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地下迷宮の魔物(前)

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

<地下迷宮の底>が開きます。

72地下迷宮ダンジョン魔物トイフェル(前)


 その日、地下迷宮ダンジョンは戦場だった。

 年に一度の〈地下迷宮の底〉が開くと言われている夜中だった。深い階層から次から次へと魔物トイフェルが浅い階層へと湧いてくるのだ。

 腕に自信の無いものは、この晩は安全地帯オアシスから出てはならない。普段より何倍も強い魔物が現れるからだ。

 鈍色に光る武器を安全地帯の外で振り回しているのは、腕試しをしようとしている酔狂な冒険者だが、彼らも危なくなれば安全地帯に飛び込む用意はある。

 〈地下迷宮の底〉が開く日は決まっていないが、予兆はある。地下迷宮の空や天井が禍々しい紫色に染まるのだ。地上階の外壁の色も変わるので、外に居る者達にもそれは解る。

 そして、今年は間が悪かった。王都からの派遣隊が地下迷宮に下りている時だったからだ。

 安全地帯の範囲には限りがある。地下十五階までにいた冒険者達は、強制的にそれよりも深い階層か、地下迷宮から出る為の魔方陣マギラッドへと追いやられた。

 文句を言いつつも、冒険者達は身の安全を守ろうとさっさと移動した。

 冒険者達を追い出した事で、王都派遣隊は〈地下迷宮の底〉が開いた時の対処法を知る術を失ったのだが、彼らはそれを知らない。


 〈地下迷宮の底〉が開いている時、何があっても地下迷宮地上入口の扉を開いてはならない事を。


 翌朝、地下迷宮の隣にある管理小屋の職員は、地上入口の扉に身体を挟んだまま事切れている騎士の姿を見付ける。

 それは、黒森之國くろもりのくにに魔物が放たれた可能性を示していた。


「号外だ。地下迷宮の魔物が外に出たかもしれないそうだ」

「何!?」

 エンデュミオンは玄関前の掃除の途中で手に入れた号外を、イシュカから渡された。

「王都騎士団は地下迷宮の危険性を教えていなかったのか!?」

 紙面にざっと目を通し、エンデュミオンは舌打ちした。

「そう言えば、どうして魔物って地下迷宮から出て来られないの?」

 黒パンを切っていた孝宏が、手を止める。

「魔物は扉を開けて人が招かなければ、基本地下迷宮からは出られないのだ。じっとして招かなければ、死なずに済んだものを……」

 号外によると、地下迷宮一階に居た騎士と傭兵は全滅だった。誰かが安全地帯の中へと魔物を招いてしまったのだろう。悪い事に逃げ出した騎士は、地上への扉を開けた後に襲われている。

「〈地下迷宮の底〉の日に出てくる魔物は知能が高い。厄介な話だ」

「集落や街の人達襲われたりしない?」

「魔物も襲われたり、敵意を向けなければいきなり襲い掛かっては来ない。だから本来は静かに魔物が地下に戻るのを待つのが〈地下迷宮の底〉の日なのだ。魔物の性格も色々だし」

「そっかあ」

「出掛ける時は、誰でも良いからケットシーを連れて行け」

 生ける防犯設備なので、魔物を撃退出来るのだ。

「魔物が行動するのは夜だし、そもそも<Langueラング de chatシャ>には入れないから安心しろ」

 エンデュミオンはとっくに店を囲む魔方陣を組んでいた。抜かりはない。


 地下迷宮に一番近いリグハーヴスには、冒険者ギルドでは冒険者達が、魔法使いギルドでは魔法使い達が集まった。魔物捜索の開始であった。

 しかし結局、日昼の捜索では魔物は発見されずじまいだった。知能の高い魔物の場合は、巧妙に姿を隠す。

 テオとルッツは前日から配達に行っていたので、帰宅途中で地下迷宮からの魔物逃亡を知った。

 ケットシーとは言え子供のルッツなので、テオは寄り道せずに陽のある内に<Langue de chat>に帰ったのだった。

「……どしたの?」

 隣でもぞもぞと動くルッツに、テオは目を覚ました。まだ夜中だった。

 帰宅後皆で夕食を摂って、風呂に入ってベッドに潜り混んだのだが、珍しくルッツが目を覚ましたらしい。

「しっこ」

 もそもそとルッツはテオの上を越えて、ベッドの端から床に降りた。転がり落ちない様に、ルッツは壁側に寝ているからだ。

「ついていこうか?」

「ルッツ、ひとりでもいけるよ」

「じゃ、戸口に居るから」

「あい」

 廊下にも光鉱石のランプが下がっているので、ほんのりと明るい。

 部屋のドアを開けて、バスルームにとことこ歩いて行くルッツの背中を見ていたテオの耳に雷鳴が聞こえ始めた。

(こりゃ、いきなり降ってきそうだなー)

