クルトと抹茶ロール
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
王妃様のお茶会の試作です。
76クルトと抹茶ロール
<Langue de chat>はお昼休みは店を閉める。閉めると言ってもドアに〈休憩中〉の札を掛けるだけで、鍵は開いているのだが。
ちりりりん。
食後のおやつを食べていた孝宏達は、店の入り口のドアに付いているベルが鳴ったのに気付いた。
「誰か来たです」
魔女グレーテルが往診に行っているので、マーヤは<Langue de chat>に預けられていた。
「お客さんかな?」
お茶のお代わりを用意しようとしてた孝宏は立っていた身軽さで、エンデュミオンと一緒に廊下に出て店へのドアを開けた。
「ヘア・クルト」
「休憩中にすまないな」
店の中に居たのはエッダの父親で、大工のクルトだった。挨拶に挙げた右手の手首から肘までが、派手に擦り剥き血が滲んでいる。
「どうしたんですか、それ」
「収穫祭の舞台を市場広場で作っていてしくじったんだ。ドクトリンデは往診中で留守だったから、洗わせて貰おうかと思って」
「バスルームはこちらです」
大工道具の入った箱を預かり、バスルームでクルトに傷を洗って貰う。
「どれ、見せてみろ」
クルトが傷を洗い終わった所で、エンデュミオンが踏み台に上って覗き込む。
「水の精霊、木の精霊、癒してくれ」
傷口が淡い緑色の光で覆われる。光が消える頃には、擦過傷は綺麗に治っていた。
「〈治癒〉が使えるのか、エンディ」
「うん。この位の傷ならエンデュミオンでも治せる」
「助かったよ、有難う」
クルトに撫でて貰い、エンデュミオンの尻尾がゆらゆらと揺れる。
本当はもっと酷い怪我でも治せるが、本職の魔女と医師が居るので、非常時以外は秘密にしているのだ。
「舞台作りはもう終わったんですか?」
「ああ。出来上がったよ」
「なら、お茶を飲んで行かれませんか?少し感想を聞かせて貰いたい物もあって」
「何だい?」
クルトが連れて行かれた一階の居間には、<Langue de chat>の住人と、グレーテルの養い子マーヤが居た。
ケットシー達とマーヤは台所のテーブルで何かを食べている。
居間のソファーに座ったクルトの前に、お茶のカップと変わった色のケーキが置かれた。
鮮やかな黄緑色掛かった緑色の生地に、紫色の小さな豆と黄色い何かの入ったクリームが巻かれている。
「これは?」
「これは抹茶ロールです。緑色なのは倭之國のお茶の粉を使っているからです。クリームに入っているのは、小豆と言う豆を煮た物と、栗の甘露煮です」
ケットシーとマーヤがおやつに食べているのも同じ物だ。テーブルに戻ったエンデュミオンは、尻尾を立ててふるふるとさせながら食べている。
「エンディは小豆が好きだし、うちの人達は美味しいって言ってくれてるんですが、他の人はどうかなと」
「成程。……今日の恵みに」
簡単に食前の祈りを唱え、フォークを持ち、抹茶ロールを切る。
(軟らかい)
ふんわりとフォークに生地が沈む。生地とクリームを掬い取り口の中に入れると、しつこくない甘さと独特の香気が広がる。
(これが倭之國のお茶の香りか)
クリームの中の小豆の独特の味。固さのある栗の甘露煮。控え目の甘さは、お茶でスッと流れる。
「小豆の味に好みは別れるかもしれないが、俺は美味しいと思うよ。アンネマリーとエッダに食べさせてやりたいと思う位に。見た目も綺麗だし」
「本当ですか?じゃあお土産に持って行って下さいね」
「ここの店で出すんじゃないんだろ?収穫祭で出店でもするのかい?」
普段なら自前のおやつや、お使い物などにしか、孝宏はこういったお菓子を作らない筈だ。
「実は王妃様のお茶会のお菓子を頼まれたんですよ。今、試食していたんです」
「っ!」
クルトはお茶を噴きそうになった。
「他のお菓子も入れておくんで、試食してみて下さいね。出来たらフラウ・アンネマリーやエッダに、感想お願いしますって伝えて下さいね」
蝋紙に包んだ抹茶ロールや、クッキー、花の形の砂糖菓子の瓶を籠に詰められ、にこにこした孝宏に渡されたクルトだった。
「ただいま。はい、これ」
「お帰りなさい、クルト。なあに、これ?」
籠を受け取ったアンネマリーだが、籠を持っていたクルトの右袖の汚れに気付いた。
「あら、袖に付いているの血じゃないの?もしかして怪我したの?」
「擦り剥いたんだが、<Langue de chat>でエンディに治して貰ったんだ」
「そうなの、良かったわ」
「これは試食して欲しいってくれたんだよ。何でも王妃様のお茶会のお菓子なんだそうだよ」
「ええ!?」
アンネマリーは籠とクルトの顔を交互に見た。クルトも気持ちは解る。
「お父さん、お帰りなさい」
