〈Langue de chat〉の屋根裏部屋
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
〈Langue de chat〉の開かずの間。
442〈Langue de chat〉の屋根裏部屋
革表紙を貼り付けた本を板に挟んでプレス機に挟み込み、イシュカはふっと息を吐いた。
糊が乾けば、注文を受けていた写本の製本は出来上がりだ。この写本はリグハーヴスの領主館に居る司書コボルトのアルスが書いたものだ。本を読むのも写本をするのも好きなアルスは、エンデュミオンから領主館の図書室にない古書を借りてはせっせと写本していた。先日一冊分の写本が終わったのに気が付いた執事のクラウスが、アルスと一緒に製本を依頼して来たのだ。
領主のアルフォンス・リグハーヴスは、今では図書室の管理をアルスに一任していて、勝手に蔵書を増やそうとしている事も鷹揚に受け止めている。
なにしろ黒森之國の印刷技術は比較的新しいものであり、単色印刷が殆どだ。絵の部分を何刷りも重ねての多色刷りは珍しく高価だ。裕福なものになると単色刷りのものを、絵師に色付けさせたりするが、それだって絵師に支払う手間賃が掛かる。ゆえに、黒森之國では今もって写本師が多数いる。
写本師は圧倒的に教会所属の修道士が多いのだが、民間の写本師も少なくない。民間写本師の大部分は、領都や街にある図書館や、裕福な好事家の依頼で古書の複製を作るのが仕事である。アルスのように私設図書室の管理と写本を行う、司書兼写本師もいる。写本師の技術もピンからキリまであるので、写本を請け負う金額も人気によって差があるらしい。
アルスの写本はとても美しい。アルフォンスが紙やペン、インクなどアルスが欲しがるものをケチらずに与えているので、のびのびと仕事をしているからに違いない。
(これ王宮図書館にある本なのかな?)
ルリユールという職業がら、作業中に見えてしまうものは見えてしまう訳で。写本しても良いとエンデュミオンが判断してアルスに渡しているのだろうが、今回の本は上級魔法陣についての本だと思われる。領主夫人ロジーナが魔法陣研究をしているので、渡しても大丈夫と判断したのかもしれない。
何しろ、リグハーヴスは地下迷宮のある土地だ。もし地下迷宮の氾濫や、以前のように魔物が抜け出してきた場合、最初に対応するのはリグハーヴス騎士団やリグハーヴスに滞在している冒険者だ。切り札はあるに越した事はない。
「親方、風の精霊です」
かがり台で折丁を亜麻の糸でかがっていたカチヤが、ふと顔を上げて窓を見た。カチヤには風の精霊が白い封筒を持っているように見えるのだろうが、精霊の見えないイシュカには封筒が窓の外に浮かんでいるように見える。
イシュカは工房に置いている飴玉の入った硝子瓶から赤い苺味の飴を一つ取り窓を開けた。ぴゅうっと冷たい風が吹き込んで来る。
「配達有難う。これはお礼だよ」
今にも雪が降り出しそうな灰色の空の下に浮かぶ封筒を受け取り、代わりに掌に乗せた飴を差し出す。イシュカの掌に柔らかい風が触れ、飴が浮き上がって飛んで行く。
精霊の見えないイシュカは、以前は風の精霊に手紙の配達を頼むのに苦労していたのだが、エンデュミオンからお礼に小さなお菓子をあげれば、風の精霊は快くお使いをしてくれると教えてもらってから不自由しなくなった。おまけに今は孝宏に護身用の風の精霊が数体ついているので、頼む時には手紙とお菓子を一緒に出して呼び掛ければ、すぐに配達してくれるのである。
封筒の宛名はイシュカの名前で、差出人は魔法使いギルドのヨルンだった。
