ルリユールの下宿人
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ご事情のあるお客様には、自動返却も対応しております。
7ルリユールの下宿人
「テオ、ここ?」
「うん、ここだよ、ルッツ。漸く戻って来られたよ」
テオは相棒に笑い掛け、胸高に硝子の嵌まったドアを開いた。
ちりりり、りん。
ドアの上部に付けられたベルが揺れる。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中にイシュカが顔を上げ、テオに気付くと笑みを浮かべた。そして、テオの相棒を見て目を丸くする。
テオの足元には、青みのある黒い毛の所々にオレンジ色の毛が混じる、所謂錆柄のケットシーがいた。裏起毛の暖かそうなフード付ケープを着ている。
「あ、テオ。久し振り!その子が、テオのケットシー?」
お盆を片手に閲覧スペースから表れた孝宏は、以前より黒森之國語が話せるようになっていた。
「そうなんだ。エンデュミオンにも話したいんだけど」
「なら、もうすぐ閉店だから、今日は泊まっていくと良い。それとも宿屋は決めていたのか?」
「いや、今回はまだ。お言葉に甘えて良いかな」
「勿論。旅の話を聞かせてくれ」
イシュカとテオは手紙のやり取りを続けていた。
借りた本を期限内に返還に来られないテオから、メモが付いた本が帰ってきた時、メモに『ケットシーが憑きました』と書いてあったのだ。
テオにもケットシーが憑いていれば、お互い精霊に頼んで手紙を運んで貰える。
本来ならそれこそ配達屋か、魔法使いギルドに頼まなければならないのだが、ケットシーに頼めると早い。
ただし、精霊は受取票にサインを貰ってくれないので、仕事にはならない。基本的には私信だ。
テオはかなり忙しかったようで、短い手紙では元気でいる事しか解らなかったのだ。
店じまいをして二階に上がって行くと、居間のラグマットの上に座っていたエンデュミオンがぴょこんと立ち上がった。
とことことルッツに近付き、右前肢を上げた。
「エンデュミオン!」
するとルッツも同様に右前肢を上げて「ルッツ!」と名乗りを上げた。それから額をこつんと押し付け合う。
名前のあるケットシーが初対面の時の挨拶の様だ。
「エンディ、テオとルッツを客間に案内して。バスルームも教えて上げて」
「うん。こっち」
ルッツの前肢を引き、エンデュミオンが客間に二人を連れて行く。
元々家族数が多い家だったらしく、部屋数はあるのだ。
上着と荷物を部屋に置き、顔と手を洗ってさっぱりしたテオとルッツが居間に戻って来る間に、孝宏は夕食を作り始めた。
ジャガイモを蒸かして潰したものに刻んだチーズを入れ、フライパンでチーズを溶かしながら軽い焦げ目を付ける。メインはそれに腸詰肉を茹でたものだ。
それに柑橘の絞り汁で和えた葉野菜とラディッシュのサラダ。あとは豆のスープと黒パンだ。
黒森之國は南西にある領地が温暖で、年中野菜や穀物が作れるらしい。冬に入り掛けのこの時期でも、生野菜がリグハーヴスにも送られてくる。ただし、少し高めだが。
「うわー、久し振り!こんなご飯!」
「ごはんー!」
最初の食事の時のイシュカの様な歓声を上げてから、テオとルッツは食前の祈りをみんなと一緒にした。
「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」
『頂きます』
「今日の恵みに」
孝宏とケットシーの食前の祈りは短い。
フォークとナイフを動かしながら、テオは再会するまで何があったのかを話した。
テオはリグハーヴスを出る前に冒険者ギルドで、〈黒き森〉の管理小屋に香辛料を届ける依頼を受けた。
〈黒き森〉は植物の繁殖が激しく、地下迷宮までの道程は直ぐに獣道になる。道を通る冒険者は草を払いながら行く決まりなのだが、探索能力が低い場合は道に迷う者もいる為、地下迷宮に用事がない冒険者は引き受けない依頼だった。
何度か〈黒き森〉の地下迷宮に入った経験のあるテオは、〈黒き森〉に慣れていた。元々田舎育ちなので森に耐性があったのだ。
それにも関わらず、迷いもせずに草を払いながら管理小屋に香辛料を届けた帰り道で、テオは道に迷いケットシーの集落に入り込んでしまったのだった。
