ヴァルブルガとレース細工(後)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ヴァルブルガのレース細工の販売は、<Langue de chat>の会員のみとなっております。
44ヴァルブルガとレース細工(後)
強い火を使う鍛冶師の工房は街の外れにある。どの街でもそれは同じで、リグハーヴスでも鍛冶屋エッカルトの自宅兼工房は、街の中心から外れた場所にあった。隣の家とも間隔が開いている煉瓦造りの建物だ。
イシュカとヴァルブルガが工房に着いた時、槌の音はしておらず砥石の回る音がしていた。
「こんにちは」
開け放たれた両開きの扉の前で、イシュカが大きな声で挨拶する。廻る砥石に押し当てられる金属の音にも負けず、エッカルトに届いた様で、小柄な鍛冶屋は砥石から顔を上げた。
軽く手を上げてから砥石を止め、磨き粉で所々灰色になった手拭いで手を拭きながら戸口までやって来た。
「散歩かい?」
「いいえ。ヴァルブルガがコサージュなどに使う留め金が欲しいんです。輪ピンの方を。それで服飾ギルドから紹介状を貰って来ました」
「すまんが、読んでくれるか?」
エッカルトはクリスタからの紹介状をイシュカに読み上げさせた。エッカルトは文字が読めない。
「ふむ。納品分から先に渡して良いって事だな。幾つ欲しいんだい?」
「十五個。魔銀製の」
「解った。じゃあ、それの裏に十五って書いて置いてくれないか。あとでヘンリエッテが解る様に」
エッカルトの鍛冶屋で帳簿を付けているのは文字が読める妻ヘンリエッテと長女のアストリットだ。アストリットは最近小物細工を作り始めていて、エッカルトとしては将来が楽しみだ。
エッカルトは完成品の入った箱から、魔銀製の輪ピンを十五個取り出した。文字は書けなくても、数は数えられる。それを蝋紙で包んで、イシュカに渡した。
「ほら。服飾ギルドには十五個ヴァルに渡したと納品書に書いて置けば良いんだな?」
「ええ、お願いします」
ヴァルブルガもお礼を言う。
「有難う、エッカルト」
エッカルトは快活に笑い、ヴァルブルガの頭に掌をそっと乗せた。嫌がらないと解り、擦る様に撫でて来る。
「ヴァルはどんな物を作るんだ?」
「内緒なの」
「そうか。出来たら見せておくれ」
「うん」
今日のエッカルトは余り怖くなかった。きっとイシュカに抱き上げられていて目線が近いからだろう。皮の厚い掌で初めてエッカルトに撫でて貰い、ヴァルブルガは自分からも頭を擦り付けてしまった。
必要な物を手に入れたヴァルブルガは、素材を持って一階の居間に籠った。孝宏から裁縫箱を借りたので、コサージュの仕上げに入った様だ。窓辺にテーブルを寄せて貰い、背を向けて熱中するヴァルブルガに、皆声を掛けずそっとしておいた。
数日後、家族割りを使うアストリットが、本とヘンリエッテのカードを持って<Langue de chat>を訪れた。基本は本人に来て貰いたいのだが、生活形態はそれぞれなので、事情を聴いて臨機応変に対応している。誰が持って来ようとも、カードが入っている人しか、本は開けないからだ。
「アストリット」
やはり忙しいのか休憩しないで帰ろうとしたアストリットを、ヴァルブルガは呼び止めた。
「こんにちは、ヴァル」
アストリットは奥から出て来たヴァルブルガに合わせてしゃがんだ。この前の夕食の時、エッカルトが「ヴァルを撫でた」と嬉しそうに話していたが、引っ込み思案のこのケットシーがアストリットを呼び止めたのは初めてだった。
「これ、あげる」
三毛のハチワレケットシーは、持っていた紙袋をアストリットに差し出した。大きめの蝋紙に<本を読むケットシー>のスタンプが押されている。
「焼き菓子はもう頂いたわよ?」
「ううん、違うの。エッカルト、ヴァルブルガ作ったの見たいって言ったの。これは輪ピンの、お礼」
服飾ギルドに卸す前に輪ピンを融通した話は、アストリットも聞いていた。きちんと代金は貰っているのだし気にする事は無いのだが、ヴァルブルガはそうでは無かった様だ。
カウンターのイシュカを見上げると頷いたので、アストリットは紙袋をヴァルブルガから受け取った。
「どうも有難う。ヴァル」
「気に入ってくれると、嬉しいの」
「楽しみにしているわ」
