スヴェンと火蜥蜴と迷子
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
右区商店通りの今日のお勧めは、アロイスの肉屋の哀愁豚のロース肉です。シュニッツェルにどうぞ。
65スヴェンと火蜥蜴と迷子
スヴェンとザシャは<水晶窟>で隣同士の部屋に住んでいるので、朝食は別々に取っているが、昼食や夕食はお互いの都合に合わせて、一緒に食べる事も多い。
今日はスヴェンの部屋で一緒に夕食を摂る予定だ。そんな時は妖精達も出て来て夕食を摂るので、量は多めに作る。
契約妖精は召喚されて出て来るのが普通だが、喚ばれなくても勝手に出て来たりもする。召喚時以外出て来られるのを嫌う召喚師も居るが、スヴェンもザシャも妖精が好きだったので、部屋の中で地下小人がいつの間にかソファーで寛いでいようと、全く気にしなかった。
「リヒト、ナハト。買い物行くけど、一緒に行く?」
「いくー」
「いくー」
ソファーの前の毛足の長い若草色のラグマットに転がっていた双頭妖精犬がころりと起き上がる。見た目はコーギー種の仔犬のリヒトとナハトは、短い脚でよちよちスヴェンの足元にやって来た。
布製の首輪を着け、スリングの中に入れて抱き上げる。二つある頭の重さを、仔犬の身体は持て余し気味なのだ。もう少し成長して筋力が付けば、走り回れる様にもなるらしいが、それまでは室内以外ではスリングで移動している。
杖をベルトで背負い、財布と<召喚書>を入れた肩掛け鞄を斜めに掛けて、買い物籠を持つ。もこっとしたスリングが子守をしている風貌にしか見えないのは解っているが、大事な契約妖精なので、見た目は気にしない。それに妖精は見た目よりもずっと軽いのだ。
<水晶窟>を出て商店通りに歩いて行く。スリングから顔を出しているリヒトとナハトの姿を、街の人達も見慣れて来たのか、二度見される事も少なくなって来た。
「まずは<麦と剣>かな」
右区にあるパン屋だ。黒森之國の伝統的なパンも美味しいが、珍しいパンも数量限定で売られている。それはまだ成人していない子供が作っているというのだから驚きだ。
<麦と剣>に近付くにつれ、香ばしい香りが漂って来る。スリングの中でリヒトとナハトの尻尾がもそもそ動いている。<麦と剣>のパンは双頭妖精犬の好物なのだ。
「こんにちは。フラウ・ベティーナ」
「いらっしゃい、ヘア・スヴェン。リヒトとナハトも元気そうね」
スヴェンは一日おきにパンを買いに来る。毎回リヒトとナハトを連れて来るので、ベティーナとすっかり顔馴染だ。
「はい、味見用のパンよ」
「ベティーナ、すきー」
「すきー」
味見用に小さく切ってあるパンを、ベティーナがリヒトとナハトの口に入れる。美味しい物をくれるので、二人はベティーナが好きなのだ。
「おいしい」
「あまい」
「これは、お米の粉を混ぜて作ったパンよ。もちもちして甘いの。スヴェンも味見してみて」
「あ、本当だ」
一欠片摘まんで食べてみたスヴェンは驚いた。サクサクしていながら、弾力のある生地だ。噛んでいると甘い。
スヴェンは黒パンと、米粉パンを両方買った。多分、米粉パンはベティーナの息子が作ったパンだろう。
「またね」
ベティーナに見送られ、スヴェン達はアロイスの肉屋に向かった。
(わあ、すっごい綺麗な人)
途中、買い物籠を持った深紅の長い髪をした人狼の女性が居た。獣耳も、長くてふさふさの尻尾も、見事な赤毛だ。所在なさげに立っているのだが、誰かと待ち合わせでもしているのだろうかとスヴェンは思ったので、そのまま肉屋に行く。
リグハーヴスに来て驚いたのは、凶暴牛や哀愁豚、絶叫鶏の肉が普通に売られている事だった。しかも高くない。王都だと高級食材なのだが、地下迷宮があるリグハーヴスでは、冒険者初心者が最初に戦うのがこれらの魔物なので、需要過多らしい。
「今日はシュニッツェルなので、哀愁豚のロース肉を下さい」
「はいよ。良いのが入っているよ」
代金を支払い、蝋紙にロース肉の塊を包んで貰い、買い物籠に入れる。
シュニッツェルはロース肉を叩いて薄く伸ばし塩胡椒をして、小麦粉、溶き卵、パン粉を付けて油で揚げた物だ。黒森之國の伝統料理の一つだ。
「卵と野菜と林檎は昨日買ったし、これで良いかな」
