春光祭の家出人(後)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
来る者は拒まず、去る者は追わず、再会を祝す。
50春光祭の家出人(後)
ちりりりん、りりん。
「ただいま」
「ただいまー」
「お帰り。お客さん?」
カウンターに居たイシュカとヴァルブルガとカチヤは、ルッツを抱いたテオが<Langue de chat>のドアを開け、ぞろぞろと後からアーデルハイド達が入って来るのを見守った。
「うん。アーデルハイドを捜しに来た、<紅蓮の蝶>のメンバー達に市場広場で会って。本が見たいんだって」
「じゃあ、もう閉店の札を出して良いぞ。ゆっくり見て貰ってくれ」
「有難う」
テオはドアの硝子窓の内側にある札を<準備中>へと引っ繰り返した。
「いらっしゃいませ」
客が帰ったばかりだったのか、盆に使用済みのカップと小皿を載せた孝宏が、閲覧スペースから顔を覗かせる。足元にはエンデュミオンが付いて来ていた。
マルコが手の甲で目を擦る。
「何かケットシーが見えるんすけど……」
「ここにはルッツの他に二人ケットシーが居るから。気のせいじゃないよ、マルコ」
うっかりエンデュミオンに失礼な事を言わない内に、説明しておく。
「これ全部物語の本なのお?」
「蜂蜜色のが文字を覚える為の本だけど、他のは皆物語の本だよ。色んな種類の話があるから、捲ってみると良いよ」
「これは装丁が美しいな。ふうむ、中の版画も見事だ」
細工物には煩い採掘族のパスカルは、文章を読む前にそちらの方が気になる様だ。
「気に入ったのがあったら閲覧スペースで読めるし、借りられるよ」
「うん……」
三人とも生返事だ。
カウンターを見ると、さっさとエンデュミオンが水晶雲母を取り出して会員カードの用意をしていた。テオはカウンターに行って、マルコ達三人の名前をエンデュミオンに教える。アーデルハイドは既に会員カードを作っていた。
「お茶を……」
孝宏が人数分のお茶を運んで来た時にも、まだマルコ達は棚の前で立ち読みしていた。それに気付いたアーデルハイドが、三人の後頭部を軽く引っ叩く。人狼の力で、軽く。
「ぐあっ」
棚に突っ込みそうになり、慌てて踏ん張る三人。
「危なっ。姉御怪力なんすから、指で軽く突く位にして欲しいっすよ!」
「お茶を持って来てくれたから、冷める前に頂こう」
「あ、どうもご丁寧に」
三人は揃って孝宏に会釈する。<紅蓮の蝶>のメンバーは結構腰が低かった。マルコ達は読みかけの本を持って、閲覧スペースに移動した。
「なんすか、これ!」
「美味しいい」
「今まで不味い物を食べていた分沁みる……」
既に閉店にしてしまったので、孝宏は大皿に何種類かのクッキーを盛り合わせた物を出していた。お茶と共にクッキーを口にしたマルコ達が感動に打ち震える。
「おいしーねー」
御飯の前なので、ラムレーズンクリームチーズを挟んだラング・ド・シャを一枚だけテオに取って貰ったルッツ達ケットシーも、マルコ達と一緒に食べている。
<紅蓮の蝶>は、エンデュミオンとヴァルブルガにも、めでたく無害認定を受けた様だ。
「絵姿は出ていますけど、<紅蓮の蝶>が全員揃っているのを、初めて見ました」
「普段地下迷宮に潜っているからね。まあ、普通の人達だよ」
ちょっぴり興奮気味のカチヤに、テオが笑った。
他の冒険者パーティーに比べると、アーデルハイド達の性格や行動は地味だ。彼女達は階層ごとに景色を変える地下迷宮の探索が好きなのであり、襲って来た魔物しか倒さない。魔石目当てに魔物を倒しまくる冒険者とは違う。
アーデルハイドが勘違いされた様に、カリスマ性のある代表に男女の冒険者が付随する、ハーレム系の爛れたパーティーもあるが、<紅蓮の蝶>は違う。
元々アーデルハイドはソロの冒険者だった。しかし見事な方向音痴っぷりに、安全地帯で知り合ったマルコとパスカルが「面白い」と付いて来たのだ。そこに遠距離攻撃が出来る弓使いのモーリッツが参加した。
テオは冒険者になったばかりで、ソロで地下迷宮に入り始めた所だった。戦闘センスに優れた所が彼らに気に入られ、安全地帯で作ってふるまったシチューがアーデルハイドの絶賛を浴びた。そして方向感覚にも優れて居た為、独立するまで<紅蓮の蝶>の地図担当兼料理担当をしていたのだった。
<紅蓮の蝶>はソロの集まりなのだ。だから基本、来る者は拒まず、去る者は追わない。再び会った時は再会を喜び杯を交わす。そういう者達だ。
ちりりりん。
<準備中>にはしていたが、掛け金は下ろしていなかったドアが開いた。
「全員揃っているのか」
安堵が半分、苛立ちが半分と言った態で、冒険者ギルド長ノアベルトが店の中に入って来る。
ノアベルトを見て、ヴァルブルガが隣に居たアーデルハイドにしがみ付く。
「先程君達のパーティーから追い出されたと、冒険者が二人来たが?」
「勝手に出て行ったんっすよ。辞めるって言うから手続しただけっす。ウチは去る者は追わないんで」
「<紅蓮の蝶>をハーレムパーティーと間違えている奴を紹介したのはギルド長だよねえ」
少年めいた童顔で、モーリッツがにっこりと笑う。パスカルも首肯する。
「おまけに料理が出来ると偽った奴もな。<紅蓮の蝶>を潰したい奴らの回し者かと思ったぞ。なあ、ギルド長」
無言の内に三人から「何かウチに恨みでもありますかねえ」と言う言葉が滲み出ている。
「それについてはこちらの確認不足で申し訳ない。新しい冒険者を紹介するから、面接の時間を取ってくれ」
「いや、いらん」
ノアベルトの言葉を、アーデルハイドが断る。片手で折れ耳のヴァルブルガの毛並みを楽しみながら。他の二人より毛足が長めでふかふかするのだ。
「地図係はマルコ達が出来ない訳では無いし、料理係は私がやる。レシピはテオから譲って貰える事になったからな」
「姉御は作り方さえ解れば、俺達より上手いっすからね」
「孝宏からもレシピ貰えるから、良い物食べられる様になると思うよ」
「本当か?」
アーデルハイドの嬉々とした顔に、孝宏は頷き返す。
「はい。フライパンで作れる物を。甘い物のレシピも」
安全地帯では商人が凶暴牛を飼いならして、牛乳や日持ちのする果物などの食材を売っていると言うので、タルトタタンやミルクレープ、フルーツグラノーラなどの菓子の作り方も教えるつもりだ。テオも作っていたフルーツグラノーラは、飴やチョコレートやキャラメルで絡めて固めれば、栄養価の高い携帯食にもなる。
「俺達の食生活に革命が!」と盛り上がる<紅蓮の蝶>だったが、ノアベルトとしてはテオと孝宏のレシピの方が気になった。何しろ孝宏はレシピ公開をしない。その孝宏が<紅蓮の蝶>にはポンと貴重なレシピを提供すると言うのだから。
(誰かを捻じ込めば、レシピを手に入れられるか?)
