フィッツェンドルフからの訪問者(後)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
クラインシュミット商会の庶子の決断と決別です。
81フィッツェンドルフからの訪問者(後)
馬車は車輪の音を立てて丘を登り、領主邸の門前へと到着した。
車輪が止まるなり、馬車のドアがサッと開き、従僕の黒いお仕着せを来た壮年の男が降り、次に中から白髪の老人が降りて来た。
従僕の男が馬車のドアを閉め、老人の半歩後に続いて領主邸の門へと向かう。
「お待ちを」
二人の前に両端に金属を打ち付けた棒が交差する。あらかじめ申し込まれていない来客は、門衛で必ず誰何する決まりだ。
「どちら様でしょう」
「こちらはフィッツェンドルフはクラインシュミット商会の会長ツェーザル様でございます。こちらを公爵様に」
従僕の男が白い封筒を門衛の騎士に渡す。騎士は封筒を風の精霊に持たせ屋敷に飛ばした。風の精霊がドアノッカーを叩き、ドアが開く。
精霊が封筒を持って邸の中に入ってから十分程経過してから、執事のクラウスが現れた。
門まで姿勢良く歩いて来て、クラインシュミット商会の二人に目を向ける。
「公爵がお会いになられます。どうぞこちらへ」
そのままくるりと背を向け、先に立って歩き始める。クラウスの後に二人は付いて邸に入った。騎士色の強いロビーを抜け、応接室に通される。
「こちらでお待ちを」と告げられてから、慣例の様に待たされた後、クラウスと共に銀髪に紫色の瞳をしたアルフォンス・リグハーヴス公爵が応接室に入って来た。
上座の一人掛けのソファーに座り、立ち上がったツェーザルとその後方に立つ従僕に、視線を走らせる。
「掛けられよ。私に話とは何だ?」
ツェーザルはソファーに腰を下ろし、口火を切った。
「儂はフィッツェンドルフでクラインシュミット商会を営むツェーザルと申します。実は先日事故があり、孫息子が大怪我を致しました」
「それはお見舞申し上げる」
クラインシュミット商会の事故も、過重積載常習者だったと言う悪評も、商業ギルドから情報を得ていたが、アルフォンスは素知らぬ態度で通した。
いつ配達業者に事故が起きてもおかしくない状況で、無理を通して来たクラインシュミット商会の孫息子に不幸が巡って来たのだ。信心深い者なら、クラインシュミット商会に罰が当たったと言うだろう。
「有難う存じます。孫息子は怪我の場所が悪く、下半身不随となりました。これではクラインシュミット商会の先々を任せるには不相応と言うもの」
「ほう」
ツェーザルは孫息子を切り捨てる気らしい。それよりも余程やるべき事があるだろうに。
「しかし、そなたの所は孫は一人と聞き及んでいるが?」
「実はもう一人孫が居るのです。息子が使用人に産ませた子供です。会ってみて使える様であれば、クラインシュミット商会で引き取ろうと考えております」
「そう申すのであれば、その母子に援助はしていたのであろうな」
「勿論、店から出す折りに、その娘には金貨二十枚を渡しましたとも」
「それだけか?」
アルフォンスは呆れてしまった。妊娠した使用人の娘に、たったそれだけしか渡さず追い出すとは。子供を一人育て上げ、教育を受けさせるのには全然足りない。
ツェーザルは所謂息子の庶子がどうなろうとも、どうでも良かったのだろう。
そして、その後授かった孫息子に不満が出た途端、庶子の存在を思い出したのに違いない。
(反吐が出るな)
とてつもなく、胸糞の悪い話であり、老人だった。
「それで、私の元を訪れた理由はなんだ?」
「どうやら、こちらで孫がお世話になって居る様だと判明致しまして。連れて帰る前に公爵様にご挨拶をと」
アルフォンスは呆れてしまった。この老人は何を考えているのだろう。
「待て。その孫は幾つなのだ。成人していれば、その者の意思が優先だ。そもそも私の使用人なのだから、勝手に連れて行かれては困る」
ツェーザルはアルフォンスが何を言っているのか理解出来ないのか、怪訝な顔をした。
「既に成人はしておりますが?しかしクラインシュミット商会を継げるかもしれないと言う好機を逃す者など居りますまい」
「物の価値観は、そなたが決めるべきではない。個々により異なるものだ。面会は許すが、断られたなら諦めろ」
「その様な事は無いと存じますが、承知致しました」
言質を取ってから、アルフォンスは孫の名前を聞いた。
ツェーザルがちらりと、従僕を見た。孫の名前を覚えていないのだろう。
「ヘア・ディルクと申します」
アルフォンスは執事のクラウスが、メイドにディルクを呼びに行かせる気配を背後に覚えつつ、内心盛大な溜め息を吐いた。
