〈紅蓮の蝶〉の襲撃(後)
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番を得た人狼を罠に嵌めると、確実に襲撃されます。覚悟の上実行しましょう。
70〈紅蓮の蝶〉の襲撃(後)
ギイッと音を立てて冒険者ギルドのドアが開いた。小麦色の人狼トルデリーゼは開いた戸口に深紅の色を見て、〈紅蓮の蝶〉の帰還を知った。
「お帰りなさい」
「ただいま、トルデリーゼ」
アーデルハイドはポーチから達成証明書を取り出し、カウンターのトルデリーゼに渡す。
「番見付けたばかりなのに、無理を頼んでごめんなさいね」
「ふん。ギルド長の無茶な強制依頼は有名だがな。テオもやられたそうだし」
テオがケットシーのルッツに憑かれた事を、王都のギルドに知らせたのは、リグハーヴスのギルド長ノアベルトだ。
テオとルッツは一ヶ月王都と地下迷宮入口を往復する羽目になったのだ。
「はい、確認したわ。報酬は四分割して口座に振り込んでおくわね」
「宜しく頼む。ところでな」
アーデルハイドが身を乗り出す。掲示板などをチラチラ見ていたマルコ達も、カウンターに集まる。回りに居た冒険者達も耳をそばだてた。
「私達が地下迷宮にいる間に、おかしな噂が広まっているんだが、トルデリーゼは何か知らないか?」
ぴりっとギルドの空気が張り詰めた。
「地下迷宮まで噂が広まってるの!?」
「ああ。そして噂の出所をマルコ達が追ってくれたんだが、このギルドだった」
はーっ、と溜め息を吐いて、トルデリーゼが額を押さえた。
「私とハーゲンの火消しじゃ力不足だった訳ね。ごめんなさいね、アーデルハイド」
「つまり?」
「ギルド長よ。アーデルハイドが番を見付けたのを公表するなって言って……。何かやるとは思ったけど、噂を流すなんて」
確認に来た冒険者にはトルデリーゼとハーゲンが訂正したものの、噂の出所がギルド長のノアベルトなので妙な信憑性を伴っているのが厄介だった。
「その噂を信じた者が、スヴェンに怪我をさせたのだぞ?」
「本当なの!?」
トルデリーゼの驚き方で、冒険者ギルドには連絡が入っていなかったのだと解る。
「騎士団に捕らえられている。失礼な話だ。私が誰を旦那様にしようが、咎められる筋合いはない」
「その通りなのよね。でも人狼の番選びについて解って無いみたいなのよ。ギルド長は平原族だし」
「ふむ。ギルド長は居るのか?」
「ええ。奥の部屋よ」
「顔を見て来よう」
アーデルハイドを先頭に〈紅蓮の蝶〉の面々が、ギルド長室向かって行く。
彼らの後ろ姿を見ていた冒険者達に、トルデリーゼはパンと手を叩いて、視線を集めた。
「聞いていたでしょう?召喚師スヴェンはアーデルハイドの番なのよ。もし彼にこれ以上危害を加えたら、〈紅蓮の蝶〉を相手にすると思って良いわよ。そう知り合いに教えておくと良いわ」
冒険者達らは、視線を交わし合うなり、慌ててギルドを出て行った。噂を聞いていた仲間に知らせに行ったのだろう。
〈紅蓮の蝶〉に襲撃などされたら、冒険者として再起不能になりかねない。もしくは死んだ方がマシな目に遇わせられる恐れすらある。
「トルデリーゼ……一寸怖かったよ……」
カウンターの内側で固まっていたハーゲンが漸く動き出す。穏やかに話していた様に見えたが、アーデルハイドの眼は笑っていなかった。マルコ達もだ。
トルデリーゼは肩を竦めた。
「下手な噂なんか流すもんじゃないのよ。特に番を選んだ人狼にはね」
ノックをした後応えを待たずに、アーデルハイドはドアを開けた。
「ギルド長」
「何だ、アーデルハイドか」
「俺達も居るっすけどね」
アーデルハイドの後ろに、マルコ、モーリッツ、パスカルが並ぶ。
「まずは強制依頼の魔石集めは終わらせて来た。それと上質の魔石が回収出来る階層にも、降りて来られるパーティが出て来た様だぞ」
「そうか。用事はそれだけか?次はいつ地下迷宮に下りるんだ?」
「休暇の最中に強制依頼を出されたんだ。ゆっくりさせて貰う。旦那様とのんびりしたいしな」
