フォンゼル司教と〈Langue de chat〉
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
フォンゼル、マヌエルに会いに行きます。
403フォンゼル司教と〈Langue de chat〉
温かいお茶で身体を温めたフォンゼルとリットは、早速〈Langue de chat〉の温室から行けるという、隠者の庵に向かう事にした。どのみち〈Langue de chat〉へ帰るテオ達と一緒に行けば一石二鳥だったのだ。
司祭館から出れば、先程よりは僅かに気温が上がっているような気がしたが、やはり相変わらず風は冷たく肌に刺して来る。
「たうう」
フォンゼルに抱っこされたリットが鼻先を外套の内側に潜り込ませてくる。テオフィルに肩車をして貰っているルッツは平気そうな顔をしているので、慣れの問題だろう。プラネルトの腹にしがみ付いているエアネストもけろりとしているのだから。
教会前広場から市場広場に戻り、診療所の角から右区に入る。路地を北に進めば〈本を読むケットシー〉の青銅の釣り看板がある店が現れた。周りの建物より大きく、もともと人数が多い家族用として建てられたのだろう。
正面から見れば、赤いドアと緑色のドアが並んでいた。緑色のドアの側の少し高い位置に窓があり、店の中が僅かに伺えた。その窓から、鯖虎柄のケットシーがこちらを覗いているのが見えた。
「エンデュミオン!」とルッツが前肢を振る。以前会った事があるが、相変わらず目付きの悪いケットシーである。
「赤いドアはヴァルブルガの診療所です。緑色のドアがルリユールの入口です」
テオフィルが緑色のドアを押し開けた。ちりりりんとドアの上部に付いているドアベルが涼やかな音を立てる。
「お帰りなさい」
カウンターにいたのは、黒髪黒目の少年だった。カウンターの横にはエンデュミオンが立っていた。黒森之國の民ではない容姿でエンデュミオンが側にいる人物といえば、〈異界渡り〉の塔ノ守孝宏に他ならないだろう。
「ただいま。ヒロ、こちらはフォンゼル司教とリットだよ」
フォンゼルをテオフィルに紹介された孝宏は、僅かに目を大きくしてから会釈をした。
「初めましてフォンゼル司教。塔ノ守孝宏です」
「お会い出来て光栄です、ヘア・タカヒロ」
「たっう」
リットがフォンゼルに抱っこされたまま右前肢を上げる。もももも、とリットの外套の下で尻尾が揺れているのを感じる。善人判定は絶好調だ。
エンデュミオンがフォンゼルを見上げて、鮮やかな黄緑色の瞳をきゅっと細めた。
「フォンゼル、マヌエルに会いに来たのか?」
「はい。マヌエル師はお元気でいらっしゃいますか?」
「元気だぞ。ケットシーにまみれて若返ったんじゃないか?」
「ケットシーにまみれる……?」
どういう状況だ。首を傾げるフォンゼルにエンデュミオンはニヤリと笑って、肢先の黒い前肢で招いた。
「来い。案内してやる」
リットを抱いたフォンゼルがエンデュミオンに近付くなり、足元に銀色の魔法陣が広がった。瞬きする間に景色が切り替わり、冷たい外気に晒された。辺りは雪が積もっていて、人工的に作られた雪洞や、雪で作った兎やヒヨコが並んでいた。
「ここは〈Langue de chat〉の裏庭だ」
エンデュミオンが赤みのある煉瓦の小道を先に立って歩き、ガラス張りの温室へと向かって行く。
「フォンゼルは上の取っ手を掴んで開けてくれ」
上下に分かれている下のドアを開けて、エンデュミオンが言った。どうやら人用と妖精用で上下に分けてあるようだ。上のドアを開けて温室の中に入り、フォンゼルは背後のドアを閉めた。二重になっているドアを通り抜けると、まるで教会の薬草園を思わせる畑があった。
「ここは孝宏とシュネーバルの薬草園だ」
ぱっと見た感じ、主に料理に使われる香りの良い薬草や香草が殆どだった。
エンデュミオンについて灌木の間を通り抜ける。
「……んん?」