「俺宛てだ。魔法使いギルドからだから、荷物か手紙かな?」
それ以外でイシュカ個人に、魔法使いギルドから連絡が来る事はほぼないだろう。
イシュカはペーパーナイフで封筒を開けて、中の便箋を引っ張りだした。予想通り、親展扱いの小包が届いているので、受け取りに来てほしいという内容と引換券だった。
魔法使いギルドには転移陣があり、他領からの荷物も転移陣経由でやってくる。手紙は配達契約をした冒険者が配達してくれるが、荷物は引き取りに行かなければならない。
「小包を受け取りに行って来るから、カチヤは一休みしてお茶でも飲んでおいで」
「はい、親方」
イシュカは工房を出て廊下を通り、居間に入った。暖かな一階の居間には、台所からクッキーを焼く甘い香りが広がっていて、エンデュミオンがヴェスパとアメリ、ンガガルとンガガロを前に授業をしていた。モモンガ型の風の妖精クライネスヴィントも参加している。
まずは文字の読み書きからやっていて、今日は文字が描かれた薄い板を並べて、単語を作って並べていくゲームをしているようだ。ソファーの前の低いテーブルを隅に寄せ、ラグマットの上には薄い正方形の文字板が広がっている。幼児用の文字板なので一つが孝宏の作るクッキー一枚分くらいの大きさだ。
ラグマットから床にはみ出ている文字板を避けて、イシュカは壁のフックから外套とマフラーを取った。
台所から紺色のキルトのオーブンミトンを両手にはめた孝宏が顔を覗かせる。
「イシュカ、おでかけ?」
「うん。魔法使いギルドに小包が来たから取りに行くよ」
「そっか。差し入れにクッキー持って行く?」
「そうだな」
魔法使いギルドの転移陣は魔法使いヨルンと魔法使いクロエの他、ヨルンに憑いている魔法使いコボルトのクーデルカ、騎士隊騎士のディルクとリーンハルトに憑いている魔法使いコボルトのクヌート、大工クルトの母エーリカに憑いている先見師のホーンが手伝っている。〈Langue de chat〉の面々は全員と友人関係にある上、クロエはエンデュミオンの孫弟子だった。
数分後、イシュカは孝宏に詰めてもらったクッキーの袋を持って、冒険者ギルドに向かった。なぜ冒険者ギルドかと言うと、リグハーヴスの魔法使いギルドは冒険者ギルドの別棟にあるからだ。荷物を受け取った後は、馬車用の出口から出る事も出来るが、建物に入る時は冒険者ギルドから入るのだ。
石畳にうっすらと積もった雪を踏みしめ、路地を抜けて市場広場に出る。地下迷宮が閉鎖される冬場のリグハーヴスは夏場に比べてぐっと人口が減る。リグハーヴスの宿屋に逗留する冒険者も居るが、暖かいヴァイツェアやフィッツェンドルフに移って、街仕事や採取依頼を請け負う冒険者も多い。年末に向けて、リグハーヴスはこれからもっと雪が積もるからだ。春まで白一色の雪に埋もれるとなると、気が滅入る者も多いのだ。
吐く息を白く染めながら、イシュカは市場広場を横断し、冒険者ギルドの階段を上がり、軋まなくなったドアを開けた。冬の閑散とした冒険者ギルドのロビーの奥にある別棟への通路に向かい、魔法使いギルドの受付カウンターに顔を出す。
「こんにちは、フラウ・クロエ」
「いらっしゃい、ヘア・イシュカ。小包はこちらで預かっているわ」
大きな荷物は地下の転移陣がある部屋に行って受け取るが、小物だと魔法使いギルドの受付カウンターで受け取れる。
クロエは扉付きの棚の鍵を開け、中からイシュカの両掌に乗る大きさの小包を取り出して持ってきた。引換券を渡して小包を受け取る。
「有難う。これ皆で食べて。孝宏のクッキーだよ」
「わあ、まだ温かいわ。有難う、皆でいただくわ」
