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冒険の書

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

手帳の販売を開始致しました。日記に、冒険の記録にお使い頂けます。表紙に文字の箔押し・空押しも承っております。


5冒険の書


「わあー、フリッツとヴィムのお話の新しい本だ!」

 目敏めざとく新刊を見付けたエッダがはしゃいだ声を上げた。最初のお客様であるエッダは、聖書ビーブルの修復が終わった後も本を借りに来たり、エンデュミオンに会いに良く<Langueラング de chatシャ>に顔を出す。

 フリッツとヴィム、と言うのは、少女が一番初めに読んだ<少年と癒しの草>に出て来る少年とケットシーの名前だ。

 フリッツとヴィムは最初の冒険で、師となる冒険者フォルカーに出会っていて、続編では彼に師事して冒険者の修行を開始する。騎士になる学院に入る為には入学費が必要だが、フリッツにはそれが無い、という世知辛い理由もしっかりと書いた。

 何故か黒森之國くろもりのくにでは学院に入るのに、貴族などの上流階級は入学費が免除なのに、平民は入学費が居るのだ。逆だろ、アホか!とエンデュミオンに聞いた時、孝宏たかひろは叫んでしまった。

 物語の中ではフリッツとヴィム、師匠のフォルカーに黒森之國に似た架空の國の各地に行って貰う予定だ。子供が読み飽きない様に、連作掌編なのは変わらない。

「エッダ、借りて行く?」

「うん!」

 孝宏に貸出手続をして貰ったエッダは、今日のおやつをサービスして貰うべく、うきうきと閲覧スペースに行くのだった。


 北東の街リグハーヴスは、王家直轄地<黒き森>の地下迷宮ダンジョンに向かう経路での最後の大きな街だ。装備を揃える店揃いが良いのはここまでで、後は農家や猟師が暮らす集落しか無くなる。

 黒森之國には冒険者が沢山居るが、全て地下迷宮に潜る訳では無い。地下迷宮に潜るには、剣術にしろ魔術にしろそれなりの技量が無ければ命の保証はない。

 一般的な冒険者は、冒険者ギルドの依頼を受けて、集落や街から街へと移動する、民間人や商人の隊列の護衛をしたり、森から出て来た熊や狼を退治したりしている。

 地下迷宮に入れなくてもそれなりには戦闘能力があるので、軽い物であれば冒険者が単独で他の街や集落へと配達を請け負ったりする。

 テオもそんな冒険者の一人だった。先輩冒険者と共に地下迷宮の浅い階層まで潜った経験もあるが、相手が魔獣だとは言え、命を懸けた戦闘に明け暮れるのは性に合わなかった。

 だから、地下迷宮で荒稼ぎをする冒険者に馬鹿にされながらも、ギルドで配達の依頼を受けては、各地に運んでいる。

「あんたは丁寧に運んでくれるから助かるよ。はい、受取票」

 雑貨屋の店主が荷物の中身を確認して笑った。木箱の中身は瓶に入った香辛料だ。割れない様に端切れ布を瓶の間に詰めて、気を付けて馬を操って来たかいがあった。

「有難う。二、三日リグハーヴスに居るから、もし運ぶ荷があったら声を掛けてくれ」

「いつもの<跳ねる兎亭>かい?」

「ああ。それじゃ、まいどさん」

 サインを貰った受取票を腰に付けたポーチに入れ、テオは雑貨屋を出た。ギルドから請け負った配達の仕事の場合は、受取票はギルドに提出しなければならない。因みに提出する冒険者ギルドは、何処の支部でも構わない。全ギルドの情報が各支部で閲覧可能なのだ。詳しくは知らないが、そう言う魔道具があるらしい。

 ギルド依頼は依頼を受けた時に半金、受取票をギルドに提出して半金が支払われる。

 テオは雑貨屋の帰り道に冒険者ギルド・リグハーヴス支部に寄り、受取票を提出して来た。これで残りの半金がギルドのテオの口座に振り込まれる。

 数日ゆっくりする予定なので、依頼掲示板は通り過ぎ、テオは街の中では大きい建物の一つである冒険者ギルドを出た。民家は石組の土台の上に、梁や筋交いが漆喰の白い壁からむき出しに見える構造だが、冒険者ギルドは赤いレンガ建てでどっしりとしている。

