アーデルハイドと星祭(後)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
アーデルハイドのデート、後編です。
67アーデルハイドと星祭(後)
酒屋の屋台にはワインやビール、林檎酒の他、子供向けのレモネードやアイスティーが冷鉱石の入った箱で冷やされていた。
細身の持ち手付きのグラスに林檎酒とアイスティーを買い、空いているテーブル席に座る。
「いっぱい入ってる」
食べやすいようにフリットと揚げ芋の紙袋を開く。紙袋の中には木串も二本入っていたので、アーデルハイドとスヴェンで一本ずつ使う。
「はい、リヒト」
「はい、ナハト」
アーデルハイドとスヴェンで揚げ芋をリヒトとナハトに食べさせてやる。スリングから出して貰い、スヴェンの膝の上に立ってテーブルに前足を掛けた双頭妖精犬は尻尾を振りながら、揚げ芋をはぐはぐと咀嚼する。
アイスティーはスヴェンが鞄に入れて持って来た深皿に移し、交互に飲んで貰う。二人一辺に飲めない訳でもなさそうだが、窮屈そうだからだ。
白身魚、イカ、海老と少しずつ食べさせて貰い満足したのか、リヒトとナハトは市場広場をきょろきょろと見回している。次に行く屋台の目星をつけているのかもしれない。
アーデルハイドとスヴェンは、残ったフリットを摘まみながら、時々揚げ芋をリヒトとナハトの口に入れてやる。
「暑い夏に冷えた林檎酒は美味いな」
「うん」
成人したばかりでもあり、スヴェンは林檎酒か白ワインの炭酸割りをグラスに一杯程度しか飲まない。アーデルハイドは飲もうと思えば結構飲めるのだが、スヴェンに合わせていた。飲まなくても一向に構わないからだ。
フリットを片付け、林檎酒を飲み干してしまうと、テーブルを立つ。基本的にテーブル席は食事をしている人が使う。食事が終われば次の人の為に空けるのだ。
紙袋や木串は、屋台の横にある別々の箱に入れる。紙は漉き直してざら紙になるし、木串も再利用される。
「あれ、なに?」
「くるくる」
リヒトとナハトの視線の先にあるのは、薄く焼いた生地にクリームやジャム、木の実を載せて巻いた菓子だった。上に白い粉砂糖が振り掛けてある。
「お菓子だよ。ジャムは選べるみたいだ」
リヒトとナハトはプラムのジャムを選んだ。アーデルハイドはブルーベリーにした。
「おいしー」
「おいしー」
交互に食べさせて貰い、リヒトとナハトはスヴェンの腕の中で尻尾を振りまくった。
「スヴェンも食べないか?」
「じゃあ一口」
アーデルハイドの持つ菓子を齧り、「甘い」とスヴェンが笑う。年下の恋人のそんな姿に、アーデルハイドの尻尾もぱさぱさと動いてしまう。
(うむ、可愛いな)
市場広場の端にある小鳥の形の蛇口がある水飲み場で砂糖の付いた手を洗い、一通り屋台を見回りながら歩く。
「あら、アーデルハイド。スヴェン達も一緒なのね」
屋台の一つから声が掛かった。男性の声でありながら、柔らかい発音。
「マリアン」
市場広場の路地に近い一角に、〈針と紡糸〉のマリアンの屋台があった。斜めの板を載せた台の上には小物を並べている。格子に切った箱の中には、レースのコサージュもある。
「マリアンも店を出していたのか」
「出逢いの場だもの。男の子が女の子に贈り物をしたりするのよ。うちの他にも屋台を出しているわよ」
「ほう」
アーデルハイドは普段からマリアンの店で服を作っているので、他の店は目に入っていなかった。スヴェンもリヒトとナハトのスリングや首輪を作って貰っているので、マリアンとは顔馴染みだ。
マリアンはアーデルハイドとスヴェンの顔を交互に見てにっこりと微笑んだ。
「アーデルハイドは漸く番を見付けたって所かしら?」
「そうなのだ。解るか、マリアン」
「そりゃあね。その子達もアーデルハイドに良くなついているもの。召喚師の番が気に入らなければ反発するものなのよ」
「そうなのか?」
アーデルハイドがリヒトとナハトに問う。双頭妖精犬はへにゃりと笑った。