森林族でまだ少女に見えるクロエが、心から嬉しそうに紙袋を抱き締める。彼女は甘いものが好きで、良く〈Langue de chat〉にやって来る常連客である。
イシュカは来たばかりの冒険者ギルドを出て、寒風に首を竦めた。滑らないように気を付けながら階段を下り、市場広場を歩き出す。そして歩きながらイシュカは手の中の小包を見下ろした。
「誰からだろう。王都のケーテ……?」
王都にケーテという知り合いが居たかと記憶を巡らせ、はっと思い出す。〈Langue de chat〉の前の持ち主の夫人がケーテという名前ではなかったか。だが売買契約は間に商業ギルドを挟んだので記憶が曖昧だ。
イシュカは速足で〈Langue de chat〉に戻った。ドアベルを鳴らしながら店に入り、カウンターに居たメフィストフェレスに目を留める。癖のある黒髪の美貌の悪魔が薄く微笑む。一見執事に見える服をかっちり上着まで着ているが、彼はルリユールの店番である。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。メフィストフェレス、聞きたい事があるんだが」
「私で解る事であれば」
「この家の前店主夫人の名前はフラウ・ケーテで合ってるかな」
「はい、フラウ・ケーテです」
合っていたようだ。
「彼女から小包が来たんだよ」と言いながら、イシュカは外套も脱がずにカウンターで小包を開け始めた。包んでいた細い麻紐を解いてざら紙を開くと、中には木の小箱が入っていた。
小箱の蓋を開けた中に、折り畳まれた紙があり、その紙の下には美麗な金色の鍵が一本入っていた。環の部分は円の中に細かな透かし彫りで葉が茂る一本の木があり、軸の部分は木の幹のような模様が刻まれていて、歯の部分は緻密に絡む木の根が彫り込まれた開いた本の形だった。
「まるで侍従の鍵のような美しさですね」
「侍従の鍵?」
「本来ですと、王や領主、上級貴族などが主の私室に入る権利を与えた侍従に渡す鍵です。歯の部分に意味がある事が多いんですが……前の店主は細工師でしたらご自分で作られたのかもしれませね。その紙にはなんと書かれていますか?」
イシュカは紙を開いて、書かれている文字に視線を落とす。丁寧に綴られた文字で書かれている、さほど長くない手紙を読みイシュカは唸り声を上げた。
「あそこの鍵か」
「あそこといいますと?」
「メフィストフェレスもこの家を一通り見たから気が付いただろうけど、屋根裏のドアの鍵だってさ」
「あのドアは、鍵を掛けているのかと思っていました」
「鍵がなくて、開かずの間だったんだよ、実は」
イシュカはこの建物を二階建てとして使っていたが、実は屋根裏部屋がある。三階部分まで行った階段の先にドアがあるのだが、商業ギルドからも鍵はないと言われていて、使う必要もないから放置していたのだ。
「鍵、あったんだなあ」
王都の息子家族の元に移住したケーテが、夫の私物の細工箱の中から見付けたらしい。屋根裏部屋のドアの鍵は、前店主が自分で細工したもので、つまりは一点ものなのだ。だから紛失してしまい鍵がないと言われたのだろう。
細工箱の中を確認する為に、細工箱を開けるのに手間取ったと、お詫びが書かれていた。屋根裏部屋は前店主ゲラルトが使っていた部屋だが、家具が残っているだけのようだ。
「これだけの細工があって、実用の鍵なんですか」
「みたいだね。俺がこの家を引き継いでから一度も入っていないから、一回掃除しないと駄目だよなあ」
「イシュカ」
不意に背後から呼び掛けられ、イシュカは振り返った。そこには隣の診療所に居た筈のヴァルブルガが立っていた。
