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カミルと火蜥蜴

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

窯や炉には火蜥蜴が棲み憑きます。


58カミルと火蜥蜴


 カミルが持って帰ったマルゲリータは、その日の晩御飯になった。

 温め直したマルゲリータを食べ、カールとベティーナは無言になった。

「これ、窯で焼いた方がもっと美味しいんだって」

「……そうだな」

「ヒロは自分で窯焼きは勉強しろって」

 ベティーナは驚いてしまった。

「あんたに窯使わせろって言うの?流石にまだ早いんじゃない?」

「……」

 カールは腕組みして考え込む。孝宏たかひろの言いたい事は解る。窯はそれぞれの店で癖がある。焼いて身体で覚えなければ、どうしようもない。

「お前に窯を使わせるには、まず道具を作らなければ無理だな」

 窯にパンを出し入れする為の、平たい木のシャベル状の道具は、カールに合わせて作っているので、子供のカミルには重すぎるだろう。

「クルトに小振りの物を作って貰おう。それからだ。それにルビンがお前に窯を使わせてくれるかだ」

 ルビンと言うのは、〈(ヴァイツェン)(スフィアーツ)〉のパン焼き窯に棲み憑いている火蜥蜴(サラマンダー)の名前だ。紅玉ルビンの魔石の様に紅いので、ルビンと言う名前が付いている。<麦と剣>が出来てから、ずっと居ると聞いている火蜥蜴だ。

 火蜥蜴は、気に入らない相手には窯を使わせてくれない気難しい所がある。勝手に棲み憑くのは、火蜥蜴の方なのだが。

 カミルの家では毎日全員が、窯の中に居るルビンに挨拶をする。朝一番にはルビンの為の小さなパンも、一緒に焼いて与えている。

 火蜥蜴が居ると居ないとでは、窯の状態は大きく変わる。出て行かれては困るので、火を扱う職人は、火蜥蜴を大切にするのだった。


 風呂上りに、カミルはそっと蝋紙に包んだマルゲリータを持って、工房のパン焼き窯に近付いた。火蜥蜴のルビンが居るので、火種は落とさず夜でもほんのりと温かい窯の扉を、カミルは耐火布の手袋を嵌めて開けた。

「ルビン」

 窯の奥で温度が低い為黒っぽい色になっている熱鉱石の上で、丸くなっていた紅い火蜥蜴が、ぱちりと黄玉トパーズの様な眼を開けた。黒い瞳孔が縦に長い。

「何だ?」

 ぱたんと、ルビンは尾を振った。

 実はルビンは話せる。これはカールも知らない事だったりするのだが、カミルとは話すのだ。

 カミルが五歳の時、朝食のパンを食べていたルビンが、咥えていたパンを窯の床に落とし「あっ」と言ったのを、偶然見てしまった。

 窯の床なので汚れている訳も無く、ルビンはパンを拾いそのまま食べたのだが、カミルが自分を見たままで、誤魔化せないと思ったらしく、「火蜥蜴は妖精フェアリーの一種で喋れるが、普段は面倒だから喋らないのだ」と説明した。火蜥蜴とは、年中温かい窯に住まわせて貰う代わりに、窯の管理をする妖精なのだと言う。

 火蜥蜴の生態に詳しくなったカミルだが、それからもカールやベティーナの目を避けて、ルビンと時々話していた。

「ルビン。俺さ、もう少ししたら窯でパンを焼き始めるんだ」

「もうそんな歳か?」

「八つになるよ」

「ほう」

「でね、こういうパンも焼くんだけど、どう思う?」

 カミルは窯の入口にマルゲリータを一切れ置いた。ルビンは窯の奥からのそのそ出て来た。ルビンは身体に突起などの無い、尻尾の先までの長さが二十センチ程度の火トカゲだ。

 丸い指先を持つ四肢でぺたぺた近付いて来て、マルゲリータの端を咥えた。カッと一瞬ルビンの体色が濃くなった。

「美味い」

「本当?」

「でもルビンの窯で焼いた方がもっと美味いぞ」

「言うと思った」

 カミルはルビンと笑い合った。

「ルビンもカミルの修行に付き合おう」

「うん。有難う。じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ」

 窯の扉を閉め、カミルは工房から住居へ続く廊下に戻った。そこで危うく父親とぶつかりそうになって、カールに抱き留められる。 

「カミル、工房に行っていたのか?」

「うん。ルビンにおやすみを言って来た」

「そうか。明日は休みだから、慌てて起きなくても良いぞ」

「うん。おやすみなさい、父さん」

「おやすみ」

 カミルが廊下の先にある階段を上がって行くのを見送り、カールは工房に入って窯の扉を開けた。

「……」

 窯の中では、ルビンがマルゲリータを食べている真っ最中だった。カミルが与えたのだろう。ルビンがちらりとカールを見た。

「今それを食べて、明日の朝のパンは食べられるのか?」

 ルビンは当然だ、とばかりに頷いた。身体の大きさの割に、火蜥蜴はしっかりと食べる。もしかすると、このルビンだけかもしれないが。食いしん坊な火蜥蜴なのだ。

(エッカルトの所の火蜥蜴はどうなんだろうな)