「アーデルハイドすきー」
「すきー」
「グエンもルー・フェイもアーデルハイドが気に入ったみたいだったね」
出掛けの二妖精の様子をスヴェンが思い出す。
「ほらね?召喚師の契約妖精に気に入られているのなら大丈夫よ」
「これ、凄いですね」
スヴェンが格子の箱に納められていたレース細工のコサージュを指差した。精巧に編まれた花が収まっている。
「これはね、星祭用にって特別に編んで貰ったの」
「ほう。これは噂のヴァルブルガのレース細工か」
「そうよ。普段は店売りはしていないわ」
「ヴァルブルガって……」
スヴェンの頭の中に<Langue de chat>のケットシーが浮かんだのだろう。それで間違いはない。
「しーっ」
マリアンが唇に人差し指を当てる。
「秘密なのよ。今日は審査無く買えるわよ。これ、髪飾りにもなるのよ」
ピンが大きいので、髪を束ねた所に留め付ければ良いのだという。鍛冶屋のエッカルトが作る魔銀製のピンは、それだけでも美しいので、髪に隠れていなくても見るに耐えるのだ。
スヴェンは象牙色の小花とアイビーの葉を合わせたコサージュを手に取った。そっとアーデルハイドの深紅の髪に当てる。
「スヴェン?」
「似合うわね。アーデルハイドの髪の色に映えるわ」
「じゃあ、これを下さい」
「まいど有難うございます」
スヴェンはマリアンに銀貨を払った。
「ほら、アーデルハイドこっちに来て」
マリアンは屋台の横にアーデルハイドを呼んだ。何処からともなく取り出した櫛と細い髪紐で、あっという間にアーデルハイドの髪を軽く掬って束ね、コサージュを着けた。
「うん、良く似合うわ」
「にあうー」
「きれいー」
「そ、そうか?」
マリアンとリヒトとナハトに誉められ、アーデルハイドの顔が赤らむ。
「普段飾り物を着けたりしないものだから、何だか気恥ずかしいな」
「似合うよ、アーデルハイド」
「……有難う、スヴェン」
「お熱いわねえ。これ、着けていない時に入れておく箱よ」
コサージュがすっぽり入る箱をマリアンはアーデルハイドに渡す。アーデルハイドは腰に着けていたポーチに箱をしまった。
「フラウ・マリアン、今度召喚師 用の新しい上着の相談に乗って貰っても良いですか?」
「勿論よ。いつでもどうぞ」
「ザシャと一緒に伺います」
「ええ、待ってるわ。光鉱石ランプは付いてるけど、路地を散歩するなら、足元に気を付けるのよ」
マリアンの屋台を離れ、アーデルハイドとスヴェンは手を繋いで、路地の散策に戻る。リヒトとナハトは再びスリングの中だ。お腹もいっぱいになり眠くなったのか、スリングに潜り込んでいる。
市場広場から一本路地を入るだけで、音楽や人々の話し声がぐっと静かになる。
「そろそろ帰ろうか?飲み足りなかったら、家にもお酒あるよ」
「そうだな。リヒトとナハトも寝る時間か」
お子様な双頭妖精犬は、夜更かしせずに寝てしまうのだ。
のんびりと光鉱石ランプが列なる路地を歩く。
〈水晶窟〉まで戻って来た所で、スヴェンは夜空を見上げた。群青色の夜空には、星が瞬きもせず輝いていた。月は細い三日月だ。星祭は星の祭なので、満月の夜にはやらないのだ。
「凄い星。王都の方が夜は明るいから、リグハーヴスの方が良く見えるかも」
「そうだな」
熱源に火では無く熱鉱石を用いる事が多い黒森之國は、大気が綺麗だ。大抵の場所で、降る様な星空を観られる。
「……くしゅっ」
リヒトかナハトのどちらかがくしゃみをした。
「涼しくなって来たな。中に入ろうか」
「うん。寄って行ってね」
アーデルハイドとスヴェンは、仲良く共同玄関のドアを潜った。
冒険者ギルドは二十四時間営業だ。有事の際に対処する為、職員は交代で勤務する。
「お待たせー」
星祭の屋台に夜食を買いに行っていた職員のハーゲンが戻って来て、カウンターの中に入ってくる。
「お帰りなさい。お茶入れるわね」
小麦色の髪の人狼トルデリーゼが座っていた椅子から立ち上がり、続き部屋になっている台所に行く。流石に夜になれば開店休業状態になる。当直者はカウンター内で食事をしても良い事になっていた。
