聖女の審問
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
聖女、審問の開始です。
41聖女の審問
「あなたのお名前を教えて頂けますか?」
「塔ノ守孝宏です」
「あなたの出身地はどちらですか?」
「日本国です」
「どの様にして黒森之國にいらっしゃったのか、覚えていらっしゃいますか?」
「気付いたら〈黒き森〉のケットシーの集落に居たので、良く解らないです。エンデュミオンが憑いて来てくれたので、何とかなりましたけど。俺の国と言語が違うので」
「この世界で共通する言語がありましたか?」
「エンデュミオンが言うには、倭之國と同じだそうです」
「あなたの能力はご存知ですか?」
「能力?」
孝宏はフロレンツィアの言葉に反問する。思わずエンデュミオンの頭頂部に話し掛ける。
『能力なんて俺にあるのか?』
きゅっとエンデュミオンが上を向く。
『孝宏が感じていなくても、この國の人には能力と取られる物かもしれん。物語を書く事は、この國の人はしない。多分その事だ』
孝宏はフロレンツィアに向き直った。
「物語を書く事ですか?俺の国ではそれ程珍しくはない能力ですよ」
「と仰いますと、文字を書ける者が多いのですか?」
「国民の九割以上が読み書き計算が出来ますけど。義務教育が九年間ありますし」
「義務教育?」
「国民が教育を受ける義務があるんです。七歳から十五歳までですね」
「……」
何故か店内中が沈黙に包まれる。
「そこから高等学校に三年、さらに四年、もしくはそれ以上通う場合もありますけど」
「そ、そうですか」
「ちなみに魔法は存在しません。それこそ物語ですね。俺、黒森之國に来ても魔法は使えませんし」
「魔法は使えなくても、孝宏もイシュカも精霊や妖精と親和性は高いのだ。そういう者もいる」
チューと人肌のミルクティーを、ストローでエンデュミオンが吸う。両前肢でコップを支えている姿が可愛い。性格は決して可愛くないのだが。じろりとフロレンツィアを上目遣いに見る。
「冷める前に茶を飲め」
「エンディ、クッキー食べる?」
「うん」
孝宏に割って差し出されたクッキーにエンデュミオンが齧りつく。今日は肉桂と胡桃だ。
「聖女様も召し上がって下さい」
「有難う。頂きますわ」
聖女ではあるが、王族であるフロレンツィアは清貧な食生活をしている訳では無い。勿論食べ切れる量しか食卓には上らないのだが、菓子も普通に出る。
小皿の上に載っているのは、素朴な丸くて平たい焼き菓子だった。ぽこぽこと胡桃が顔を出し、肉桂の香りがする。
半分に割って、フロレンツィアは焼き菓子の端を噛んだ。くどくない甘味と肉桂の香りが口の中に広がる。
「美味しい……」
「美味いのう」
ユルゲンが頬を緩ませている。エルネスタも驚いた表情になっていた。
「黒森之國は各家庭でお菓子を作るみたいで、良く解らないから俺の知っているレシピで作っていますけど」
「これをあなたが?」
「ええ。塔ノ守って<異界渡り>しやすい家系なんですよ。だから家事は色々仕込まれます。でもこの國とはやっぱり料理の系統が違うので、レシピはこの店の中だけですね」
「レシピは公開しないのですか?」
エルネスタが思わず身を乗り出して口を挟む。
「俺の居た世界のレシピですからねえ。この國の人が発見した方が良いかなーって思ったりしますけど。この間、パイ生地の作り方王都で発見されたんですってね」
「作り方をご存知だったんですか!?」
「ええ。でも俺が発見した技術じゃないですしね。俺も既にあったレシピを習得した訳ですから。それを教えて、もし黒森之國の人が店を出して大儲けしても、何か納得いかないと言うか。それにお金持ちばかりがレシピを囲い込みそうだし」
「えええ、勿体無いですう」
料理が好きなエルネスタが、物凄い食いつきを見せている。実はフロレンツィアの食事はエルネスタが作っている。以前側使えだった修道女が家の事情で還俗したので、信用の出来るユルゲンの妹孫を側仕えに採用したのだ。平民の娘であるエルネスタは料理が上手で、毒見の手間も省けるので、今は彼女に任せている。
「ええと、シスター」
「エルネスタです」
「シスター・エルネスタは料理をされるのですか?」
「はい」
「この子は料理上手だぞい。菓子も作るしのう」
ミルクティーに砂糖を入れながらユルゲンが言う。
「うーん」
ズコーとエンデュミオンがミルクティーを飲み干す。
「孝宏、この三人は善人だから大丈夫だ」