パン粉は台所に残っている少し硬くなったパンを、おろし金で下ろせば良い。
<水晶窟>に帰るべく路地を戻っていたスヴェンは、先程の人狼の女性がまだ同じところに居るのに気が付いた。辺りをちらちらと見ている。
(もしかして……)
スヴェンは声を掛けてみた。
「あの、僕の勘違いならごめんなさい。もしかして、道に迷われていますか?」
赤毛の人狼女性は、鮮やかな青い瞳を大きく瞠った。
「凄いな。私が迷子だと気が付いたのは、テオ以外では初めてだ」
「テオ?って<Langue de chat>のですか?」
「テオは私の友人なのだ」
「そうなんですか。僕が解る場所ならお送りしますよ。僕は召喚師スヴェンです」
「リヒト」
「ナハト」
スリングから顔を出したままだったリヒトとナハトも名乗る。
「私はアーデルハイドだ。<水晶窟>に行きたいのだが、同じところをぐるぐる歩いてしまってな」
ここから<水晶窟>までは迷う様な路地では無い筈なのだが、かなりの方向音痴らしい。
「僕達も<水晶窟>に戻りますから、一緒に行きましょう」
「おや、新しい店子なのか?」
「半月前から住んでいます」
並んで歩きながら、スヴェンはアーデルハイドと今晩作る予定の料理の事などを取り留めも無く話した。途中、アーデルハイドが時折違う方向に曲がりそうになるので、手を繋いで歩く羽目になったのは不可抗力だと思いたい。周囲から物凄く視線を浴びた気がしたからだ。
<水晶窟>に着き、共同玄関から階段を二階まで上がる。
「僕らの部屋は<碧水晶>です」
「私は三階に住んでいる」
「え?」
聞き間違えたかと思った。三階に住んでいるのは<紅蓮の蝶>の筈だ。
名前は有名だが、スヴェンは<紅蓮の蝶>のメンバーの姿を知らなかったのだ。アーデルハイドが<紅蓮の蝶>の紅一点だとは。
「スヴェン」
「は、はいっ」
「スヴェンは、嫁か恋人は居るか?」
「い、いませんけど」
素直に答えたスヴェンに、アーデルハイドの耳がピンと立った。
「ならば、私を嫁にしないか?」
「ええ!?会ったばっかりですよね、僕達っ」
「人狼は番の相手を一目惚れで決めるのだ。それに」
ぐい、とスヴェンに近付きアーデルハイドがすんすんと匂いを嗅ぐ。
「良い匂いがするので、間違いない。スヴェンは私の番だ」
ぱさぱさとアーデルハイドの尻尾が振られる。にこにこした表情は、リヒトとナハトが美味しい物を確実に貰える時の顔に似ている。
「えーと……お友達からで、良いでしょうか」
スヴェンが選択出来た言葉は、唯一それだけだった。
「リヒト、ナハト、どう思う?」
先日孝宏に教えて貰った白いソースをフライパンで作りながら、スヴェンは足元に居る双頭妖精犬に話し掛けた。
「リヒト、アーデルハイドすき」
「ナハトもすき」
二人としては賛成らしい。
玉葱のスライスをバターで炒め、そこに小麦粉を振って焦げ付かない様に炒めてから牛乳を少しずつ入れて混ぜて行けば、とろりとした白いソースが出来る。こうするとダマになりにくいのだそうだ。
黒森之國では茶色や赤のソースが一般的で、牛乳を使った白いソースは孝宏に教えて貰って初めて知った。自炊をしていると<Langue de chat>に行った時話したら、教えてくれたのだ。牛乳で伸ばして塩胡椒で味付けすればスープにもなると言う。
今日は茹でたマカロニと、薄切りにして茹でたジャガイモ、炒めたベーコンと一緒に混ぜ合わせてグラタンにする。これも孝宏に教わった料理だ。
混ぜ合わせた白いソースと具材をバターを塗った深皿に入れ、上に削ったチーズを散らしてオーブンで焦げ目を付けるのだ。
焜炉の下にあるオーブンの扉を開け、スヴェンはそこに先客の姿を見た。
余熱していたオーブンの中に、火蜥蜴が居た。緋色の身体にオレンジ色の水玉模様がある。琥珀色の瞳には黒い瞳孔が細長く走っている。火蜥蜴が口を開く。
「何かな?」
「あの、グラタン焼きたいんで、中に入れても良い?」
「良いぞ」
「有難う」
スヴェンは深皿を耐火布で作られた鍋掴みで持って、オーブンの中に入れて、扉を閉じる。
「……って、一寸待て」
スヴェンはオーブンの扉を開けた。
「まだ焼けないぞ?」
「……」
深皿の縁に寄り掛かった火蜥蜴の姿に、スヴェンは無言で扉を閉じた。
(何で火蜥蜴が居るんだ!?)
