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ケットシーのお届け物

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

たまにはケットシー三人だけでお出掛けです。


79ケットシーのお届け物


 するりと滑った手から、ティーポットが落ちる。

「きゃっ」

(割れちゃう!)

 床に真っ逆さまにぶつかって砕けると思われたティーポットは、しかし予想外の障害物に当たった。

 ゴンッ。

「にゃうっ」

 突然現れた灰色のケットシーの頭に激突し、跳ね返って床にティーポットが落ちる。

 砕けるティーポット。そして床に倒れるケットシー。時が止まったかと思った。

 先輩侍女のイリーネが王妃エレオノーラを呼び、彼女に割れたティーポットの破片を片付ける様に指示される。

 余りの事に思考が麻痺していたのか、破片を片付け終わってから、漸くしでかした事の重大さに気付いたのだった。

(王宮のティーポット割って、ケットシーに怪我させちゃうなんて……)

 ケットシーは妖精フェアリーで、くにの宝だ。

(それなのに……。あああ、お姉ちゃんは学費を貯める前にクビになるかもっ)

 デリアは弟の学院入学金の為に王宮に就職したのだ。もしかしたら王や王子の目に留まるかも、などと言う画策のある準貴族の娘達と違い、平民のデリアは下働きから始まった。そして先日、寿退職した王妃エレオノーラの侍女の後を埋める要員として、採用されたのだ。

 緊張していたのは確かだ。だが、落としたティーポットの先にケットシーが現れるなんて、誰が予想するだろう。

(あの子大丈夫かな……)

 デリアは侍女控室の戸口から、王妃の居間をそっと覗き込んだ。

 先程イリーネが魔法使いの塔からジークヴァルトを呼んで来ていた。

(あ……)

 灰色のケットシーが、寝椅子から起き上がっていた。

「世話を掛けた、エレオノーラ、ジークヴァルト。侍女達も驚かせてすまない」

 驚いた事にケットシーは、エレオノーラとジークヴァルトに礼を言い、デリア達侍女に謝ったのだ。

 その後エレオノーラがケットシーにお茶を薦め、デリアは丁寧に紅茶シュヴァルツテーを淹れてミルクティー(ミルヒテー)を作った。元気が出る様にと、霊峰蜂蜜ハイリガーベァクホーニックを垂らして。

 灰色のケットシーは黄緑色の大きな目をきらきらさせてミルクティーを舐め、迎えに来た三毛のケットシーと共に帰って行った。

 灰色のケットシーの名前がエンデュミオンであり、王家に六百年仕えた大魔法使い(マイスター)だと、デリア達は後でエレオノーラとジークヴァルトに教えられた。

 そんなとんでもない相手にティーポットを落としたのかと、デリアは気が遠くなりかけたものだ。

 結局、デリアにおとがめはなかった。エレオノーラとエンデュミオン双方で、不幸な事故だと言う見解になったらしい。


「これ、どうしましょう……」

 デリアの目の前には、木箱に入った食器があった。お茶会の時に使った食器だが、リグハーヴス公爵アルフォンスからエレオノーラが借りた物だ。

 勿論返却するのだが、馬車で王都からリグハーヴスへ運ぶと食器が割れそうで怖い。

「ふうん?エンデュミオンが運ぶしか無いだろうな」

「え?」

「ん?」

 デリアの隣に、灰色の鯖虎さばとら柄をしたケットシーが居た。

「エエエエンデュミオン!?」

「うん。ルッツとヴァルブルガも居るぞ」

こんちはー(グーテンターク)

「こんにちは……」

 エンデュミオンの後ろから青みのある黒毛にオレンジ色のさびがあるケットシーと、三毛のハチワレケットシーが顔を出す。

「な、何で?」

「エンデュミオンが食器の件で話をしに行くと言ったら、付いて来たのだ。エレオノーラは居るか?」

「は、はいっ。こちらにどうぞ」

 デリアの案内で、エンデュミオン達がとことこと後を付いて来る。膝丈のケットシーの気配がくすぐったい。

 居間に入り、「王妃様、ケットシーの皆様がいらっしゃいました」と声を掛ける。

 いつもの様にティーテーブルで刺繍をしていたエレオノーラと、彼女の近くで糸などを選んでいたイリーネが顔を上げた。デリアの横に三人のケットシーの姿を見て、エレオノーラの顔が明るくなる。エレオノーラは本当にケットシーが好きらしい。

