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ヴァルブルガとレース細工(前)

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

各ギルドは掛け持ち加入が可能です。


43ヴァルブルガとレース細工(前)


 ヴァルブルガは気が弱い。

 元々の気質がそうだし、最初の主である魔女ウィッチアガーテの家は弟子も女性だけだったから、男性に馴染みが薄いのだ。

 留めにアガーテの死後、<黒き森>に戻ろうとしたヴァルブルガをアガーテの後継者の魔女ウルリーケに雇われた冒険者達に追い掛けまわされたお陰で、体格の良い大きな声の男性がすっかり苦手になってしまった。

 新しい主のイシュカはルリユールの職人で、背は高いが細身だ。同居している孝宏も華奢だし、テオもしなやかな筋肉を持っているが細身の上、性格が穏やかなので恐怖心は感じない。それに孝宏にはエンデュミオン、テオにはルッツというケットシーが憑いているので、恐れる必要は無い。

 男性を恐れるヴァルブルガにイシュカは店に出なくても良いと言ってくれるのだが、一階の居間に一人で居るのも寂しいのだ。

 結局、イシュカが工房に居る時は工房に、カウンターに居る時はカウンターにくっついている。

 ちりりりん。

「こんにちは」

「いらっしゃいませ。ヘア・エッカルト」 

「こんにちは……」

 エッカルトは採掘族の鍛冶屋だ。箔押しや空押しに使う金型などをイシュカはエッカルトに発注している。それに、エッカルトの妻子は<Langueラング de chatシャ>の常連客だ。

「今日はヴァルがカウンターなのかい」

「みゃう……」

 笑顔で話し掛けてくれているのに、ヴァルブルガはイシュカにしがみ付いてしまう。

 エッカルトは小柄でがっちりとした肩を持つ上、鍛冶屋なので声が大きい。ヴァルブルガの苦手とする特徴を持ち合わせていた。

 ヴァルブルガも解ってはいるのだ。エッカルトは愛妻家で子煩悩な男だと。今日だって妻子の代わりに本を返しに来たのだから。

 ケットシーは優しい人が好きだ。ヴァルブルガだってエッカルトに頭を撫でて欲しいのだ。心と体がちぐはぐで、ヴァルブルガの目が潤む。

「少し、人見知りで」

「いや、俺は声がでかいからな。怖がらせちまうんだろう。気にしなくて良いからな、ヴァル」

 こくりと頷く事でヴァルブルガは返事をした。

「今日はフラウ達はお出かけですか?」

「もうすぐ春光祭フルューリングカァネヴァルだろう?今年の胸飾りをどうしようか、相談しているんだよ」

「ああ、そんな時期ですか」

 雪解けと春の訪れを祝う春光祭は、未婚の男女にとっては秋の収穫祭ヘアブストゥカアネヴァル共々一大イベントなのだ。

 黒森之國くろもりのくにでは女性は盛装する時には、胸飾りを着ける。それはブローチだったりコサージュだったりする。材質も金銀、真鍮と言った金属から、本物そっくりに布で作った造花など色々だ。

 既婚女性は夫から送られた胸飾りを着ける事が多いが、落ち着いた色合いで新調する事もある。年頃の未婚女性は当然張り切るのだ。春と秋の祭りは男女の出会いの場でもあるのだから。街だけでは無く、リグハーヴス中の集落の年頃の男女が集まるのだ。

「俺も胸飾りの留め金を作っている最中でな。今は一寸息抜きだ」

「ご苦労様です。ヴァル、台所の孝宏に包んで下さいって頼んで来てくれるか?」

「うん」

 踏み台にしていた三本脚の丸椅子から降り、ヴァルブルガは一階の台所にとことこ歩いて行く。

 忙しいエッカルトは本を選んだら帰るだろうから、クッキーを少し持ち帰り用に包んで持たせるのだ。

 今日のクッキーはココア生地に刻んだチョコレートとマシュマロ、オレンジピールが入っている。アストリット達は気に入るだろう。


 エッカルトがクッキーの包みと本を二冊抱えて帰って暫くして、仕立て屋のマリアンがやって来た。

「こんにちは。あら、今日はヴァルがカウンターなのね」

「うん」

 マリアンはすらりとした森林族の男性だが、ヴァルブルガは全く怖くなかった。マリアンは<女性(フラウ)>だからだ。<Langue de chat>の面々の服を作っているのがマリアンで、採寸の為近い距離で何度も会っているからかもしれない。

