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東風来たりて(前)

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

倭之國と黒森之國は友好國になっています。


54東風こち来たりて(前)


 この世界では各國が友好國と大使を交換し合っている。

 大使は赴任した國の特産物を探し、自國へ送るべく交渉すると言う仕事も担う。

 桔梗宮ききょうのみや華族かぞくの末端である。もう随分前に臣籍しんせき降下した家柄であり、今上帝きんじょうていとの血の繋がりなど微々たるものだ。しかし、桔梗宮家は代々の帝に忠誠を尽くして来た。

 四家よんけの様に後宮こうきゅうに血族を入れ様と血道を上げたりはせず、官吏として地味に仕えて来た。

 桔梗宮知晴(ともはる)も今上帝である暁光帝ぎょうこうてい桃李とうりの忠実なるしんである。故に、黒森之國くろもりのくにの大使となって赴任してくれと言われた時には、だくと答えた。何より、知晴は桃李の〈はざま〉の一人であった。

 知晴は桔梗宮家の三男であり、家督を継ぐのは長兄か次兄である。両親も帝からのお達しであればと、納得してくれた。

 難解な黒森之國語には苦労をしつつ、船の旅で二ヶ月掛かって倭之國わのくにから黒森之國へとやって来たのだった。

 船から降りてまず思ったのは、自分の格好は激しく目立つ、と言う事だった。知晴が来ていたのは狩衣かりぎぬであり、黒森之國の人達が来ているのは洋服と呼ばれる物だ。髪や眼の色はどうしようもないが、服装はこちらに合せた方が悪目立ちはすまい、と思われた。

 迎えに来た王宮官吏の案内でマクシミリアン王に謁見した後、大使館と言う名の一軒家に案内された。寝殿造しんでんづくりの倭之國とは違う、石や漆喰、煉瓦で作られた建物だ。二階や三階があるのも珍しい。補佐官や執事、料理人やメイド、護衛が同居するので、それなりに大きな家だった。

 ベッドは浜床はまゆかがある御帳台みちょうだいだと思えば良いし、食事は米を炊いてくれたので、辛くは無かったが、知晴が一番飢えた物は活字だった。

 黒森之國は物語の本が無かったのだ。倭之國では豊富にあったと言うのに。識字率は倭之國も颯雲領そううんりょうが異状に突出している以外は、黒森之國と余り変わらないと思う。だというのに、本屋と呼ばれるところには製本されていない学術書しか売られていないのだ。

 魔術の研究書や図版だが、図版は兎も角、知晴には魔法は使えないのでさっぱりだ。倭之國で呪術が使えるのは、呪術師だけなのだ。

(ああ、後宮こうきゅう内御書所うちごしょどころが懐かしい)

 官吏であれば、本が借りられたのだ。仕方なく、知晴は黒森之國語で聖書ビーブル説話集せつわしゅうを読む毎日だった。これも、黒森之國語習得には役立ったのだが。

 大使というものは、輸入物の探索に各地域を回る。雪も解けた六の月、知晴は北東のリグハーヴスに行く事にした。本来はもう少し早く行く予定だったのだが、聖女の巡礼とぶつかってしまい、時期を遅らせたのだ。

 箱馬車で数日掛けて補佐官一人を供に、王都から北東リグハーヴスへ向かう。

 倭之國とは違う雰囲気の森や、緑が濃くなり始めた草原を抜けて行く。知晴は馬車の窓に釘付けになり、風景を楽しんだ。

 幸い旅中の天候は崩れず、予定通りにリグハーヴスの街に辿り着けた。

 黒森之國で最も大きい街は王都だ。島一つが聖域でもある聖都も、王都よりは小さいだろう。

 しかし、辺境領であるリグハーヴス・ハイエルン・ヴァイツェア・フィッツェンドルフの街も、中々に大きかった。

(リグハーヴス公爵領の街は新しいのだな)

 街を囲む囲壁いへきの中心部に教会や家が集まっているのだが、外周に近くなるにつれて空き地が多くなる。これから家が建っていくのだろう。

 王宮や聖都は白い石造りの建物だったが、リグハーヴスの街は他の街と同じく、石や煉瓦で土台を作り、漆喰の壁に焦げ茶色の梁や筋交いがあらわに見せられている家が並んでいた。屋根の色はくすんだ赤で統一されていて、教会の鐘楼より高い建物が無いのも共通している。街の中は整備された石畳の路地で、区画整理されていた。

 宿屋〈跳ねる兎亭〉の前で箱馬車を下りる。箱馬車と馬は、街の共同馬小屋で預かって貰える。それらは御者に任せ、知晴と補佐官のコンラートは予約していた〈跳ねる兎亭〉に入った。