 テオがそう考えた途端、ドカーン!と言う音と共に黄色の光が窓から部屋に広がった。

「うわっ」

「にゃうーっ」

 一瞬揺れる程の衝撃だった。近所に落ちたらしい。

「ルッツ、大丈夫か?」

「……」

「ルッツ?」

「……しっこでた」

「え?」

 テオは慌ててルッツの元へと走った。

「ありゃ」

 ルッツの足元に水溜まりが出来ていた。ふるふると小さな身体を震わせ、ルッツが泣き始める。

「ルッツ、ちゃんとひとりでトイレいけるのにー。ううー」

「解ってるよ。凄く驚いたんだもんな、仕方無いよ」

 テオはルッツの頭を撫でた。

「身体冷えちゃうから、お風呂入ろうな」

 水の精霊(マイム)に頼んでルッツの下半身と床を綺麗にしてから、風呂場へと向かう。

 バスタブにお湯を張り、ルッツを入れる。温かいお湯に浸かり、えぐえぐと泣いていたルッツも少しずつ落ち着いて来た。テオはパジャマの袖を捲り、お湯の中のルッツの前肢を軽く握ってやる。

「凄い雷だったな。雨の音、ここまで聞こえるし」

 雷雲に付いて来た雨が、今や<Langue de chat>の屋根を猛烈な勢いで叩いていた。

「……まどのそとにだれかいた」

「え?」

「かみなりひかったとき、あきべやのまどからみえた。さかさまでこっちみてた。ルッツびっくりした」

 雷が光った時、テオは窓を見ていなかった。

「誰かって、ここ二階だぞ。しかも逆さま?こんな天気に?」

 魔物が居るかもしれないという緊急事態の夜に何故?

(いや、そもそも人間なのか?)

「あかいめしてた」

「……魔物かー」

 魔物は紅い瞳なのだ。昼に紅くなくても、夜には紅く光る特徴がある。

 バスタブのお湯を抜き、テオはルッツの身体を浴布で拭いてから、風の精霊(ウィンディ)で乾かした。

 ルッツを抱き上げて居間まで廊下を歩く。ドアが開けてある空き部屋を覗いてみたが、窓に激しく雨が当たっているだけで、何も見えなかった。

 台所でミルクを温め霊峰蜂蜜ハイリガーベァクホーニックを一匙入れて、まだすんすんと鼻を鳴らしているルッツに飲ませる。飲み終わる頃にはうとうとし始めたので、テオはコップをシンクに置き寝室へ戻ったのだった。