 マリアンは読んだ本を返し、新しい本を借りて閲覧スペースに行っても、そこで本を読む事は無い。自分の部屋で読むのが好きなのだろう。お茶(シュヴァルツテー)クッキー(プレッツヒェン)を楽しみながら、マリアンは大抵持って来た毛糸と編み針で編み物をしている。

「今日は、毛糸じゃないの?」

 マリアンの籠の中を覗いたヴァルブルガは、折れ耳の付いたハチワレの頭をこて、と倒した。

「コサージュの依頼が入ったのよ。だからレース用の糸ね」

 籠の中には淡い色合いの糸が何巻か入り、常より細いかぎ針が刺さっていた。

 マリアンが閲覧スペースの端にあるテーブルに行くのに合わせ、ヴァルブルガも付いて行った。向かいの椅子によじ登る。

「あら、興味あるのかしら」

「うん」

 魔女アガーテは診療の空き時間にレース編みでコサージュを作り、服飾ギルドに卸していた。だから少し懐かしい。

 マリアンは籠から淡い桃色の糸とかぎ針を取り出し、鮮やかな手付きで編み始めた。細い指先の間で、あっと言う間に立体的な小花が出来上がって行く。

「わあー」

「ふふ。ヴァルもやってみる?」

「良いの?」

「良いわよお。こっちおいでなさい」

 マリアンはヴァルブルガを膝の上に乗せ、ゆっくりと小花を作る様子を見せてやった。

「これを布の土台に縫い付けたり、花同士で束ねたりするのよ。それに留め金を縫い付けるの」

「ヴァルブルガも出来る?」

「かぎ針なら出来るんじゃないかしら。持ってみて」

 かぎ針をヴァルブルガに持たせ、マリアンに編み方を教わると程なくして、編み方を覚えられた。軽いかぎ針なら、ケットシーの前肢でも負担が無い。

「上手ね」

「ふふ」

 褒められると嬉しい。ヴァルブルガは緑色の目を細めた。

「もっと編んでみたかったら、糸とかぎ針譲ってあげましょうか?」

「良いの?」

「うちは仕立屋だから、いっぱいあるのよ」

 しかし、服に付ける様な幅広レースは集落の女将さん達に内職で頼んでいるので、普段マリアンが使うのは、春と秋のコサージュ作りの時や客に特注された時位なのだ。

 マリアンが帰った後、ギルドで売り出されているレースの糸が全色入った箱とかぎ針が弟子のアデリナにより届けられ、イシュカとヴァルブルガは仰天するのだった。


 ケットシーは大概器用である。

 マリアンから贈られた糸とかぎ針で、ヴァルブルガは様々な草花を編んだ。イシュカが工房に居る時は片隅の椅子の上で、店に居る時は商談用の札が置いてある席で。

 編む事に夢中になっているので、本来服に縫い付けたり、コサージュに加工する筈のパーツである様々な草花が、籠いっぱい出来上がっていた。

「ヴァル、これコサージュにしないの?可愛いと思うよ」

 いつもの様にエンデュミオンに勉強を習いに来ていたエッダが、黄色いタンポポを摘まんで言った。

「欲しがる人いるかも。だって、すっげえ上手だもん」

 カミルも蔦の葉を掌に乗せて、頷いた。カミルの母親もレース編みのコサージュを持っているが、明らかにあれより凄い。

「留め金、無いの」

 子供は平気なヴァルブルガは、掌に乗る程の灰色の小さなケットシーを編んでいた手を止めて言った。最近は動物も編んでいる。因みにこれはエンデュミオンだ。後で縞模様を足す予定だ。

