リヒトとナハト
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
スヴェン、契約妖精を召喚するの巻。
62リヒトとナハト
無事召喚師になったスヴェンは、学院を卒業したその脚で一度ヴァイツェアの実家に帰った。
家に着いた晩の夕食の席で、「リグハーヴスに行く」と発表したスヴェンは、ヴァイツェアに戻って来ると思っていた家族に当初は猛反対された。
リグハーヴスに行く理由を「エンデュミオンに誘われたから」だと白状して、漸く家族の許可を得たスヴェンは、家族に愛されているのだと改めて実感した。
魔法使い一家に産まれながら魔法使いの素質が無い子供が産まれた場合、里子に出されるなどと言う話はざらにある。古い系譜の血族こそ、そう言う話が多いが、スヴェンの家では無縁だった。スヴェンは彼らにとって、可愛い末子でしかないらしい。
「成人したばかりだって言うのに……」
旅の用意が出来たらすぐにリグハーヴスに行くと言う末息子に、母親が子供の様に膨れる。
スヴェンは召喚師の素質があると解った十三歳で学院に入ったので、今は十六歳だ。黒森之國は十六歳で成人する。
「同級生だったザシャと一緒に行くから、心配しないでよ。それにリグハーヴス公爵への紹介状もあるし。エンデュミオンも居るんだから」
「そのエンデュミオンは、あのエンデュミオンなのか?」
「多分。凄い魔力を感じたし、大魔法使いフィリーネを呼び捨てにしていたから」
「大魔法使いエンデュミオンの名前を名乗れる者など他に居ないのだから、疑う訳ではないのだがなあ」
父親は頭を振った。ケットシーがエンデュミオンを名乗ったのが信じられないらしい。
「リグハーヴスは冬が厳しいと聞く。身体を壊す様な無理はするなよ」
「手紙書いてね、スヴェン」
兄と姉にも心配されつつ見送られ、スヴェンは一週間ばかり滞在した実家を旅立ったのだった。
実家のあるヴァイツェアから一度王都に戻り、スヴェンはザシャと落ち合ってから乗合馬車でリグハーヴスを目指した。乗合馬車は夜は動かないので、実家から一週間弱の道程になった。
新しい石積みの囲壁に囲まれたリグハーヴスの街は、まだ中心部に建物が集まっている状況だった。
「本当に拡張されたばかりなんだなあ」
「そうだなあ」
馬車の停車場から降り、トランクを片手にスヴェンとザシャはお上りさん宜しく辺りを見回してしまった。
「まずは宿屋に行こうよ、ザシャ」
「そうだな」
二人はベッドとフォークとナイフの絵看板がある建物を探し、<跳ねる兎亭>に宿を取った。ここを拠点に、住む部屋か家を探すのだ。
「うー、疲れたー」
「同じくー」
宿屋の部屋に入った途端、スヴェンとザシャはベルトで背負っていた杖を外し、ベッドカバーの上に転がってしまった。乗合馬車は安いが座席も安いなりの仕様なのだ。座りっぱなしの膝や腰がギシギシ悲鳴を上げている。
スヴェンの隣のベッドに転がっていたザシャの身体が緑色の光に包まれた。ザシャの身体の上で緑色から青色に色変わりをしている綺麗な水魚の回復術だ。
水魚は尾鰭の長い金魚の姿をしている水属性妖精だ。水の精霊と似た術を使える妖精で、ザシャの召喚妖精だ。妖精であり本当の魚では無いので、水の中に居る必要は無い。
召喚師は魔法陣が無いと精霊や妖精を召喚出来ない。しかし、有事の際には間に合わないので、予め一体は契約召喚して顕在させておくのが普通だ。
ザシャは実家に帰っている間に水魚と契約していた。名前はラーレと言う。
ラーレはスヴェンの元へも空中を泳いで来て回復術を施してくれた。クッションの薄い座席で痛めつけられた、腰の痛みが引いて行く。
「有難う、ラーレ」
「どういたしまして」
精霊は寡黙だが妖精は喋る。ラーレは女性だった。
「スヴェンも妖精契約した方が良いんじゃないか?」
