地下迷宮の魔物(後)
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攻撃的な魔物は捕獲します。
74地下迷宮の魔物(後)
蝙蝠は翌日の朝食後には人化出来るまで回復した。
「やっぱり子供かー」
孝宏とエンデュミオンの前には、焦げ茶色のワンピースを着た三歳位の幼女が居た。赤紫色の瞳で明るい茶色のふわふわとした巻き毛が、薔薇色の頬や肩に掛かっている。一寸した美少女だ。
(びしょ濡れで逆さまになってたら、そりゃ怖いわ)
納得した孝宏である。この子自身は、ルッツをあれほど驚かすとは思わなかっただろう。
「名前どうしようか」
「着けてくれて良いですー」
「エンディ?」
「では、マーヤと言うのはどうだ?」
「うん、可愛い名前だね。マーヤ」
幼女はふにゃりと笑った。
「はいです」
見掛けが三歳でも魔物なので、長寿だし知能は高い。
「マリアンに服頼まないとね」
ワンピース一枚ではどうにもならない。脚も裸足だ。
「マーヤ。こっちおいで」
孝宏はソファーにマーヤを座らせた。エンデュミオンもソファーに上がる。
「マーヤ。大事な事なんだが、マーヤが地下迷宮から出た時、他に出た魔物は居たか?」
「ルー=ガルーが出たです」
「ルー=ガルー?」
名前だけではどんな魔物か解らない。
「狼男だな。人狼とは違うぞ。人狼は変身しないが、狼男は狼に変身する。そして人化している時は、パッと見て平原族と変わらない。毛深かったり爪が長かったりはするのだが」
「何体出たの?」
「三体出たです。他の魔物は地下一階に残ってたです」
騎士や傭兵を襲うのに忙しかったのだろう。
「つまり、マーヤが外に出るまでに三体で、その後は不明、と」
「はいです」
エンデュミオンはソファーの前にあるテーブルの引き出しから紙とペン、インクを取り出し手紙を書いた。三通書いてから窓を開け、それぞれ風の精霊に持たせる。
「冒険者ギルドと魔法使いギルド、リグハーヴス公爵に届けてくれ」
青い光の軌跡を残し、精霊達は散って行った。
「エンディ、ルー=ガルーって結構危険?」
「かなり危険だ。だが追っているものがどんな魔物か解れば、罠を張れるだろう」
数分後、教会の鐘が鳴り始めた。家に入り戸締まりしろと言う警鐘だ。
店を閉めたイシュカ達が二階の居間に上がって来る。
「エンディ、何かしたのか?」
「マーヤに話が聞けたからな」
「マーヤ?」
イシュカはそこでソファーに幼女姿で座るマーヤに気付いたらしい。
「名前着けたんだよ。人化出来る様になったから」
「可愛いですね。私はカチヤですよ」
カチヤは近付いて、マーヤの頭を撫でている。魔物への拒絶は無いらしい。昨日の飢え死にし掛けている姿を見ているからだろう。
「マーヤですう」
マーヤも嬉しそうだ。孝宏はマーヤにイシュカ達の名前を教えた。それからイシュカ達にエンデュミオンが、マーヤに聞いた話を繰り返した。
「ルー=ガルーかあ」
テオが腕組みをして唸る。テオの後頭部にはルッツがへばりついていた。
「冒険者ギルドと魔法使いギルドが罠を仕掛けるなら、近隣集落で家畜が襲われている場所だろうね。狂暴牛なんかに比べると、家畜の方が簡単に狩れる筈だから」
「街までは来ていないと思うか?」
「集落に比べたら家畜が少ないし、犬も人狼も居る。人化してもルー=ガルーは獣臭いんだ、気付かれるよ」
テオとイシュカの会話に、エンデュミオンも首肯する。
「エンデュミオンもそう思う。地下迷宮から一番近い集落から襲うだろう。ルー=ガルーは空を飛べないから。マーヤが真っ直ぐ街に来たのは飛べたからだろう?」
「はいです」
マーヤは背中に黒い蝙蝠の翼を出した。人型でも飛べるらしい。空腹でなければ。
「だが、冒険者達から逃げて街まで来るかもしれん。脚は速い筈だ。門が閉まる前に潜り込まれる可能性もある」
「ルー=ガルーが捕まるまでは、閉店だな」
黒森之國、特に北地方では冬が長いので食物の備蓄をする。一週間程度家に缶詰めなった所で平気なのだ。
午後から街に居た冒険者や魔法使いがギルドに集まり、家畜被害のあった集落へ向かう討伐隊を組んだ。
テオとルッツは街に残留だ。冒険者ギルドに加入はしているが、現在は配達屋だからだ。
それに、街にも冒険者を残しておかないと、万が一の時困る。何しろルー=ガルーは三体居るのだ。群れていれば一度で片付くが、バラけていれば面倒な事になる。
「テオ、ルッツ」
ぞろぞろと集落に向かう冒険者を見送っていたテオとルッツに、アーデルハイドが声を掛けて来た。〈紅蓮の蝶〉も残留組だ。アーデルハイドの隣にスヴェンとザシャも居る。