「ヴァル」
「イシュカ、何持って来たの?」
「これ? ここに前に住んでいた方が、屋根裏部屋の鍵を見付けたからと送ってくれたんだよ。見るかい?」
「うん」
ヴァルブルガが頷いたので、イシュカは折れ耳の三毛ケットシーを抱き上げて、小箱の中の金色の鍵を見せた。鍵を見るなり、ヴァルブルガがイシュカの手を柔らかい肉球で叩く。
「イシュカ、これはエンデュミオンに見せないと駄目なの」
「というと、何か訳ありの鍵なのか?」
「うん」
イシュカがメフィストフェレスの顔を見ると、悪魔はさっさと店のドアを閉めて〈準備中〉の札を出してしまった。
イシュカとメフィストフェレスは、廊下で診療所に戻るヴァルブルガと別れて居間に入った。床に広がる文字板に、メフィストフェレスが目を丸くする。豪快にやっていると思ったのかもしれない。
「おかえり。イシュカ、何を持って来たんだ?」
「さっきヴァルブルガにも同じ事を言われたよ。ここの屋根裏部屋の鍵だよ。王都に引っ越した元の住人が見付けたからと送ってくれたんだ」
イシュカが端に寄せてあったテーブルに金色の鍵が入った小箱を置くなり、エンデュミオンが覗き込みに来た。そして鍵を見るなり叫んだ。
「ああああっ、ここに居たのかあーっ」
「え、うちに何か居るのか!?」
思わずイシュカは天井を見上げてしまった。
「居るんだが居ないというか……この鍵だが、欲しいと思う者はいるか?」
不思議とその場の全員が首を振った。何故か綺麗だとは思うものの、自分の物ではないような気がしたのだ。
「恐らくテオ達も欲しくないと言うだろう。これは侍従の鍵だからな。つまり管理する者の鍵だ。今リグハーヴスでこの鍵に相応しいのはアルスだけだろう。一寸呼んで来る」
エンデュミオンはパッと姿を消した。領主館に〈転移〉したのだろう。
「屋根裏に何か居るの?」
孝宏が天井に人差し指を向ける。
「いや、俺達がここに住み始めてから、屋根裏に気配を感じた事はないと思う。テオとルッツも気が付いていなかったくらいだぞ」
「そうだよね」
ケットシーがこれだけいるのだから、鼠一匹居ないだろう。
ポン! とエンデュミオンとアルスが居間に現れる。黒褐色の南方コボルトのアルスは、右耳だけが折れ耳だ。ほぼ毎日領主館の図書室に居るが、時々仲間のコボルト達にエンデュミオンの温室に遊びに連れて来られている。アルスは司書兼写本師で、契約と封印の魔法が使える魔法使いでもある。
「たう?」
「アルス、この鍵を見てくれ」
「たう! たうう!」
金色の鍵を見たアルスは、大喜びで巻き尻尾をぶんぶんと振った。
「この鍵は魔銀の上に金を掛けてある侍従の鍵だ。意匠は見れば解るが精霊樹だ。そして歯の部分は本、つまりビブリオを示している」
「たーうー」
うんうんとアルスが頷く聞き馴染みのない単語に、イシュカは反問した。
「ビブリオ?」
「ビブリオと言うのは、本であり、精霊だ。実体がなく、実体がある」
「どっちなんだ?」
「どちらでもあるんだ。ビブリオは古代シルヴァーナ大図書館の司書だと言われている。そして今もこの國の全ての書物を収蔵していると。ビブリオが認めた司書がビブリオの実体化を望めば、実体が現れるらしい」
「エンデュミオンは見た事がない?」
「エンデュミオン自身はない。エンデュミオンが継承している記憶の中でも光の珠だなあ」
エンデュミオンは〈柱〉だものな、とイシュカは思った。エンデュミオンは叡智を持つ賢者でもある。ビブリオと同等の存在なのだろう。
「よし、屋根裏に行ってみよう。ひとまずエンデュミオンとアルス、イシュカとメフィストフェレスだ。お前達にもあとで覗かせてやるから」