「まあ、いらっしゃい。三人で来て下さったのですか?」

「うん」

「こんちはー」

「こんにちは……」

 エンデュミオンはルッツとヴァルブルガを連れて、空いていた寝椅子の上によじ登って座った。エンデュミオンは背中に四角い布鞄を背負っている。

「ヴァイツェア産のエァドゥベーレンがありますが、お好きですか?」

「嫌いではない」

「あいっ」

「……好き」

 しかつめらしく答えるエンデュミオン、元気良く前肢を挙げるルッツ、小さめの声でポツリと言うヴァルブルガ。性格の違いがはっきりと解る。

 エレオノーラに命じられデリアは控室に戻り、保冷庫から苺を取り出した。南西にあるヴァイツェアでは年中苺が採れるのだ。

 王宮には荷物専用の転移陣があり、毎日新鮮な食材が各地から送られてくるのだ。

 大振りな苺を水で洗い、水気を拭いてヘタを取り、半分に切って硝子の器に盛り、クリームを掛けた。デザートフォークを付けて居間に運ぶ。

 イリーネが三人のケットシーの膝の上にナプキンを広げていた。ヴァルブルガがそっとルッツの襟元にハンカチを挟む。

「どうぞ」

 苺が盛られた器を前に、ケットシー達の口元がふくりと膨らむ。好物なのだろう。

「今日の恵みに」

 肉球でぎゅっとデザートフォークを握り、クリームが掛かった苺を、あーんと頬張る。

「んー」

 ルッツが大きな耳をぱたんぱたんと動かす。お気に召したらしい。

「美味い」

「苺……」

 エンデュミオンとヴァルブルガも、嬉しそうに苺を食べている。

 デリアが用意した紅茶で、温めのミルクティーを入れつつ、エレオノーラは苺を食べるケットシーをにこにこと見ていた。

「今日はアルフォンスの食器の件で来たのだ」

 食べ終わった苺の器を膝から取って貰い、渡された持ち手が二つあるカップのミルクティーを舐め、エンデュミオンが切り出した。

 デリアはルッツの口元に付いたクリームをナプキンで拭いてから、ミルクティーのカップを渡した。

ありがと(ダンケ)

 少し舌足らずな子供の声でお礼を言われ、「どういたしまして」とデリアは笑った。エレオノーラの気持ちが解った気がする。これは、可愛い。

 ヴァルブルガも小さな声で「有難う」と言って、カップを受け取った。多分、人見知りなのだろう。白毛の部分が純白の綺麗なケットシーだ。ヴァルブルガだけ襟元の深緑色のリボンが幅広で、ベストの背中もベルトではなくリボンと言う可愛らしい型だった。女の子にも見えるが、声を聞くと男の子の気がする。