「リーンハルト、この単語読めない」
「どれ?」
騎士ディルクと騎士リーンハルトは、休日だったので、<Langue de chat>で借りた本を部屋で読んでいた。
ディルクは難しい単語が出てくる〈月下の剣〉シリーズに取り掛かっており、読めない単語はエンデュミオンかリーンハルトに教えて貰っていた。
コンコンコン。
「はーい」
ノックの音に、ディルクが返事をする。椅子から立って行ってドアを開けると、本館のメイドが居た。
「ヘア・ディルク、お客様です。応接室までおいで下さいませ。公爵様もお待ちです」
「客の名前は?」
「フィッツェンドルフのクラインシュミット商会ツェーザル会長と従僕の方です」
「はぁ!?……あー、解りました。着替えて行きます」
すっとんきょうな声を上げたものの、ディルクはメイドを返した。ドアを閉めるなり、着ていた普段着のベストとシャツを脱ぎ始める。
「今、クラインシュミット商会と言ったか?」
本に栞を挟んで閉じ、リーンハルトは椅子から立ち上がった。
学院時代から一緒に居るリーンハルトは、ディルクの生い立ちを聞いている。
「ああ。会長って言うから爺さんの方かね。会った事もないけど」
ディルクが〈爺さん〉と言うのは血筋的なものを差しているのではない。年寄りだから〈爺さん〉なのだ。クラインシュミット商会に肉親の情などこれっぽっちも感じない。
「私も行こう」
「俺が爺さん殴ろうとしたら停めてくれ」
「何、お前より先に殴ってやる」
「えー」
ディルクは思わず笑ってしまった。リーンハルトがこんな軽口を叩くなど珍しいのだ。
二人は白い騎士服に着替え、本館の応接室に向かった。応接室のドアの外で待っていたメイドに軽く頷く。メイドがドアをノックし、開けてくれた。
「失礼します。騎士ディルクと騎士リーンハルト参りました」
「こちらに」
「はい」
ディルクとリーンハルトは、老人が座っている場所の向かいにあるソファーに腰を下ろす。アルフォンスが片眉を上げてディルクを見た。
「私は席を外そうか?」
「いえ、公爵様もお時間があれば御同席願います」
「承知した」
ディルクは正面の老人に視線を移した。
「俺にお話とは何でしょうか」
ツェーザルは、じろじろとディルクを見回した。
「騎士か」
吐き捨てる口調にイラッとしたが、ディルクは我慢した。公爵が居る前で粗野な態度は失礼になる。
ツェーザルはディルクを見下ろす眼差しで言い放った。
「お前をクラインシュミット商会に迎えてやる。光栄に思え」
「……話が見えないんですが。何故俺がクラインシュミット商会に行かなきゃならないんです?」
アルフォンスが苦笑する。
「私が説明しよう。先日ツェーザル殿の孫息子殿が事故に遭って大怪我をされたのだ。それでディルクを跡継ぎにとご所望らしい」
「怪我の程度は?」
「下半身不随だそうだ」
訝しげにディルクは、ツェーザルに確かめる。
「と言うと、上半身と頭はぴんぴんしているんですよね?一応確認しますけど、あなた達は自分で漁に出たり、配達したりしませんよね?」
「当然だ。その様な事は使用人や業者がするに決まっている」
「なら、問題ないじゃありませんか。立てなくて本人は不便かもしれませんが、クラインシュミット商会なら、世話をする人を雇えるでしょうに」
「外聞と言うものがある」
「跡継ぎとして問題のない人間を、隠居させようとする方が、外聞が悪いですよ。急に俺なんかを商会に入れても、役に立つ訳無いですし」
ディルクは肩を竦める。ついこの間まで文字も読めなかったのだ。難しい計算など当然無理だ。
ツェーザルは鼻を鳴らした。
「お前などお飾りに決まっているだろう。お前の子供を使える様に教育すればいいだけだからな」
「成程。お断りします」
きっぱりとディルクはツェーザルの目を見て言った。使い捨ての駒になる気は無い。
だが、ツェーザルには予想外の言葉だったらしい。
「何だと!?」
「俺は現在の生活に不満はありませんから」
公爵家の人間は使用人を粗末に扱わないし、リグハーヴスの街も住人も好きだ。親友のリーンハルトも居るし、母親の墓以外のディルクの大切なものは、今や全てリグハーヴスにある。
「母親の葬式を出してやった恩を忘れたか!?」
目を剥いて喚くツェーザルに、ディルクの隣に座っていたリーンハルトが首を傾げる。
「それは訃報を聞いたディルクが実家に帰宅する前に母君を埋葬したり、家財道具の全てを盗んだ事を言うのだろうか」
「ほう?聞き逃せんな。本当か?ディルク」
ソファーの背に凭れて眺めていたアルフォンスだったが、身を乗り出した。
仕方がないので、ディルクは説明した。
