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宵闇の書

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

既存の本で貸し出し中のものは、ご予約承ります。


宵闇よいやみの書


 ちりりりん。

 ルリユール<Langueラング de chatシャ>の閉店時間間近に、ドアベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

 カウンターに居たイシュカは、入って来た長身の青年を認め、カウンターの内側にある棚から、ベルト付きの革袋を取り出した。留めてあるベルトに予約者の名前が書いてある紙が挟まっているのを確認し、青年に声を掛ける。

「ヘア・リーンハルトですね。会員証をお預かり致します」

「ああ」

 リーンハルトから銅貨三枚とカードを受け取り、イシュカはベルトを外した袋の口を開けた。表紙のタイトルをランプの光で確認し、裏表紙の内側にあるポケットに会員証を差し込む。それから元通りに革袋を半分に折り、ベルトで留める。これは予約の客や、借りる本を他人に知られたくないと言うお客に使用している。

 妙齢のご婦人が薔薇の書を裸で持ち歩くのは気恥ずかしかったりするらしい。

「一休みして行かれますか?」

「いや、もう閉店だろう?」

「ではこちらをお持ち下さい。サービスでお出ししている焼き菓子(プレッツヒェン)です」

 最近、休憩せずに帰る貸本客にはクッキーを三枚包んだ物を渡す事にしたのだ。リーンハルトは店内で本を読まないが、お茶(シュヴァルツテー)のサービスは受けていたから、甘い物は嫌いでは無いらしい。少し頬を緩ませ、クッキーを受け取った。

「有難う。では失礼する」

「暗いですから、お気をつけて」

 十一の月に入り、日暮れは早くなった。リーンハルトを戸口で見送り、イシュカはドアを閉めて掛け金を下ろした。暗くなってから閲覧スペースのテーブルに置いたランプの明かりを消して回収し、カウンターの内側の棚に並べる。

 掃除は朝にするので、これで仕事は終わりだ。イシュカは肩を回しながら階段を上がり、二階の台所に入った。

孝宏たかひろ、ヘア・リーンハルトが来たよ」

「やっぱり今日来た。仕事終わり?」

「そうみたいだ」

 片言の孝宏の言葉に、イシュカは頷いた。時々閉店間際に来るのは、仕事終わりで来ているのだろう。リーンハルトは領主館の護衛をしている騎士なのだ。涼やかな美貌で街の若い女性に人気がある。

「あの本は、男性にも読まれるんだなあ」

『今の所、ヘア・リーンハルトだけだけどね』

 <Langue de chat>の男性利用者は今の所、テオとリーンハルトだけだったりする。大々的に貸本をしていると広告していないし、まだまだ冊数が少ない。本の内容も子供でも読める若草色の書と、女性向けの薔薇の書から始めたのもあるだろう。今の所、最初の客であるエッダとアンネマリーの他は、彼女達の友人が時々借りに来る位だ。それと領主館のメイド、エルゼも休みの度に本を借りに来る。

 男性の場合、職人ならば文字が読めない者も多いし、商人は出来たばかりのルリユールが貸本をしている事も知らないかもしれない。贔屓のルリユールがあればそちらを使うだろうから。

 薔薇の書を何冊か出した後、孝宏が書いたのは後に宵闇の書と言われる本だ。深い青色の表紙の物語は、ブロマンスだった。所謂いわゆる、男性同士の友情以上恋人未満の物語だ。

 アンネマリーに試し読みをして貰った所、かなり受けたのでそのまま棚に置いたのだが、若い女性を中心に読まれている。そこに手帳を買いに来たリーンハルトが何気なく手に取り、数頁試し読みしただけで会員証を作り借りて行ったのだ。

 彼はブロマンスでは特に<月下げっか(つるぎ)>と言う、騎士ランプレヒトと傭兵イェルクの物語を愛読している。「新しい巻が出たら取り置きの上連絡をしてくれ」とまで言われているのだ。

『会員証作ったから安心して借りられるしね』

 エンデュミオンが作った会員証は、水晶雲母すいしょううんもと呼ばれる鉱石で、板状に割れる性質がある。それをカード状に加工の上強化し、<本を読むケットシー>のマークと会員の名前をイシュカが刻印しエンデュミオンが聖別している。強化しているのに刻印出来る柔軟さもある不思議なカードなのだ。