「馬車で運ぶより、エンデュミオンが運ぶ方が割れないと思ってな」

「宜しいのですか?」

「〈転移〉だと一跳びだからな」

「有難う存じます」

 エンデュミオンとエレオノーラが話している間にミルクティーをせっせと舐め終わったルッツは、カップをデリアに渡した。

『ごちそうさまでした』

 孝宏が食後に言うんだよ、とルッツに教えてくれた言葉を言って、ルッツは肢先を上下に動かす。

 もう一度ルッツの口元をナプキンで押さえる様に拭いたデリアは、襟元に挟んであったハンカチに刺繍があるのに気が付いた。

 青い小鳥と花弁に特徴のある桃色と白の混じる花だ。素晴らしく上手な刺繍だった。

「綺麗な刺繍ね」

 ルッツは襟元からハンカチを取って、刺繍を確かめた。

「これは、ヴァルブルガがぬったの。じょうずなの」

「そうなの?素晴らしいわ」

 素直に感想を述べたのだが、ヴァルブルガはふるふると震えて俯いている。

「あー、嬉しがっているから大丈夫だ」

 そんなヴァルブルガを見て、エンデュミオンが解説してくれた。恥ずかしがり屋なのだろう。

「ヴァルブルガは刺繍をするのですか?見せて貰っても良いかしら?」

「あい」

 ルッツがエレオノーラにハンカチを差し出す。前肢の長さが足りなかったので、デリアが仲介してエレオノーラに渡す。

「丁寧に縫っているのですね。裏表で同じ柄だなんて」

 ヴァルブルガの刺繍は、布の表から見ても裏から見てもちゃんと見られる刺繍なのだ。これはかなりの技術がいる。

「青い小鳥と桃色の花……これは家を表す柄ですか?」

「ヴァルブルガはイシュカのケットシー。それはイシュカのがら。だからヒロもエンデュミオンもつかう」

孝宏たかひろ黒森之國くろもりのくにの柄は持って無いからな」

 その為、孝宏は保護主のイシュカの柄になり、孝宏を主とするエンデュミオンも同じ柄になる。

「ルッツのはねー、テオといっしょできいろいおはななの」

「ふふ、そうなのですか」

 エレオノーラから畳んだハンカチを返して貰ったヴァルブルガは、もそもそとポケットにしまった。

「馳走になった。ではエンデュミオン達は食器をアルフォンスに戻して来よう」

「ルッツ、アルフォンスのおうちにとべるよ」

「そうか。配達をしに行っているものな。ルッツに頼もうか」

 エンデュミオン達は木箱のある侍女の控室に戻った。

「ああ、忘れるところだった。エレオノーラ、本は読むか?」

 背中に背負っていた鞄から、エンデュミオンは薔薇色の本を一冊取り出した。〈クランプスの夜に〉と言うタイトルが付いている。

「知っているかもしれないが<Langueラング de chatシャ>では貸本をしていてな。一回一冊ハルドモンド銅貨三枚で二週間貸している。レオンハルトが詳しいから聞くといい。これはお試し用だ。二週間で自動返却になる。別の本が借りたかったら、精霊ジンニー便をくれ。代金はギルド振込みでも良いから」

 黒い肉球の付いたエンデュミオンの前肢から本を受け取り、エレオノーラは頷いた。

「有難う存じます」

「ではな。良いぞ、ルッツ」

「あい。じゃあねー(チュス)