行きたい! と顔に書いてあるヴェスパたちにエンデュミオンは約束し、「上まで運んでくれ」とイシュカとメフィストフェレスに頼んだ。
階段があるからだろう。孝宏に外套を預け、イシュカはエンデュミオンを、アルスをメフィストフェレスが抱いて階段を上がる。
「掃除道具が要りますね」
「とりあえずは汚れていたら〈浄化〉しよう」
「聖属性の〈浄化〉は止めて下さい。私まで〈浄化〉されます」
「エンデュミオンに聖属性はない」
メフィストフェレスと軽口を叩きながら、エンデュミオンは小箱に入った鍵を抱えている。
踊り場を折り返しながら階段の突き当りまで上り詰める。経年を経て飴色に色づいたドアには、なんの変哲もない真鍮の丸い握り玉の下に鍵穴があった。
「鍵を開けるだけなら開けられるから、手袋をしてメフィストフェレスが開けてくれ」
「はい」
アルスを床に下ろし、メフィストフェレスが上着のポケットから白い手袋を取り出す。手袋を着け、エンデュミオンが持っていた小箱から鍵を取り、鍵穴に差し込む。鍵は差し込んだだけでカチリと音が鳴った。
「開いた?」
イシュカの囁きに答えるように、微かな音を立ててドアが奥に開いた。
「くしゅっ」
埃っぽい空気に、アルスがくしゃみをした。
「〈浄化〉」
エンデュミオンがドアが開いた部屋に〈浄化〉を叩き込む。さあっと部屋の中が明るくなった気がした。
屋根裏は天井が傾斜したこじんまりとした小部屋だった。窓には日除けなのか白くて薄いカーテンが引かれていた。窓の前には書き物机と椅子があり、他に丸いティーテーブルと一人掛けの布張りのソファーがあった。小部屋の左の壁にもドアがあり、開けると何もない部屋だった。こちらも窓には日除けカーテンが引かれている。右側の壁には一面本棚があった。ただし棚は空っぽだ。
「本棚か。それにしても、狭いな。もう少し広いかと思ったんだけど」
〈Langue de chat〉の建物は大家族用の家で、部屋が多い。屋根裏も建物の幅分ある筈なのだ。
コツン、と何かが落ちる音がした。
「たう? たっ」
アルスが足元にあった物を拾い上げる。アルスがイシュカに差し出して来たので、隣にしゃがみ込んで確認する。
「四角い金貨?」
アルスが持っていたのは鈍く光る四角い金貨だった。
黒森之國のハルドモンド硬貨は丸型か三日月型だ。これは角型で硬貨サイズの円の中に、片面には星の冠を着けた美しい女性の横顔が、もう片面には神殿のような建物と閉じた本が紋章のように刻まれていた。
アルスとイシュカの前にエンデュミオンが立って言った。
「それは角型金貨だ。表が月の女神シルヴァーナで、裏が神殿と聖書だろう。ビブリオが認めた司書に渡す角型贈呈金貨だ。……居るんだろう? ビブリオ」
エンデュミオンが顔を向けた本棚の中央が、矩形に切り取られるように光で縁取られていく。すう、と本棚がドアのように開き、その奥から光の珠が緩やかに飛んで来た。
ぴかぴかと光の珠が明滅するが、エンデュミオンは「解らん」と前肢で頭を掻いた。エンデュミオンがくるりとアルスに向き直る。
「すまんアルス。ビブリオを実体化させてくれ。えーと、あれはアルスの司書仲間だ」
「たう!」
かなり雑な説明だったのだが、アルスは嬉しそうに角型金貨を持った前肢を合わせた。
「たうう~」
ぷわわっと光の珠が大きくなり、徐々に形作られて床に下りた。そこには北方コボルトと南方コボルトの中間のような濃いカラメル色のコボルトが立っていた。目の色は明るい緑色だった。服はアルスとお揃いの白いシャツに深緑色のセーター、複数の色糸で縞になっているズボンだ。アルスの縞は緑系の糸が多いので、ビブリオにも似合っていた。