 この会員証は鍵の代わりになり、表紙の内側に付けられたポケットに差し込んでおけば、<Langue de chat>の店員かカードの持ち主しか本を開けない。エルゼの事件があってから、導入された物だ。

「誰であろうが読みたければ借りに来い」と言うのが、<Langue de chat>の方針だ。事情があれば考慮するが、相手が貴族だろうと変わらない。

 <Langue de chat>の貸本は売らない。貸す為の物なのだ。


「……ただいま」

 領主館の召使い用の別棟に戻ったリーンハルトは自分の部屋のドアを開けた。

「おかえりー」

 ベッドに寝転んでいた砂色の髪の青年ディルクがひらひらと手を振った。部屋は二人で一室であり、リーンハルトとディルクは仕事でも組んでいる。

「夕食、パンに肉と野菜挟んで貰ったけど。お茶はまだ温かいと思う」

 二人のベッドの間にある丸テーブルには、白い布巾が被せられた皿と、キルトで作られた覆いの掛けられたティーポットとカップが置いてあった。

「有難う」

 リーンハルトは本が入った革袋をベッドの上に、クッキーの包みをテーブルに置き、部屋の隅のタイルが張られた家具の上に置かれた、琺瑯の洗面器に水差しの水を空け、手を洗った。洗面器の横に畳んで置いてあった手拭いで手を拭き、テーブルの上のソーサーに伏せてあったカップを引っ繰り返した。

「ディルクも飲むか?」

 カップは二つあった。

「うん、頼む」

 覆いを取り、ポットの蓋をあけて中を覗く。召使が普段飲む安い茶葉だ。キッチンメイドは、濃くならない様に良い頃合いで別のポットに茶葉を漉して移してくれていた。

 カップ二つに紅茶を注ぎ、パンの皿に掛かっていた布巾を取る。テーブルに椅子を引き寄せる音に、ディルクも起き上がりもう一つある椅子に移って来た。

「これ、何だ?甘い匂いがする」

「焼き菓子だよ。今行って来たルリユールで貰った」

「食べて良いか?」

「ああ」

 ディルクは包んであった紐と紙を開いて、中から焼き菓子を一枚取って齧った。

「これ、美味しいな。胡桃ウォルナッツが入っている」

「いつもと味が違うのか……」

 リーンハルトの呟きは、手に持っていた欠片を口に押し込んだディルクには聞こえていなかった様だ。残りの焼き菓子を紙に包み直し、紅茶のカップを取って啜る。

「わざわざ今日行かなくても、明日行けば良かったんじゃ無いのか?」

「ん……」

 既にパンに齧りついていた為、リーンハルトは口の中の物を紅茶で流し込む。パンは少し渇いていたが、肉汁が染み込んでいてそれなりに美味い。 

「明日朝からゆっくり読みたかったからな」

「そんなに面白いのか?本って」

 ディルクは自分の名前しか書けないのだ。当然、文章は読めない。

「私には面白い。それに文字は使わないと忘れるんだ。聖書ビーブルや説話集を読んでも良いが、<Langue de chat>の本は全く別の面白さがある」

「ふうん」

「それに、文字を知らないと騙される」

 リーンハルトの父親は鍛冶屋だった。だが母親が病気になり、その治療費を借りようとして騙されたのだ。金貸しが口頭で言ったものよりも、契約書に書かれていた利率は高かった。治療の甲斐なく母親が死んだ後、父には高額の借金が請求された。契約と違うと父は訴えたが契約書には父の署名があり、金貸しに非は無いとされた。

 リーンハルトの父親は名前だけは書けたが文字は読めなかった。

 父親は店を手放し借金を払ったが、それから酒浸りになり数年で死んだ。リーンハルトは歳の離れた姉に引き取られ育てられたのだ。騎士になる為の学院に入る金も、姉夫婦が工面してくれた。無事に騎士になり就職出来たリーンハルトは、毎月姉夫婦に仕送りを欠かしていない。

「……騙されるのは厭だなあ」

「<Langue de chat>には、書き方と読み方の本もある。銅貨三枚で借りられるぞ」

「結構安いんだ」

「ああ」

 食事を終えたリーンハルトはもう一度手を洗い、ベッドの上の革袋から濃い青色をした本を取り出した。光鉱石のランプをテーブル乗せ、明度を上げる。

「横から覗いても良いか?それ、絵があるだろう?」

「ああ」

 <Langue de chat>の本には教会の聖書や説話集と違い、時々銅版画が刷られている。大抵は文字組のぽかりと空いた場所に小さくあるのだが、たまにページ一枚の絵がある時もある。誰が物語を書き、誰が版画を描いているのか解らないが、贅沢な本なのだ。