目の前に青々とした芝の広がった広場が現れた。広場の縁は食べ頃の実を付ける果樹で囲まれているが、どうにも真偽官をしていたフォンゼルの五感に違和感を覚えさせた。
「エンデュミオン、なんだか……広さがおかしくないですか?」
「おかしいぞ。空間を弄ってあるからな。エンデュミオンがやったあとに、ギルベルトにもやられたから」
「ギルベルトというと……」
「元王様ケットシーだ。エンデュミオンを育てた」
それは誰にも止められない。
こぽこぽという水音に目を向ければ、石を刳り貫いた水盤があった。水盤の縁から零れ落ちた水は、下にある綺麗な色の丸石が敷き詰められた水溜りに注がれている。
「あそこはキルシュネライトの寝床だ。居ないという事は、ラルスの所に遊びに行っているんだろう」
キルシュネライトは元フィッツェンドルフ公爵領にいた水竜だ。前領主の扱いの悪さに出奔し、エンデュミオンの勧誘でリグハーヴスに来たと聞いている。
「水竜が遊びに」
「〈薬草と飴玉〉の薬草魔女の所にお茶を飲みに行くんだ。ついでに鱗を磨いて貰うらしい」
孝宏によれば女子会というらしいぞ、とエンデュミオンが笑った。
尻尾をゆらゆらと揺らすエンデュミオンの後頭部を見ながら、先程とは違う灌木の間を通り抜ける。今度は足元に飛び飛びに平たい石を置いた小道が現れた。視線を上向ければ、こぢんまりとした二階建ての庵が見えた。
その庵は決して新しくはないがよく手入れされていて、ドアも窓も全てが開け放たれていた。庵の横には畑があり、手入れをしていたのは様々な柄のケットシーだった。
「ンメエエ~」
鳴き声に振り返れば、庵を囲む木立の一本に細い綱で結び付けられたバロメッツが一匹いた。身体は白い毛で覆われているが、顔と四肢は黒い。
「あれはジルヴィアだ。ラルスの父親のモーリッツのバロメッツだ」
「噂に聞くリグハーヴス種ですか」
「そうだ。リット、ここはケットシーの里の一部だ。この広場と向こう側の橋を渡った場所には行っても大丈夫だぞ。向こうに行ったら誰かが王様の所に連れて行ってくれるだろう」
「たーう」
エンデュミオンの説明に嬉しそうに返事をしたので、フォンゼルは芝の上にリットを下ろしてやった。ケットシーの里は常春の暖かさだったので、外套を脱ぐや早速リットはまっすぐにバロメッツの元へ走って行った。尻尾を振りながら話し掛け、触る許可をもらい抱き着いている。
「さてと、マヌエルだな。こっちに居るかな?」
エンデュミオンは開け放たれている庵の戸口から顔を入れた。
「おーい、マヌエル居るかー?」
「はいはい、居りますよ」
懐かしいマヌエルの声が聞こえたが、フォンゼルの立つ場所からは姿は見えない。
「お客を連れて来たぞ、マヌエル」
「私にお客ですか?」
「フォンゼルとリットだ」
「お久し振りです、マヌエル師」
フォンゼルがエンデュミオンの隣に進み出て、マヌエルに声を掛けた。
「おやおや」
マヌエルはフォンゼルを見て笑みを深くした。黒い修道服に白いエプロンをしていて、どうやら料理でもしていたらしい。マヌエルの足元には、修道女姿で白いフリルエプロンをしているコボルトが立っていた。
「この子はシュトラールです。フォンゼル、リットは何処ですか?」
「ジルヴィアを撫でているぞ。外に居るケットシーたちが気に掛けてくれるだろう」
ケットシーの里のケットシーは人懐こい。コボルトにも慣れているので、迷っていれば声を掛けてくれる。
「たうう!?」
外からリットの驚いた声が聞こえた。エンデュミオンと共にフォンゼルが庵の外に顔を出すと、リットの側に何かが居た。緑色の葉と青い花を付けた何かだ。
「リット、それはマンドラゴラのレイクだ。うちのシュネーバルの愛玩植物だから大人しいぞ」
「たーう」
リットが返事をして、レイクの伸ばした蔓と握手した。コボルトとマンドラゴラは親和性が高い。が、なぜマンドラゴラを飼っているのか。
「レイクはシュネーバルが拾って来たんだ。伝説のマンドラゴラの子株だから、放置するほうが後々困るだろう?」
