リグハーヴスの収穫祭
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
黒森之國には伝統衣装があります。
77リグハーヴスの収穫祭
リグハーヴスの収穫祭初日と王妃様のお茶会の日程がぶつかったのだが、出店を出す訳もない<Langue de chat>はいつも通りの営業だ。
こんなお祭りの時は、馴染みの客が休憩に使う位なので、孝宏はカチヤと朝から菓子作りをしていた。
王妃様のお茶会は午後からなので、ケーキ類を午前中に作るのだ。クッキーや打ち菓子は昨日の内に作って、防湿材を入れた硝子瓶に入れてある。
出来上がったケーキ類は、領主経由で送られてきた皿に載せ、魔銀製の覆いを被せて木箱に入れる。クッキーと打ち菓子は瓶のまま木箱行きだ。
「これで全部かな」
お昼近くに用意が出来たので、エンデュミオンを呼ぶ。
「エンディ、お願い」
「では、行って来る」
居間に置いた木箱とエンデュミオンの回りに、銀色の魔方陣が浮かび上がり、姿が消える。
「後片付けして、エンデュミオンが帰って来たら、収穫祭見に行こうね」
「はい!」
今までの祭りは人混みに流されるかもしれないからと遠目にしか見ていなかったので、今回は孝宏もちゃんと行く事にしたのだ。
勿論、イシュカ達と一緒だ。早目に店を締めて出掛ける予定なのだ。
収穫祭などのお祭りでは、女性は伝統的な衣装を来たりする。赤いスカートに肩の広い白いシャツ、胸元で紐を絞める黒いベストだ。ベストには各家に伝わる柄の刺繍が入れられている。
ベストの刺繍は女性ほど鮮やかではないが、男性や子供の物にも入る。
今まで刺繍入りのベストを持っていなかった<Langue de chat>の面々だが、今回は用意した。マリアンとヴァルブルガが。
刺繍の柄はイシュカの母親の物らしい。テオも自分の家の柄を刺繍した布を持っていたので、自分の分とルッツのはその柄で頼んだ。孝宏とエンデュミオンはイシュカの家の柄だ。カチヤもちゃんと自分の刺繍入りのベストを持って来ていた。
洗い終わったボウルを布巾で拭いている内に、エンデュミオンが帰って来た。
「ただいま」
「大丈夫だった?」
「うん。今回は時間指定で場所を開けて貰っていたから」
誰かが居ると危ないので、時間を決めてエレオノーラ王妃の侍女控え室を、無人にして貰っていたのだ。
「後は、王妃と侍女達で仕上げるだろう」
テーブルへの設置は、彼女達の仕事だ。
「じゃあ、着替えようエンディ」
エンデュミオンの普段のベストを脱がし、刺繍の入ったベストを着せる。青い小鳥と撫子の様な花の刺繍が入っていて可愛い。エンデュミオンとヴァルブルガのは、刺繍が大きめに入っているのだ。
焦げ茶色の木の釦を留めて、孝宏はエンデュミオンを抱き上げた。
「良いよー」
先に着替えて居間で待っていたイシュカ達と合流する。
「行こうか」
テオはいつもの如く、ルッツを肩車している。二人は黄色い花の刺繍が入っているベストを着ている。カチヤは赤い花の刺繍だ。柄は花が多いらしい。花と蔓草のデザインが基本なのだと言う。
<Langue de chat>を出て、市場広場に路地を抜ける。市場広場に近付くにつれて、人が増え音楽が大きくなる。
収穫祭は酒祭りでもある。午前中にあった開会式で、領主が地ビールの樽を開け、祭りの始まりを宣言する。後は、飲んで食べて踊ってを楽しむのだ。
ちなみに収穫祭では酒は地ビール以外は無いらしい。
市場広場では、大工のクルトも製作に参加していた舞台で楽団が軽快な曲を奏でていた。空いている場所では、老若男女がペアで踊っている。主目的が酒と食べ物だからか、いつもより屋台やテーブル席が多い。