テオの額にエンデュミオンの祝福があるのに気付いた王様ケットシーが、彼に憑いて行く気があるケットシーは居るかと呼び掛けた所、飛び付いて来たのが錆柄のケットシー、ルッツだった。
「それで、ルッツの案内で森を抜けたんだけどね」
問題はそこからだった。
一度テオとルッツはリグハーヴスに戻って来たのだ。<Langue de chat>に寄るのを楽しみに冒険者ギルドに受取票を届けに行ったら、あれよあれよとギルド長に拉致られ、王都のギルド本部に連れて行かれた。
黒森之國では、地下迷宮で魔石を回収する為、冒険者や傭兵を短期的に雇い、地下迷宮に潜らせている。
ケットシーは道に迷わないので、ケットシー憑きのテオに彼らの道案内を強制依頼でさせたのだ。
冒険者ギルドに所属する冒険者は、強制依頼は受けなければいけない決まりだ。
一ヶ月近く王都と〈黒き森〉を往復させられたテオとルッツだったが、これ以上は配達屋の仕事に差し障りがある。テオにも贔屓にしてくれる客がいるのだ。
そこで、ギルド本部のギルド長に直談判しに行ったのだ。強制依頼を撤回してくれと。
初めは渋っていたギルド長だったが、その煮え切らなさにルッツが切れた。
「強制依頼を撤回しないのなら、ギルド長と依頼者全員を呪う」と宣言したのだ。
依頼者には國王も含まれる。「有り得ない」とルッツを馬鹿にしたギルド長は、その場でお茶の入ったカップをひっくり返し、驚いて立ち上がった爪先に、机から転がった飾り文鎮が落下した。
その時の「ふふっ」と言うルッツの笑いを、テオは忘れられない気がする。
つまり、ケットシーに呪われると一寸した不幸が連鎖するらしい。
「探索能力の無い冒険者は、地下迷宮に潜る資格はない。王は考えを改めよ。……ルッツはやるよ」と言うルッツの脅迫に、ギルド長は首の関節は大丈夫かと思う程何度も頷き、テオへの強制依頼は撤回されたのだった。
「それで漸くリグハーヴスに戻って来られたんだよ」
「ルッツ、王様脅したんだ……」
デザートのチェリータルトを、口元を汚しながら食べている小さなケットシーが。
「テオはリグハーヴスきたい。だからルッツがんばった」
「有難うな、ルッツ」
テオに頭を撫でてもらい、ルッツは嬉しそうに琥珀色の目を細める。普段の言葉遣いは子供っぽい様だ。
「今回の事で面倒になって、王都の部屋は引き払って来たんだ。拠点をリグハーヴスに移そうと思って。何処にいても依頼は受けられるし」
「では、こちらで部屋探しか?」
「うん。だけど、月の殆ど留守にするからなあ。下宿にしても嫌がられるんだよね」
寡婦がやっている下宿の場合は、防犯も兼ねている事が多い。留守が多い冒険者は、好まれない。
その為冒険者は宿暮らしが多いのだ。
イシュカは紅茶を一口飲み、カップを置いた。
「なら、ここに下宿するか?部屋はあるし、月に半銀貨五枚で食事付きでどうだ?」
「安く無い?普通銀貨二枚は取られるよ」
「留守にしている事が多いんだから、その間の食費は掛からないだろう」
「そうだけどさ。孝宏とエンデュミオンは良いのか?」
エンデュミオンに訳して貰った孝宏は笑顔で頷いた。
『良いよ。それに、ルッツをあんまり変なところに置いておけないよね』
ケットシーはとかく珍しいのだ。
「じゃあ有難く。ルッツ、今日からここが家だぞ」
「おうちー」
ぱたぱたとルッツの尾が左右に振られる。
『あ、そうだ』
孝宏は手を打った。黒森之國語で言う。
「テオ、フリッツとヴィムの本、ある」
「一冊目か?じゃ明日借りるよ」
「うん」
「テオには会員証をまず作って貰わないとな。ルッツも作ると良い。ここの本は面白いから」
「ルッツもつくる」
エンデュミオンに、ルッツがスプーンを握った前肢を上げた。
翌日から、閲覧スペースにテオとルッツが並んで本を読む姿が度々見られ、<Langue de chat>の密かな名物になる事を本人達はまだ知らない。
テオ、再び。ルッツと言う相棒を連れて、<Langue de chat>の下宿人になりました。
テオは黒森之國中を移動するので、留守にしている事も多いです。
帰って来ている時は、店を手伝う事も。貸本はきちんとお金を払って借りています。下宿人割引で銅貨二枚で。