エンデュミオンのお客様
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
懐かしいお客様がやって来ます。
71エンデュミオンのお客様
今日は<Langue de chat>の臨時休業だ。
イシュカとヴァルブルガは革を仕入れに問屋に行き、孝宏とエンデュミオンは買い物に行った。テオとルッツは配達で居ない。カチヤは一人留守番をしていた。
工房の床を丁寧に掃き清め、カチヤは箒と塵取りを片付けた。一人の時は刃物類の道具には触れない約束になっているので、出来るのは掃除位だ。
「道具が手に馴染むのには時間が掛かるから」と、徒弟に入って直ぐに用意して貰った道具が入った箱を雑巾で拭いた棚にしまう。
それから雑巾を洗って干し、カチヤは工房から店への廊下を歩く。
皆が帰って来るのを、一階の居間で待とうと思ったのだ。
(おやつ食べようかな)
琺瑯の蓋付き容器に入っているクッキーを、おやつに食べて良いと言われている。
孝宏のクッキーは毎日食べても美味しい。どの味を食べ様かと鼻歌を唱いながらカチヤが店へのドアの前まで来た時、話し声が聞こえた。
「誰もおらぬのう」
「やはりスヴェンと来た方が良かったのではないか?」
「じゃがのう、蜜月だと言うのに頼めんじゃろう」
(あれ、お客様?)
孝宏達が鍵を掛け忘れて出掛けたのだろうか。
本を返しに来た客かもしれないと、カチヤはドアを開けた。
「お客様?」
ドアを開けた向こうには、誰の姿も見当たらなかった。
「……居ない?」
「居るぞ、こっちじゃ」
呼ばれて回り込んだカウンターの向こうに、膝丈までしかない小さな老人が、緋色に橙色の水玉模様の蜥蜴を抱いていた。
「失礼しました。いらっしゃいませ」
「もしかして今日は休みかのう?」
真っ白い髭を蓄えた老人が、キラキラした瞳でカチヤを見上げた。
「はい。店主が仕入れに行っておりますので、お休みさせて頂いております」
「我等はエンデュミオンに会いに来たのじゃがのう」
「エンデュミオンも留守にしておりますが、もう暫くしたら戻って参ります。お待ちになられますか?」
「良いかの?久し振りに会うのじゃよ」
「こちらにどうぞ」
カチヤが案内した緑色のソファーに、老人は蜥蜴を載せてから、自分もよじ登った。
「お茶をお持ちしますね。ごゆっくりなさっていてください」
「すまんのう」
「かたじけない」
明らかに蜥蜴も喋った気がしたが、カチヤは台所へ行ってお湯を沸かし紅茶を淹れた。皿に蓋付き容器からクッキーを出して盛り、盆にティーポットとカップと共に載せて運ぶ。
「お待たせしました」
カチヤは飴色のティーテーブルに、カップを二つとクッキーの皿を置いた。カップにポットから紅茶を注ぎ入れる。孝宏が「ケニルワースみたい」と言っている茶葉を使ったので、花に似た香りが立った。
「ミルクと砂糖はお好みでどうぞ」
ミルクピッチャーと砂糖壺もテーブルに置く。紅茶が残っているティーポットにティーコージーを被せる。紅茶を蒸らした後、茶葉を濾してポットを移したので濃くはならない。
「馳走になるのう。今日の恵みに」
「今日の恵みに」
小さな老人と、机の上に登った蜥蜴がそれぞれ食前の祈りを唱え、紅茶を啜る。
「うむ、美味い」
「これは初めて飲む茶葉だな。スヴェンの所とはまた違う」
緋色の蜥蜴が尻尾を振る。カチヤは蜥蜴の言葉に知った名前を聞いて口を開く。
「スヴェン?と言うと召喚師の?」