 ケットシーと木箱を中心に銀色の魔法陣マギラッドが広がり、ぱちんと消えた。

「エンデュミオンはあの二人のケットシーを、随分可愛がっているのですね」

 イリーネが茶器を居間から下げて来て、エレオノーラに不思議そうに言った。

 デリアも確かにそう思った。苺を食べるルッツとヴァルブルガを、エンデュミオンは時折驚く程優しい眼差しで見ていたのだ。

「そうですわね。今はケットシーが同族ですから、兄弟の様なものなのでしょう」

 確かルッツは冒険者テオのケットシーで、強制依頼を撤回させる折りに、軽く呪いを発動させた個体だ。

 ヴァルブルガは今は亡き魔女ウィッチアガーテのケットシーで、ルリユールのイシュカが保護し、そのまま憑かれた筈。

 エンデュミオンの方が明らかに上位の様だが、ルッツもヴァルブルガもとても懐いている。エンデュミオンにとって、可愛い弟分なのだろう。

「本を持って来てくれるとは思いませんでしたね」

 兄のアルフォンスから話は聞いていた。レオンハルトもマクシミリアンも<Langue de chat>から借りているとも。

 しかし王都とリグハーヴスは離れている。どんな本があるのか、知るのは困難だと思っていたのだ。

「楽しみですわ」

 〈クランプスの夜に〉を胸に抱き締め、エレオノーラは満面の笑みを浮かべた。


 ルッツが〈転移〉したのは、リグハーヴス公爵家の裏口だった。

「ついたよー」

「裏口?」

「はいたつだから」

 配達屋のルッツは、裏口から家人を呼ぶものだと思っていたのだ。

「成程」

 エンデュミオンは右前肢を握り、ドアを叩いた。

 ……殆ど音がしなかった。

「こんちはー!」

 ルッツが声を張り上げる。

「はあい。あら!?皆で来たの?」

 ドアを開けたエルゼは、木箱と共に立っていた三人のケットシーに目を丸くした。

「先日の王妃のお茶会で使った食器を運んで来たのだ。執事は居るか?」

「はい。ただいま呼んで参ります。お待ち頂けますか?」

「うん」

 エルゼはメイドとしての対応をしてから、邸の奥へと速足で行き、五分程で執事のクラウスを連れて来た。

「食器を運んで下さったと聞きましたが」

「うん。馬車で運ぶと割れるかもしれないだろう?かなり良い皿の様だったしな」

「有難う存じます」

 クラウスは地面にあった木箱を慎重に持ち上げた。

「フラウ・エルゼ、この子達を台所に連れて行ってあげて下さい」

「いや、お茶ならエレオノーラの所で飲んで来たから、又今度で良いぞ。エルゼ、これをやろう」

 エンデュミオンは鞄から、<Langue de chat>のスタンプが入った蝋紙の小袋を取り出した。中には濃いピンクとクリーム色の打ち菓子が三つずつ入っている。

砂糖菓子ツッカァズゥジィグカイトだ。甘いから元気が出るぞ。勉強の為にイェレミアスにも一つやると良い」

「有難う、エンディ」

「ではな」

「じゃあねー」

「またね、エルゼ」

 魔法陣が広がり、前肢を振るケットシー達の姿が消える。<Langue de chat>に帰ったのだろう。

 エルゼはそっと紙袋の中を覗いた。

「わあ、綺麗」

 茶色い蝋紙の中には、ころりとした薔薇の形の砂糖菓子が幾つかあった。

「……」

 頬に視線を感じ、はっと顔を上げた先に、クラウスが居た。

「あの……お一つ召し上がりますか?」

「宜しければ、是非」

 クラウスは木箱を抱えている。エルゼはクリーム色の砂糖菓子を指先で摘まんで、クラウスの唇に近付けた。

「どうぞ」

 後から考えれば、一度台所に戻って紙に包めば良かったのだが、平民のエルゼは普段そんなに畏まらない生活をしているのだ。思い付かなかった。

「……」

 クラウスは驚いた様に瞬きしながら、直ぐに砂糖菓子を口に入れた。エルゼの指先にクラウスの唇が微かに触れる。

 口の中で砂糖菓子を転がし、クラウスは珍しく表情を動かした。

「……うん、美味しいです」

「これもヘア・ヒロが作られたんでしょうか」

「多分、王妃様のお茶会に出たお菓子でしょうね」

「え!?」

「ヘア・ヒロがお菓子作りを頼まれていたんですよ。さあ、食器をしまうのを手伝って下さい」

「はい」

 エルゼはエプロンのポケットに紙袋をしまった。木箱を抱えたクラウスの後について行く。

「フラウ・エルゼはケットシーと仲が良いのですね」

「え?」

「いいえ、お気になさらず」

 エンデュミオンもルッツもヴァルブルガも、エルゼに好意を持っている。これが何を意味するかと言うと、エルゼはリグハーヴス公爵の保護対象になるという事だ。

 恐らく無意識の内にケットシーと仲良くなったであろうエルゼを粗末に扱えば、三人のケットシーに呪われるだろう。

(御前に報告ですねえ)

 人の良い少女は本人の知らぬ間に、リグハーヴス公爵家にとっては、かなり重要な存在となったのだった。



食器回収のついでに、王妃様に苺をご馳走になるエンデュミオン達。

さり気なくお世話されているルッツと、さり気なく営業しているエンデュミオンです。

そして恥ずかしがり屋だけど、褒められると嬉しいヴァルブルガでした。

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