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ルッツのお届け物

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

テオとルッツの軽量配達便は、あなたのお荷物を黒森之國中どこへでもお運び致します(ただし地下迷宮は除きます)。


53ルッツのお届け物


 安息日の翌日、リグハーヴス公爵領に男児誕生の報せが大々的に公布された。

 アルフォンスとロジーナは、ヴォルフラムを実子として教会に届け出た。

 司祭プファラーベネディクトに洗礼を受けた、ヴォルフラムを含む公爵家族が乗った〈(アドラー)(スフィアーツ)〉の紋章付きの馬車が街を通り抜ける時には、街人は歓声を上げた。

 公爵からは祝いとして、市場マルクト広場でワインが振る舞われ、子供には木の実や乾燥果物を入れた飴菓子ボンボンの小袋が渡された。

「ルッツもヴォルフラムみたかった」

 市場広場で貰って来た飴を舐めながら、ルッツは魔石のおはじきをラグマットに転がして遊んでいた。

 ルッツの隣では同じく飴を舐めながら、ヴァルブルガが黒いケットシーの編みぐるみを作っていた。

 眠り羊の毛を細目に紡いだ毛糸で編み、緑の目と桃色の肉球は刺繍で入れた。毛糸のケットシーのお尻には〈W〉の文字が入れられている。ヴァルブルガの〈W〉だし、ヴォルフラムの〈W〉だ。

 深緑色のリボンを編みぐるみの首に蝶々結びにし、ヴァルブルガは「出来た」と呟いた。

「ケットシー?」

「うん」

 ルッツと余り大きさの変わらない編みぐるみだった。

「ヴォルフラム、エンデュミオンの尻尾掴んでたから、ケットシー好きかなって」

 昨日帰って来てから編んでいたのだ。今日は店にも出ずに、仕上げていた。

「ルッツ、お届け物する?」

「するよー」

「ヴォルフラムに、これお届け物なの」

「あい」

 こくんと頷いたルッツはおはじきを片付け、一度部屋に戻って行った。再び居間に現れたルッツは、手に紙を持っていた。

「はい。かいて」

 それは依頼書だった。下部に受け取りサインを書く欄がある、テオが普段仕事に使っている物だろう。

 ヴァルブルガはテーブルの天板の下に付いている引き出しから、インク瓶とペンを取り出し、届け先を〈領主館のヴォルフラム〉、差出人を〈<Langueラング de chatシャ>のヴァルブルガ〉と書いた。配達人のところはルッツが欄いっぱいに〈Lutz〉と大きな字でサインする。まだルッツは小さな字を書けないのだ。

「お礼は何がいいの?」

「ルッツもこれほしい」

 これ、と編みぐるみを指差す。

「うん。編んであげるの。色とか、後で決めようね」

「あい」

 ルッツは丁寧に依頼書を畳み、ベストのポケットに入れた。それから編みぐるみを持ち上げ、困ってしまった。編みぐるみのケットシーは、ルッツと同じ位あるのだ。運べない。

「おんぶする」

 ヴァルブルガに手伝って貰って編みぐるみを背負っているところへ、孝宏たかひろが居間に入って来た。

「何してるの?」

「おんぶするの」

「おんぶ紐、要るんじゃないかな?」

 孝宏は店に下りて、包装用の赤いリボンを持って来た。リボンを使って、ルッツの背中に黒いケットシーの編みぐるみを背負わせてくれた。編みぐるみの尻尾も地面に擦らないように紐に挟み込む。

「これで良い?」

「あい」

 ルッツはラグマットの端に転がしていた、モカシンブーツに脚を突っ込んだ。孝宏が手を貸して履かせてくれる。

「何処か行くの?」

「おとどけもの」

「テオは?」

「ギルドにいらいみにいった。ルッツ、ヴォルフラムにおとどけものにいってくる」

「ええ!?」

「すぐかえってくるねー」

 小さな錆柄さびがらのケットシーは、孝宏の前から〈転移〉で姿を消したのだった。


 テオと配達をする時、ルッツは〈転移〉を滅多に使わない。途中の山道が崩れていたり、川の中にある小島に届け先があるのに、小舟がこちら岸に無い時などに、〈転移〉でテオを運ぶ位だ。