「トルデリーゼ、さっき市場広場でフラウ・アーデルハイドを見たよ。男と一緒だった」
「ええ!?本当?」
台所からトルデリーゼが戻って来る。
「うん。フラウ・アーデルハイドより年下だったな。スリングの中に仔犬を入れていた」
「それは新しく来た召喚師よ。仔犬は妖精だわ。アーデルハイドも年頃だもの、番を見付けてもおかしくないわよ。人狼としては遅い位よ」
人狼は育った集落や、別の集落で番を見付ける事が多い。集落から出てしまうと、相手が人狼でない事が増えるので、番を見付けにくくなるのだ。何しろ他の種族は人狼程鼻が利かない。彼らは番の<匂い>が解らないと言う。
「アーデルハイドはずっと番を捜していたから、良かったわ」
「良くない!」
いつの間にかギルド長室から出て来ていたノアベルトに、ハーゲンとトルデリーゼは吃驚してしまった。
「あ、ギルド長。フリットと腸詰肉のサンドウィッチ買って来たんですけど、どうですか?」
夜食を勧めるハーゲンを、ギルド長ノアベルトは手を振って黙らせた。
「今の話は本当なのか?アーデルハイドに男が出来たと言うのは」
「手を繋いで歩いていましたし、フリットを売っていた魚屋の親父にも、自分の番だとはっきり言ったそうですよ」
「くそっ、今アーデルハイドに引退でもされたら厄介なんだぞ!」
<黒き戦斧>は解散し、他のパーティーも地下迷宮深部にまで潜ってはいるが、<紅蓮の蝶>ほど質の良い魔石を回収しては来ていない。王宮の官吏からは魔石の質毎に、回収目標数がノアベルトの元に送られて来ていた。王都の派遣隊では上質の魔石が取れる魔物の居る階層までは行かない。深部で取れる魔石は、冒険者が回収するしかない。
しかし、冒険者はギルドに提出された依頼を受けて地下迷宮に潜ったのでも無ければ、彼らがどの階層に潜ろうが干渉出来ない。冒険者は誰かに雇われている訳では無いのだ。
「<紅蓮の蝶>に強制依頼を出すぞ。上質の魔石の数が、王宮からの注文に足りないからな」
「ギルド長、蜜月に入るかもしれない人狼を、番と離れさせるのは危険ですよ」
自らも人狼のトルデリーゼが顔を顰める。何が危険かと言うと、周囲の人間が危険なのだ。荒れた人狼に手を焼くだろう。
「構わん。まだ正式な番では無いのだろうからな。<紅蓮の蝶>のメンバーで何とかさせろ」
ノアベルトは強制依頼の用紙に、上質の魔石回収を命じる依頼を書きつけ、風の妖精に持たせて飛ばす。
「それからアーデルハイドに番が出来たかもしれないなどと言いふらすなよ」
<紅蓮の蝶>などの地下迷宮階層踏破上位パーティーは、新人冒険者の憧れなのだ。旗印として存在して貰わないと困る。
さっさとギルド長室に戻り、大きな音を立ててドアを閉めたノアベルトに、トルデリーゼは肩を竦め、台所へ向かった。
「私は忠告したわよ。ハーゲン、命が惜しかったら絶対にアーデルハイドと召喚師の不利になる事を言っちゃ駄目よ」
「どういう意味?」
「言葉通りよ。ギルド長、強制依頼以外にも何かやる気よ。番を見付けた人狼を甘く見ていたら、命なんて幾つあっても足りないのよ?<紅蓮の蝶>に襲われたく無ければ、肝に銘じておくのね」
「うわあ……。解ったよ」
ハーゲンは命が惜しい。それに仲が良さげだったアーデルハイドと召喚師の少年の邪魔をしようとするノアベルトには承服しかねる。もしハーゲンが恋人との逢瀬の邪魔をされたら、やっぱり荒れるだろう。
冒険者は強制依頼には従わなければならない。
星祭の夜に強制依頼を出されても、彼らは明日には出立するだろう。
不憫な彼らを思い、ハーゲンは溜め息を吐いたのだった。
遠くからマルコ達が見ていて、
「姐さんが甘い空気出してるー!」
「マルコ、話し掛けるのは駄目だよぅ」
「さりげなくあっちの串焼き屋に行くぞ」
とかやってそうです。
冒険者ギルド長が色々やらかしそうな予感。トルデリーゼもハーゲンも頭を抱えています。