「そうだね」
顕在させておくのなら、誰の目にも見える妖精の方が良い。精霊は常に見える訳では無いからだ。
スヴェンはベッドから起き上がり、ベルトのホルダーから杖を抜いた。
床の上に妖精を召喚する魔法陣を描く。中心部分には何も描かない。最初に契約する妖精の場合、自分に相応しい個体が現れるとされ、種族は指定しないのだ。
「来たれ!」
魔法陣が銀色に強く光った。魔法陣の中心にスヴェンの召喚に応じた妖精の影が現れる。
「え……?」
「妖精なのか……?」
「多分……」
その妖精の姿は、その場に居た全員が初めて見る個体だった。
「<Langue de chat>って言うルリユールに、エンデュミオンが居る筈だから行って来る」
「確かにエンデュミオンなら何か知っているかもしれないけど」
「私達も行きましょうか?」
部屋のバスルームから拝借した浴布に包んだ妖精を抱き、スヴェンはザシャとラーレに首を振った。ラーレに癒して貰ったとは言え、完全に疲労は消えていないのだ。
「明日から部屋探しするんだし、ザシャは休んでいてよ。右区にある店らしいし、遠くないみたいだから」
「気を付けてね、スヴェン」
「うん。行って来ます」
ザシャとラーレに戸口で見送られ、スヴェンは杖を背中に背負っただけと言う軽装で、浴布の塊を抱いて<跳ねる兎亭>を出た。
もそもそと浴布の中の妖精が動く。
「少し我慢していてね」
「あい」
「あい」
声を掛けるときちんと返事をしてくれた。混乱しつつも契約はきちんとしたので、妖精の主はスヴェンなのだ。
ショップカードの簡易地図を頼りに、市場広場から一本内側にある路地を歩き、<本を読むケットシー>の青銅の吊り看板を見付けた。時刻は既に午後を数刻過ぎていた。
(おやつの時間って所か。まだ開いているよね)
ちりりりん。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けると、上部に取り付けられた鈴が軽やかな音を奏でた。正面のカウンターに赤みの強い茶色の髪の青年と折れ耳で三毛のハチワレケットシーが居た。
(エンデュミオンじゃない……)
しかしケットシーが居ると言う事は、やはりここで間違いないのだろう。本棚の奥の机と椅子が並ぶ場所には、何人かの客の姿がある。彼らは皆本を読んでおり、こちらには意識を向けていない。
スヴェンはカウンターに近付き、恐る恐る年上の青年に話し掛けた。
「あの、召喚師のスヴェンと言う者ですが、こちらにエンデュミオンは居ますか?」
「居りますよ。あなたの話はエンディから聞いています。ヴァル、案内してあげてくれるか?」
「良いの。スヴェン、付いて来て」
あっさりと話が通じてしまった。召喚師は軽んじられる事も多いのだが、丁寧な対応をしてくれる。
ヴァル、と呼ばれた三毛のケットシーはスヴェンをカウンターの奥に連れて行った。ドアを潜り廊下を進んだ先に、居間と台所が続いている部屋があった。
「エンデュミオン。お客様なの」
三毛のケットシーがスヴェンを連れて行った居間には、エンデュミオンの他にケットシーがもう一人と、人間が三人居た。この内の二人がケットシーの主だろう。三毛のケットシーの主は赤毛の青年の筈だ。
鯖虎柄のケットシーは、錆柄のケットシーと一緒にラグマットの上に座っていた。三毛のケットシーの声に顔を上げ、ニッと笑う。
「来たか、スヴェン」
「うん。誘われたからね」
「そうか。有難う、ヴァルブルガ」
エンデュミオンの礼を聞き、正式にはヴァルブルガと言うらしい三毛のケットシーはこくんと頷いて店に戻って行った。
「孝宏、前に話した召喚師のスヴェンだ」
「こんにちは」
台所に居た黒髪の少年がスヴェンに会釈する。スヴェンと余り変わらない歳か、スヴェンより年下かもしれない。孝宏の隣に居る茶色い長い髪を編んだ少年は確実にスヴェンより年下だ。