「そうじゃ。グエンとルー・フェイはスヴェンの契約妖精じゃからの。グエンが地下小人、ルー・フェイは火蜥蜴じゃ」
「妖精だっだんですか!?」
カチヤは全然思い付かなかった。グエンは小さな老人にしか見えないのだ。
「そうさの、グエンは人にも見えるからのう」
ホッホと地下小人のグエンが白い髭をしごいて笑う。
「エンデュミオンのお知り合いなんですか?」
「昔馴染みなのだ。近くに居ると知ったので会いに来たのだ」
割ったクッキーをグエンに貰いながら、ルー・フェイが説明する。
「昔……?」
「エンデュミオンに最初に会ったのは何百年前かのう」
「何しろ五十年振りに会うからな」
年数の桁がおかしい。妖精と平原族では時間の感覚が違うのだ。
「もしかしてエンデュミオンと契約してたんですか?」
「いやいや、あれは魔法使いだったから妖精とは契約せぬよ。我等が魔法使いの塔に遊びに行ったのだ」
「あれは独りだったからのう。エンデュミオンは精霊にも妖精にも好かれていたものじゃ」
大魔法使いエンデュミオンは森林族だったので、精霊との親和性は元々高い筈だ。しかし、有名な大魔法使いが独り、とはどういう事なのだろう。
「大魔法使いエンデュミオンなら、お世話する人が居たのでは?」
「居らぬよ。あれは魔法使いの塔に独りで住んでいたからの。晩年まで弟子を得なかったしのう」
「あれは幽閉されていたのだろう。契約で縛られてな。いつもつまらなそうな顔をしていたものだ。何でも出来るがゆえに、何処にも行かせて貰えないのだからな」
「だからのう。今が幸せかどうか見に来たのじゃよ」
「そう、なんですか……」
一般に伝わっているのは、王家の為に尽くした大魔法使いエンデュミオンの話ばかりだ。エンデュミオンが一人で何処かへ出掛けた話など、聞いた事が無いと、今更ながらカチヤは気付いた。
「ケットシーのエンデュミオンは、楽しそうですよ」
時々人の悪い笑みを浮かべている事もあるが、楽しそうだ。
「あとですね、ここの人達はエンデュミオンが大魔法使いエンデュミオンだとは、思ってもいないんです」
ただのケットシーとしか思っていない。孝宏もイシュカもだ。あの二人はエンデュミオンが、可愛いケットシーにしか見えていない様なのだ。たまに黒い笑みでニヤリと笑っていても、「愉しそうだね」と頭を撫でてやっている位だ。
「それは良いのう」
「全くだ」
ホッホとグエンが笑い、ククッとルー・フェイが喉を鳴らした。
この二人にとっては笑い事らしかった。
「む」
孝宏に肩車をして貰って買い物から帰って来たエンデュミオンは、<Langue de chat>のドアを開ける前から店内に妖精の気配を感じ取った。
(地下小人と火蜥蜴か)
孝宏が鍵を開け、ドアを開ける。
「ただいまー」
「お帰りなさい。エンディ、お客様がいらしてます」
「むぅ?」
孝宏の後頭部にしがみついていたまま、エンデュミオンは閲覧スペースに向かう。
「ホッホ、可愛い姿になったの、エンデュミオン」
「目付きは変わらぬな」
「地下小人!火蜥蜴!」
「お友達なの?はい、ごゆっくり」
孝宏はエンデュミオンを、肩からソファーの上に下ろしてやった。カチヤを手招きして、奥に入って行ってしまう。
「何で居るんだ?」
「ご挨拶じゃのう、折角来たのに。どれ、良く顔を見せるのじゃ」
「むぅ」
グエンは自分と大きさの変わらないエンデュミオンの額を撫でた。
「良い子じゃ。元気にしておるかのう?」
「うん」
「主は良くしてくれるか?」
「エンデュミオンを大事にしてくれるぞ」
「ならば良いがのう」