 ルッツが憑いてからも、基本的にテオの配達姿勢は変わらない。

 しかし、今回はルッツだけで行く。ルッツが歩くと、丘の上に行くだけでも結構時間が掛かる。余り遅くなるとテオに心配を掛けると思ったので、少し楽をする。

 〈転移〉で一気に領主館の裏に出る。貴族や準貴族のお屋敷の場合は、配達人が表から入るのを嫌う事が良くある。配達人を邪険に扱う貴族や使用人も少なくない。

 それを覚えていたので、ルッツは領主館の裏にあるドアを握った前肢で叩いた。

 ……殆ど音がしなかった。

「こんちはー!」

 仕方がないので大きな声で挨拶した。

「はーい」

 若い女性(フロイライン)の声がしてドアが内側から開いた。

「あら、ルッツ!?」

 ドアを開けてくれたのは、キッチンメイドのエルゼだった。いつもと違って髪を編んで纏め上げ、紺色のお仕着せと白いエプロンを着ている。

「おとどけものでーす」

「どなたにお届け物なのかしら?」

 エルゼはスカートの端を押さえて、ルッツの前にしゃがんだ。

「ヴォルフラム」

 ケットシーは、人に敬称を付けない。

「若様になのね。じゃあヘア・クラウスにお願いしましょう。抱っこしても良いかしら?」

「あい」

 エルゼは子守りでもしているかの様に、背中に黒いケットシーの編みぐるみをおんぶしたルッツを抱き上げた。

「ヘア・オーラフ、配達屋さんが来たのでヘア・クラウスの所へお連れしてきます」

「おう……ってケットシーかよ!?」

 台所の戸口で声を掛けられた料理長オーラフは、エルゼが抱いたルッツを見て目を剥いた。

「この子はルッツです。普段はヘア・テオと一緒に軽量配達人をしているんですよ」

「こんちはー」

 ルッツは片前肢を上げて、きちんとオーラフに挨拶した。

「おう、ご苦労さん」

 オーラフも片手を上げて返す。

「では行ってきます」

 クラウスを捜しに、まずは執事室に行く事にする。彼は領主の用事や、館の見廻りをしていない時は、そこで書類に目を通していた。

 一階にある執事室のドアを、エルゼは叩いた。

「はい、どうぞ」

 室内からクラウスの声が帰って来て、エルゼはホッとした。何しろエルゼはキッチンメイドだ。屋敷の奥には行けない。ここで見付かって良かった。

「失礼致します。キッチンメイドのエルゼです」

「フラウ・エルゼ、そちらは?」

 ドアを開けたエルゼを見て、クラウスは微かに目を開いた。

「ルッツです。軽量配達人のヘア・テオのケットシーなんですが、今日は若様にお届け物を運んで来て下さいました。私では奥に行けませんので、ヘア・クラウスにお願いに上がりました」

「そうですか。解りました、私がご案内しましょう」

 クラウスは座っていた椅子から立ち上がり、エルゼからルッツを抱き取った。

「ヘア・クラウスにご案内して頂いてね」

「ありがと、エルゼ」

 ルッツの耳の間を撫で、エルゼは台所に戻って行った。

「あなたと会うのは初めてですね」

「あい」

 大きな耳の青みのある黒毛にオレンジ色の錆が入ったケットシーは、ヘア・クラウスを見て琥珀色の目を細めた。

 ルッツが大人しく抱っこされた時点で、クラウスは善人認定されたのを知らない。

 小さなケットシーを抱いたまま、クラウスはリグハーヴス公爵夫人ロジーナの居間へ向かった。日中は息子のヴォルフラムもこちらに居るのだ。

「奥様、クラウスでございます」

「どうぞ、お入りになって」

 ノックとロジーナの返事の後、部屋付きメイドがドアを開ける。クラウスは薔薇色の部屋に脚を踏み入れた。

 薔薇色と言っても、カーテンやソファーの布が薔薇色を使っているだけなのだが、公爵夫人の髪もストロベリーブロンドなので、赤色の範囲が広いのだ。調度品は落ち着いた飴色の物を選んでいるが、金具に魔銀を使っているので、明るい印象だ。

 ロジーナは子供用のベッドを傍らに置いたソファーで、編み物をしていた。

「奥様、配達人のルッツをお連れしました」

「まあ。いらっしゃい、ルッツ」

 クラウスがルッツを床に下ろす。ルッツはとことことロジーナの前まで歩いて行った。

「こんちはー。ヴォルフラムにおとどけものでーす。あい」

 くるりとルッツはロジーナに背中を向けた。ロジーナと編みぐるみの目が合う。

「可愛いわ!これをヴォルフラムに?」

「あい」

 ロジーナに編みぐるみを押さえて貰い、おんぶ紐をほどく。ルッツと変わらない大きさの編みぐるみのケットシーは無事、ロジーナの膝の上に移った。

「サインくださーい」

 ベストのポケットから依頼書を出して、ルッツはロジーナに渡した。

「ヴァルブルガからなのね。嬉しいわ」

 メイドがり気無く差し出した万年筆で受け取りサインをし、ロジーナはルッツに紙を返した。ルッツはきちんとポケットに依頼書をしまった。おんぶ紐にしていたリボンも、ロジーナが束ねてくれたので、ポケットに入れる。

