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〈紅蓮の蝶〉の襲撃(前)

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

人の噂も七十五日と言うけれど……。


68〈紅蓮の蝶ティフォタァシュメタリング〉の襲撃(前)


 いつもの様に〈ヴァイツェンスフィアーツ〉にパンを買いに行った孝宏たかひろは、売り場窓口に居たベティーナに手招きされた。頼んだ黒パンシュヴァルツブロェートゥ白パン(ヴァイスブロェートゥ)を孝宏の籠に入れながら囁く。

「ヒロ、ヘア・スヴェンの噂を聞いた?」

「何ですか?」

「変な噂が流れてるのよ。フラウ・アーデルハイドを追い回して付き合って貰ったとか、他の女と二股かけてるとか」

 孝宏の膝元に立っていたエンデュミオンが鼻を鳴らした。

「そんな訳があるか。人狼と付き合っていて二股掛けられる男など居ないぞ。それに、スヴェンとアーデルハイドが出会ったのは最近だ。元々スヴェンは王都の学院に居たんだからな」

 アーデルハイドを追い回している暇など無いだろう。スヴェンはリグハーヴスに来て直ぐアーデルハイドと出会った筈だ。

「あたしもそんな噂を信じていないわよ。二人で仲良く買い物に来てくれてたし。今フラウ・アーデルハイドは地下迷宮ダンジョンでしょう?彼女がリグハーヴスに居ない時にこんな噂が流れるなんて、ヘア・スヴェンは大丈夫かしら」