本と菓子の袋と、既に荷物を持っていたため、アストリットは店内でヴァルブルガの紙袋を開けずに帰宅した。荷物を妹のコルネリアがざら紙に絵を描いている居間のテーブルに置き、台所に顔を出す。
「ただいま。お母さん、お父さんは?」
「輪ピンの納品をし終えたからって、作業場の掃除をした後お風呂に入っているわよ。どうかしたの?」
「<Langue de chat>のヴァルから何か貰ったの。お父さんが輪ピンを融通してあげたでしょう?それのお礼なんですって」
「あらあら」
アストリットとヘンリエッテが戻った居間で、コルネリアがじっと本の入っている革袋と菓子の紙袋、ヴァルブルガがくれた紙袋を見ていた。アストリットが開けてくれるのを待っていた様だ。
アストリットは革袋から若草色の本を取り出して、コルネリアに渡してやる。
「はい、コルネ。<騎士と花の魔女>が戻って来ていたわよ」
「やったあ」
<Langue de chat>は二冊ずつしか本が無いので、返却日に遭遇しないと目当ての本が無い場合も多い。この本はコルネリアが読みたがっていたので、予約しておいたのだ。
「お、帰ってたのか」
「お父さん」
風呂で汗と砥石の粉を洗い流して来たエッカルトが、居間に入って来てソファーに腰を下ろした。
「お茶を淹れて来るわね」
ヘンリエッテが台所に行き、ティーポットとカップを乗せた盆を持って戻って来た。アストリットも皿を取って来て、貰って来たばかりの焼き菓子を出した。
「今日は肉桂と乾燥林檎かしら」
林檎のシロップ煮を干した物を刻んで生地に肉桂と共に混ぜ込んである様だ。甘酸っぱい林檎と肉桂のツンとした香りがする。
「アスティ、これはなあに?」
コルネリアが最後に残った紙袋を指差した。ヴァルブルガに貰った物だ。
「これはヴァルがくれたの。お父さん、ヴァルが何を作ったのか見たいって言ったの?」
「ああ。留め金って事は裁縫なんだろうから、お前達も気になるだろうと思ってな」
エッカルト一家はヴァルブルガが店でレースを編んでいるのを見ていなかったので、ハチワレのケットシーが何を作っているのか知らなかったのだ。
「いつもこっちを気にしているのに、中々出て来てくれないからなあ。この間漸く撫でさせてくれたんだ」
「良いなあ。お父さん」
<Langue de chat>から少し離れた所に家がある為、まだ一人で行かせて貰えないコルネリアが羨ましがる。先日イシュカとヴァルブルガが工房に来た時、どうして呼んでくれなかったのだと、暫く膨れていたのだ。
「その本を返しに行く時は、お父さんとコルネリアで行こうな」
「本当!?」
「ああ」
武器や防具を作る鍛冶屋は多いが、鍋や農具、細工物まで扱うのはエッカルト位だ。この所ずっと春光祭の為の留め金作りに追われていた為、コルネリアには寂しい思いをさせていた。ヘンリエッテもアストリットも、たまにエッカルトとコルネリアが二人で出掛けても、甘やかしにはならないと思って居る。
「ヴァルは何をくれたのかしら」
アストリットは紙袋の中身をテーブルに出した。
「あら」
紙袋の中からは、小さな紙袋が四つ出て来た。それぞれに丸みを帯びた文字でアストリット達の名前が書いてある。
「これはお母さんみたい」
「私に?」
<Henriette>と書いてある紙袋をヘンリエッテが開ける。中からはミルクティー色の薔薇の花のコサージュが出て来た。全てレース糸で立体的に編まれている。
「まあ……素敵」
ヘンリエッテがうっとりとした声を出した。夫が鍛冶屋なので金属製の胸飾りは持っていたが、レース編みの物は持っていなかったのだ。
「コルネのは?」
「はい、これよ」
コルネリアはわくわくとした顔で自分の名前が書かれた紙袋を開けた。中からはシロツメクサのリースの形のコサージュが入っていた。茎が花冠の様に編まれている。
「可愛い!」
アストリットのはスノーフレークの花が二輪、青いリボンで束ねられた形のコサージュだった。
「お父さん、何かキラキラしてるの」
「どれ?」
コルネリアからコサージュを見せられたエッカルトは、何が光っているのか気付いて目を瞠った。一輪のシロツメクサの花に、小さく透明な魔石が一個縫い止められていたのだ。しかも使われている糸が闘将蜘蛛の糸だ。光を受けて虹色にキラキラと輝いている。