自分の部屋からエッダが出て来て、玄関に居る両親に首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや、孝宏からお菓子を貰ったんだよ。味の感想を教えて欲しいんだそうだ」
「わあ、本当?」
孝宏のおやつの登場に、エッダが跳び跳ねて喜ぶ。
アンネマリーと一緒に台所に行き、籠の中から菓子を取り出す。
「鮮やかな色ねえ」
「小豆かな、これ」
エンデュミオンの好物なので、たまに孝宏が煮ているのをエッダは知っていた。
抹茶ロールを皿に移し、瓶に入ったクッキーと砂糖菓子も居間に運ぶ。
お茶も淹れて準備万端で、おやつの時間にする。
クルトは抹茶ロールは先程食べているので、二人が食べるのを見ていた。
「うわ、軟らかーい」
フォークで簡単に掬い取れる軟らかさに、アンネマリーとエッダが驚く。
「クリームに入っているのは、小豆と栗の甘露煮だそうだ」
「甘さ控え目なのね」
どちらかと言えば大人の味だろう。
「倭之國の物で作っているから倭風なのかなあ、この味」
抹茶も小豆も、栗の甘露煮も倭之國だ。黒森之國も似たものはあるが、栗の種類も違うだろう。
「でも美味しいわ」
「美味しいねー」
抹茶ロールはアンネマリーとエッダにも好評だった。
クッキーはいつもの<Langue de chat>で作っている物ではなく、アイスボックスクッキーだった。
市松模様はココアとバニラ、渦巻き模様は抹茶とバニラ、縞模様はレモンとバニラ、と味も色も異なる。
砂糖菓子は濃いピンクとクリーム色の小さな薔薇の花の形をしていた。これは、クルトにも見覚えがあった。孝宏に言われるまま型を彫ったのはクルトだからだ。
「それがこんな菓子になるとはなあ」
一つ摘まんで口に入れる。硬いかな、と思って口の中で転がしていいると、ぱあっと溶けて広がった。
「繊細なお菓子ねえ。これも倭之國のお菓子なのかしら」
「多分な」
黒森之國では見た事が無い作り方だ。
「これが、王妃様のお茶会のお菓子か……」
「え?」
エッダが、呟いたクルトを見て固まる。
「王妃様のお茶会のお菓子を頼まれたと言っていたんだ。それの試食だと」
「そうだったわね。凄く普通に食べちゃったわよ」
「普通に感想を聞きたいみたいだから、良いんじゃないのか?」
孝宏の様子だと、特別な物を作っている感じではなかった。
「ヒロ、他には何を作るんだろうなあ」
「聞いたら教えてくれるんじゃないかしら?」
「うん、明日聞いてみる」
エッダとカミルは、孝宏からパン作りを教わっている弟子なのだ。エッダはその内、お菓子の作り方も教えてくれないかと思っている。
赤い薔薇の花を一つ摘まみ、エッダは口に含む。
「美味しいー」
孝宏の料理は、食べると幸せな気持ちになるのだ。
(明日カミルにも、砂糖菓子を分けてあげようっと)
幸せをお福分けしたくなる。それが孝宏の料理なのだった。
ふわっと目の前に白い封筒が現れ、王妃エレオノーラは昼寝をしている第三王子エトヴィンから顔を上げた。
まだまだ幼いエトヴィンの遊び相手をし、昼寝するまで見ていたのだ。貴族の場合は、乳母が子供の世話をするのが普通だが、エレオノーラは一日一回はこうして顔を会わせる様にしていた。
乳母に後を託し、風の精霊が運んで来た手紙を持って自室に戻る。寝椅子に腰を下ろし、侍女が持ち手を向けて差し出したペーパーナイフで封を切る。
封筒の重ね目には肉球の印。封筒にも〈本を読むケットシー〉の印が押してあるので、何処から来たのかは解る。封筒の裏に〈塔ノ守孝宏〉とエレオノーラが読めない文字で署名がしてあった。
便箋の中身はエンデュミオンが代筆したらしい。
「ふふ、お茶会のお菓子を教えてくれたのですね」
ケーキの絵と名前や、どの様な菓子なのかが書いてあった。エレオノーラの想像がつかない物もあって、楽しみだ。
(これは知られたら、王や王子達も来そうねえ)
食器や椅子の数は多目に用意しないとならないだろう。
孝宏には収穫祭の時季とぶつかってしまい、忙しい思いをさせてしまう。
(お礼は何が良いかしら)
お茶会が終わったら、ゆっくり決めて貰おう。
「では、こちらも用意を始めなければなりませんね」
エレオノーラは食器やカトラリー、お茶の選定をする為に、早速侍女に頼んで女官長を呼ぶのだった。
エンデュミオンは魔女レベルで<治癒>が出来ますが、公にはしていません。ちゃんとグレーテルの診察を受けています。何故なら、独学で覚えたので正式な魔女では無いからです。
魔法使いでも公に<治癒>を使う人は、魔女の指導も受けています。
そのため、エンデュミオンは自分で治せる程度の怪我でも、慌ててグレーテルを呼んだりすることもあります(治せるのを忘れてて)。
偶然来たクルト、お菓子の試食に招かれました。お土産も持たされて、相変わらずの孝宏の規格外さに唸るクルト一家でした。