フォンゼルのもの言いたげな視線に気付いたのか、エンデュミオンが撫で肩を竦めた。シュネーバルとは幸運妖精だった筈だ。
「レイクは御庭番してくれてるの」
いつの間にか、修道女姿のコボルトが、お盆にストローが刺さった硝子のコップを乗せて立っていた。
「有難う、シュトラール」
マヌエルがお盆を受け取り、良く磨かれた木製のテーブルの上に置いた。
「〈Langue de chat〉の畑と温室に関しては、シュネーバルとレイク、領主館の庭師コボルトのカシュが担当しているんだ」
ベンチの上によじ登り、エンデュミオンが座面の隣を叩いた。座れ、という事だろう。
フォンゼルがエンデュミオンの隣に腰を下ろすのを待ち、マヌエルも向かいに座り、シュトラールを膝に乗せた。
「大聖堂はどうですか? フォンゼル」
「マヌエル師があらかた片付けていってくださったので、平和と言っていいでしょう。私にはリットも居りますし」
猟師のリットは罠が得意で、大聖堂にもフォンゼルが暮らす部屋にも罠を仕掛けまくっているのだ。あの罠を全て掻い潜れるのは、かなり魔力の高い者に限られる。
「兄弟ベネディクトと兄弟イージドールにも会って参りました。仲良くやっているようで安心しました」
「あの二人は元々同期で、イージドールは初めてベネディクトに会った時から、相手が聖人だと気付いていたようですからね」
それでもイージドールはそれを黙し、神学校を卒業したベネディクトが故郷のリグハーヴス公爵領の主席司祭に配置されるのを見送った。そうして己は末端司祭として、ヴァイツェア公爵領に派遣され、王族や高位聖職者の護衛時に都合良く呼び出されては使われていた。エンデュミオンに気が付かれるまで。
「二人揃って公言されないと、ベネディクトを囲われる恐れがあったからだろう。イージドールがベネディクトを奪還するのは容易いが、イージドール自身の命が危うくなる」
エンデュミオンが硝子のストローから口を離して言った。
〈女神の貢ぎ物〉の命は軽い。聖人が見付かればこそ聖人の所有物となるので、誰も手出し出来なくなる。
「イージドールは族長候補者だった男だ。美しいが馬鹿じゃない。ベネディクトを守る為ならば、何年だって息を潜めただろう。そもそも聖職者なんだぞ? 特定の対象に対する献身を甘く見ていたな」
「そうは言っても、今まで〈女神の貢ぎ物〉が聖人を見付けられた事の方が少ないんですよ、エンデュミオン」
「エンデュミオンも、司教だったマヌエルよりベネディクトの盾になろうとしたイージドールを見たから気が付いたんだけどな。目が緑色に変わっていたし」
マヌエルに鼻を鳴らし、エンデュミオンは縞のある尻尾を揺らした。
〈暁の旅団〉は戦闘民族だ。人狼にも匹敵する身体能力を持っていて、環境的に厳しい〈暁の砂漠〉で生き長らえる。水と木の妖精の加護を持ち、雷竜と砂竜と親交がある。彼らは総じて美しく強いが、何者にも迎合しない。自治領の族長であるが、國王と対等だ。誰も口に出す事はないが、彼らは〈暁の砂漠〉統べている誇り高い民族だ。
「たうたう」
リットがレイクを抱いて庵の中に入って来た。
「給水か?」
エンデュミオンが〈時空鞄〉から木製の鉢と陶器の水差しを取り出した。床に置いた鉢に水を注ぐ。
「レイク、今日は聖水だぞ」
「キャウ~」
嬉しそうに床に下ろされたレイクが鉢の中に入って根を浸した。
「すみません、エンデュミオン。どうして水差しから聖水が?」
「この水差しは、地下神殿の地底湖と繋げてあるんだ。あそこは全部聖水なんだ」
「マヌエル師?」
フォンゼルはマヌエルを振り返った。白髪の増えた隠者は、ただ穏やかに微笑んでいる。どうやら了承済みらしい。
エンデュミオンが水差しを持ち上げる。
「フォンゼル、欲しいか?」
「有難いお話ですが、聖水を聖別するのも聖職者の修行ですので」
「必要だったら言ってくれ。こう、ドーンと死霊でも出た時にでも」
「どこにそんなに死霊が出るんですか!?」