「巡回騎士の他に冒険者も見廻りをするのだが、夜の見廻りにルッツは出られるのか?」
「無理だね」
夜はケットシーの寝る時間だ。スヴェンも苦笑する。
「リヒトとナハトも無理かも」
子供の妖精に、夜に起きていろと言う方が無理なのだ。
「一度<Langue de chat>に戻って、孝宏に預けて来る。リヒトとナハトも来ないか?」
「いくー」
「いくー」
「預かって貰って良いかな」
ザシャの妖精に子供はいないので、彼はマルコ達と見廻りに行く事になった。
「お帰り」
<Langue de chat>に戻ったテオ達に、孝宏が台所から言う。イシュカとカチヤ、ヴァルブルガの姿がないのは、工房にでも居るのだろう。
「いや、また行くんだけど、ルッツとリヒトとナハト預けに来た」
床に抱いていたルッツを下ろし、テオは孝宏に説明する。
「何で?」
「夜の見廻りするんだよ」
「じゃあ、サンドウィッチ位持って行く?」
「うん」
台所で孝宏とエンデュミオンがサンドウィッチを作っている間に、こちらも床に放牧されたリヒトとナハトがマーヤの匂いを嗅いでいた。
「まもの」
「ヴァンパイア」
きちんと嗅ぎ分けるが、吠えたりはしない。マーヤが無害だとリヒトとナハトも解っているからだ。
「マーヤですう」
「リヒト」
「ナハト」
ルッツとマーヤ、リヒトとナハトで果物の形の編みぐるみで遊びだしたので、テオはアーデルハイドとスヴェンに話し掛けた。
「ルー=ガルー、もう街に入ってると思う?」
「狼化して駆けてくれば、来れない距離ではないだろう」
「マーヤに聞けたのが朝だからなあ」
家畜被害はやはり地下迷宮に近い集落に出ているとの精霊便が、ギルドに届いていた。人的被害はまだ無いが、家畜を守ろうとルー=ガルーに攻撃すれば解らない。
「近くにくれば、私が気が付くと思うのだがな」
アーデルハイドは人狼なので、嗅覚が優れている。
「はい、出来たよ。こっちはザシャ達の分。中身は簡単に生ハムとチーズだけどね」
「こんなに作って貰って、パンが無くなるのではないか?」
「俺、自分でも焼けるから大丈夫だよ。小麦粉あるから」
「ほう」
「有難う、ヒロ」
「気を付けてね」
孝宏と妖精達に送り出されて、テオ達は<Langue de chat>を出る。冒険者ギルドまで戻り、ザシャ達にサンドウィッチを渡してから、囲壁内の巡回に入ったのだった。
街頭の無いリグハーヴスの街は夜になると、家々の玄関先に下がるランプが頼りだ。
ルー=ガルーが街に入り込んでいるかもしれない今は、祭りの夜の様にランプが提げられていた。
テオとスヴェン、アーデルハイドは、得物に手を掛けた状態で路地を歩いていた。スヴェンの肩には火蜥蜴のルー・フェイが乗っている。
「何か空気が温いねー」
「この時期はいつもだな」
ルー=ガルーは出来れば討伐ではなく、捕獲する予定なのだ。リグハーヴスの街にまで入って来ているかまだ解らないが、途中で冒険者達に遭遇していなければ、確率は高い。
ワアッと遠くで声が上がった。
「左区か?」
「出たかな」
人化出来るルー=ガルーは、日昼に潜り込んで今まで隠れていたとも考えられる。まだ街が拡張中のリグハーヴスは、材木置き場など、隠れられそうな場所があるのだ。
「二人共落ち着いてますね」
のんびりと力の抜けているテオとアーデルハイドに、スヴェンは感心してしまう。
「ガチガチになっていては動けぬぞ」
ぺしぺしとルー・フェイが尻尾でスヴェンの肩を叩く。そうは言っても、スヴェンは戦闘仕様の召喚師ではないのだ。
「ん」
スッとアーデルハイドが左腕を横に伸ばして、テオとスヴェンを停める。ピッピッと獣耳を鋭く動かしている。
生暖かい風の中に、獣臭さを感じた。
「来るぞ!スヴェン!」
「ルー・フェイ!罠発動!」
アーデルハイドの合図に、スヴェンはルー・フェイに罠を起動させる。
路地から黒い影が飛び出して来た途端、石畳に魔方陣が浮かび上がり、赤く発光した。
ギャアア!と獣の叫び声が上がる。
火の檻の中に、二足歩行の狼が閉じ込められていた。例え人化出来ても、ルー=ガルーは狼の魔物である。人間を襲うのだ。
「一先ず炎で縛ってくれる?ルー・フェイ」
「うむ」
焼け焦げたりしない温度の炎でルー=ガルーを縛り上げ、魔方陣を消す。このままでは運搬する人が危ないので、テオとアーデルハイドが魔銀製の鎖でルー=ガルーを縛り直す。
唸り声を上げているルー=ガルーの口に、噛まれないように革の猿轡を噛ませ、一仕事終わりだ。
テオは光の精霊に頼み、夜空に光球を打ち上げた。
そのまま待機していると、採掘族の男達が数人やって来た。重いものをを運ぶなら、採掘族なのである。