 鍛冶屋のエッカルトの炉にも、エルマーと言う名前の火蜥蜴が居るのである。個体ごとに色合いが少し違うので、見分けがつく。

「おやすみ、ルビン」

 カールは窯の扉を閉めた。

 先程、話し声が聞こえた気がしたのだが、カミルがルビンに話し掛けていたのだろう。ルビンは火蜥蜴だが、意外と感情が読みやすいのだ。

(この様子だと、カミルが窯を使うのも、問題なさそうだな)

 火蜥蜴と息子の親和性に安堵し、カールも寝室へと向かった。


 月の日になり、朝のサンドイッチの客が引いた後、店をベティーナに任せ、カールはカミルを連れて大工のクルトの工房に向かった。

「やあ、クルト」

「カール。カミルと揃ってどうしたんだ?」

「そろそろカミルにパン窯を使わせてみようと思ってね。小さい道具を作って欲しいんだ」

「解った。エッダから聞いているよ。<Langueラング de chatシャ>でパンを教えて貰いに行っているって」

「他の人に言わないでくれよ。<Langue de chat>に迷惑が掛かるといけないからな」

「ああ」

 もし<Langue de chat>に話を聞きつけた<(ヴァイツェン)(ブルーメン)>が行ったりすれば、面倒な事態になるかもしれない。何かあればあそこのケットシー達が追い返すだろうが。 

 クルトはカミルの腕の長さなどを採寸し、パンを窯から出し入れする為のシャベルを作ってくれる事になった。

「あ、カミル」

 そこにひょこりとエッダが顔を出した。

「エッダ。俺道具を作って貰ったら、パン窯使わせて貰えるんだ」

「本当?私も行って良い?」

「朝早いんだよ。エッダ起きられるのかよ」

「えー」

 心外だ、と言う様にエッダが頬を膨らませる。

 カミルとエッダが話しているのを見ながら、こっそりとカールはクルトに耳打ちした。

「あの二人、どう思う?」

「うちは構わないぞ。どこか遠くへ嫁がれるより良いし」

 男親クルトとしては、簡単に会え無い様な遠方に嫁入りされるのは寂しい。

「じゃあ、教会に届け出を出しておこう」

「そうだな」

 親同士が決めた許嫁いいなずけは、教会に届け出をして記録に残しておける。

 これは成人するまで有効で、成人した後は平民の場合は、本人達の希望で解消する事も可能だ。位階をもつ準貴族の場合は家同士の繋がりがある為、一度届け出ると解消するのは難しい。

 カールとクルトがカミルとエッダの婚約をしようと思ったのは、二人が孝宏に黒森之國に無いパンやソースの製法を教わり始めたからでもある。

 孝宏は二人に製法を秘密にする様にと約束させている。しかし、夫婦間で秘密となると、難しい場合もあるだろう。

 もしかしたら、製法を求めてカミルやエッダと婚姻をしようとする者が現れるかもしれない。

 教会へ届け出を出して、月の女神シルヴァーナに承認して貰っておけば、王族や貴族でも覆す事は出来ない。届け出が無くて口約束だけだと、王族や貴族にカミルやエッダを愛妾にしたいと言われれば、平民のカールとクルトなら断れないのだ。

 こうして、カミルとエッダは本人達がまだ知らぬ所で、許嫁になるのだった。


 一週間後にカミルの道具が出来上がり、パン焼きの練習が始まった。

 朝は売り物のパンを焼くので窯を使う為、カミルの練習はサンドイッチ販売の波が済んでからとなった。

 その頃には、朝御飯を済ませたエッダがやって来ても良い時間になる。

「パンの良い匂い」

 初めて入るパン屋の工房に、エッダは目を輝かせる。今日は髪をきちんと結び、持って来たエプロンを着ている。

「エッダ。こっちこっち」

 カミルはエッダに手招きして、窯の前に案内した。耐火布の手袋を嵌めて窯の扉を開ける。

「ルビン。エッダだよ」

「こんにちは、ルビン」

 窯の奥から紅の火蜥蜴が、ぺちぺちと走って来た。少し笑っている様な顔で、カミルとエッダを見上げる。

 カールが後ろに居るので口を利かないが、「カミルの嫁か?嫁か?」と言いたくて堪らないのだ。

 カールがルビンの背後に見える、熱鉱石を指差す。

「カミル、温度は熱鉱石の色で見分けるんだ。慣れれば窯の入り口からの熱でも解る様になるぞ」

「うん」

 朝のパンを焼いた後、一度温度を下げているので、熱鉱石の色は黒ずんでいる。カールは窯の横にある送風レバーをカミルに操作させ、窯の温度を上げさせた。

「この色だ」

 熱鉱石が鮮やかな紅色に染まった所で、カールがレバー操作を停めさせる。

 窯の中ではルビンが手招きしている。パン生地を入れて良い温度だと、教えてくれているのだ。本当に修行に付き合ってくれるらしい。

「ルビンは父さんの修行にも付き合ってくれたんだ」

「へえー」

 窯や炉に棲む火蜥蜴は、職人育成に手を貸してくれるのだ。

 昨日の夕方に練習用にと、カールと一緒に作ったパン生地を伸ばし、エッダと二人で孝宏の所で作ったケチャップを塗り、チーズ(ケーゼ)とバジルを載せて、クルトに作って貰ったばかりのシャベルで掬い上げ、ルビンが脇に避けた窯の中に滑り込ませる。