 ディルクが見やすい様にテーブルに本を置き、リーンハルトは頁を捲った。

(今日は触りの部分だけにするか)

 夜に本を読むと目が悪くなってしまう。数頁読んだところで、リーンハルトは本を閉じた。続きは明日のお楽しみだ。ディルクが少し物足りなそうな声を上げる。

「もう終わり?」

「続きは明日だ」

「それ、どんな物語なんだ?」

「騎士と傭兵の話だ。黒森之國と似ているが、架空の國の物語なんだ。……父親が騙されてから、私は余り人が信じられなくなったのだが、この物語の二人の様にいつか信じあえる様になれたらと、思う気持ちもある」

「……読んでみたい」

「まずは文字を覚えろ。それからこれは続き物だから、早く文字を覚えないとどんどん冊数が増えて行くぞ」

 一話ごと、一冊ごとに完結はしているが、続いている話なのだ。

「本当かよ。俺、覚えられるのかな」

「自分の名前の分の文字は覚えているのだから、新たに覚える数は減るだろうが。明日<Langue de chat>に行って来い。<本を読むケットシー>の青銅の看板が下がっているから解るだろう。広場のある通りから一本内側に入った路地だ」

「<本を読むケットシー>ね」

 確認したディルクに、リーンハルトは本当に彼が<Langue de chat>に行くとは思っていなかった。

 ところが、軽そうに見えて、ディルクは生真面目な男だった。


(ええと、<本を読むケットシー>だったよな)

 説話集にも出て来るので、ケットシーは知っている。子供の頃教会で見せられた、書見台に乗った大きく色鮮やかな説話集には、絵が載っていたからだ。

 広場から一本内側に入った路地を、視線を少し上向きに歩いて行く。黒森之國では店先に必ず絵看板が下げられている。文字が読めなくても何の店か解る様にだ。

 召使い用の食堂で朝食を摂り、部屋に戻って本を読み始めたリーンハルトを残して、領主館から街まで下りて来たので、店は開いたばかりだろう。街中にもまだそれ程人通りは無い。

「お、あった」

 まだ緑青も吹いていない青銅の新しい看板があった。<本を読むケットシー>の姿に金文字で<Langue de chat>と書いてある。読み方も意味も解らないが。

 ドアを開けると上部に付けられたベルが、ちりりりん。と涼やかな音を立てた。

「いらっしゃいませ」

 ドアの正面奥にあるカウンターの内側に、赤みのある栗色の髪をしている青年が立っていた。ディルクやリーンハルトと余り変わらない年齢だろう。

「えっと……ここで文字を覚える為の本を借りられると聞いたんだけど」

「はい、ございますよ」

 青年はカウンターから出て来ると、何色もの本が並んでいる棚から、蜂蜜色の薄い本を取り出した。

「こちらです。失礼ですが、お客様がお使いになられますか?」

「うん、そうだけど……」

 黒森之國では文字が読めない者は多い。しかし、ディルクの歳になってから覚えようとする者は少なかった。

「でしたら、銅貨一枚でお貸ししています」

「あれ?銅貨三枚って聞いたんだけど」

「これは基本の本ですから、文字を覚えようとなさる方には銅貨一枚でお貸し致します。一回一冊二週間の貸し出しです。他の本は一回銅貨三枚になります。期間内であれば、返却後にもう一冊無料で借りられますよ」

 ディルクは苦笑した。そこまでいつ到達するか解らない。

「うん、でもまずは文字を覚えないとね」

「では会員証をお作り致します」

 カウンターで手続きをし、ディルクは水晶雲母の会員証を手に入れた。唯一読める自分の名前が刻印されていた。蜂蜜色の本のポケットに入れて貰えば貸出完了だ。

「お時間がございましたら、あちらで一休みなさって下さい」

 青年に案内されたのは棚の裏にあった、テーブルと椅子がある空間だった。何となく角にある椅子に腰を下ろし、ディルクは蜂蜜色の本を開いた。

(うん、自分の名前にある文字しか解らない!)

