リグハーヴスの召喚師
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
空き家、空き部屋状況は、領主館の執事クラウスまでお問い合わせください。
63リグハーヴスの召喚師
「学院長の紹介状は鞄に入れたし……」
「帰りに<Langue de chat>に寄りたいな。手帳も売っていたんだろう?」
「うん。そんなに高くないのもあったよ」
リグハーヴスに到着した翌朝、宿屋〈跳ねる兎亭〉の部屋で、スヴェンとザシャは朝食を摂っていた。勿論、召喚妖精の水魚ラーレと双頭妖精犬リヒトとナハトも一緒に。
昨日宿屋に帰ったスヴェンは、女将さんにリヒトとナハトを会わせて食事の追加を頼んだのだ。
地下迷宮があるおかげで色々な客を相手にしている彼女も、双頭妖精犬は初めてだったらしい。
しかし、愛らしいリヒトとナハトに、落ち着いて食事が出来る様にと、部屋で食べる事を許してくれた。
今朝の朝食も、賽子状に切ったパンが入ったシチューに、やはり小さめに切った果物と、リヒトとナハトが食べ易くと気を使ってくれていた。ラーレは同じく刻んだ果物を食べていた。
朝食を終え、スヴェンとザシャは召喚師を表す青いローブを着た。青い生地で召喚師の紋章〈魔方陣と杖〉が付いていれば良いのだが、新しく作っていないので、学生時代から使っている物だ。これは裾が長いので、もう少し動きやすくても良いと、スヴェンは思っている。〈針と紡糸〉で頼んでも良いかもしれない。
肩ベルトのホルダーに通した杖と、紹介状の入った肩掛け鞄を背負い、リヒトとナハトを抱き上げる。
「おでかけ?」
「おでかけ?」
「そうだよ」
「賑やかになったなー」
尻尾を振るリヒトとナハトの頭を撫で、ザシャが笑った。その肩の上では緑から青へと色を変える美しい水魚ラーレが、ふわふわと長い尾鰭をそよがせている。
カウンターに部屋の鍵を預け、スヴェンとザシャは歩いて街を抜け、領主館への丘を上る。
黒森之國でも、北にあるリグハーヴスは夏涼しい。両側を並木で挟まれた丘を上る道も、風が心地良い吹き抜けて行く。昼までにはもう少し気温も上がるだろうが、ヴァイツェア程にはならないだろう。
南のヴァイツェアとフィッツェンドルフ生まれの二人には、過ごしやすい気候だ。
精霊言語でリヒトとナハトは歌を歌い出し、可愛い歌声を聴きながら丘を上った。
「紹介状があるから、正面からで良いんだよな」
学院を卒業し、五等の位階を与えられているが、それでも召喚師の地位は低いのだ。
ノッカーを使って重厚な扉を叩く。一分程待ってドアを開けたのは、怜悧な印象の黒服の執事だった。
さっとスヴェンとザシャを、頭の先から爪先まで見下ろした執事に、紹介状を渡す。スヴェンの腕の中で、ぶんぶん尻尾を振るリヒトとナハトを見ても、顔色を変えないのは流石だ。
「召喚師のスヴェンとザシャです。リグハーヴスで開業しますので、領主様にご挨拶に参りました。こちらは学院長からの紹介状です」
「お預かり致します。御前に伺って参りますので、こちらでお待ち下さい」
執事は扉を入ってすぐのロビーにあるソファーに二人と妖精を案内し、銀の盆に紹介状を載せて奥に消えて行った。
「はー、やっぱり領主館って違うなあ」
ザシャがロビーを見回しながら嘆息する。とは言え豪華だが、騎士色が強い。
広いロビーにリヒトとナハトは目をキラキラさせていた。走り回りたそうだが、スヴェンはしっかりと妖精犬の胴体を抱えていた。領主館で走り回る妖精犬など、後の始末が大変だ。
リヒトとナハトのふかふかの毛で覆われた腹を撫でて落ち着かせている内に、執事が戻って来た。今度は応接室らしき部屋に案内される。再び執事が出て行き、五分程して漸く執事と銀髪の男が部屋に入って来た。
銀髪紫目は王家や公爵家特有の色彩だ。この男がリグハーヴス領主、アルフォンス・リグハーヴス公爵だろう。
ソファーから立ち上がって頭を下げたスヴェンとザシャに、アルフォンスは穏やかな声音で着席を促した。
「リグハーヴスに召喚師は居なかったからね。今までは魔法使いが召喚師の仕事もしていたんだよ」
「こちらには召喚師ギルドが無いので、魔法使いギルドに代行を頼む事になります。召喚師が出来る仕事は請け負えるかと」