「孝宏がエンデュミオンの主だ。孝宏の隣に居るのがイシュカの徒弟のカチヤ」
イシュカと言うのは店に居た青年で店主だと言う。
「ソファーに座っているのがテオ。この子はテオのケットシーのルッツ」
「こんにちは」
「こんちはー」
テオとエンデュミオンより一回り小さいケットシーが、人懐こく挨拶して来る。
「まずは座ると良い」
エンデュミオンは自分の傍のラグマットを肉球でぽんぽん叩いた。スヴェンはラグマットの上に浴布の塊をそっと置き、杖を取ってからショートブーツを脱いで座った。
「あ」
もぞもぞと浴布が動き、中に居た者が顔を出す。
「スヴェン、もういい?」
「スヴェン、ここどこ?」
よちよちと浴布から出て来たのは、仔犬だった。
「ほう」
エンデュミオンの黄緑色の瞳がきらりと光った。
仔犬は胴体は一つだったが、頭部は二つあった。双頭の仔犬だ。
『ウェルシュ・コーギー・ペンブロークかな?ブラックタンアンドホワイトだなー』
台所に居た筈の孝宏がラグマットの縁まで来て、そっと仔犬に掌を近付ける。コーギーに良く似た仔犬は、二つの頭を孝宏の掌に近付け、すんすんと匂いを嗅いだ。
「いいにおい」
「おいしいにおい。ナハト、おなかすいた」
「リヒトもおなかすいた」
「ごはんー」
「ごはんー」
食事を要求する仔犬に孝宏はエンデュミオンとスヴェンの顔を交互に見た。
「何をあげたら良いの?」
「ルッツと同じ位の年齢だろうから、何でも食べるぞ。犬の姿をとっているが妖精だから、食べさせていけない物も特にない」
「解った。丁度出来上がる頃だよ」
孝宏は台所に戻って行った。
「すみません。その……さっき召喚したばかりで。妖精図鑑にも載っていない妖精が召喚に応じて来たので、驚いてしまって」
「ん?」
ごはんーごはんーと騒いでいるリヒトとナハトの額を撫でていたエンデュミオンが、ぱちぱちと瞬きした。仔犬の相手はルッツとテオに任せ、スヴェンに向き直る。
「載っているだろう?」
「いや、双頭の妖精犬は居なかったよ」
「そうだな、本来は双頭ではないからな。リヒト、ナハト、属性は何だ?」
「かみなりー」とリヒト。
「こおりー」とナハト。
「つまりリヒトは雷属性の妖精で、ナハトは氷属性の妖精だ。妖精は稀に産まれて来る時に結合して来る場合がある。それが双頭妖精だ。同じ属性の場合もあるし、違う場合もある。基本属性から派生する属性を持っているから、属性妖精としては珍しいな。双頭の両方にしっかりと自我があるし、身体にも異常はない様だ」
「そうなの?」
「もう一回り位は成長するんじゃないかな。それでも小柄だがな」
「元気ならそれでいいんだけど」
「一度で妖精を二人召喚したようなものだ。お得だろう」
そういう考えもあるのか。
精霊と違い属性妖精は姿形が決まっている者と、決まっていない者がある。基本属性は火蜥蜴や水魚の様に決まっている者が多いが、派生属性は決まっていない者が多い。
リヒトとナハトも見た目だけでは属性が解らないのだ。黙っていれば普通の犬だ。いや双頭なので普通ではないが。
「パンプディングだけど、まだ熱いよ」
孝宏がオーブンから出し立てのパンプディングを器に二つ取り分けて持って来る。
日を跨いで固くなった白パンを一口大に切り、卵と牛乳、砂糖に肉桂を混ぜた卵液に浸し、干し葡萄を散らして、耐熱性の深皿に入れてオーブンで焼いたものだ。
今日のおやつである。
孝宏は双頭妖精犬の前に器を持ってしゃがんだ。
「リヒト」
「あい」
額の白い毛が多い、向かって右側のコーギーが返事をした。目の色が金茶色だ。
「ナハト」
「あい」
額の白い毛が少ない、向かって左側のコーギーが返事をした。目の色が青色だ。属性で色が違うのかもしれない。