「服飾ギルドで売っているんじゃないのかなあ。布とか売っているから」

 エッダの言葉に、ヴァルブルガは少し心が動いた。

(ヴァルブルガ、布と留め金、欲しいな)

「服飾ギルド、行きたいの」

 翌朝、朝食を終えるなりヴァルブルガはイシュカの袖を引いた。ハチワレのケットシーを椅子から抱き上げようとしていたイシュカは、そのまま動きを止めた。ヴァルブルガと似た色の鮮やかな緑色の目を瞬かせる。

「服飾ギルド?」

「留め金が欲しいの」

「ああ、ブローチやコサージュのか?」

「そう」

「良いぞ。じゃあ行こうか?」

一寸ちょっと待って」

 ヴァルブルガは寝室に戻り、宝箱の中から魔銀の鎖に通ったギルドカードを首から下げ、服の中に押し込んだ。居間に戻ってイシュカの脚にしがみ付く。

「良いの」

「孝宏、ヴァルと服飾ギルドに行って来る」

「はーい。店は俺とエンディで開けておくね」

「頼んだ」

 イシュカはヴァルブルガを抱き上げ、一階に降りて店舗の入口から外に出た。

 もう雪はすっかり溶け、暖かな風も吹き始めている。上着が無くても日中なら寒さは感じない。

 市場マルクト広場の近くにある冒険者ギルドの隣に建つ服飾ギルドに向かう。服飾ギルドはギルド員に女性が多い。職員も女性が多いので、華やかな印象がある。実際は冒険者を経験していたり、魔法使いだったりで隠れ猛者もさだったりするのだが。

 何しろ素材は魔物が多い。持ち込むのは当然冒険者だ。喧嘩腰で来る馬鹿には、それなりの対応で叩き出すのが服飾ギルドのフラウ達なのだ。

 服飾ギルドの中に入り、イシュカは顔見知りのヘルガが居る窓口に足を向けた。彼女も<Langue de chat>の常連だ。大工クルトの妻アンネマリーの幼馴染でもある。

「いらっしゃい。ヘア・イシュカ、ヴァル」

「おはようございます。フラウ・ヘルガ」

「珍しいわね、ヘア・ヒロじゃなくてあなたが来るなんて」

「ええ。今日はヴァルの用事なんで。な、ヴァル」

「うん。……これ」

 カウンターの高さに届かないので、相変わらずイシュカに抱き上げて貰ったまま、ヴァルブルガは首元から魔銀の鎖に繋がったギルドカードを引っ張り出した。

「ヴァル、これは?」

「これ、服飾ギルドのなの。ヴァルブルガ持ってるの」

「確認させてね」

 ヘルガはギルドカードを読み取る魔道具の上に、ヴァルブルガのギルドカードを乗せた。魔道具のギルドカードが載った白い魔石の板が光る。読み取った情報は、カウンターの内側の方にある魔道具に映し出されるらしい。

「ハイエルンで作ったのね。あ、お知らせが来ているわ。説明するからそこの応接室に入って貰って良いかしら?」

 ヘルガはカウンターの横にある赤いドアが開いた部屋を指差した。未使用時はドアが開いているらしい。

 イシュカとヴァルブルガが応接室に入ってすぐに、ヘルガと一緒に見事な白髪を魔銀の(かんざし)一本でまとめ上げた年配の婦人が一緒に現れた。

「ヘア・イシュカ、ヴァルブルガ、こちらは服飾ギルド長クリスタ」

「初めまして、マイスター・クリスタ」

「初めまして、お二人さん。どうぞ、お掛けになって」

 お互いテーブルを挟んでソファーに座った所で、クリスタが紙を数枚封筒から取り出した。

「ハイエルンの服飾ギルドから、ケットシーのヴァルブルガ宛に連絡が入っていたわ。魔女アガーテの遺産がヴァルブルガ宛に魔法使いギルドから振り込まれたの。遺言で決められていたそうよ。聞いていた?」