「助かるよ。何しろ、大概の魔法使いがリグハーヴスではパーティーを組んで地下迷宮に行ってしまうからね」
そう、街に定住している魔法使いは少ないのが、リグハーヴスの悩みなのだ。
「僕達は地下迷宮に潜る予定はありません」
正式に召喚師になったばかりで、契約妖精もそれぞれ一人だ。スヴェンの場合は二人になるのかもしれないが。
「スヴェンは<Langue de chat>のエンデュミオンと既知なのだね」
「はい。卒業試験で召喚に応じてくれたのです。その時に祝福を貰いました」
「それは素晴らしい」
この時アルフォンスが心の手帳に「スヴェンは保護対象」とメモした事を、スヴェンは知らない。
「スヴェン、おかし」
「スヴェン、たべていい?」
メイドが置いていったお茶とお菓子に、先程からリヒトとナハトは目が釘付けになっていた。「子供だ」と言っていたエンデュミオンの言葉は間違いない。
「どうぞ、召し上がれ」
「頂きます」
アルフォンスが薦めてくれたので、赤いマーブル模様のパウンドケーキを割って、欠片を膝の上にいるリヒトとナハトの口元に出す。
「きょうのめぐみに」と言うなり、二人はぱくりとパウンドケーキをそれぞれ口の中に収める。はぐはぐと咀嚼し飲み込み、尻尾を振る。
「おいしい」
「プラムのジャムのあじ」
赤いマーブル模様は、プラムのジャムかシロップを使っているらしい。
「リヒトもっとたべたい」
「ナハトもたべたい」
「お昼御飯食べられなくなるよ?」
「えー」
「やー」
お菓子も食べたいが、お昼ご飯も抜きたく無いらしい。そう言えば昨日帰り際に孝宏が「妖精は食いしん坊だ」と教えてくれていた。知識としてはスヴェンも知っていたのだが、本当だった。
「安ずるな、土産に包ませよう。妖精と言うのは可愛らしいものだな」
笑いながらアルフォンスが執事に目配せすると、執事は部屋の隅に控えていたメイドに、菓子を包む様に命じた。メイドが軽くお辞儀をしてから応接室を出て行く。
「領主様にこんな事を頼むのは失礼かもしれないのですが、リグハーヴスの街に空き家か、空いている部屋はありませんか?」
ラーレに紅茶を飲ませたザシャが切り出す。アルフォンスもカップを置き、執事を見た。
「クラウス、情報はあるか?」
「現在空き家はございません。一戸建てをご希望であれば、建てる事になります。空き部屋ですと、台所付きの部屋がございます。ただし、大家の審査がある物件ですね」
「と、言うとあそこか」
「はい、御前。ですが召喚師であれば大丈夫かと存じます」
「どういう意味でしょうか?」
疑問顔になったスヴェンとザシャに、アルフォンスは苦笑した。
「右区にあるアパートなのだが、フラットを借りているのが冒険者でな。彼らが普段居ないので、大家としては留守がちではない住人が欲しいのだそうだ」
冒険者が借りているのが三階全部。二階が居間と寝室が一つで、台所とバスルーム付きの部屋が幾つかあると言う。
防犯の為にも、月の殆どが居ない冒険者には貸せない、と言うのが大家の言い分らしい。
ちなみに三階を借りている冒険者達は、階層踏破順位上位チームなのだそうだ。
スヴェンとザシャは顔を見合わせた。
「僕達は基本的にはリグハーヴスで仕事を請け負いますから、長期間留守にする事は殆ど無いと思います」
実家に顔を出す時位だろう。
「ならば、私が紹介状を出そう。街の中心からもそう離れていない場所にあるから、便利だと思うぞ」
「助かります」
アルフォンスはクラウスが持ってきた紙とペンで、大家への紹介状を書いてくれた。
「<Langue de chat>にはもう行ったのかね?」
「僕は昨日行きました。これからもう一度行きます。アパートの後でですが」
先に住むところを確保しなければならない。
「私が宜しく言っていたと伝えてくれ」
「はい。領主様」
お菓子を包んで貰った物を玄関で執事から受け取り、スヴェンとザシャは領主館を後にした。
結局二人でパウンドケーキ一枚を食べたリヒトとナハトは、一先ず満足したのか大人しくしていた。
スヴェンとザシャはまずアパートを見に行く事にした。紹介状と一緒に執事のクラウスが簡単な地図を付けてくれていた。場所的にはパン屋や八百屋、肉屋などの商店のある路地に近い。物件としてはかなり良さそうだ。
