覚えていなかった。

 かなり残念がっていたクルトに、「あい」と前肢を差し出したのはルッツで。

 後日<Langue de chat>に、無垢材で作られたお子さまキッチンと、良い香りの爪研ぎ板がクルトから届けられたのだった。




お酒に弱いクルト、エンデュミオンの肉球ぷにぷにしたのを覚えていませんでした。

ルッツはおままごとが大好きです。お鍋や包丁も全て木で作って貰いました。


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