目玉は肉屋アロイスの絶叫鶏の丸焼きだろう。孝宏の感覚で言えば、牛の丸焼きだ。そう、絶叫鶏は丸々と肥った牛並みに大きいのだ。
「あんなでかいの!?」
「あれ、ヒロは知らなかった?」
テオが意外そうな顔になる。
「知らなかったよ」
いつも適当な大きさになっている物を買っていたので、丸ごとは初めて見たのだ。
「魔物だもんね……」
首を落とされ、毛もむしられた絶叫鶏は中に詰め物をされて串に打たれ、熱鉱石が敷き詰められた鉄板の上でぐるぐる回されていた。溶いた蜂蜜を塗っているのか、照りも美しく焼かれている。
「いらっしゃい!丁度焼けたところだぞ」
アロイスが迎えてくれた屋台の傍らでは、綺麗な骨を徒弟がまとめて木箱に入れていた。既に一羽食べ尽くされていた様だ。
木で出来た大皿に削ぎ切りにされた鶏肉、腸詰肉、ザワークラウトが盛られた物を買う。
「パンは隣で貰ってくれな」
アロイスの屋台の隣はパン屋のカールだった。今回も共同で出店を出しているらしい。
「ヒロが祭に出てくるのは珍しいな」
カールは紙袋に何種類かあるパンを、トングで一切れずつ取って入れた。
「一人で来たら人混みに流されちゃいますから」
「確かになあ。はいよ、エンディ」
笑ってカールは袋の口を折り、孝宏に抱かれたエンデュミオンに手渡した。
「良い香りだ」
ひくひくと鼻を動かし、エンデュミオンはパンの香りを嗅いだ。ベーコンや玉葱を練り込んだパンは新作だろう。
揚げ芋とチーズと葡萄の盛り合わせ、レモネードの炭酸割りとミルクを別の屋台で買い、空いていたテーブルに座る。ケットシー達は主の膝の上だ。
「私も街の収穫祭は久し振りです」
街の近くの集落に実家があるカチヤも、親と一緒でないと来られなかった様だ。
「おにくー」
フォークを握ったルッツが、こんがり照り照りの鶏肉を突く。
「ルッツ、パンどれが良い?」
「これー」
「チーズは?」
「これー」
松の実を練り込んだパンを選んだルッツに、絶叫鶏の肉と、オレンジ色のチーズを挟んで孝宏は渡してやる。カールのパンは間に肉を挟める様に、切れ込みが入れてあった。
それぞれ好みのパンに具材を挟み、齧りつく。
「おいしーねー」
「うむ」
素直なルッツの反応に、エンデュミオンが頷いて、黄緑色の皮の葡萄に前肢を伸ばす。届かなそうだったので、孝宏は五粒位付いている枝を千切ってエンデュミオンに渡した。
「有難う」
エンデュミオンは枝についたまま葡萄を一粒口に入れ、ぷちりと引き抜く。種ごとポリポリと噛む音が聞こえる。
滅多に<Langue de chat>から出ないヴァルブルガは、通りすがりの人に二度見されていた。ヴァルブルガは三毛の綺麗なケットシーなのだ。
人見知りするヴァルブルガだが、イシュカの膝の上に居るので、落ち着いて食事をしていた。フォークに刺した揚げ芋を、嬉しそうに食べている。
「揚げ芋」
「揚げ芋」
子供の声に孝宏が振り向くと、顔の高さにスリングに入ったリヒトとナハトが居た。冷たい鼻で頬にキスをされる。
「こんちはー」
「こんちはー」
「リヒト、ナハト。こんにちは、ヘア・スヴェン、フラウ・アーデルハイド」
スヴェンとアーデルハイドも双頭妖精犬を連れて、収穫祭に来ていたのだった。
「地下迷宮には入ってなかったんだ」
「収穫祭に合わせてな」
テオに答えるアーデルハイドの左手の薬指には、魔銀の指輪があった。教会に婚約届けを出したのだろう。
「あーん」
「あーん」
「ほれ」
口を開けるリヒトとナハトに、エンデュミオンは揚げ芋を一つずつ入れてやる。
「うまー」
「うまー」
はぐはぐ食べるリヒトとナハトの鼻先を、エンデュミオンは肉球で撫でる。エンデュミオンにしてみれば、リヒトとナハトは幼児だ。
「有難う、エンディ」
