エンデュミオンと王妃様
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
エンデュミオンでも失敗はあります。
75エンデュミオンと王妃様
その日、安く売られていたヴァイツェア産のブルーベリーでジャムを煮ていた孝宏は、窓がコツコツ叩かれるのに気が付いた。
「お?精霊便?」
窓硝子の向こうに白い封筒が浮いていた。窓を開けてやると、封筒はテーブルの上にひらりと舞い降りた。
「有難う。これ、お礼ね」
孝宏は和三盆で作った、桜の花弁の形をした桜色の打ち菓子を掌に載せて、見えない相手に差し出した。
(おー)
目の前で打ち菓子が宙に浮き、齧られていく。打ち菓子が消えた後、くるくると顔の回りで風が動き、風の精霊は開いていた窓から出て行った。
「精霊や妖精は蜂蜜が好きって聞いたけど、砂糖も好きだよね」
和三盆糖はいつもの倭之國産の物が置いてある食料品店で買った。木型は大工のクルトに頼んで幾つか作って貰ったのだ。
打ち菓子はケットシーにも大人気だった。仕事に出るテオとルッツにも、小瓶に入れておやつに渡してある。きっと休憩の度に、ルッツはテオにねだっているだろう。
「誰からだろ」
焜炉の熱鉱石のレバーを一度切り、孝宏は封筒を手に取った。
「……多分、俺宛?」
流麗な飾り文字で書いてあり、孝宏には読み難い。但し赤い封蝋には〈鷲と王冠〉の印章が押してあるので、何処から来たのかは解った。
「エンディ」
「ん?」
居間で編みぐるみのブルーベリーを転がしていたエンデュミオンを呼ぶ。ケットシーは毬状の物があると、転がして遊ぶ習性がある。
孝宏はエンデュミオンの傍にしゃがんで、手紙を見せた。
「これ来たんだけど、字が綺麗すぎて読めない」
「む?」
エンデュミオンはラグマットの上に座り直し、封筒を爪で開き便箋を取り出した。ざっと目を通す。
「エレオノーラ王妃からだ。今度のお茶会に使う菓子を作ってくれないかと言う依頼だ」
「何で!?」
孝宏は菓子のデリバリー屋ではない。そもそも王宮には腕の立つ菓子職人が何人も居る筈だ。
「うーむ。レオンハルトが先日のローズアップルパイを王妃に渡したらしい」
「いや、でもさ、素人が作った菓子だよ?王宮の菓子職人に失礼じゃないかなあ」
「まあ、王都の菓子屋に注文する事もあるから、一概には……。王妃主催の後宮のお茶会の様だし」
十人前後の小さなお茶会らしい。とは言え出来るだけ面倒毎に巻き込まれたくない身としては、引き受けて良いものか悩む。
「エンデュミオンが話を聞いて来よう」
そうしてエンデュミオンは王宮に〈転移〉した。
〈転移〉はその先に何があるか解らない。なので、基本的には知っている場所にしか〈転移〉しない。
流石にエンデュミオンも後宮に入った事はないが、王宮の図面は見た事があったので、記憶のままに王妃の間に跳んだ。
「きゃっ」
ゴンッ。
「にゃうっ」
ガシャン!
