春光祭の家出人(中)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
春光祭の屋台には、街の店舗も店を出します。肉屋アロイスの屋台はいつも人気です。焼き立ての腸詰肉は大変熱いので気を付けましょう。
49春光祭の家出人(中)
アーデルハイドが地下迷宮から出て来た事は、直ぐに冒険者ギルドに知られたらしい。
何しろ見事な赤毛の人狼なので、目立つ。その日の夕方にはテオとも因縁がある、リグハーヴスの冒険者ギルド長ノアベルトが<Langue de chat>に現れた。
テオを連れて行かないと知ったルッツにすっかり懐かれたアーデルハイドは、小さなケットシーを膝に乗せたまま、孝宏が書いた<挽歌>と言う題名の、葬送曲を歌う死神が出て来る灰色の革表紙の連作短編集を読んでいた。
物語の本があると、テオとルッツに聞いて、早速借りたのだ。
「何をしているのかね」
一階の居間に入って来た青筋を立てたノアベルトを、アーデルハイドは胡乱な眼差しで見上げた。ルッツはじっと半眼でノアベルトを見た。
「本を読んでいるが?」
「そうでは無い。何故地下迷宮から出て来ているのかと聞いている」
「異な事を聞くな。私はギルド長に雇われている訳でも、王の騎士でも無いぞ。自分の意思で地下迷宮に潜っているのだ。いつ出て来ようが勝手だろう」
「一人で出て来るとは何事かと聞いているのだ。テオが辞めた穴は冒険者を紹介してやったはずだが?」
「それについては私も文句が言いたいな。ギルド長の紹介で入れた冒険者は、全く役に立たんぞ。料理係で入った筈なのに、飯が不味過ぎる。だからこそ、今私がここに居るのだ。私は<料理がちゃんと作れる者>をと要望を出した筈だがな」
不味い料理は<ちゃんと>作れる内には入らん、とアーデルハイドは肩に垂れて来た鮮やかな赤い髪を払った。
「私に地下迷宮で稼いで欲しかったら、まともな料理が出来る冒険者を紹介すれば良かったのだ」
冒険者は地下迷宮で魔物から回収した魔石を、出口にある管理小屋で回収される。欲しい魔石は買い取れるが、他の魔石は國がそのまま徴収する。
深部に潜っている冒険者の場合は、かさばって来ると魔石を安全地帯に居る職員に預けて、管理小屋へ運んで貰う事も可能だ。
どちらにせよ、冒険者が集める魔石は七、八割がた國に入るのである。それを黒森之國では國内販売や、輸出に回す。國が編隊する騎士や傭兵は十五階までしか行かないが、深部まで潜る冒険者はより大きさも品質も良い魔石を回収して来る。
つまり、階層踏破順位の高い冒険者が地上にいれば、その間品質の良い魔石が手に入らないのだ。回収率が低いと、それとなく王宮の官吏から催促が来る。
先日<黒き戦斧>が解散した為、ギルド長としては深部に残っていた<紅蓮の蝶>に稼いで貰いたかったのだが、人狼の胃袋は予想外だった。
「他の仲間は何処に居るのだね」
「安全地帯に残して来たが、あいつらが地上に出て来たら、それはそれで暫くゆっくりしてから戻るさ」
ノアベルトは髪を掻きむしりたくなったが、<紅蓮の蝶>はギルド依頼を受けて地下迷宮に潜っていないし、新年休暇以来地上に出て来ていなかった。強制依頼で戻す訳にも行かない。
アーデルハイドは冒険者としてはベテランで金に困っても居ない。ごり押しして拗ねられ、深部に潜るのを止められても困る。
仕方なくノアベルトは<紅蓮の蝶>の仲間が冒険者ギルドに来たら知らせるから、と言い残し帰って行った。
滞在費にと、アーデルハイドはイシュカに銀貨三枚を払った。「多い」とイシュカは言ったのだが、テオには「人の二倍は食べるから、食費だと思って良い」と押し切られた。
実際アーデルハイドは良く食べた。食べ方は上品なので意識はしないが、しっかりとテオの倍は食べている。
「美味しい」と喜んで食べるので、孝宏も張り切って仕込んでいる。料理の他におやつもだ。