 つまりDirkの四文字しか覚えていないのだ。大きく描かれた文字の下には、絵が幾つか刷られており、描かれた物の名前らしき単語が横に書いてあった。

(こうやって書くのか)

 絵を見れば発音は解る。眉を寄せて本を睨んでいたディルクは、近付く人の気配で視線を上げた。騎士という職業の為、人の気配には敏感になる。

「お待たせ致しました」

 癖のない黒髪の少年がカップと焼き菓子の小皿が載った盆を持って立っていた。テーブルの上に、手を拭く物らしい濡れた布や、砂糖壺、ミルクピッチャーも置いて行く。

「あの……?」

「サービスですので、どうぞごゆっくり」

「あ、有難う」

 人好きのする笑顔を浮かべ、少年がカウンターの奥に戻って行く。すると今度は足元で気配がした。見下ろすと、そこに灰色で縞のあるケットシーが居た。黄緑色の大きな瞳で、ディルクを見上げている。

「うお!?」

 流石にディルクも驚いた。リーンハルトはこの店に、ケットシーが居るとは一言も言っていなかったのだ。白いシャツに黒地に白いピンストライプのベスト、黒いズボンと、お仕着せを着ているので店員らしい。

(ケットシーの店員って何だ)

「文字を覚えるのか?」

 唐突にケットシーが口を開いた。変声期前の少年の声だった。素直にディルクは答える。

「うん。覚えたい。でも俺一人だと覚えられるか解らないって思っている」

「ふうん?」

 ケットシーの瞳がきらりと光った。ケットシーはカウンターに行き、青年に何かを言った。青年はカウンターから薄茶色の紙を何枚かと鉛筆を取り出し、ケットシーに渡す。薄茶色の紙は荷物を送る時に緩衝材として入れられる事の多い、粗悪な物だ。触れると指先にざらつきを感じるので、ざら紙とも呼ばれる。汚れ防止の包装紙としても使われていた。

 それからケットシーは本が並んでいた棚を指差し、青年に何かを取って貰い、ディルクの方に戻って来た。

「受け取って」

「うん?」

 差し出されたざら紙を掬い取り、カップを避けたテーブルの上に置く。ざら紙の上には鉛筆と、深い青色をした革表紙の本があった。

「よいしょ」

 灰色のケットシーが、テーブルを挟んだディルクの目の前の椅子によじ登る。

「エンデュミオン。エンディで良い」

 どうやらケットシーの名前らしい。名前を教えてくれたので、ディルクも名乗る。

「ディルクだ」

「エンデュミオンがディルクに文字を教える。この手帳に書き写せば、自分の手元で読み返せる。新しい単語も書ける。ディルクにあげる」

「売り物だろう、これ」

「弟子には師匠が何かあげるもの」

 お前は一体幾つなんだと聞きたいのを堪える。文字を教えてくれるのなら師匠だ。

「有難う」

「まずはこっちのざら紙で練習。書いて手から覚えると良い。Aから書いてみて」

「うん」

「鉛筆の持ち方が違う」

「……はい」

 黒い肉球の付いた前肢で修正される。ぷにぷにする。思わず顔がにやけそうになった。

「あと、お茶は冷める前に飲むと良い」

「うん」

 これから頭を使うのだ。ディルクは紅茶に砂糖とミルクをたっぷり投入し、気合を入れた。


 <Langue de chat>の貸本で唯一蜂蜜色の書き方読み方の本だけは、模写防止が付いていない。

 それはイシュカを始め、店員全員が文字を読める人が増えたら良いと思っているからだ。

「覚えたい」と申し出た客には、漏れなくエンデュミオンが師となるべく手ぐすね引いて待ち構えているのだが、現在の所彼の弟子は孝宏とエッダとディルクだけである。

 文字を覚えたディルクが最初に手にするのは、若草色の本。少年フリッツとケットシーのヴィムの冒険について、エッダとテオ、ルッツと熱く語るディルクの姿が見られるのは、もう暫く先の話である。




騎士リーンハルトと騎士ディルク登場。二十代前半の同い年の騎士です。

ブロマンスの宵闇の書を、リーンハルトは物凄く真面目に読んでいます。

フラウ達が読む様な、萌え要素を感じておりません。

ディルクはまだ若草色の書なので、宵闇の書まではもう暫く掛かりそうです。

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― 新着の感想 ―
ディルク、エンデュミオンが弟子にする 蜂蜜本を借りてから弟子にされるまでの流れの速さが素敵です。♡
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