 〈紅蓮の蝶ティフォタァシュメタリング〉は冒険者にも信奉者がいるし、一般人にも人気がある。

「あたし、ヘア・スヴェンには気を付けてって、言ったんだけど……」

 心配だわ、とベティーナはお得意様の身を案じる。

「噂を信じる馬鹿が居ないと良いが」

「そうだね」

 そんな話をしていた矢先だった。

 のんびりとした空気が流れる午後の<Langueラング de chatシャ>のドアが勢い良く開けられる。ドアベルが忙しく鳴った。

「すみません!」

 ザシャがスヴェンを支えてドアを開けていた。こめかみを押さえているスヴェンの手が赤く濡れている。

「ドクトリンデ!」

 カウンターに居たイシュカが閲覧スペースに来ていた魔女ウィッチグレーテルを呼ぶ。

「ヒロ、奥の部屋を使わせておくれ」

「はい!ヘア・ザシャ、そのままヘア・スヴェンを連れて来て」

「解った」

 一階の居間に運ばれたスヴェンは、グレーテルの診察を受けた。

「傷は深くないし、異物も入ってない様だ。水魚マイムが居るんだね。傷を洗ってから癒してくれるかい」

「解ったわ」

 ザシャの契約妖精(フェアリー)である水魚マイムラーレが、スヴェンの傷の近くに泳いで行き、治癒術を使う。緑色の光がふわりと広がり、薄く傷痕を残して治癒させる。

「どこを怪我させられたか聞かれた時の為に、完全には治してないわ。騎士団の調書がまだだから」

「ああ、あたしも証人になるから大丈夫だよ」

「有難うございます。ドクトリンデ・グレーテル、ラーレ」

 ソファーに座り込んだまま、スヴェンは頭を下げる。

「ヘア・スヴェン、バスルームを使ってください。ローブも洗いましょう」

 孝宏に言われてスヴェンが自分の服に目を落とす。袖口や肩に血が付いていた。青色のローブに黒い染みになっている。髪にも血が付いて固まりかけていた。

「スヴェーン」

「ここどこ?」

 スヴェンが首から下げたままのスリングの中で、双頭妖精犬ジェミニがもぞもぞと動いていた。

 スヴェンはスリングを外し、床のラグマットの上に下ろした。スリングから出て来たリヒトとナハトは、きょろきょろと部屋を見回す。その頭をエンデュミオンが肉球で擦る。

「リヒト、ナハト。ここは<Langue de chat>だ」

「エンデュミオン」

「エンデュミオン」

 すんすんとリヒトとナハトがエンデュミオンの匂いを嗅ぐ。

「スヴェン、リヒトとナハトは見てるから、バスルーム使わせて貰えよ。服はラーレに洗って貰えるし。血で汚れたまま帰るのは物騒だよ」

「う……じゃあ、お言葉に甘えて」

「どうぞ、こちらです」

 孝宏の案内でバスルームにスヴェンとラーレが消えると、エンデュミオンはヴァルブルガを呼んで来て、リヒトとナハトの相手を頼んだ。

 スヴェンを案内したバスルームから戻って来た孝宏は、台所でお茶を淹れ始める。

「で、何があったのだ?」

「あれは石の様な物を投げ付けられた傷だろう」

 エンデュミオンとグレーテルの問いに、ザシャはこくりと頷いた。

「さっき市場マルクト広場を歩いていたら、いきなり石を投げ付けられて」

「犯人はどうした?」

「リヒトが雷を落として痺れさせて、丁度巡回の騎士が来たから引き渡して来た。スヴェンの治療の方が先だと思ったし」

「ふうん?」

 エンデュミオンの黄緑色の瞳が光る。

「スヴェンがそんな事をされるいわれはあるのかい?」

 グレーテルが首を傾げた。

「いや、全然。犯人は冒険者風だったけど、何か変な事言ってたなあ、あの人には相応しくないとか……」

「俺、ベティーナにスヴェンの噂を教えて貰いましたよ」

 孝宏は盆にティーポットとカップを載せて、居間に戻る。ソファーの前にある低いティーテーブルに盆を載せ、グレーテルとザシャにお茶を注いだカップを渡した。エンデュミオン達妖精(フェアリー)にもミルクティーを入れたスープカップを用意する。

 リヒトとナハトの鼻先にヴァルブルガがカップをそれぞれ置いてやると、すんすん匂いを嗅いだ後、勢い良くミルクティーを舐め始めた。喉が渇いていたらしい。

「どんな噂?」

「スヴェンがアーデルハイド追い回してるとか、二股かけてるとか」

「無い無い」

 ザシャが手を振る。

「相手は人狼だからねえ。考えられないね」

 グレーテルも呆れ顔になる。人狼は一途なのだ。他の相手が居る者と付き合ったりしない。集落の長でもなければ、つがいを複数持ったりしないのだ。

「多分噂を信じたアーデルハイドの信奉者なんだろうけど、どこからそんな噂が出て来たんだろう」

「だが、怪我をさせるとなると、度が過ぎているだろう。冒険者ギルドに抗議しても良いのではないのか?」

「でも個人でやった事だからって、言われたら終わりだしなあ。スヴェンが泣き寝入りって事になっちゃう」

「何、もっと効果的な遣り方がある」

「え?」

 振り返った孝宏達に、エンデュミオンはニヤリと笑った。


 その日の魔物狩りを終え、アーデルハイド達〈紅蓮の蝶ティフォタァシュメタリング〉は安全地帯オアシスでテントを張っていた。

 安全地帯オアシスでは商人や、力量を付ける為に長期滞在する冒険者が居るので、きちんとしたかまどが作られている場所がある。直ぐ近くには水が湧き出している岩場もあり、魔法を使えないものでも料理がしやすい。

 アーデルハイドはテントの設置はマルコ達に任せ、鍋と材料を手に竃に来ていた。

 竃に鍋を載せ、ペティナイフで野菜をまな板を使わず大まかに刻んで入れていく。

 黒森之國くろもりのくにでも固形コンソメのキューブは売られているので、今日は手軽にコンソメ風味のポトフにする。

 安全地帯オアシスにいた商人から買った腸詰肉ブルストを入れ、鍋に水を入れて竃の熱鉱石の温度を上げる。

(ジャガイモは煮崩れるから、沸騰してから入れるか)