 何度も来た事があるリグハーヴスの石畳を歩きながら、テオは思案した。

(一度<跳ねる兎亭>に戻るかなあ。小腹が空いたし、雑嚢ざつのうの中を整理しなくちゃ)

 テオの背中に背負った雑嚢の中は、様々な大きさの紙片が雑多に放り込まれていた。

 依頼の内容や、目的地までの道順、各街や集落の宿屋の情報など、テオにとっては重要な物ばかりだ。但し、探し出すまでに時間が掛かると言う問題点がある。

(書いた物を綴って貰うのには高い金が掛かるしな)

 ルリユールに頼めばまとめて貰えるが、決して高給取りでは無いテオには高すぎる。

「ん?」

 テオの目に見覚えのない看板が飛び込んで来た。青銅の吊り看板には、<本を読むケットシー>の姿がある。<Langue de chat>と言うのは店名だろう。黒森之國語では無く、隣の花織之國語はなおりのくにごだった筈だ。意味は解らないが。

 良く磨かれた窓の向こうで、少女が若草色の本を眺めながら、テーブルの横に居るケットシーに話し掛けている。

(ケットシー!?)

 テオは思わず二度見してしまった。彼方此方あちこち配達の旅をして歩いているが、実際にケットシーを見たのは初めてだった。存在するのは知っていたし、どこぞの冒険者や魔法使いに憑いている、と言うのは聞きかじったりもしたが、ケットシーの棲み処は<黒き森>の奥にあると言う。大抵は、偶然彼らの棲み処に迷い込みでもしない限り、憑かれたりはしないと言うのがもっぱらの話だった。

 少女の前のテーブルにはカップが置かれていた。

(軽食屋なのか?)

 王都で行った事のある店の様な物なのかと、テオはきちんと確認せずに<Langue de chat>の扉を開けた。


 ちりりりん。

「いらっしゃいませ」

 カウンターで黒髪の少年がにこやかにテオに挨拶をした。テオより幾つか若そうだ。黒森之國の住民にしては彫りが浅いので、他國からの移住者なのかもしれない。

「いらっしゃいませ」

 棚の影から灰色で縞柄があるケットシーが現れた。先程少女と話していたケットシーだ。きちんと少年と同じ制服を着ている。

「ええと、ここは……?」

 カウンターまでの距離が少しあるが、間には何も無い。少女が要る場所との間には脚付きの棚があるが、片方の棚には蜂蜜色と若草色の本が数冊並べてあり、もう片方の棚には隣の本の半分の大きさをした色とりどりの本が、表紙を上にして幾つも並べてあった。

 戸惑うテオに、ケットシーが口を開いた。

「ここはルリユール。本の製本や修復をする店です。あと、こちらの本は使い心地をお試しいただけるように、貸本をしています」

「貸本?こんな上等の本をか?幾らで?」

「一回一冊二週間で、銅貨三枚です。あちらの閲覧席でご覧になる事も出来ますよ。お茶(シュヴァルツテー)お菓子(プレッツヒェン)はサービスです」

「はあ……」

 馬鹿げた様な安い値段に、テオは開いた口が塞がらなかった。王都ならお茶とお菓子だけで銅貨三枚取られる。

「こちらの若草色の本は物語が書かれています。もしお時間がある様でしたら、一休みされて行かれませんか?」

「ええと、読むだけでも良いの?」

「勿論です。あちらのお好きな席にどうぞ」

「じゃあ、これを読ませて貰います」

 テオは<少年と手紙>と言う本を手に取った。若草色の本はそれ一冊しか無かったのだ。

 カウンターと棚の間を通って、閲覧出来るという場所に入る。仕切りになっている棚が低いので、圧迫感の無い空間になっていた。窓からの光も充分だ。

 閲覧スペースには麦藁色の髪の少女だけが居た。緑色の布張りのソファーに行儀良く腰掛けて、本の文字を指でなぞりながら小さな声で読んでいる。まだ文字を読めるようになったばかりなのか、時々解らない単語を飛ばしながら読んでいる様だ。