「ご苦労さん。さっき左区でも捕獲したよ」
「じゃあ、あと一体?」
「おおっ、光ったぞ!」
暗い空に小さく光球が上がっていた。囲壁外に行った組も捕獲したらしい。マーヤが見たルー=ガルー三体はこれで見付かった事になる。
「一応このまま警備は続けよう」
ルー=ガルーに紐を掛け、棒で吊るして運んで行く採掘族の男達を見送り、テオ達は夜が明けるまで巡回を続けたのだった。
「ただいまー」
徹夜明けの少し眠そうな顔をしたテオが帰って来た時、既にイシュカと孝宏、カチヤとエンデュミオンは起きて待っていた。ヴァルブルガはまだ寝室の様だ。
「お帰り」
「テオ、怪我してない?」
「スヴェンの罠が決まって、楽だったよ」
一晩中冒険者達は巡回をしたが、ルー=ガルー三体の他は魔物は現れなかった。
捕獲したルー=ガルーは、地下迷宮に戻る冒険者達が運ぶらしい。
〈地下迷宮の底〉が閉まった後、本来居る階層に居ない魔物は、自動的に帰還するのだ。つまり、地下迷宮にさえ連れて行けば、深部の階層に勝手に移動してくれる。
本来〈地下迷宮の底〉が開く日は、冒険者は黙って過ごせば問題なく過ぎるのだ。今回はそれを周知させていなかった、王都派遣隊の失態だ。
「ルッツは?」
「客間でリヒトとナハト、マーヤと寝てるよ」
子供ばかりなので仲良くなったのだろう。
「んー。お風呂入って、何か食べて寝るよ」
「軽いもの作っておくね」
「うん、有難う」
テオが風呂と食事の後、一眠りしている間に、ルッツ達は起き出していた。
マーヤにベッドから下ろして貰ったリヒトとナハトと共に、ルッツは自分達の部屋を覗いてテオが寝ているのを確認してから、居間に走って行った。
孝宏とイシュカ、カチヤに顔を拭いて貰い、黒パンと茸のオムレツを食べる。リヒトとナハトの分は、黒パンは賽子に切ってオムレツと同じ器に入っていた。
食後、妖精達とマーヤで遊んでいたが、お昼前にスヴェンが迎えに来て、リヒトとナハトは帰って行った。
「あー、良く寝た」
「テオー」
寝癖が付いた髪のまま起き出してきたテオに、ルッツが抱き付く。
「テオ、はい」
「有難う」
ソファに座ったテオに孝宏がミルクティーを差し出す。受け取ったミルクティーを一口飲み、テオはソファの隣にちょこんと座っているマーヤを見た。カチヤに若草色の本を読んで貰っている。
(物凄く無害なんだよね……)
マーヤは魔物だ。本来であれば地下迷宮に戻さなくてはならないのだが、戻せばすぐに飢え死にするだろう。
「お客さんだ」
店のドアが叩かれ、ドアベルが揺れて音を立てていた。イシュカが階下に降りて行き、魔女グレーテルを連れて来た。
「マーヤの具合がどうなったか、気になってね」
「元気ですう」
にこにことマーヤはグレーテルを見上げた。
グレーテルはイシュカを始め<Langue de chat>の面々をぐるりと見渡した。
「マーヤをこれからどうするのかなのだが、あたしの所で暮らしたらどうだろうか」
「ドクトリンデ・グレーテル?」
「ここは男の子しか居ないだろう?あたしは独り暮らしだし、マーヤはいつでも<Langue de chat>に遊びに来られるぞ」
確かに女の子のマーヤを、このまま預かっていて良いか考えてはいた。
「マーヤを継続して預かるには領主に頼んで、魔道具を作って貰わねばならんが、安心して暮らせるならあった方がいいだろう」
「マーヤ、無害ですからね」
空を飛べるだけで、他は非力な女の子だ。
「魔女になる気があるなら弟子にしても良いしね」
「マーヤ、どうしたい?」
エンデュミオンに聞かれ、マーヤは「んー」と考えてから、グレーテルのスカートをそっと握った。
「グレーテルと一緒に住むです。<Langue de chat>には遊びに来るです」
「うん。いつでも来るといい」
ポンポンとエンデュミオンが、マーヤのふわふわの茶色い髪を黒色の肉球で撫でた。
マーヤはグレーテルを保護主として、リグハーヴス公爵の許可を取り、月の女神シルヴァーナ教会から聖別された魔道具を与えられた。
魔道具を持つものは、リグハーヴスへの滞在を領主によって、特別に許可された者である。
見た目は可愛らしい幼女にしか見えないマーヤは、魔女グレーテルの養い子として、街の住民に認知される事になるのだった。
冒険者が多く滞在し、街の住人も元冒険者が多かったりするリグハーヴス公爵領。有事には結構な人数が撃って出ます。
マーヤはグレーテルの養い子として、リグハーヴスに定住します。そのまま魔女の修行に入る感じです。
が、まだ子供なので、<Langue de chat>に良く遊びに来たりします。ルッツと仲良し。