先端の白い尻尾が、千切れそうに振られている。断尾されていなくて、孝宏は内心ほっとしてしまった。
「はい、どうぞ」
二人の前にパンプディングの器を置く。ルッツに食べさせるのと同じ量を2つに分けたのだ。胴体は一つなのだ。一人分ずつやったら、食べさせ過ぎだろう。
リヒトとナハトはじっとスヴェンを見る。「食べていい?」と目が訴えている。あと、涎が垂れそうだ。
「食前のお祈りしたら、食べて良いよ」
「きょうのめぐみに」
直ぐに食前の祈りを揃って唱え、リヒトとナハトはパンプディングを舐め、すぐに顔を引っ込める。
「あつい。ナハトすこしさまして」
「あつい。ナハトすこしさます」
ふーと、ナハトが器に向かって息を吹いた。チラチラと一瞬雪の結晶が見えた。それだけで器から上がっていた湯気が殆ど見えなくなっている。
「たべごろ?」
「たべごろ」
リヒトとナハトは器に鼻先を突っ込み、勢い良く食べ始めた。短い肢を踏ん張り夢中でがっついている。随分腹を空かせていたらしい。
あっという間に食べ終えた器に、孝宏は人肌に温めた牛乳を注いでやった。蜂蜜を入れて少し甘味を足してあるのだが、お気に召したようだ。
綺麗に器を舐め、リヒトとナハトは満足げな顔になる。孝宏に口元を濡らした布で拭いて貰うと、よちよちとスヴェンの膝の上に戻って来て、そのまますぐに寝始める。スヴェンは妖精犬の身体に浴布を掛けた。
「まだ子供だと思っていい。食べさせるのは今位の量で、一日三回。人間と同じだ。おやつもあると良い」
「うん」
「もう少し成長すると、四肢がしっかりして走り回れる様になるだろう」
エンデュミオンの説明を、着ていた青い色のローブのポケットから取り出した紙に短い鉛筆で書き込み、スヴェンはほっと息を吐いた。
「うちにはケットシーが三人居るから、困った時は来い。それにもし何かあったら市場広場に面した魔女グレーテルの診療所に行くと良い。妖精も診てくれるから」
「魔女グレーテル……と。一緒に来た召喚師ザシャの妖精は水魚なんだけど、両方とも病気になったら困るもんな」
「ナハトは氷属性だから、治癒術は使えると思うぞ?リヒトは攻撃系属性だし、攻守揃っていて良いんじゃないか?」
「闘わす気は無いけどね」
ぷひーと鼻を鳴らしながら眠る双頭の妖精犬の背中を、スヴェンは浴布越しにそっと撫でた。
その後、スヴェンも彼らと一緒にパンプディングと紅茶でおやつを食べさせて貰ってから、<Langue de chat>を出た。
雑談の中で、定住する場所を探していると言うと、「領主に挨拶に行くのなら、ついでに探して貰うと良い」とエンデュミオンが言った。領主の執事なら空き家情報も知っているだろうからと。
まだ足取りが覚束無いリヒトとナハトに使うスリングは、〈針と紡糸〉で作って貰えると教えて貰った。
「おやつ、おいしかった」
「おいしかった」
「良かったね。また遊びに行こうね」
昼寝をして目を覚ましたリヒトとナハトの顔を出して浴布で包み、スヴェンはまだ日中の熱が残る夕暮れの街を歩く。
通り過ぎた人が、振り返った気がするが、もう気にならなかった。リヒトとナハトはスヴェンの大切な契約妖精なのだから。
<Langue de chat>では本も借りられると言う。今度ゆっくり店の方を見に行こう。
「明日はザシャとラーレと、領主様にご挨拶に行こうね」
「ごあいさつ」
「ごあいさつ」
きゃっきゃとはしゃぐ妖精犬の後頭部を一撫でし、スヴェンはリグハーヴスでの生活の始まりに胸を高鳴らせるのだった。
スヴェン、妖精召喚しました。
双頭の妖精リヒトとナハト。ルッツと同じ位なので、子供です。
リヒトとナハトは大抵スヴェンと一緒に居ますが、夜だけは寝ちゃうので、お仕事があってもお休みです。
ザシャと一緒に仕事をするので、お互いの妖精で補い合います。