 赤い窯の中で、あっという間にケチャップが塗られていない縁の部分のパン生地が膨れ始め、チーズが溶け出す。

 孝宏と焼いたマルゲリータの姿を思い出し、二分程でカミルが「もう良いな」と思うのと同時に、窯の中でルビンがぶんぶんと尾を振った。「出せ」と言うのだろう。

 カミルはシャベルでマルゲリータを取り出した。

「本当に凄く速いや」

 オーブンと窯では、熱量が違うのだろう。

 まな板に載せて切り分け、味見をしてみる。美味しいし、きちんと焼けているが、縁の生地の焼き色にばらつきがある。焼きながら生地を回してやると良さそうだ。

 もう一度マルゲリータを作って焼いてみる。仕上がり前に生地を回してやると、今度は綺麗に縁に焼き目が付いた。

「お前は勘が良いな」

「ルビンが教えてくれているからかな」

 取り出す切っ掛けを、尻尾を振って教えてくれるのだ。

 カミルとエッダはもう三枚マルゲリータを焼き、残りの生地は小さな丸パンを作る為の丸め方をカールに教わって、ナイフで十字に切れ込みを入れてそのまま焼いた。

 丸パンの方が、ピザより少し温度を下げる。

「で、この焼き上がったマルゲリータはどうする?売るか?」

「えっ、売れるの?」

「充分売れる品だぞ。徒弟が焼いたパンだから、一切れ半銅貨二枚と言った所か」

 一枚を八等分にするので、マルゲリータ一枚は銅貨一枚と半銅貨六枚になる。大丸パンより高い。

「高くない?」

「ケチャップやバジル、白チーズも使っているからな。その分を入れると安いぞ」

 もしカールが作ったのなら、一枚銅貨二枚か二枚半にはするだろう。

 カミルとエッダは切り分けたマルゲリータを、蝋紙を敷いた平籠に載せた。カールがそれを売り場窓口のベティーナの元へと運んで行く。

「ベティーナ、これは一切れ半銅貨二枚だ」

 窓口には夕食と明日の朝食の為のパンを買いに来た、近所の女将さんが居た。

 運ばれて来たばかりのマルゲリータを指差す。

「それはなんだい?」

「マルゲリータっていうパンだ。息子達が焼いたから、負けて一切れ半銅貨二枚だよ。味は保証する。旦那の酒のツマミにもお薦めだ。冷めたらオーブンで温めると良い」

「じゃあ、大丸パンの黒とそいつを二切れおくれ」

「有難うございます」

 ベティーナは木製のトングでマルゲリータ二切れを取って蝋紙で包み、大丸パンと共に女将さんの買い物籠に入れてやる。

「銅貨一枚と半銅貨四枚よ」

「はいよ。カミルの最初のパンだね、楽しみだよ」

 女将さんが帰って行くと、彼女が買うのを見ていた路地を歩いていた街人が、物珍しさからか次々とマルゲリータを買って行った。

 三枚分のマルゲリータを売ったので、売り上げは銅貨四枚と半銅貨八枚だ。カールはその金を財布代わりの小袋に入れて、カミルに渡した。

「これが売り上げだ。この中からパン生地を作る以外の材料を買うと良い。これからもお前達が作ったパンで売れた分は渡すから、何にどれだけ使ったかをきちんと書いておくんだぞ」

「うん」

 カールが使わない材料は、カミルとエッダが独自に調達するしか無いからだ。どこで売っているかは、孝宏が教えてくれるだろう。

「これから商業ギルドに行って、お前達の登録と口座を作りに行こう」

「作れるの?」

「と言うか、作らないと拙い。お前達の作っている物を売るのだからな」

 小金が溜まって来たら、家に置いておく訳にはいかなくなるだろう。

 修行に付き合ってくれたお礼にルビンにマルゲリータを一切れ渡し、後片付けしてからカールはカミルとエッダを商業ギルドへと連れて行った。

 魔銀製のギルド会員証を手にしてはしゃぐ二人に、頼もしく感じつつ、まだまだ負けていられないと思うカールだった。



カミルの家<麦と剣>のパン焼き窯に住む火蜥蜴ルビン登場。

食いしん坊で世話焼きの火蜥蜴です。


そして本人達の知らぬ所で婚約しているカミルとエッダ。

平民は立場が弱いので、先手で防衛。豪商や貴族であろうと、女神様には逆らえません。

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