「ルッツ、ヴォルフラムに会って行って」

「あい」

 ロジーナはまずケットシーの編みぐるみを子供用のベッドに入れた。それからルッツを抱き上げた。

「ほら、ヴォルフラムよ」

「ルッツよりちいさい」

「うふふ、そうね。でもすぐ大きくなるわよ」

 ケットシーの編みぐるみと並んで熟睡中の赤ん坊は、いかにも健康そうで可愛らしかった。

 届け物も済ませ、ヴォルフラムにも会えたルッツは、戻りも待っていてくれたクラウスに抱っこされ、裏玄関に連れて行って貰う。

 台所の戸口では、先程のオーラフとは別のコック服を来た青年がいた。

 ルッツの鼻は彼が菓子職人だと、すぐに嗅ぎ分けた。砂糖の甘い匂いがする。

「けさの、まるくとひろばのあめ、つくった?」

「えっ、ああ、作ったけど」

 ケットシーを一目見ようと思って待っていたイェレミアスは、ルッツに話し掛けられて吃驚びっくりした。

 市場マルクト広場で今日配っている、木の実と乾燥果物のボンボンを作ったのはイェレミアスだ。夜なべして作った飴に何か問題でもあったのかと、胃の底が冷えたイェレミアスだったが、ルッツは両前肢で頬を押さえる仕草をして、「ふふー」と笑った。

「おいしかったの。テオともらってきたの」

「あ、有難う」

「またたべたいなー」

「……」

 黙り込んだイェレミアスに代わり、クラウスがルッツに微笑んだ。

「若様へのプレゼントと、それを運んで来てくれたお礼に、公爵様がイェレミアスのお菓子を下さいますよ」

「ほんと?」

「ええ」

「うれしいなー。イェレミアスありがと」

「いや、お礼なら公爵様に」

「つくるのは、イェレミアスだから、イェレミアスにありがとなの」

「……」

 イェレミアスの目元がじわりと朱に染まる。

「じゃあねー」

 錆柄の小さなケットシーは、桃色の肉球を見せて前肢を振り、クラウスに玄関の外まで送られて行った。

「……何泣いてんだ」

 強めに肩をオーラフに叩かれ、イェレミアスは鼻を啜った。

「いえ……」

 あの小さなケットシーに救われた気がした。

 飴を炊き、木の実と乾燥果物を合わせて伸ばし、専用の木型で転がし丸く形成した素朴な飴を「おいしい。またたべたい」と言ったケットシーに。

 あんな風に言って貰える様な菓子を、作り続けたいと思った。


 領主館の裏玄関から、ルッツは<Langue de chat>の二階居間に〈転移〉して帰って来た。

「ただいまー」

「お帰り、ルッツ」

「あ、テオー」

 待ち構えていたテオにルッツは抱き付いた。

「はい、うけとりひょう」

 ポケットから出して、ルッツが差し出すロジーナのサインが入った紙を、テオは溜め息を押し殺して受け取った。

「ご苦労様」

「あい」

「でも今度からは、俺に言ってからにしてね。吃驚びっくりするから」

「あい」

 冒険者ギルドから帰って来たら、孝宏とヴァルブルガに、ルッツが領主館に一人で配達しに行ったと聞いて寿命が縮むかと思った。

 どうやらきちんと配達出来た様だ。

「ロジーナ、よろこんでた」

「そうか」

「ヴォルフラム、ちいさかった」

「そうか」

「アルフォンスがイェレミアスのおかしくれるってー」

「んん?」

 何故そうなった。

 その日の夕食後の団欒は、ルッツがどの様に配達して来たかを、皆に話して聞かせる会となった。

「フラウ・エルゼがドアを開けてくれて良かった……」

 他の者が開けていたら、最初から大騒ぎになったかもしれない。

 エルゼが<Langue de chat>に来たら、お礼を言おうと強く思う面々だった。


 約束通り、領主館からは木の実と乾燥果物の飴と、黒森之國くろもりのくに風チェリータルトやシュネーバルが届いた。

 チョコレート生地にチェリーのシロップ煮を入れて作るタルトはルッツの大好物で、小さな錆柄のケットシーを大喜びさせるのだった。



ルッツは自分が配達屋だとちゃんと理解しているので、テオに教えて貰った通りに、元気に挨拶をし、大きなお屋敷では裏に回り、受領書にサインを貰います。


今回の配達に関するヴァルブルガからのお礼は、ケットシーの編みぐるみ。

眠り羊の毛と魔石の釦で目を付けられた一品(お値段不明)。

テオが受けた仕事では無いので、実際のところ正式な仕事として計上はされません。

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