<Langue de chat>の更に一本奥になる。ここはアパートや住宅が多い路地の様だ。
紹介されたのは〈水晶窟〉と言う名前のアパートだった。大家の住まいは一階にあり、スヴェンがドアを叩く。
「はい」
ドアを開けたのは、麦藁色の髪を一つに結んだ三十代前半の女性だった。何かの作業をしていたのか、エプロンを着けている。服装も装飾などが無い、簡素なワンピースだ。
「領主様からこちらのアパートを教えて頂いたのですが」
ザシャが紹介状を差し出す。ザシャの肩の上に居る水魚を見れば、職業が解ると言うものだ。
「召喚師かしら?」
「はい。俺も、こっちのスヴェンもそうです」
「地下迷宮に潜る?」
「そんな高位の召喚師じゃありません。学院を卒業したばかりですから。地下迷宮に潜る気はありません」
契約妖精も少ないのだ。狂暴牛に一撃されたら死んでしまう。
「なら良いわ。部屋をお見せするわね」
彼女は一度部屋の奥に行き、鍵束を持って来た。
「私はジルヴィア。装飾品の細工師なの」
「俺はザシャ。スヴェンはさっき紹介しましたね。この水魚は俺の召喚妖精のラーレ、スヴェンが抱いているのが双頭妖精犬のリヒトとナハトです」
「水魚って綺麗なのねえ。この子達も可愛いわ」
ジルヴィアもリヒトとナハトに驚かなかった。随分と肝が据わっている女性らしい。リヒトとナハトを笑顔で撫でている。
しかし、留守がちでない住人が欲しい理由は解った。細工師は魔石を扱う。女性細工師ともなれば、泥棒や強盗の心配があるだろう。
アパートの共有玄関にある階段を上り二階に上がる。左右に二部屋ずつドアが並んでいた。ドアにつけられている金属の板には〈碧水晶〉〈紫水晶〉などと刻まれている。これが部屋の名前らしい。
「〈紅水晶〉は三階なの。〈紅蓮の蝶〉が使っているわ」
「〈紅蓮の蝶〉!?リグハーヴスが拠点なんですか?」
「今年からそうみたいなの。アーデルハイドの追っ掛けみたいな子が借りたがったけど、断ったわ」
煩くされると仕事にならないもの、とジルヴィアは肩を竦めた。
「向かって右側の〈青水晶〉と〈碧水晶〉が空いているわ。〈紫水晶〉〈茶水晶〉には、住人が居るの」
どちらも部屋の間取りは同じだと言うので、手近にある〈碧水晶〉の部屋を見せて貰う。
〈碧水晶〉の部屋は、名前の通りだった。入ってすぐの居間の窓には、明るい碧色のカーテンが掛かり、布張りの深い緑のソファーの前には、若草色のラグマットが敷かれていた。その他にも丸テーブルや椅子など、家具がある。
「家具付きの部屋なんですね」
「あら、聞いていなかった?全部の部屋に家具があるわ。台所にも最低限の調理器具と食器があるの。黒森之國の一般的な食器だから、割っても気にしなくて良いわよ」
黒森之國では長年続いている窯で、同じ意匠の食器が作られ続けているので、割れても同じ物を手に入れられるのだ。
「助かります」
「調味料なんかは無いから、食材と一緒に買ってね」
「はい」
台所、寝室、バスルームと案内して貰い、スヴェンはこのアパートは改築してそれほど経って居ないのだと確信した。
「スヴェン。リヒトおりたい」
「スヴェン。ナハトもおりたい」
「下りるの?」
二人に強請られ、床の上に下ろしてやるなり、リヒトとナハトはよちよちとラグマットの上に歩いて行ってぽてりと転がった。毛足が長いラグマットなので、怪我の心配はない。
器用にころころと転がっている。気に入った様だ。
「家賃は幾らですか?」
「月に銀貨二枚よ。月の頭に払って貰う事にしているわ」
この部屋で月に銀貨二枚は安い。下宿の様に、食事が付かないのもあるだろうが、家具付きだと言うのに。
「安い、ですね」
スヴェンが思っている事をそのまま口に出した。
「私も仕事を持っているのもあるし、居て貰う方が安心なのよ」
「防犯ですね」
「ええ」
召喚師が二人も居れば、それなりに対処が出来る。
「では〈碧水晶〉と〈青水晶〉の部屋を契約します」
「スヴェンが〈碧水晶〉で、俺が〈青水晶〉だな」
若草色のラグマットでは、すっかりリヒトとナハトが寛いでいる。