 テオは壁際の席に腰を下ろした。飴色の丸テーブルに<少年と手紙>を置き、背負っていた雑嚢を足元に置く。

「お待たせ致しました」

 黒髪の少年がまず細長い木の皿に乗った濡れた手拭いを置く。

「こちらで、手をお拭き下さい」

 手拭いは手が拭きやすい大きさの布だった。きちんと端がかがってある。白い布が薄っすらと茶色く汚れ、テオは赤面した。街に入ってから一度も手を洗っていなかった。

 少年はテオが手拭いを汚した事など気にする様子もなく、紅茶の入ったカップと砂糖壺、白い陶器のミルクピッチャー、大きな茶色い焼き菓子の乗った小皿を置き、汚れたおしぼりをさり気なく回収して「ごゆっくりどうぞ」と去って行った。

 高級店でもなければして貰えない様な対応に、テオは驚きっぱなしだった。いや、そもそも高級店であれば、テオの様な客は門前払いだろうが。

 テオは砂糖壺を開けた。ごつごつとした白と茶色の砂糖の小さな塊が両方入っていた。テオは茶色い砂糖が好きなので、二つ摘まんでカップに入れた。カップについていた木匙でかき混ぜてから、ミルクをたっぷり注ぐ。

 一口飲めば、熱く甘いミルクティーが配達を終えて疲れた身体にじんわりと染みわたる様だった。

(これはどうだろう)

 小皿の菓子を摘まみ、齧ってみる。

(楓のシロップかな?)

 小麦の味と楓のシロップの素朴な甘みが口に広がる。少し固めの菓子だが、噛みごたえがあって、腹にたまりそうだ。

 綺麗なおしぼりを持って来た少年に、テオが「美味しいよ」と言うと、彼は嬉しそうに笑った。

 菓子を摘まんだ指をおしぼりで拭ってから、テオは<少年と手紙>を開いた。

(これの前に一冊あるのか)

 中表紙の次のページに、前の巻の粗筋が書いてあった。一応この本だけでも読める様だ。

 読み始めてすぐに気付いたのは、教会の説話集とは全く違うという事だ。あれは歴代の王や、月の女神シルヴァーナの奇跡などの伝説を記した物だが、この本は説話とは全く関係がない。しかも風俗は黒森之國の物だが、架空の國の物語なのだ。

 少し難しい単語もあるが、子供でも充分に読める内容だ。そして、テオが惹かれたのは、物語に出て来る少年フリッツが地下迷宮に潜る様な冒険者では無く、手紙や小物を配達する冒険者だった事だ。

 騎士を目指していたフリッツだが金銭的な問題で諦め、フォルカーを師に冒険者として修行を始める。ケットシーのヴィムを相棒に。

 地下迷宮冒険者にからかわれたり、届けた先で感謝されたり、まるでテオの仕事そのものの物語に夢中で読みふけった。今日程、逃げるテオを掴まえて文字を教えてくれた、故郷の教会の老司祭に感謝した日は無い。