「いやそろそろ出る頃だろう? 王都の森の外れに地下墓所があるだろうが」
「はい? ……マヌエル師?」
「地下墓所……ありましたか?」
「たーう?」
フォンゼルとマヌエルは顔を見合わせた。シュトラールにお茶を貰ったリットが、ストローを咥えたまま首を傾げる。
「ほら、竜騎士の演習を行った森の中にあるだろう。マヌエルは浄化しに行った事が……ないか。もしかしてマヌエルの在籍期間とずれているか?」
「私の記憶には無いのですが」
エンデュミオンが真顔になった。
「マヌエル、前任者からの引き継ぎは?」
「私の前の司教は急逝されましたので、引き継ぎはありませんでしたよ」
マヌエルの返事に、エンデュミオンは笑い出した。
「ははははははっ、それじゃあそろそろ森の中に死霊が出始めているかもしれないな」
「笑い事ですか!?」
「いや笑い事じゃない。竜騎士が招集されたら孝宏とエンデュミオンも行かなければならない。本来であれば百年ごとに浄化の祭祀を行うんだ。この祭祀が出来るのは……フォンゼルとイージドールかな? ベネディクトは体力的に無理だろう」
「フォンゼル、すぐに陛下に精霊便を出して下さい。エンデュミオンも一筆添えて下さいね」
「ちっ」
舌打ちしながらエンデュミオンが〈時空鞄〉から紙と封筒、万年筆を取り出した。フォンゼルも自分の万年筆を取り出す。
「王都の森を確認する騎士には聖水を持たせろと書いてくれ、フォンゼル」
「はい」
エンデュミオンから受け取った紙に、王都の森の地下墓所について書き、至急確認を依頼する。署名をしてから、その紙をエンデュミオンに向けて差し出した。
「エンデュミオンは何で気が付いてしまったんだ……」とぼやきながら、エンデュミオンが緑色のインクの入った万年筆で、地下墓所には百年ごとの浄化が必要な事と、死霊が出てくる事で起きる影響について書き込み署名した。
フォンゼルは手紙を折り畳み封筒に入れ、銀色の封蝋を垂らして印章を押す。その隣にエンデュミオンが緑色の封蝋を垂らして印章を押した。
「風の精霊」
エンデュミオンが水色の砂糖菓子を取り出して風の精霊を呼ぶ。さあっと開け放たれた窓から風の精霊が入って来て封筒を掬い上げた。
「王城のマクシミリアンか、ツヴァイクに届けてくれ。これはお礼だ」
砂糖菓子がエンデュミオンの前肢から回収される。風の精霊はあっという間に姿を消した。
「随分と来るのが早いですね」
「あれは孝宏に憑けている風の精霊だからな」
「……過保護ですねえ」
「煩い。竜に乗った時の落下防止に契約したんだ」
大魔法使いに使役される風の精霊はそれなりに上位だろう。そして明らかに孝宏の菓子目当てだ。動きが違う。
「マヌエル師、ケットシーの王様に挨拶をしてから、兄弟イージドールへ知らせに女神教会へ戻ります」
「フォンゼル、服に付ける聖属性の護符なら、私とシュトラールが作るのを手伝えますよ」
確かに急な事なので、騎士の分の数が足りなそうだ。
「お願いします」
「仕方がない、領主館の双子にも頼もう」
エンデュミオンが前肢で頭を掻きながら言った。
「領主館の双子、ですか?」
「魔法使いギルドの転移部屋で会わなかったか? コボルトの双子だ。あれらは上級魔法使いだぞ。全属性使える」
確かに居た。
「うーん、プラネルトとエアネストを招集するかどうかだなあ。ついでにテオとルッツも。聖属性が使えるからな」
「王都の騎士に確認して貰った状況次第でお願いしましょう」
「よし、来い。王様に紹介してやる」
どうやらフォンゼルの司教期間も、平穏なだけではなさそうだ。小さく苦笑し、フォンゼルはベンチから立ち上がった。
フォンゼルがマヌエルと再会です。基本、司教から隠者になった聖職者は表に出ません。
雑談の中で、「地下墓所、浄化してなくね?」と気が付いてしまったエンデュミオンです。
次回は、竜騎士の招集……でしょうか。
浄化が出来る程の聖属性の使い手は少ないので、使える人で戦える人は招集されたります。