一階に下り、ジルヴィアの部屋で明日から〈水晶窟〉に入る契約をして、部屋代を払う。ジルヴィアは今月は半額の、銀貨一枚にしてくれた。
部屋の鍵を受け取り、スヴェンは鍵に付いている魔石に魔力を注ぐ。これで、大家のジルヴィアとスヴェンしか部屋の鍵を開けられない。
隣でザシャも同じ様に鍵の魔石に魔力を込めている。
ジルヴィアに挨拶をして、部屋の鍵をズボンのポケットに押し込み、スヴェンとザシャは<Langue de chat>に脚を向けた。
「明日は食材や足りない物を買わなきゃな」
「少しずつな」
まだ仕事を請け負っていないので、無駄遣いは出来ない。
「魔法使いギルドにも顔を出さないと」
リグハーヴスでは今まで召喚師が居なかったので、召喚師ギルドが無い。そして、現在も二人しか召喚師が居ないので、わざわざ作る予定も無いらしい。
そんな訳で、魔法使いギルドが召喚師ギルド代行をしてくれる事になったのだ。
スヴェンとザシャは、召喚師でありながら、リグハーヴスでは魔法使いギルドに所属する事になる。魔法使いギルドの口座を作る為に、ギルドカードを発行して貰わなければならないのだった。
リグハーヴスの魔法使いギルドとしては、召喚師の仕事をしなくても良くなるので、スヴェンとザシャの到来は嬉しいらしい。地味に魔法使いと召喚師の仕事は、住み分けがされているのだ。
<Langue de chat>で二人は手帳を買った。
「〈召喚書〉に使うのか?」
「うん。これから作って行くから」
今日は孝宏とカウンターに居たエンデュミオンに、スヴェンは頷いた。
召喚師は契約妖精の魔方陣を記し、本にして持ち歩く。そうする事で、契約妖精に関しては魔方陣を描かずに呼び出せるのだ。
「じゃあ、鍵を付けてやろう」
エンデュミオンはスヴェンとザシャが選んだ手帳の裏中表紙に、飾り文字で所有者の名前を書き、右前肢の肉球を舐めて押し付けた。
「〈ケットシーの鍵を〉」
一瞬手帳が銀色に光った。
「これで本当の持ち主しか開けないから。あと、表紙の文字はどうする?」
「名前を入れて貰えるかな」
〈召喚書〉は召喚師の名前を表紙に入れる物なのだ。召喚師の高位である賢者にもなると、死後彼等の持っていた〈召喚書〉は、弟子に継がれたり又は高値で取引されたりする。七人の賢者の〈召喚書〉を集めて本にした<七賢者の書>などは有名だ。これは召喚師ギルド本部に所蔵されている。
自分しか開けないのなら、スヴェンとザシャの〈召喚書〉は、そういう憂き目に会わずにすみそうだ。
「折角来たのだ、本を借りて行かないか?」
「うん」
「楽しみにしてたんだよね」
スヴェンとザシャは本棚に食い付いた。研究肌の魔法使いと同じく、召喚師も活字が好きな者が多い。
「リヒトとナハトにも読んで聞かせられるのはどれかな?」
「若草色の本だな」
スヴェンがシリーズ物の一作目を手に取り捲り始める横で、ザシャはラーレに薔薇色の書を選ばされていた。
「ラーレ、頁捲れるの?」
「鰭で捲れるわよ」
ラーレの場合は彼女の会員カードも要る様だ。
「どうぞ」
本の貸し出し手続きの後は、閲覧スペースで焼き菓子と紅茶をサービスして貰った。
スヴェンの前には、カップが3つとクッキーが三枚載った皿。ザシャの前にもカップとクッキーが二人分だ。
妖精の分までお茶を出す人間は、実は珍しい。<Langue de chat>にはケットシーが居るから普通なのだろう。
「おかし」
「たべる」
スヴェンの膝の上に座り立ちし、テーブルに前肢を掛けている双頭の妖精犬を見ても、他の客は微笑むだけで騒ぎにならない。
(リグハーヴスって凄いのかも)
これが王都であれば、大騒ぎだろう。
妖精達にクッキーを割って食べさせながら、スヴェンとザシャはリグハーヴス行きを選んだのは正解だったと、お互いに思っていたのだった。
<Langue de chat>の常連客の間に、リグハーヴスに新しく来た召喚師の存在が知れ渡るのは、それほど時間を要しなかった。
彼等の連れている契約妖精達も、可愛いもの好きの常連客の心を鷲掴みにし、リグハーヴスの住人は二人の召喚師を歓迎したのだった。
スヴェンとザシャが住む事になる<水晶窟>の三階の住人は、あの人達です。
次回は初仕事のお話。