「はい。幸い貴重品は母が加入していたギルドの金庫に預けていましたし、ギルドカードも信頼出来る人に預けていてくれましたので無事でした」
ギルドカードの下りでツェーザルが悔しげな顔になったのが解った。もし、看取ってくれた隣家の女将に母がギルドカードを預けていなければ、ツェーザルはディルクから根こそぎ遺産を奪っていただろう。
「そもそも俺は今までクラインシュミット商会と関わり合いになった事はありませんし、母も追い出されてから一度も連絡を取っていない筈です。俺にとってクラインシュミット商会は他人ですので、跡継ぎ云々言われても困ります」
父親にすら一度も会っていないのだ。ツェーザルに会ったのもこれが初めてだ。
「……呆れたな。ツェーザル殿、先程ディルクが断った時は諦めると申したな。ディルクは断ったし、私もクラインシュミット商会に行かせるのは反対だ」
「しかし……!」
「ディルクとリーンハルトは、私が直々に採用した騎士でな。おいそれと手離したくは無いのだ。解って頂きたい。それに先程から気になっているのだが、ディルクとリーンハルトは準貴族だ。言葉遣いに気を付けよ」
微笑んではいるが、アルフォンスの目は全く笑っていなかった。
「今居る孫息子殿を大切になされよ」
「……は」
ツェーザルと従僕が退室する時、ディルクはふと思い付いて口を開いた。
「もうお会いする事もないと思いますが、お元気で」
「ふん!」
ディルクを一睨みし、ツェーザルは従僕を連れて領主邸を出て行った。
「クラウス。フィッツェンドルフの領主に、損害賠償請求をクラインシュミット商会に出させるぞ。出さないと言うのなら、私の名前で出せ」
「承知致しました、御前」
「公爵様っ」
「出していないのだろう?ディルク」
慌てたディルクをじろりとアルフォンスが見やる。
「うう、はい……」
フィッツェンドルフの騎士団に被害届を出しても、クラインシュミット商会の力で領主の元に届く前に、揉み消されそうだったからだ。その頃のディルクは、まだ平民の少年でしかなかった。
「しかもクラインシュミット商会では過重積載が常習化されていると言うから、そちらの方もフィッツェンドルフ領主には厳しく取り締まって貰うつもりだ。王宮にも報告しておく」
「お願い致します」
ディルクは深々と、アルフォンスに頭を下げた。
部屋に戻り、ディルクはベッドに倒れ込んだ。
「うあー、何か疲れたっ」
「クラインシュミット商会が、あそこまでいかれていたとは思わなかったぞ」
「あの爺さんが一番おかしいんだよ」
「それは間違いないが、お前の親父だってだろう」
「俺に断られるのが解りきっていたからじゃないのか?」
あの爺さんだって平原族だ。高齢だし、怒りっぽいから、いつ血管が切れてもおかしくない。そろそろ自分の代になると思っていたら、無駄な行動は避け始めるだろう。
それにディルクの母親を捨てて結婚した嫁と、その実家との関係もある。ディルクに断られた方が良いのだ。
「なあ」
むくりとディルクはベッドに起き上がった。
「ん?」
「<Langue de chat>に行かないか?美味しいお茶とお菓子を食べて、師匠抱っこさせて貰おう」
「最後の部分はなんだ?」
「やさぐれた心を癒して貰おうかと」
ケットシーは相手の感情を感じ取れる。エンデュミオンは時々、黙ってディルクの膝の上に登って来たりする。そんな時は大抵母親の事を思い出していたりするのだ。
たまに目付きが悪い時もあるが、エンデュミオンは優しいケットシーなのだ。
「行くか?」
「うん」
面倒なので騎士服のまま、腰に剣を帯びて部屋を出る。裏口から領主邸を出て、横手の通用門から囲壁の外へ。
冷たくなって来た風を頬に感じながら、丘を街へと下る。
「有難うな」
「お互い様だろう」
横に並んだまま、リーンハルトの顔を見ずに言えば、あっさりと返される。
リーンハルトとは、こう言う男だ。
(師匠、抱き締めたら怒るかなー)
引っ掛かれたりはしないと思うが。それとも耳を伏せてむっつりと、そのままで居るだろうか。長い縞々の尻尾をぱしぱし動かして。
ちょっぴり短気で、頑固で、意地っ張りの灰色の鯖虎柄をしたケットシーに、無性に会いたくなる。
(これで良いよな、母さん)
見上げた初冬の高い空は、淡く灰色がかった水色で。ほんの少しだけ滲んで見えた。
前半で匂わせていましたが、クラインシュミット商会の庶子はディルクでした。
ディルクはとても苦労して学院の騎士科に進学しました。騎士は平民からなる者も多いので、読み書き出来ない人も多いです。ディルクは騎士になってから読み書きを覚えた珍しいタイプ(読み書きの師匠はエンデュミオンです)。
精霊魔法も使えるので、ディルクは騎士としては有能です。