スヴェンは火蜥蜴とまだ契約していない。しかもパン屋の窯や鍛冶屋の炉でもないのに、何故火蜥蜴が居るのか解らない。昨日までは居なかった筈なのだ。
「スヴェン、どうしたの?」
「なあに?」
オーブンの前でしゃがみ込んだスヴェンに、リヒトとナハトが鼻先を押し付けて来る。
「いや、オーブンの中に火蜥蜴が居たんだよ」
「どうして?」
「どうして?」
同じ方向にリヒトとナハトが首を傾げる。それはスヴェンも聞きたい。
「とりあえず、洗い物をしよう……」
使ったフライパンを洗って、サラダ用のレタスを千切り始めた所で、オーブンから声がした。
「もう良いぞ」
鍋掴みでオーブンの扉を開ける。火蜥蜴が寄り掛かったままの深皿のグラタンには美味しそうな焦げ目がついていた。チーズの焼ける良い香りがする。
「オーブンの温度を下げて保温したいんだけど」
「構わないぞ」
じっと火蜥蜴がスヴェンを見詰める。物凄く何かを訴えかけているのが解る。
「……少し、食べる?」
「食べる」
「じゃあ、オーブン冷めちゃうから、出て来て貰って良い?」
「ああ」
火蜥蜴はぺたぺたと垂直の場所も関係無くオーブンから焜炉の横の作業台に上がって来た。スヴェンはグラタンをスプーンで一掬いして、皿に盛った。
「はい、どうぞ。熱いよ」
「火蜥蜴は熱さに耐性があるから平気だ」
湯気が立つ白いソースにまみれたマカロニを前肢で掴み、火蜥蜴が口の中に入れる。本当に平気らしく、冷ましもせずに熱々のグラタンを平らげて行く。
スヴェンは買って来たばかりの米粉のパンを小さく切り、皿の端に乗せてやった。林檎酒もショットグラスに注ぎ、出してやる。
「かたじけない」
火蜥蜴はグラタンの白いソースをパンで拭って綺麗に食べた。ぽってりとした舌で林檎酒を舐め、満足そうな息を吐く。
「久し振りに美味い物を食べた。召喚師と見えるが、そこに居る雷犬と氷犬以外に契約しているのか?」
「地下小人とも契約しているけど?」
「ふむ。では火蜥蜴とはまだなのだな。契約するか?」
「良いの?」
地下小人のグエンもそうだが、この火蜥蜴も高位の妖精の気配がする。
「構わぬよ。ささ、名前を着けろ」
この尊大さが、その証拠だ。しかし、本妖精が良いと言っているのだから、良いのだろう。ここは有難く契約させて貰うべきだろう。
スヴェンは作業台の上に居る火蜥蜴を中心に、指先で魔法陣を描いた。実は杖が無くても召喚師は魔法陣が描ける。
「汝、召喚師スヴェンの契約妖精とし、ルー・フェイの名を与える」
魔法陣の銀色の光が強くなり、火蜥蜴が立つ中心部分に<le fay>の文字が浮かんだ後、魔法陣が消え失せる。
「良し。では用事があれば遠慮なくルー・フェイを呼べ」
そう言って、ルー・フェイは器用にオーブンの扉を開けて中に戻って行った。普段はオーブンの中に常駐するらしい。火蜥蜴が居れば火事にはならないから良いのだが、帰還する気はさらさら無さそうだった。
夕食を食べに来たザシャと水魚ラーレ、地下小人のギヨームにも「何故そうなった!?」と、アーデルハイドとルー・フェイについて聞かれたスヴェンだったが、スヴェンこそそれを聞きたい位だ。
何か惹きつける匂いでも発しているのかと、その晩は念入りに身体を洗ったスヴェンだった。
コンコンコン。
深夜、扉を叩かれ、仄温かいオーブンの床で丸くなっていたルー・フェイは琥珀色の目を開けた。キイ、とオーブンの扉が開かれ、そこに地下小人が立っていた。
「火蜥蜴の気配がすると思ったらお前さんかい。火蜥蜴の長よ」
「そっちこそ、地下小人の長が何をしている」
「今はグエンと言う名を貰っているのじゃ」
「こちらはルー・フェイだ。あれが居なくなって五十年、漸く付き合ってもいい魔力の人間が居たから出て来たのだ」
「同じじゃのう。ところでな、エンデュミオンは居るらしいのじゃ」
「何?」
ルー・フェイは前肢に乗せていた顔を上げた。
「スヴェンと坊主達が話している中に、エンデュミオンの名が出て来た事があっての。それがケットシーの名前なのじゃ」
「ケットシーだと?」
「ふふ。我らと同じ妖精とはのう。リグハーヴスに居るのじゃ。グエンは今度スヴェンについて行こうと思うているのじゃ」
「ふうむ。ルー・フェイも気になるな。あれが幸せに暮らしているのか見に行かねば」
ぱしぱしとルー・フェイがオーブンの床を尻尾で打つ。
「さて、グエンは見回りに行こうかの。お休み、ルー・フェイ」
「お休み、グエン」
オーブンの扉が閉められ、台所に静寂が訪れる。
妖精達の思惑など露知らず、スヴェンはリヒトとナハトと夢の中だった。
スヴェンとアーデルハイドが出会いました。番を捜していたアーデルハイド、漸く見付けた様です。
そして火蜥蜴ルー・フェイ登場。グエンとルー・フェイはエンデュミオンと既知らしいのですが、彼らのお話はまた今度。