エンデュミオンの耳の間を掻いてから、スヴェン達はアロイスとカールの屋台に、家で待つ妖精達のお土産を買いに行った。
「んー」
ルッツが大きな耳を動かしながら、テオに切って貰った腸詰肉を食べていたが、ぴたりと回りを見ていた視線が止まる。
「かぼちゃのたると」
「え?どれ?」
ルッツの視線の先に屋台があった。鮮やかな黄色いタルトを売っている。
「一寸見てくるね」
テオはルッツを抱き上げて、屋台に向かった。屋台に近付くと甘い香りがした。シナモンも香っている。
流石にタルトは屋台で調理出来ないらしく、出来上がった物をホールやピースで売っている。台の上には〈ケットシーも喜ぶ南瓜のタルト〉と札が提げてあった。
「……ルッツの事か?」
南瓜のタルトは騎士団で食べさせて貰った事がある。タルトの外見も見覚えがあった。
「あら、いらっしゃい」
木箱から新しくタルトを出していた三十代半ばの女性が、テオとルッツに気付いて微笑んだ。
「あの、もしかして、騎士団の料理作っている方ですか?」
「ええ、そうよ?あなたは私のタルトを食べた子ね?」
「あいっ」
ルッツは元気良く片前肢を挙げた。
「収穫祭だけはタルトの屋台を出しているの。南瓜の他に桃やベリーのシロップ煮のタルトなんかもあるのよ」
「テオ、おいしーの」
ルッツがテオを見上げた。口元の毛が濡れている。
(あー、涎が……)
食いしん坊なルッツのおねだり視線に負けて、テオは南瓜と桃のタルトを半ホールずつ買って、紙箱に入れて貰う。
「おうちに帰ってからな」
「あい。ばいばい」
屋台の女性に前肢を振るルッツを連れて、テーブルに戻る。
「タルト」
すんすんとヴァルブルガがイシュカの膝から乗り出して、紙箱の上から匂いを嗅ぐ。
「前に騎士団で食べさせて貰った事があってさ。同じ人が屋台を出してたんだ。南瓜と桃があるよ、ヴァル」
「桃」
「じゃあ、ヴァルは桃ね」
ヴァルブルガは果物が好きなのだ。
大皿の上の食べ物を胃に収め、食器を回収している屋台に戻して、孝宏達は賑やかな市場広場をぐるりと回った。
テーブル席では、ジョッキで地ビールを飲む者達で賑やかだ。楽団が奏でる音楽に、踊り手は交代しつつも、ダンスが途切れる気配はない。
「ごめん、カチヤ。タルト持ってくれる?」
「はい」
テオがカチヤにタルトの紙箱を渡す。ずりずりと傾いていたルッツを、テオは急いで抱き直した。
「さっきまで起きてたのになー」
満腹になったルッツは熟睡していた。
「こっちも同じだ。人疲れしたかな?」
イシュカの腕の中でも、ヴァルブルガが寝息を立てていた。
「エンディも眠いんじゃないの?お昼寝してる時間だもんね」
「うむ……」
前肢の甲でエンデュミオンが眼を擦る。
「<Langue de chat>に帰るか」
「うん」
陽が落ちた後の収穫祭も、光鉱石のランプの明かりに照らされて美しいらしいのだが、ケットシー達は寝ている時間だ。
「最終日は花火があるって言うけど、ケットシーって花火の音は平気なのかな」
「さあ……」
ケットシーに花火を見せた話は聞いた事が無い模様だ。
(猫や犬って花火の音は嫌いだよなあ……)
少々不安になる孝宏だった。
三日ある収穫祭最終日。孝宏の予想通り、打ち上がった花火を窓から見たルッツとヴァルブルガは、大きな音に驚いて尻尾を足の間に挟んで泣き出した。
自分も前肢で耳を押さえたエンデュミオンが、慌てて遮音の魔方陣を描き出し、その中で主に頭を撫でられながら、観賞したケットシー達だった。
魔物肉の正体を初めて知った孝宏です。地下迷宮の魔物、鶏にしろ羊にしろ、牛にしろ全てが大きめです。
ルッツは食いしん坊。美味しいものが大好きです。ルッツが居るので、旅の最中でもテオはきちんと三食食べるのでした。