「旦那?あの若造か?止めておけ、お前ならもっと条件の良い男がいるだろうに。貴族の第二夫人や愛妾にはなれるだろう」
「私の旦那様は私が決める。平原族と人狼は違うのでな、貴族など有難がらんよ。まあ、スヴェンも準貴族だがな。それより、ギルド長が流した噂のおかげで、私の旦那様が怪我をさせられてな。この始末、どうしてくれる?」
アーデルハイドはすらりと腰の刀を抜いた。
「おい!」
軽い動作でアーデルハイドの持つ刀の刀身が、ノアベルトの耳元を掠め壁に吸い込まれる。まるでプディングにナイフを立てる様に、固い筈の壁に突き立った。
「次にお前のせいで私の可愛い旦那様に何かあってみろ、ただでは済まさん。その首、身体と別れさせてやる」
するりと壁から刀を抜き取り、流麗な動作で鞘に戻す。
「人狼の蜜月の邪魔なんかしたら、殺されるっすよ?」
「強制依頼も乱発しない方が良いしねぇ」
「アーデルハイドとスヴェンは見守るこったな」
一言ずつ忠告し、マルコ達もさっさと部屋を出て行ったアーデルハイドを追った。
「な……何だあれは……」
嵐の様に通りすぎて行った〈紅蓮の蝶〉にノアベルトが茫然自失になっていると、突然目の前の机上に鯖虎柄のケットシーが現れた。
思わず椅子を倒して立ち上がったノアベルトに、ケットシーがニヤリと笑う。
「エンデュミオンの祝福を与えた者を、間接的にとは言え害したな?次は無い。覚悟しておけ」
「待て……っ」
「ふん」
鼻を鳴らし、エンデュミオンがパッと姿を消した。不気味な沈黙が部屋を支配する。
「召喚師スヴェンがケットシーの祝福を受けているだと?」
ノアベルトは一度ルッツに呪われている。あの時は些細な不幸が連続した。
慌てて部屋を出て、ノアベルトは別棟の魔法使いギルドに突進した。
「どうなさいまして?」
いきなり部屋のドアを開けたノアベルトに、カウンターの内側で分厚い魔法書を読んでいたクロエは、怪訝そうな顔を向けた。
普段ノアベルトは魔法使いギルドには見向きもしないからだ。
「ケットシーの祝福とはなんだ?」
「ケットシーが気に入って目を掛けた者に付ける印、ですわね。〈黒き森〉のケットシーの集落に辿り着きやすくなったりすると言う噂もあります。祝福を与えた者が害されると、ケットシーは加害者を呪います」
「召喚師スヴェンはエンデュミオンの祝福を受けているそうなのだが」
あっさりとクロエは頷いた。
「ええ。大魔法使いフィリーネから報告を受けておりますわ。大魔法使いエンデュミオンの祝福を受けたのと同じですから、失礼があってはなりませんもの」
「は……?」
ノアベルトの顎が落ちる。森林族の少女の外見を持つクロエは可愛らしく微笑みつつ、非情な言葉をノアベルトに告げた。
「<Langue de chat>のケットシー、エンデュミオンはかつての大魔法使いエンデュミオンですの。可愛らしくおなりですけれど、私の大師匠ですわ」
「なぜそれが知られていないのだ」
「知らせる必要などありますか?大師匠は静かな暮らしを望んでおられます。それに誰にでも失礼な態度を取らなければ良いだけではありませんか。多少の事なら呪ったりなさいませんよ」
クロエが呆れた顔になる。ノアベルトが何故魔法使いギルドに来たのか、察せられたからだ。
(馬鹿な事をしたものね)
これでノアベルトはルッツとエンデュミオンの二人に目を付けられたのだ。
この事はフィリーネに伝えておこうと、クロエはノアベルトが去った後ペンを取るのだった。
「へ?フラウ・アーデルハイドを正式にお嫁さんにしたの?」
「うん。後で教会に行って来る。実家にも手紙書かなきゃ」
朝食の後片付けをしてから、スヴェンはリヒトとナハトを連れて、隣のザシャの部屋〈青水晶〉に来ていた。
「成人したばかりで早くない?」
「うーん、でも僕アーデルハイド以外気にならないと思うんだよね」
だから早くても遅くても同じ、とスヴェンは笑った。
「のろけね」と水魚ラーレ。