 補佐官のコンラートは、黒森之國の官吏だ。黒森之國の官吏や騎士を養成する学院で、文官育成科と騎士科を修了している、文武に優れた青年だ。

 彼の鮮やかな蜂蜜色の髪と青い眼を、知晴は最近漸く見慣れてきた。恐らく、コンラートも知晴の黒髪と黒い眼を見慣れてきた頃だろう。

 カウンターに居た妙齢の女将らしき女性は、知晴を見るなり瞠目どうもくした。倭之國でもそうだが、異國人は珍しいのだ。

 女将は直ぐに笑顔に変わったが、宿泊帳に知晴と御者の名前もまとめて記載するコンラートに何かを囁いた。コンラートが首を横に振る。

(何だろう)

 知晴には聞き取れなかったが、コンラートが答えられる問いかけだった様だ。

 胸に白い〈跳ねる兎〉の刺繍が入った焦げ茶色のベストを着た従業員の少年に、トランクを部屋まで運んで貰う。チップにハルドモンド半銅貨を渡し、「有難う(ダンケ)」とドアを閉める。

「さっき、あの方は何と言ったのですか?」

「え?」

 同室になるコンラートは、トランクを台の上に上げている所だった。横置きに安置し、コンラートが振り返る。

「先程カウンターで、何かコンラートに言ったでしょう?」

「ああ、あなたが〈異界渡り〉かと聞いたんですよ。黒森之國に下りる〈異界渡り〉はあなたの様な、黒髪と黒い眼をしているんです。ですから、倭之國の方だと伝えました」

「黒森之國でも〈異界渡り〉が下りるのですか」

「ええ。しかしそんな話題が宿の女将から出るなんて……もしかしてリグハーヴスには〈異界渡り〉が居るのかもしれませんね」

「こちらでも〈異界渡り〉は〈保護〉されるのですか?」

「はい。保護主の元に居住する事になります。リグハーヴスでは見守られているようですね。〈奇蹟〉を起こすような能力は無いのでしょう」

「そうなのですか」

 倭之國であれば、所在自体を秘匿され、幽閉されかねない〈異界渡り〉も、こちらでは随分とおおらかだ。


 その日はそのまま宿で休み、翌日知晴とコンラートは、リグハーヴス公爵の領主館に滞在の挨拶に行った。

 王家と同じく古王國の流れをくむというアルフォンス・リグハーヴス公爵は、銀髪に紫色の瞳をしていた。王家と公爵家は、平原族ならこの色が優先的に遺伝するのだそうだ。

 応接室に通され、紅茶シュヴァルツテー菓子クーヘンを頂きながら、到着の挨拶の後は雑談をする。

 リグハーヴス公爵領は地下迷宮ダンジョンが領内にあるので、魔石以外の魔物の副産物で潤っている様だ。それらを加工する技術者も、多く居住し始めていると言う。

「ヘア・トモハルは、こちらで何か不自由している事はありませんか?」

「そうですね、こちらでは物語の本が無い事でしょうか。故郷では良く本を読んでいたものですから、少し残念に思います」

 アルフォンスの何気無い問いに、つい知晴はこぼしてしまった。実は次の輸入船で書物を送ってくれと、実家に手紙を送ろうかと考える程、活字に飢えている。

「おや、ヘア・トモハルは物語の本を読まれるのですか」

 しかし、意外にもアルフォンスは食い付いてきた。

「でしたら、街の右区レヒツに一本入った路地にある、<Langueラング de chatシャ>においでになると宜しいですよ。〈本を読むケットシー〉の看板が下がっています。こちらはルリユールですが、貸本もしていますから」

「それは興味深い事を教えて頂きました。ぜひ伺わせて貰いたいと思います」

(ケットシーとは何だろう)

 知らない単語に内心首を傾げながら、知晴はアルフォンスに礼を言った。

 知晴とアルフォンスの会話が一段落するのを待っていたコンラートが口を開く。

「公爵様、昨日〈異界渡り〉の話を小耳に挟んだのですが、もしやリグハーヴスに?」

「ああ、下りている。聖都からも承認を受けているが、王宮からの発表はなされない事に決定した。彼の能力と、現在の環境による所が大きいのだがね。彼はケットシー憑きなんだよ」

「それは、確かに……」

 アルフォンスとコンラートの会話を、知晴は半ば意味が解らず聞いていた。ケットシーが憑くとはどういう意味なのだろう。

 その後十分程雑談し、知晴達は領主館を辞した。

 一度〈跳ねる兎亭〉に戻った知晴は、食堂で昼食を済ませてから、出掛ける事にした。

「私は<Langue de chat>に行ってきます。コンラートは休んでいますか?」

「いえ、一緒に行きます」

 黒森之國で倭之國人は目立つ。〈異界渡り〉と勘違いされて、拐われたりすれば、國際問題だ。特に知晴は遠く帝の血を引いている華族なのだから。

 倭之國では他國の大使が一人で歩いていても平気だと言う。國際問題になるのが解り切っているので、拐う者も居ないのだそうだ。

 それに知晴は華族でも末端であり、偉ぶるところがない。多少の距離ならひょいひょいと歩いて行ってしまう。

 コンラートは一つ息を吐いて、頭半分背の低い知晴の後を追い掛けた。



倭之國の大使登場です。

大使は普段王都に居ますが、リグハーヴスに視察に来ました。

知晴は華族でも庶民派です。

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