(イグナーツがお菓子の作り方聞いて来たのが解るなあ)
番のゲルトが人狼なので、平原族の量で三食だけでは足りなかったのだろう。
日中アーデルハイドは街中の散歩に出ている。日頃動き回っている冒険者だけに、家の中に籠り切りと言うのは退屈になるのだろう。
勿論、彼女一人で外に出ると迷子になるので、丁度仕事を入れていなかったテオとルッツが同行していた。はぐれても大丈夫な様に、アーデルハイドがルッツを抱いている。
「リグハーヴスの春光祭は初めてだが、やはり賑やかな物だなあ」
「街の住人と集落の住人とが知り合うのは、やっぱりお祭りだからね」
「リグハーヴスは平原族が多いな」
黒森之國は地域によって住人の系統が変わる。平原族が主体なのは変わらないが、ハイエルンだと人狼と採掘族が増え、ヴァイツェアだと森林族が、フィッツェンドルフだと船乗りの採掘族が増える。王都や聖都はほぼ平原族だ。
黒森之國では人種間の争いは特にない。異種間同士の結婚も禁じられていないし、必ず母方の種族で産まれると言う法則があるからだろう。
市場広場に近付くと、腸詰肉の焼ける香りが漂って来た。くぅ、と腹の虫が無く音が聞こえる。アーデルハイドが路地の先に見える屋台を指差す。
「寄って行かないか?」
「ごはん?」
「今の時間ならおやつだよ、ルッツ。食べ過ぎたら夕ご飯食べられなくなるよ」
「一皿を三人で分ければ良いだろう」
「それなら、まあ大丈夫かな」
丁度空いていたテーブルにアーデルハイドとルッツを座らせ、テオは肉屋アロイスの屋台で凶暴牛と哀愁豚の合挽き腸詰肉と揚げ芋の盛り合わせを買い、一度テーブルに置きに行ってから、ビールとアップルサイダーを買って来た。
食前の祈りを簡単に唱え、木の串に刺さった腸詰肉を齧る。熱々の肉汁が弾けた。
「熱っ」
テオとアーデルハイドは、それぞれアップルサイダーとビールを口に含む。美味いが熱い。
まだ腸詰肉を齧っていなかったルッツが、二人を見て琥珀色の目をぱちくりさせている。
「焼き立てだからな、ルッツには熱いな。一寸待ってな」
テオは腰のホルダーに下げていたナイフを取って、皿の上でルッツの腸詰肉を串から抜いて切り分けた。
「芋も揚げたてだから、良く吹いて冷ますんだよ」
「あい」
ふーふーと息を吹きかけてから、ルッツは串に刺した腸詰肉を口に入れた。まだ熱かったのか、直ぐにアップルサイダーのコップに刺さるストローに吸い付く。
「大丈夫か?ルッツ」
「だいじょうぶ。おいしい」
テオとルッツのやり取りを、アーデルハイドはにこにこと眺めていた。
そのアーデルハイドの背後に影が差す。
「姉御、酷いっすよ」
「自分ばっか美味しい物食べてえ」
「しかも逢引きしているなんて……って、テオ?」
アーデルハイドの背後に居たのは。冒険者の皮鎧を着た男達だった。テオも顔馴染の<紅蓮の蝶>のメンバーで、マルコ、モーリッツ、パスカルと言う名前だ。
「ふん。私が料理が不味くて耐えられないと言った時、これ位我慢出来ると言ったのはお前達だろう」
振り返りもせずに、アーデルハイドは塩と胡椒の振られた揚げ芋を口に放り込む。
「だからって、<外にご飯を食べに行きます。探さないで下さい>って書置きはなんなんすか」
マルコの言葉に、テオは呆れた。
「アーデルハイド、全然説明して来てないじゃない」
「ちゃんと書いた気がしたんだが、腹が減り過ぎていた様だ。所で他の二人はどうしたのだ?」
他の二人と言うのが、地図担当と料理担当だろう。
「街に来てすぐ冒険者ギルドに行ったんすけど、辞めさせて貰うってギルド長の所に行っちまいましたよ。面倒だから、さっさと手続き済ませて来たっす」
「それで構わないよ。あれ以上不味い飯を食べなくて良いなら清々する」
「何かねえ、<紅蓮の蝶>をアーデルハイドのハーレムと勘違いしていたみたいだよお」