長い髭をしごく地下小人と、ぺちぺちと尻尾でテーブルを叩いている火蜥蜴に、エンデュミオンは黄緑色の瞳を瞬かせた。
「エンデュミオンに会いに来ただけでは無いのだろう?」
二人は地下小人と火蜥蜴の長だ。普段はそれぞれの集落に居る筈だった。
エンデュミオンが王都の魔法使いの塔に住んでいた時、彼らや他の妖精達も良く遊びに来ていたが、リグハーヴスまでわざわざ来るとは思えない。エンデュミオンはケットシーに産まれてから、他の妖精に自分の素性は話していなかったからだ。
「エンデュミオンが居なくなってから暇でのう。今は召喚師スヴェンと契約してな、グエンと言うのだ」
「ルー・フェイだ。スヴェンと双頭妖精犬の会話にエンデュミオンの名が出てな、来てみたのだ」
「そうか」
「お前が幸福かどうか気になったからな」
ぽってりとした舌で紅茶を舐め、ルー・フェイは瞳孔が縦に走る琥珀色の瞳を細める。
エンデュミオンは照れた様に、ぽしぽしと前肢で頭を掻く。
独り切りの魔法使いの塔で、エンデュミオンを慰めてくれたのは、膨大な魔力に引き付けられた妖精や精霊達だった。
特にそれぞれの妖精の長には何故か気に入られ、契約もしていないのに毎日の様に顔を出し、魔法を使う時は率先して力を貸してくれた。
生まれ変わった後も、こうして気に掛けてくれる。
「スヴェンはリグハーヴスの召喚師だ。これからもちょくちょく会えるだろう」
「そうじゃのう」
「ところでエンデュミオン、この菓子は美味いな」
チョコチップクッキーの欠片を、ルー・フェイは舌先で皿から器用に掬い取った。
「孝宏が焼いた菓子だ。土産に持って帰るか?どうせスヴェンに黙って来たのだろう?」
「オーブンにルー・フェイが居ないのが解れば、何処かに出掛けたと思うだろうな」
「全くのう」
二人の妖精は、悪戯っ子の顔で笑う。契約した召喚師に喚ばれればすぐに〈転移〉出来るので、何処に居ても構わないのだ。
「妖精同士が知り合いでも、スヴェンは不思議に思わないだろう?」
「エンデュミオンと言う名の妖精が、普通の妖精ではないと気付いていないのは、ここの住人位だと思うぞ」
「そうじゃのう」
「むぅ」
否定出来ない。何故かイシュカやテオでさえ、エンデュミオンを大魔法使いエンデュミオンと結びつけていない。ただのケットシーとして扱ってくれる。孝宏に至っては、目付きの悪い顔をしている事の多いエンデュミオンを、可愛いと思っているらしい。三人とも視力は良い筈なのに。
「少し待っていろ」
エンデュミオンはソファーから滑り降りた。とことこと一階の台所に行く。
「孝宏」
「エンディ、お客さんは?」
孝宏はカチヤと台所でお茶を飲んでいた。
「あの二人は地下小人のグエンと火蜥蜴のルー・フェイと言って、スヴェンの契約妖精なのだ。エンデュミオンの昔馴染みだ」
「そうなんだ」
「スヴェンに黙って来たらしい。土産にクッキーを持たせたいのだが良いか?」
「勿論」
〈本を読むケットシー〉のスタンプが押された蝋紙の袋にクッキーをたっぷり入れて口を折り返し、孝宏はエンデュミオンに渡した。
「またゆっくり来て貰いなよ」
「うん」
クッキーの袋を両腕で抱え、エンデュミオンは閲覧スペースに戻る。
「これは土産だ。皆で食べると良い」
「喜ぶのう」
「かたじけない」
にこにことグエンは袋を受け取った。グエンの肩にはルー・フェイが登っていた。
「また遊びに来い」
「そうしようかの」
「良い子でいろよ」
パチンと音を立てて、二人の妖精の姿が消える。スヴェンの元に戻ったのだろう。
「……」