「本当に地図係は要らないのか?」
「ああ。その内気が合う奴が居たら仲間にするさ」
アーデルハイドの気は変わらなそうだと解り、ノアベルトは溜め息を吐いた。
「いつ地下迷宮に戻るんだ?」
「春光祭が終わったらだな。折角の春を楽しむさ」
「姉御、これからはひと月に一回は地上に出て来るのも良いっすね。本物の太陽に当たれるし」
「美味しい物もあるしい」
「本と酒もあるし」
ダンジョンは気付けや料理酒以外の持ち込みは禁止である。酒は安全地帯でのみ、商人から買ってしか飲めない。
<紅蓮の蝶>であれば、地下迷宮から出て来ても、元居た階層に数日で駆け戻れるので、本人達にしてみれば一寸した外出でしかないのだ。
だが、当然彼らが地上に出てくれば、上質の魔石の回収率は下がる。胃の辺りを押さえながらノアベルトは冒険者ギルドに帰って行ったが、アーデルハイド達は気にしなかった。
棚からアーデルハイドが選んだ緋色の手帳には、<紅蓮の蝶のレシピ>と空押しされた。アーデルハイドが認証した者しか開けない魔法が掛けられた手帳には、テオと孝宏がレシピを書き込んだ。
テオのシチューは兎も角、孝宏の料理は一度実際にアーデルハイドに作って見せた。グラノーラに絡めるキャラメルは、それだけでも蝋紙に包めば持ち運び出来る栄養食になる。
「このレシピは王都の菓子屋にも無いと思うのだが……」
「作り方は秘密ですよ。これは栄養価の高い携帯食って事で」
「解った」
黒髪黒目で世にも珍しい料理や菓子を作れると来れば、孝宏がどういう存在なのか、アーデルハイドにも解った。
(<異界渡り>か)
家主のイシュカが保護主であり、テオも孝宏が<異界渡り>だと知っているのだろう。
(ふむ。気を付けないとギルド長がレシピを狙って来るかもしれんな)
ギルドに有用であると判断すれば、他の冒険者に命じて盗ませようとするかもしれない。地下迷宮の中で何かあっても、それは冒険者同士の事になる。
アーデルハイドはノアベルトを信用してはいない。最初に不誠実な対応をしたのはあちらなので、こちらから折れる必要は無い。
マルコ達は囲壁の外に張ったテントから毎日<Langue de chat>に通って来て、孝宏とアーデルハイドが試作した、フライパンで焼けるパンやタルトタタンなどに舌鼓を打った。
結局、<紅蓮の蝶>は春光祭が終わった翌日、リグハーヴスの街を出発して行った。
彼らはそれからも一か月から二か月ごとに、リグハーヴスの街に帰還する様になり、ついにはフラット形式のアパートを借り、帰って来ている間は四人でそこに住み始める事となる。
<紅蓮の蝶>はリグハーヴスを拠点に決めたのだ。
彼らから唯一部屋の鍵を預かったテオとルッツは、週に一度はフラットの掃除と換気に通い、<紅蓮の蝶>が信頼を置く冒険者として、本人の与り知らぬ所で密かに注目されて行く。
テオと孝宏が<紅蓮の蝶>に提供したレシピは、彼ら以外の胃袋をも救う。
ある日初めての階層に這う這うの体で安全地帯に駆け込んだ冒険者達が、アーデルハイドからリゾットと、キャラメルが入った包みを与えられ、体力を取り戻した。
彼らが動ける様になった頃には<紅蓮の蝶>は深部の階層へと降りており、蝋紙に包まれた茶色の甘く濃厚な<薬>が何なのか、仲間の誰も聞いていなかった。
<紅蓮の蝶>は<霊薬>を持っているといつしか噂になり、加入希望者が次々と現れたが、彼らが新しいメンバーを追加する事は終ぞ無かった。
<紅蓮の蝶>のメンバーと仲良くなったイシュカ達。最早怖いもの無しの予感。
これ以降、アーデルハイド達はリグハーヴスの街に部屋を借り、定期的に地下迷宮から戻って来る様になります。