のんびりした口調で、童顔のモーリッツがとんでもない事を言う。彼はこれでも凄腕の弓使いだ。
「うち程漢らしいパーティーも無いのにな」
小柄だが長柄の戦斧を背負った採掘族のパスカルが、ニヤリと笑う。
パーティーにはそれぞれ不文律の様な物が存在するが、<紅蓮の蝶>の場合は<清潔であれ>だった。そんな不文律を掲げるパーティーがハーレムを作る訳が無い。そもそも誰よりもアーデルハイドが漢らしい性格をしているのだ。
「いやあ、しかし今は春光祭だったんっすね。賑やかで驚いたっすよ」
「お腹空いたあ。何か買って来ようよお」
「ところでこの子は、アーデルハイドの子か?」
パスカルは椅子にちょこんと座っていたルッツを真顔で見ていた。
「人狼がケットシーを産むかい。ルッツはテオのケットシーだよ」
ルッツは突然現れた男三人の視線を集め、串に刺した揚げ芋を持ったまま固まっていた。テオがルッツの耳の間を撫でる。
「ルッツ、俺が<紅蓮の蝶>に居た時の仲間だよ。怖くないから大丈夫」
「あい」
こくんと頷く錆柄のケットシーに、野郎三人は身悶えた。
「なんすか、この可愛いの!」
「僕、白身魚のフリッター買って来るう!」
「酒だ酒!」
三人は屋台に走り、周りの空いている椅子を持って来て、テオ達のテーブルに居座った。
「まだ子供だからお酒飲ませないでよ?あと晩御飯これからだから、食べさせ過ぎないで」
「解った解った」
ルッツにデレデレになった三人に、テオは急いで注意する。めでたくルッツ判定で善人指定された三人は、ルッツがモーリッツから分けて貰った白身魚のフリッターを食べるのを、ニコニコして見ている。
「おいしー」
「そうかそうか」
物凄く癒されている所悪いが、現実に戻って貰う。
「宿は満室だと思うけど、どうするの?」
「荷物全部持って引き上げて来たんで、囲壁の外にテント張るっすよ」
他の冒険者達も宿が取れなかった者達が囲壁の外にテントを張っていて、一寸したテント村になっているのだそうだ。
「姉御はどうしているんすか?」
「私はテオの下宿先に泊めて貰っている」
「ずるいい」
「女の人を一人で野宿させる訳にはいかないだろ」
例え一人で熊を倒すような猛者でも、女性は女性だ。男が<紅蓮の蝶>の様に紳士ばかりとは限らない。
「テオの下宿先って?」
辛い香辛料が練り込んである赤みの強い腸詰肉を齧り、パスカルがビールをごくりと美味そうに飲む。
「右区に一本入った所にある<Langue de chat>って言うルリユールだよ」
「ルリユールってのは、製本や修復してくれる所だっけか?」
「そうそう」
テオが頷くと、アーデルハイドが身を乗り出した。マルコ達三人をぐるりと見回す。
「<Langue de chat>には説話集とは違う面白い物語の本があってな。お前達も気に入る物があると思うぞ」
<紅蓮の蝶>のメンバーは皆文字が読める。安全地帯でも暇つぶしに説話集を呼んでいる位だ。
「売ってるんすか?」
「いや、貸本なんだよ。一回一冊銅貨三枚で二週間借りられる。早く読んだら期間内にもう一冊無料で借りられる」
テオが説明すると、マルコ達は残っていた料理を口の中に収め、ビールで流し込んだ。ジョッキ一杯のビール程度では、彼らは酔わない。
「行くっすよ、<Langue de chat>に」
「大人しくしてよ?」
身軽にモーリッツが皿やジョッキを返しに行くのを目の端で追いながら、テオはルッツを抱き上げた。
「アーデルハイド、こっち。そっちは逆」
早速道に迷い掛けている赤毛の人狼を呼び止め、<Langue de chat>への路地へ案内するのだった。
マルコ・モーリッツ・パスカル登場です。
<紅蓮の蝶は>逆ハーレムパーティーではありません。彼らはアーデルハイドと組むと色々面白いのでパーティーを組んでいます。
一人一人の戦闘能力が高い<紅蓮の蝶>。冒険者たちの憧れの的です。