ぽしぽしとエンデュミオンは頭を掻く。
懐かしい妖精達に会うとは思わなかった。エンデュミオンはケットシーの身体でも精霊魔法を使うが、近くに居る中級や上級程度の精霊の力を借りていた。長級の精霊や妖精に遭遇する機会は無かったのに。
(人の噂話から嗅ぎ付けるとは)
歳経た妖精は侮れない。エンデュミオンもグエンやルー・フェイにしてみたら子供の様なものなのだ。随分と気にかけてくれていたらしい。あれから五十年も経つのに。
『お客さん、帰ったの?』
孝宏が閲覧スペースに来ていた。
「孝宏……」
エンデュミオンは駆け寄って、孝宏の脚に抱き着いた。
『どうしたの?』
孝宏が抱き上げてくれたので、頭をぐいぐい肩口に擦り付ける。孝宏はエンデュミオンの背中を子供にする様に、ぽんぽんと軽く叩いた。
『グエンとルー・フェイが来てくれて、嬉しかったんだね』
エンデュミオンは黙って頷いた。
孝宏はエンデュミオンを抱いたまま、暫くの間小さな背中を擦り続けた。
〈碧水晶〉に帰って来たグエンとルー・フェイは、すぐに外出がバレた。犬の姿の妖精に、クッキーを嗅ぎ付けられたからだ。
「おかしのにおい」
「おいしい?」
尻尾をぶんぶん振る双頭妖精犬を引き連れたまま、グエンとルー・フェイは居間に居たスヴェンとアーデルハイドの元へと向かった。
そっと蝋紙の袋を差し出す。
「これは土産じゃ」
「遊びに行っていたのだ」
〈本を読むケットシー〉のスタンプに、スヴェンもアーデルハイドも、二人が何処に行っていたか気が付いた。
「<Langue de chat>に行って来たの?」
「エンデュミオンは昔馴染みでのう」
「そうだったんだ。また遊びに行くと良いよ」
「そうしようかのう。グエンもルー・フェイも、エンデュミオンが可愛くての」
ホッホとグエンが笑う。エンデュミオンが可愛い、と言っている時点で、グエンとルー・フェイが高位の妖精である証明なのだが、本人達は意識していない。
「おかしー」
「おかしー」
リヒトとナハトはクッキーの袋に釘付けだ。
「ふふ。お茶を淹れてお土産を頂こうか」
アーデルハイドが立ち上がり、台所へお茶を淹れに行く。
(うーん、グエンとルー・フェイって……)
一体どれだけ生きている妖精なのか。大魔法使いエンデュミオンは、六百歳以上だった筈で。そのエンデュミオンを子供扱いだ。
(二人とも楽しそうだから良いか……)
にこにこしているグエンと、尻尾を振っているルー・フェイに、スヴェンはそう結論付けるのだった。
ルリユール<Langue de chat>には、時々妖精のお客様が現れる様になる。
椅子にちょこんと地下小人が座って紅茶を飲んでいたり、テーブルの上で火蜥蜴がクッキーを頬張っていたりする姿は、ケットシーが既に三人居る店では然程驚かれもせず受け入れられた。
エンデュミオンを子供の様にあしらう彼等の素性を察して青褪めたのは、大魔法使いフィリーネと魔法使いクロエだけだった。
グエンとルー・フェイが召喚師スヴェンの契約妖精と知ったフィリーネは、リグハーヴス公爵アルフォンス・リグハーヴスと、妻で魔法使いでもあるロジーナに、くれぐれも召喚師の扱いには気を付ける様にと忠告するのだった。
フィリーネを弟子にするまで一人きりで魔法使いの塔に住んでいたエンデュミオン。遊びに来てくれる妖精や精霊を相手に過ごしていました。
エンデュミオンは結構寂しんぼうです。
当然フィリーネもグエンやルー・フェイを知っているので、正体に気付きました。彼らは通常、普通の妖精のふりをしています。