「はあ……」

 読み終わった後、暫くぼんやりとしてしまった。ケットシーに解らない単語を聞く少女の声も全く気にならなかった。

「そうだ、忘れないうちに書いておこう」

 この店の情報を記しておかなければ。そう思ったテオは雑嚢を掴んだ。

「あっ」

 雑嚢の口紐が緩んでいたらしく、床に紙片が撒き散った。慌てて拾うテオに、少女とケットシーが拾い集めるのを手伝ってくれた。

「有難うね」

「どういたしまして」

 少女はにこりと笑ってテオに集めた紙を渡し、ソファーに戻って行った。良い子だ。

「お客様、手帳はお使いになりませんか?」

 目の前でケットシーが首を傾げた。

「手帳……?」

「白い紙を閉じてある本です。こちらにどうぞ」

 紙を突っ込んだ雑嚢を椅子の上に置き、テオはケットシーの後に付いて棚に向かった。

 ケットシーは棚に表紙を上にして置かれている小振りの本を前肢で示した。

「こちらが手帳です。先程お読みになられていた本よりは薄い紙を綴ってあります。どうぞお手に取ってご覧下さい」

 言われるままにテオは赤い表紙の手帳を取った。表紙を開くと少し黄色味掛かった白い紙が結構な枚数閉じられていた。これは何も書かれていない本だ。

「こちらですと、記した物がバラバラになる事がありませんので、紛失予防になります」

「ええっと、高いよね?」

 丈夫そうな革装なのだ。しかも本職のルリユールが作っている。

「一番上の棚の物は、上質の革で作られているので銀貨一枚致しますが、お客様が手に取られた物や、下の棚の物は半銀貨一枚です」

「何でそんなに違うの?」

 ケットシーはテオが持っていた手帳の革の一部を前肢でなぞった。

「この部分、血の筋が残っているのです。本来であれば売り物にはならないのですが、御納得頂ける方にはお安く提供したいと言うのが店主の考えでして」

「全然解らないけど」

 明るい赤に染めてある革の模様だと言われればそれまでだ。職人の拘りなのだろう。  

「表紙にお名前などの文字を入れる事も出来ますよ」

 手帳を買った人へのサービスだと言う。

「じゃあ、これを下さい。それから……」

 テオは表紙に入れて欲しい文字をケットシーに頼んだ。

 奥から出て来た店主マイスターイシュカは、無料で入れる文字だと言うのに、テオに字体を選ばせてくれた上に、茶色い紙で丁寧に手帳を包み、待っていた閲覧スペースまで持って来てくれた。

「あ、わざわざすみません」

 思わず恐縮してしまう。テオより年上の様だが充分若いイシュカは親方マイスターなのだ。片やテオは軽量専門の運び屋冒険者だ。

「そちらの本は借りて行かれますか?」

 イシュカの視線はテーブルの上の本に注がれていた。

 どうしようかとテオは思った。読み返したいのは山々なのだが、依頼によってはテオが次にリグハーヴスに来るのはいつか解らないのだ。

「借りたくても、二週間後にリグハーヴスに来られるか解らないんです。俺は運び屋なので」

「そういうご事情でしたら大丈夫ですよ。この本は二週間経つと自動的にこの店へ戻って来ますから。どうぞ、借りて行って下さい。お名前などを記録させて頂きますから、少々お待ち下さい」

 何だか凄い事をさらりと言って、イシュカはカウンターへ紙を取りに行ってしまった。

(それって、魔法がこの本に組み込まれているって事?)

 こんな街の中の小さなルリユールの貸本に。

「お客様」

 ぽんぽん、とケットシーがテオの腕を叩いた。

「ん?」

「面白かった?」

 ケットシーは<少年と手紙>を前肢で差した。先程より砕けた口調になっていた。

「うん、とても。これの前の話も読みたいけれど、棚に無かったね」

 誰かが借りているのだろう。

「リグハーヴスに来るたびに顔を出して。そのうち読める」

「そうするよ。この手帳も使い切ったら又欲しいしね。この本、俺と同じ運び屋の話だからさ、嬉しかったな。俺も相棒のケットシーが居たらって思うよ」

「ふうん?」

 テオの言葉に、ケットシーの黄緑色の瞳が光った。ぽんぽんと腕を再び叩かれ、ケットシーに屈んだテオの額に、ぺろりと舐めた肉球が押し付けられた。

「<ケットシーの祝福を>」

「えっ、何?」

「旅のお守り」

「あ、そうなの?有難う」

「もしケットシーに会ったら、エンデュミオンに祝福を貰ったと言えば良い」

「うん……?」

 そんな夢の様な話と思ったが、テオは忘れずに今日の事を手帳に書いておこうと決めた。

 テオの<冒険の書>に。


 三日後、冒険者ギルドに顔を出したテオは、<黒き森>の地下迷宮入口にある管理小屋に香辛料を届けて欲しいと言う依頼を受ける。

 その<黒き森>でケットシーの集落に迷い込む事になろうとは、その時のテオには予想もしていない事だった。



軽量配達専門の運び屋冒険者テオ。19歳位です。

生活魔法を使えるので、比較的荷物を持たずに移動出来る強みがあります。

地下迷宮に潜った経験者の為、それなりに強いのですが、不必要な戦いは好きではなく、運び屋に転職しました。


地下迷宮一階に居るのは、凶暴牛と眠り羊。

肉は美味く、革や毛は重宝されます。防御が高いので、革と毛は防具にも使われます。

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