闘将蜘蛛は地下迷宮十六階から出現する、罠を張るのが好きな魔物だ。その糸は丈夫で透き通っていて虹色に輝く特性があるので、婚礼衣装や貴族達のドレスに主に使われる。平民のコサージュに使われる糸では無い。
ヘンリエッテの薔薇にも、アストリットのスノーフレークにも、一つずつ魔石が縫い止められていた。
(魔石から感じるのは<護符>か)
採掘族のエッカルトは、平原族より生まれつき精霊や妖精と親和性が高い。妖精が施した魔法も、微かながら判別が付いた。
ヴァルブルガはお守りになるコサージュをくれた様だ。本当に小さな魔石とは言え、このコサージュに値段を付ければ銀貨になるだろう。
「これはお父さんのよ」
「俺にもか?」
アストリットに紙袋を渡され、エッカルトは掌に中身を空けた。
「エルマーみたい」
横から覗き込んで、コルネリアがはしゃいだ声を上げた。
緑色の蔦の葉の上に、赤からオレンジに色を変える火蜥蜴が乗っていた。小さな黒い魔石ビースの目をしていて、透き通った水色の魔石を口に咥えている。
鍛冶屋やパン屋など、火を常用する炉や窯には火蜥蜴が棲み憑く。火蜥蜴は火の精霊の化身とも言われ、火蜥蜴の棲まない炉や窯を持つ店は潰れると迄言われる。
エッカルトの炉にもエルマーと名前を着けている火蜥蜴が棲んでいる。ヴァルブルガが編んだ火蜥蜴はエルマーに良く似ていた。
それに火蜥蜴が水滴を咥える意匠は、火事や火傷の護符なのだ。エッカルトのだけはコサージュでは無く、置物の様だった。工房に置け、という事なのだろう。
(ケットシーに善意を向けると、幸福をもたらすと言うが)
イシュカの影にいつも隠れていたものの、ヴァルブルガはエッカルトに好感を持ってくれていたらしい。ケットシーから護符を貰うなど、そうそうある物では無い。
「今度お礼を言わなきゃなあ」
今年の春光祭はこれで決まりだと盛り上がる女性陣の声を背景に、エッカルトはレース糸で編まれた火蜥蜴の頭を、指先でちょんと突いた。
ヴァルブルガの火蜥蜴は、翌日からエッカルトの工房の棚の上に、魔銀製の盆に乗せられ鎮座する事になる。時々炉の中からエルマーが出て来て、ヴァルブルガの火蜥蜴の隣で寝ている事もあり、エッカルトを和ませるのだった。
ヴァルブルガの作ったコサージュは、エッカルト宅にお茶を飲みに来た年頃の娘を持つ母親達に衝撃を与えた。ヘンリエッテは<Langue de chat>の迷惑になると思い、誰が作ったのか教えなかったので、同様のコサージュを作れるマリアンの店<針と紡糸>に依頼が雪崩れ込んだ。
マリアンの店はマリアンと職人のアデリナの二人しかいない小さな店だ。全てを受けたら過労死する。編み物が出来る客には、アデリナが編み方を教えてやったりして捌いたのだが、それでも客は引きも切らなかった。
他の仕立屋も売り時と見て、似た様なコサージュを作り始めてはいるのだが。
「ヴァル、コサージュ売ってみる気ないかしら?」
「みゃう?」
少しやつれたマリアンとアデリナが癒しを求めて<Langue de chat>を訪れ、思わず零した。マリアンの膝の上に載っていたヴァルブルガは、お茶とクッキーを運んでいた孝宏を見上げた。
「でもヴァルの作る物は淡い色が多いですから、派手好みの人には合いませんよ?」
ヴァルブルガが言いたい事を代弁し、孝宏はティーカップをマリアンの前に置く。こくんと頷くヴァルブルガに、クランベリーの入ったクッキーを渡す。
「うちに来たお客さんで、清楚な物をご要望の人を頼みたいのよ。それで<Langue de chat>の会員の人なら大丈夫かしらって」
<Langue de chat>の会員なら、ヴァルブルガがどんな性格のケットシーか知っている。
「イシュカと相談ですね」
今日は工房に入っているイシュカに、孝宏とヴァルブルガは判断を預ける事にした。
その結果。
春先のリグハーヴスの街では噂が立つ。隠れたコサージュ作りの名人が居ると。どの様にしてその店に辿り着けるのかも解らず、買った者も作り手を語らない。
ただコサージュには<Walburga>と刻印された革製の小さな白いタグが付けられ、店名なのか制作者名なのかと、謎を呼んだのだった。
優しいエッカルト一家にヴァルブルガからのプレゼントです。
マリアンに頼まれて、コサージュ作りをする事になったヴァルブルガ。この後もほんの一握りの人しか、製作者がケットシーだとは知らないのでした。