悩む孝宏に、鯖虎柄のケットシーは太鼓判を押した。
「なら条件付きで、シスター・エルネスタにレシピを一つ教えてあげます」
「本当ですか!?」
孝宏の出した条件は、レシピはエルネスタが秘匿する事、レシピの菓子を売らない事、レシピの菓子を日曜礼拝に来た者達に配る事、だった。
「配る、と言うのは無償でですか?」
「だって、お布施貰っているでしょう?」
「……」
フロレンツィアは言葉が無かった。
教会に行くと、信者は幾ばくかの硬貨を、祭壇の横にある木箱に入れるのだ。これで教会は蝋燭などを購入する。そして、教会の運営費は國民の税金から賄われている。
菓子の材料費など、微々たるものだ。
「解りましたわ。その条件を飲みましょう」
「じゃあ、シスター・エルネスタに教えますから、一時間ほど掛かります。外で待っている人は、帰って貰ったらどうでしょうか」
いつまでも店の外に居られても困る。
「そうだな、あいつらが居ると客も入らん。聖騎士団長だけ中に入れて、他は帰せ。ここには騎士が三人と、階層二十階まで経験した冒険者が居るからな。泊りは領主館なのだろう?あとで迎えに来させれば良い」
ルリユールは戦闘員には含まれない。
「それじゃ、儂が伝えて来ようかね」
ユルゲンが年齢の割に軽い身のこなしで店の外に向かい、ボニファティウスだけ連れて戻って来た。
「お茶飲んで待っていて下さい。あと、本でも読んでいて下さいね」
クッキーの盛られた皿と、お茶が入ったティーポットをテーブルに置き、孝宏はエンデュミオンとエルネスタを連れて一階の台所に行ってしまった。
「なに?この状況」
配達から帰って来て二階の部屋で休んでいたテオとルッツは、ヴァルブルガに呼ばれて一階に降りて来て目を疑った。
閲覧スペースにディルクとリーンハルト、ゲルトとイグナーツが居るのは解る。何故聖女と老修道士、いかつい体格の聖騎士が居るのか。聖騎士の紋章は<鷲と星>なので見れば解る。
「あ、さっきのばしゃのひとー」
人懐こいルッツがとたとたと閲覧スペースに駆けて行く。
「こんちはー」
「こんにちは」
幼い声にフロレンツィアが微笑みを向けると、ルッツは彼女の手を両前肢で挟んだ。
「ほん、みないの?じいちゃんも」
「見ても良いかのう?」
「いいよー」
フロレンツィアとユルゲンは椅子から立ち上がり、本棚に向かった。ボニファティウスは威圧感があるので、ヴァルブルガが怖がる為閲覧スペースに居て貰う。
「ほうほう、綺麗な本じゃのう」
「これは貸本で一回一冊銅貨三枚、貸出期間は二週間で貸し出しています。早めに返して貰った場合は、同じ期間内で無料で一冊借りられます」
「儂らは聖都から来たからのう。借りられまいて」
「……どうでしょう」
テオがイシュカを見た。遠方貸し出しについては、エンデュミオンがしているので、イシュカは台所に行く。
「エンディ、聖都に貸し出し出来るのか?」
「あそこの地下に<転移陣>がある。聖女とユルゲン、エルネスタには貸しても良い。ボニファティウスは文字が読めれば貸しても良い」
作業台代わりになっていたテーブルの横で、ケットシー用の椅子に座っていたエンデュミオンが、顔だけイシュカに振り向く。
「解った。そう伝えるよ」
イシュカは店に戻り、エンデュミオンの言葉を伝えた。
「そうかの。有難い」
ほくほくとした顔で、ユルゲンが<冷たい殺意>を手に取る。
(何故それを取る……!)
イシュカとテオは心の中で叫んでしまった。
フロレンツィアは薔薇の書の一冊を取り、頁を繰り始めていた。ルッツはテオに<月下の剣>の一冊目を取って貰い、ボニファティウスの元に行く。
「ボニファティウス、よむ?」
「私が字が読めると思ったのか?」
「よめなかった?」
「いや、読める。わざわざ持って来てくれたのだな、有難う」
ボニファティウスは宵闇色の本を受け取り、ルッツの頭を大きな掌で撫でた。
聖騎士団長という立場から、ボニファティウスは文字を覚えた。聖都で騎士が従僕を雇う慣習は無いので、自分で書類をどうにかするしか無かったからだ。
数分後、閲覧スペースでは本の頁を捲る音があちこちで続いていた。
時折「誰が嘘つきなんじゃ」と言う嘆きや「うぬう」という呻き声や、鼻を啜る音が聞こえていたが、心の広い店員と常連客は彼らをそっとしておいた。
何でもかんでもレシピ公開をしても、流通が混乱したりレシピや料理人を囲い込もうとする人が居そうなので、様子見をしている孝宏です。