 主食のパンは、水分を抜いた堅パンが冒険者の主流だ。ゆえに、食事には水分があるものが欠かせない。

「フラウ・アーデルハイドも大変ですね」

 今日この階層に降りてきたばかりの青年冒険者が、隣の竃に鍋を置きながら話し掛けてきた。この階層まで来れるのだから、そこそこの腕があるのだろう。

「全くだ。魔石取りの為に強制依頼を出されるとは思わなかったぞ」

「そうなんですか?いや、俺が聞いたのはフラウ・アーデルハイドが男に付きまとわれているって話ですよ?男を撒く為に地下迷宮ダンジョンに潜ってるんでしょ?」

「何の話だ?私は誰にも付きまとわれたりなぞしていないぞ?」

「へえ?リグハーヴスでは噂になってましたよ?」

 カタカタと鍋の蓋が揺れ、アーデルハイドは蓋を開けてジャガイモを入れる。コンソメの香りがふわりと立った。ついでにローリエの葉も一枚入れる。

「おや、手紙みたいですね」

「ん?」

 顔を上げたアーデルハイドの鼻先に、風の妖精(ウィンディ)が封筒を運んで来ていた。地下迷宮ダンジョンの中でも、精霊便は届くのだ。

「御苦労さん」

 アーデルハイドは風の精霊(ウィンディ)から手紙を受け取った。封筒の表にはアーデルハイドの名前が青いインクで書かれていた。

(見覚えの無い字だな)

 裏返した封筒の蓋に、うっすらと肉球の跡が付いていた。そしてエンデュミオンのサインがある。

「エンディ?」

 綺麗に拭いたペティナイフで、アーデルハイドは封筒を開けた。四つに折られた白い便箋を開き、目を通す。その便箋を持つ手がぶるぶると震え出す。

「あの、大丈夫ですか?フラウ・アーデルハイド」

「……大丈夫だ」

 アーデルハイドは読み終わった便箋を封筒に戻し、腰のポーチの中にしまった。

 レードルで鍋の中を掻き回し、ジャガイモが煮えたのを確認してから蓋をする。

「お先に失礼をする」

 手拭いで鍋の持ち手を掴み、アーデルハイドはマルコ達が待つテントに向かった。

「どうしたんすか?」

 アーデルハイドの顔を見るなり、寝袋を広げて風を通していたマルコが怪訝そうな顔をする。

「手紙が来た」

 鍋敷き代わりの畳んだ布の上に鍋を置き、アーデルハイドは敷物の上に腰を落とした。

「誰からぁ?」

「エンデュミオンだ」

「あのケットシーが何だってまた」

 モーリッツとパスカルも、堅パンや林檎アプフェルを布袋から出していた手を停める。

「スヴェンが怪我をさせられたらしい」

「ええ!?」

「怪我自体はザシャの水魚マイムが治したそうだが、リグハーヴスでスヴェンと私の噂が流れているそうだ。事実無根のな。……非常に腹立たしい」

「はい」

 マルコが右手を小さく挙げる。

「誰かが噂を流したって事っすね。通常の噂なら、姉御とスヴェンが付き合っている、程度の噂しか流れない筈っすから」

「アーデルハイドの大事な人を傷付けるのは許せないねぇ」

「全くだ。取り合えず魔石集めは明日で終わらせて、地上に戻ろう」

 終わる、ではなく、終わらせて、なのが〈紅蓮の蝶ティフォタァシュメタリング〉なのだが、四人とも本気になればそれ位は容易い。

「で、地上に戻ってからだが、アーデルハイドは目立つから大人しくしていてくれ」

「パスカル、私も殴りに行きたいのだが」

「待て待て、その殴る相手を俺達で捜すから。まずこの安全地帯オアシスで噂を知っている奴等に誰から聞いたかを確認しよう」

「逆に辿るんだねぇ」

「この階層に降りてきたばかりの奴等が詳しそうっすね」

 マルコが鍋の蓋を開け、素朴な木の器にポトフを注ぎ分ける。

「まずは腹拵えするっすよ」

 四人は揃って頷いた。


 言葉通りに〈紅蓮の蝶ティフォタァシュメタリング〉は、翌日中に高品質の魔石を強制依頼の数だけ集め終え、地上に帰還する。

 マルコ達は地下迷宮ダンジョンで会った冒険者達に噂を誰から聞いたのかを聞き取りつつ、リグハーヴスへと辿って行くのだった。



スヴェンに怪我をさせられ、エンデュミオン怒ります。

一番報復方法として確実なのは、アーデルハイドに知らせる事だよね、と精霊便を送ると言う。

高位冒険者に追い詰められるのは、かなり怖いです。

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