「知らないの。でもヴァルブルガの口座にお小遣い入れておくねって、アガーテ言ってたの」

 だから布と留め金を買うお金があるか知りたかったのだ。元々ヴァルブルガの物だった魔石も預けてある。

「ヴァルブルガの主はヘア・イシュカになった訳ですから、目録は預かっていて下さいね」

 クリスタからイシュカに渡された目録には、<お小遣い>にしては多すぎる金額が記されていた。ヴァルブルガの金はヴァルブルガの物なので、「使いたい」と言った時に引き出してやればいいかと、イシュカは着ていた<Langue de chat>の制服の内ポケットに目録をしまった。

 ギルド長クリスタの要件が終わったので、ヘルガはヴァルブルガに微笑み掛けた。

「今日のご用件はまだお聞きしていなかったわね。ここでお伺いするわ」

「ヴァルブルガ、布と留め金欲しい。闘将蜘蛛とうしょうぐもの糸も。ブローチやコサージュ作るの」

「布と闘将蜘蛛の糸は直ぐに用意出来るんだけど、留め金は……少しお待ち下さい」

 ヘルガは言葉を濁らせ、ソファーを立って行った。程無くして彼女はコサージュの土台に使うのに良さそうな色の布を幾枚かと、虹色の光る透き通った糸、留め金を二種類持って来た。それぞれを飴色のテーブルの上に並べる。

「布と糸はこの辺りが良いと思うわ。留め金なんだけど、どちらが良いのかしら?」

 魔銀製だと思われる留め金は、片方は真っ直ぐな針の先に着脱式の丸い金具が付いている物と、孝宏が見たら「大きな安全ピン」と言ったであろう、細長い輪になっているピンで、針先を護る金具が一体化している物だった。

「こっち」

 ヴァルブルガは迷わず輪ピンを選んだ。

「やっぱり。針先を隠す金具を無くさないで良いから、最近人気なのよ。でも今、春光祭の準備で品切れしていて、鍛冶屋のエッカルトに頼んでいるの。もうすぐ入荷して来る筈なんだけど……」

 困った顔でヘルガと顔を見合わせた後、クリスタがイシュカ達に向き直った。

「急ぎなら先に出来上がっている分から譲って貰いましょうか?」

「良いんですか?」

「直接エッカルトの所に行って貰う事になるけど、紹介状を書くわ。代金は口座から引いておくから」

「ヴァル、それで良いか?」

「うん。あと、魔石出したいな」

「了解。この上に服飾ギルドのカード嵌めてくれる?」

 ヘルガが運んで来た底に小さな車輪の付いたサイドボードの天板には、銀色に光る魔法陣が描かれていた。端に窪みがあって丁度ギルドカードが嵌る大きさだ。

「はい。<ヴァルブルガの魔石>」

 ヴァルブルガがギルドカードを嵌め込むと銀色の光が強くなり、魔法陣の上に革袋が現れた。地下金庫と繋がる魔法陣の様だ。どこのギルドの地下金庫にあっても呼び出せる。

 革袋の中を確かめ、ヴァルブルガは中からさらに小さな革袋を取り出した。細かな魔石が入っている様だ。大きな革袋は口紐をきちんと閉め、魔法陣に戻し「<戻れ>」と言えば消え失せた。ギルドカードをサイドボードから取り外し、首に掛ける。

 ヴァルブルガはヘルガが用意してくれた布と闘将蜘蛛の糸を買い、留め金と共に口座から代金を引いて貰う事にした。

 一度応接室を出て行ったクリスタはエッカルト宛の紹介状を書いて持って来てくれた。

 買った物を紙袋に入れて貰い、イシュカはヴァルブルガの魔石を腰のポーチに入れて、ソファーから立ち上がる。

「ヴァルはどんな物を作っているの?今度見せてくれる?」

「うん。今度<Langue de chat>でね」

 ヘルガとクリスタに前肢を振り、ヴァルブルガはイシュカと街外れにあるエッカルトの工房へ行く運びとなったのだった。


お裁縫が得意なヴァルブルガ。イシュカの作業場や、閲覧スペースの<予約席>で良く刺繍や編み物をしています。

魔女アガーテは結構な額のお金や魔石を、ヴァルブルガに遺してくれていました。

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