侍女の悲鳴と鈍い音、そしてもう一つ悲鳴と何かが割れる音に、王妃エレオノーラは刺繍の手を停めた。
「何事ですか?」
侍女の一人が部屋に駆け込んで来る。
「お、王妃様ケットシーが」
「何ですって!?」
エレオノーラは針を布に留め、裁縫籠に載せるなり立ち上がった。足早に侍女の居る控えの間に入る。
硬直する新人の侍女の足元でティーポットが破片になっており、鯖虎柄のケットシーが倒れていた。
「ポ、ポットを落とした所に、ケットシーが急に……」
しどろもどろになる侍女に、エレオノーラは命じた。
「ケットシーの手当てが先です。あなたは魔法使いの塔のジークヴァルトを精霊便で呼んで下さい。あなたは破片の片付けを」
「は、はいっ」
二人の侍女はそれぞれ用事を済ませるべく動き出す。
エレオノーラは磨き込まれた床に伸びているケットシーを、そっと抱き上げ、自分の居間の寝椅子に横たえた。
「水の精霊、木の精霊、この子を癒して下さい」
ポットに当たったであろう頭を優しく撫でながら精霊に頼めば、仄かにケットシーの身体が弱く緑色の光で包まれた。光の弱さから見て、脳震盪を起こしたのだろう。
ケットシーはきちんと縫製された白いシャツに黒地に白いピンストライプのベスト、黒いズボンを着ていた。肢には刺繍が入り履き口が折り返された、柔らかい布のモカシンを履いている。
エレオノーラはケットシーの襟に結んであった深緑色の細いリボンをほどいて釦を二つ外してやった。
身体が冷えない様に膝掛けを掛けてやろうとして、ケットシーが何かを握っているのに気が付いた。
「あら……?」
それはエレオノーラが孝宏に出した手紙だった。それを持っているケットシーと言えば、限定される。
「エンデュミオン?」
「にゃうぅ」
ケットシーが声を上げ、黄緑色の大きな目を開けた。少し目が潤んでいる。
「気分は悪くありませんか?」
「……何があった?」
「侍女がティーポットを落とした所に、あなたが〈転移〉して来たみたいなのです。今ジークヴァルトを呼んでいるので、もう少し横になっていて下さいね」
エレオノーラはエンデュミオンの頭を撫でながら、手紙を見せる。
「話を聞きにいらっしゃったのね?」
「うん」
エンデュミオンは頷いた。
「こちらです」
バタバタと足音が近付いて来て、侍女と魔法使いジークヴァルトがノックの後、部屋に入って来た。
「失礼致します、王妃様。大師匠、知らない所にいきなり〈転移〉しちゃ危ないですよ」
「門から入ると騒がれるだろう」
「そうですけどね。王妃様、〈治癒〉を掛けられましたか?」
「ええ、一度掛けましたわ」
ジークヴァルトはエレオノーラが空けた場所に膝を付き、エンデュミオンの頭に掌を載せた。
「ケットシーは石頭ですからね、多少の事では平気の筈なんですが。痛いです、大師匠」
べしべしエンデュミオンに叩かれ、ジークヴァルトが笑いながら避ける。
ジークヴァルト自身も〈治癒〉を掛け、問題がないのを確認した。
「大丈夫ですよ。コブも無く治っています」
もそもそ起き上がったエンデュミオンの襟元をジークヴァルトは直しリボンを結んだ。寝椅子に座ったエンデュミオンは、黙っていれば可愛いケットシーだ。
「世話を掛けた、エレオノーラ、ジークヴァルト。侍女達も驚かせてすまない」
ぺこんとエンデュミオンは頭を下げた。ほんの少し、耳が伏せている。流石に気不味いのだろう。
「お茶をいかが?エンデュミオン、ジークヴァルト」
「うん、貰う。ミルク多目で温めに頼む」
「頂きます」
エンデュミオンとジークヴァルトは並んで寝椅子に座った。
暫くして侍女がワゴンで運んで来たお茶を、持ち手が二つあるカップに入れて貰い、エンデュミオンはちゃむちゃむと美味しそうに飲んだ。
その姿に目を細め、エレオノーラはエンデュミオンに話し掛けた。
「わたくしが手紙を送ったから確認にいらっしゃったのね?」
「うん。孝宏は菓子職人ではないからな。王宮の菓子職人がいるのだからと、不思議に思っていた。菓子職人に失礼にならないかと」
「説明が足りませんでしたね。後宮の王妃と側妃達のお茶会は、王宮の菓子職人に頼む事もありますが、王都やそれぞれの出身地の菓子の作り手に頼む時もあるのです。先日のお菓子がとても美味しかったので、出来ればヘア・タカヒロにお願いしたかったのです」
「ふむ」