 翌朝、テオは身支度を済ませ、ヴァルブルガに編んで貰った紺色のケットシーの編みぐるみと一緒に、寝ているルッツを居間に運んだ。ソファーに寝かせ、膝掛けを掛けておく。

 窓の外ではまだ雨が降っていた。

「おはようございます」

「おはよう、テオ。雷凄かったね」

 イシュカと孝宏とカチヤ、エンデュミオンとヴァルブルガはもう起きていた。台所で朝食の用意をしている。

「ルッツはまだお休み中なんだね」

「昨日の夜中に一寸あってね」

「どうした?」

 エンデュミオンの黄緑色の瞳がキラリと光る。

 テオは昨夜ルッツがトイレに起きて、魔物を見た話をした。トイレに間に合わなかった事は伏せる。特に必要無いからだ。

「眼が紅いとなると、やはり魔物か……」

 どの人種でも色素が薄く生まれ、眼が紅い者は勿論いるが、悪天候の夜中に人の家の二階の窓に張り付く理由が解らないからだ。

「リグハーヴスに来ているのは間違いなさそうだな。仕方がない、冒険者ギルドと領主に精霊ジンニー便を出しておくと良い」

 エンデュミオンの口調から、お近付きになりたくないのが良く解る。

「そうするよ」

「卵が焼けたぞ」

 イシュカがフライパンから目玉焼きと腸詰肉ブルストを皿に載せていく。孝宏はオーブンからサクサクに焼いた黒パンシュヴァルツブロェートゥを取り出した。

「ルッツ、ご飯だよ」

 頭を撫でてテオは声を掛ける。いつもなら食いしん坊なルッツは、半分寝ていても食事に参加するのに、今日はもぞもぞもと膝掛けに潜って行った。

「ルッツ?」

 そっと膝掛けを捲ると、ルッツは編みぐるみに抱き付いていた。

「ご飯は?」

「……いらない」

「何!?」

 テオよりエンデュミオンの方が驚きの声を上げ、ソファーにすっ飛んで来た。

「具合でも悪いのか?」

「ううー」

 ぽろぽろと琥珀色の瞳からルッツが涙を溢す。

 テオとエンデュミオンは、孝宏に救いの視線を向けた。彼らにはお手上げだ。

「ゆっくり部屋で寝かせてあげたら良いよ。後で食べるもの持って行くから」

「うん」

 テオはルッツを編みぐるみごと抱き上げ、寝室へ向かったのだった。


 日昼は魔物は出て来ない。そんな訳で<Langue de chat>は店を開けた。

 イシュカとカチヤ、テオとヴァルブルガは店に出た。

 孝宏とエンデュミオンは朝食の後片付けの後、ルッツの食事を作り始めた。

 パンケーキの生地を作り、林檎アプフェルのすりおろしを加える。それを小さめに幾つか焼いて、残った生地にブルーベリーを混ぜて再び焼いた。

 皿に二種類のパンケーキを二枚ずつ載せる。皿の端に泡立てたクリームと、兎林檎と、皮から取り出したオレンジ(オラーンジェ)のヨーグルト和え。温めのミルクティー(ミルヒテー)に霊峰蜂蜜を垂らす。

 孝宏とエンデュミオンはパンケーキとミルクティーを載せた盆を持って、テオとルッツの部屋に行った。

 開いているドアを軽くノックする。

「ルッツ」

 ベッドカバーは、もこりと小さく盛り上がっていた。

 孝宏は机の上に盆を置き、ベッドの端に座った。

「ルッツの好きなパンケーキ作ったんだよ。少し食べない?お腹空いたでしょ」

 もそもそとベッドカバーの下から、青みがかった黒にオレンジ色の錆があるケットシーが出て来た。

「お腹が痛いのでは無いのだな?」

「あい」

 こくりとルッツが頷く。エンデュミオンはほっと息を漏らす。

 机から盆を運び、孝宏はベッドカバーの上に載せた。

「おいで」

 ルッツを膝の上に乗せ、ナプキンを広げてやる。

 ナイフとフォークでパンケーキを切り、クリームを付けてルッツの口元に持って行く。舌先でクリームを舐めた後、ルッツはパンケーキに齧りついた。

「おいしー」

 琥珀色の瞳がぱあっと明るい色になる。

「良かった。沢山食べてね」

「あい」

 孝宏に食べさせて貰い、ルッツはパンケーキを綺麗に食べた。ミルクティーもちゃんと飲み、孝宏とエンデュミオンを安心させる。

 実は朝食の後で二人はテオから、昨夜ルッツがトイレに間に合わなかった話を聞いていた。水分を取るのを嫌がる様になっていたらどうしようかと、心配していたのだ。

「あのねえ、きのうこわかったの」

 孝宏の膝に乗り、隣にエンデュミオンが座ると、ルッツは紺色の編みぐるみのケットシーを抱きながら、ぽつぽつ話し出した。

「うえー、窓から逆さまって何だよー」

 ルッツから話を聞いて、孝宏は引いた。それはトイレに間に合わなくても仕方がない。怖すぎる。

「眼の色の他に、どんな姿だったか、見えたのか?」

「ひと、みたいだった」

 こて、と首を傾けルッツが思い出す様に視線を寄せる。

「あー、そりゃ結構高位の魔物だな」

 エンデュミオンは頭をぽしぽしと前肢で掻いた。

「昨日の夜、凄い雨降ったんだよね?魔物って平気だったのかな」

「さあ……」

「わかんない」

 三人はそれぞれに首を傾げたのだった。



地下迷宮から魔物が逃亡しました。そして、地下迷宮に一番近いリグハーヴス領。

夜中に恐い思いをして、トイレに間に合わなかった傷心のルッツ。

<Langue de chat>のお母さん的役割をする孝宏です。

次回はルッツを驚かせた魔物が登場です。

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