「ふふ、コボルトか」
コボルト姿のビブリオが、自分の身体をあちこち見回しながら笑った。少し大人びた口調の少年のような声だ。
「はあ、うちに居るなんて思わなかったぞ、ビブリオ」
エンデュミオンが溜め息まじりにぼやいた。
「元々、ゲラルトの先祖は古代神殿の神官で司書だった。彼の血筋は代々侍従の鍵を継承していたんだ。でもゲラルトの息子はケーテの連れ子でね。ゲラルトの血は引いていなかった。だから司書に相応しい子に鍵は渡った」
にこにこしながらビブリオが説明する。ゲラルトは元住人の細工師の名前だ。
「向こうの部屋は何があるんだ?」
「今はただの空き部屋だよ。ゲラルトがあまり長くないと解った時に片付けてしまったからね。ビブリオが繋げたら、シルヴァーナ大図書館に行けるよ。でもこっちの部屋も居心地よくして欲しいな。これからその子も来るからね」
「たう?」
こて、とアルスが首を傾げる。
「そうだな、向こうに寝室も作っておくか? アルスが泊まれるように」
「ふふ、いいね。ビブリオも一緒に寝られるようにしてほしいな」
「そうしよう。リグハーヴス領主に説明していいか? アルスは領主館の司書もしているから。王の所にも連絡が行くかも」
「いいよ。エンデュミオンがいいと思うなら」
「ちなみに、ビブリオの行動範囲は?」
「許可して貰えるなら、この建物内は移動出来るけど。角型金貨を持っているアルスと一緒なら、外にも出られるよ」
「この家の許可はあっちのイシュカに貰え。ここの家主だ」
エンデュミオンとビブリオが揃ってイシュカを見た。ビブリオが言う。
「許可頂戴」
「夜中以外なら自由にしていいよ」
夜中にうろうろされると、怖がりそうな住人が居るので。多分ビブリオには昼も夜も関係なさそうな予感がする。恐らく屋根裏部屋に籠っている事が多いのだろうけれど。
「まずは……ヘア・クルトに連絡して、足りない家具を作って貰わないといけないね。メテオールに来てもらえば良いかな?」
「そうだな。エンデュミオンはアルフォンスの所に行って来ないと。まあ、アルスが大図書館の本の写本をするって言えば、反対はされないと思うがな」
歴史的大図書館の蔵書が写本出来るかもしれないのだ。恐らくはすぐにマクシミリアン王にも知らせが飛びそうだ。
一般家庭の屋根裏に古代シルヴァーナ大図書館が繋がっているだなんて、誰も思うまい。
「あっ、実体化したって事は食費が掛かる!」
「一人くらい変わらないよ、エンデュミオン」
今更である。その前に、ビブリオに人頭税は掛かるのだろうか。コボルトの姿だが、実体は精霊なのである。なんにせよ、まずは階下に居る面々にビブリオの紹介だろう。
「アルス、ビブリオ、孝宏におやつ貰いに行こうか」
イシュカはにこにこと笑い合う、アルスとビブリオの頭を撫でた。
建物の構造的に屋根裏あるんだよなあと思いつつスルーしていたんですが、ついに屋根裏登場!
侍従の鍵はエンデュミオンが預かって、角型金貨はアルスが持ち歩く感じかも。
これからアルスは、領主館の図書室と〈Langue de chat〉の屋根裏を行き来しますね。
アルスは魔法使いですが〈転移〉は出来ないので、ビブリオがするのかな。
ビブリオは今まで人型(しかも美形)にしかなった事がなかったので、コボルト体型は新鮮でお気に入りです。もふもふ~。
実体化したので、普通に飲食するし、屋根裏部屋で寝起きします。
ゲラルトが継承していた鍵と、アルスが継承した鍵は形が違います。
【お知らせ】
『エンデュミオンと猫の舌』書籍化進行中です!