「のろけだな」とザシャ。
「そうかなー」
スヴェンは顔を赤らめ、膝に載せた双頭妖精犬を撫でた。
歳上だが、付き合うにつれアーデルハイドが可愛いと思う。それに妖精達にも良くしてくれる。召喚師としてここは大事だ。
「部屋はどうするんだ?」
「まだ話し合ってないけど。そのままかも」
アーデルハイド達は普段はかなり軽装だが、防具なども持っているのでは無いだろうか。荷物の置場所として、アーデルハイドは〈紅水晶〉をそのまま使う気がする。あのフラットは〈紅蓮の蝶〉で借りているのだし、彼らの集合場所だろう。
「あ、買い物行かなきゃ。ザシャは?」
「俺も行こうかな」
買い物籠を持ち、スヴェンとザシャは双頭妖精犬と水魚を連れて〈水晶窟〉を出た。
「スヴェン」
「間に合ったっすね」
後ろからアーデルハイドとマルコに声を掛けられ、スヴェン達は振り返った。
「送り届けたっすからね。じゃ、祝酒呑みに行って来るっす」
方向音痴のアーデルハイドを〈水晶窟〉に届けたマルコは、手をひらひら振ってそのまま何処かへ行ってしまった。
「マルコ達は何処に行ったの?」
「踊り子ツェツィーリアの居る店だろう」
「〈紫水晶〉の?」
「そうだ」
ツェツィーリアは、スヴェンとザシャも同じ階に住んでいるので、遭遇した事がある艶やかな雰囲気の胸の大きな女性だ。
リクハーヴスでは指折りの踊り子で、王都でも名が知られているとか。
「スヴェン、買い物籠を貸して」
「え?」
ザシャがスヴェンの手から買い物籠を取る。
「教会に行って鍛冶屋にも行くんだろう?買い物して来てやるよ」
「重いよ?」
「商店通りは近いし。この紙に書いてあるのを買えば良いのか?」
スヴェンの籠の中には、買う物を書いた紙が入っていた。
「うん。林檎酒の種類は、お店の人に聞いて貰えれば解ると思う」
飲んだ事が無い酒なら、それはそれで地下小人のグエンも火蜥蜴のルー・フェイも面白がると思うが。
「うん、解った。じゃ、ゆっくりしておいでよ」
「有難う、ザシャ」
ザシャが水魚ラーレと買い物籠を二つ持ち、路地に入って行くのを見送って、スヴェンはアーデルハイドと手を繋いだ。
「まずは教会?」
「そうだな。スヴェンのご両親に知らせなければならないから、婚約証明書だろうか。人狼と結婚するとなると驚かれるだろうし……」
成人しているので、親の許しがなくても結婚は出来る。しかし、平原族が他種族と結婚するのを好まない者も居る。
スヴェンは首を傾げた。
「うちの家族は人種は問わないと思うよ。ただ、いきなり結婚しましたって知らせ方が驚くかな」
ヴァイツェアには平原族の他に森林族も採掘族も多数住んでいる。スヴェンの家族は魔法使い一族であり、他種族との交流も多い。ヴァイツェアに出て来た人狼の知り合いも居たと思う。
それに、スヴェンは実家を継ぐ訳ではない。故に全く問題は無かった。結婚式をせずに教会でサインだけして終わらせたりした方が、母と姉に泣いて責められそうである。そちらの方が余程厄介だ。
「ではまず婚約してから、それぞれの実家に手紙を書こう」
「うん」
教会の鐘楼は街の何処からでも見えるので、アーデルハイドも方向を間違わずに歩き出す。
ぱっさぱっさと振られている深紅の尻尾が、アーデルハイドの機嫌の良さを表していた。
「スヴェン、ごきげん」
「アーデルハイド、すき」
スリングの中では、リヒトとナハトも、尻尾を振っていた。
契約妖精は主の感情が解る。スヴェンの明るい心持ちに、リヒトとナハトも嬉しくなるのだった。
冒険者ギルドでは暫くの間、ギルド長ノアベルトを小さな不幸が連続で襲った。
階段を踏み外し脛を打つノアベルトを見て、ギルド職員ハーゲンは湿布を用意してやりながらも、〈紅蓮の蝶〉とケットシーは敵にしてはならないと、秘かに肝に命ずるのだった。
アーデルハイド達の後で、止めを刺すエンデュミオン。
エンデュミオンがノアベルトを脅しに行ったのは、誰も知らない筈なのですが、連続する不幸に、皆察しています。