確かに孝宏は、エレオノーラの出身地であるリグハーヴスに居る作り手だ。
後宮のお茶会と言えば、王妃と側妃の交流であり、且つ新しい物をそれとなく見せびらかしたりする場の筈だ。もしくは自分の庇護下にあるモノを知らしめたり。
「それはエレオノーラが孝宏を庇護する、と言う意味で良いのか?」
新しい店や職人は紹介した者が専属とする、暗黙の了解が後宮にはあるのだ。それはエンデュミオンも知っていた。
「ええ。わたくしの兄であるリグハーヴス公爵も<Langue de chat>を庇護しておりますし。わたくしもお手伝い致しましょう」
「……孝宏に出来るかどうか聞いてみる。どんな菓子が要るんだ?」
「そうですわね。ケーキやタルトが三つ程、あとは摘まめる様な菓子も幾つかあると良いですわ。お客様は側妃達の他、王子達が来る時があります。稀に王も」
王家が勢揃いではないか。マクシミリアン王には王妃の他に三人の側妃が居るのだ。王子は三人居るが、一人はまだ幼児だ。
開催日と必要な菓子を紙に書いて貰い、エンデュミオンはベストのポケットにしまった。そして、ふと自分の隣の空間を見る。
「ん?」
ぽん、と音を立ててヴァルブルガが現れた。三毛のハチワレケットシーの登場に、エレオノーラが両手を合わせて喜ぶ。
「まあ、可愛い」
「にゃっ」
エンデュミオン以外に人がいると気付き、ヴァルブルガは慌てて兄貴分にしがみ付く。
ヴァルブルガがイシュカの傍を離れるのは珍しい。とても人見知りだからだ。
「ヴァルブルガ?」
「……孝宏、エンデュミオンが遅いから心配してるの」
「解った、帰る。エレオノーラ、もし孝宏が引き受けたら、菓子の内容を知らせる精霊便を送る」
「ええ。お願いしますね」
「邪魔をした」
自分にしがみ付いているヴァルブルガごと、エンデュミオンは姿を消した。
「また簡単に<転移>をして、大師匠は……」
「うふふ、可愛らしい大魔法使いですこと。後から来た子も、大切にされているのが解ります」
毛艶が良く、一級品の服を着ていた。きっと<針と紡糸>で誂えたのだろう。
「引き受けてくれると嬉しいのですが」
「ケットシーは人を見ますから」
ジークヴァルトはエンデュミオンが寝椅子に置いて行ったカップを、ティーテーブルに戻した。カップのミルクティーは綺麗に無くなっていた。
エンデュミオンはエレオノーラとお茶を飲んだ。気に入らなければ、顔を見た瞬間帰っているだろう。世話になっているリグハーヴス公爵の妹だから、等と言う眼鏡を通して物を見る訳も無いので、取り敢えずエレオノーラはエンデュミオンの審査を通ったのだ。
「ただいま」
<Langue de chat>の二階の居間に<転移>し、エンデュミオンは孝宏に、ヴァルブルガはイシュカに抱き着いた。
「遅かったね、何かあったの」
「……ティーポットが頭に当たって気絶していた」
不運な事故を、ぼそりと白状する。
「えええ!?大丈夫なの?痛い所は無いの?」
孝宏はぎょっとして、エンデュミオンの見た目に怪我がないか確かめた。
「エレオノーラとジークヴァルトが<治癒>してくれた。でも一寸撫でてくれ」
「良いよ。痛いの痛いの、遠くのお山に飛んで行けー」
ラグマットに座った孝宏の膝に座り、エンデュミオンは頭を撫でて貰う。くるくると喉が鳴る。
にこにことこちらを見ているカチヤに、子供っぽいと思われていても構わない。主に可愛がって貰うのは、ケットシーの特権なのだ。
「エレオノーラのお茶会は、王宮の菓子職人以外にも頼むものなのだそうだ。どんな菓子が欲しいのか一応聞いて来たが、どうする?」
孝宏はエンデュミオンがポケットから出した紙に目を通す。
「んー、作れない量じゃないから今回はやっても良いかな。当日まで時間があるし、試作したりしないといけないけど。王妃様には、エンディを<治癒>して貰ったからね」
「そうか」
「エンディにも試食して貰うよ」
「……ヴァルブルガは?」
「ヴァルもだよ。ルッツも居る時が良いよね」
イシュカの膝の上からそっと伺いを立てるヴァルブルガに答える。食べ損なえば、ルッツは絶対に悔しがるからだ。
「何作ろうかなあ」
エンデュミオンの頭を撫でつつ、孝宏は記憶の中のレシピを捲るのだった。
ケットシーは石頭。でも、痛い物は痛い。
主に甘える特権があるのがケットシーなので、甘えたい時はケットシーの本能で孝宏に甘えるエンデュミオンです。




